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マスティアン星人の眼球は大きく退化しているため、額や手の甲などのクリスタル状物質がその役割を担っている。
そのためにクゥエルは目を閉じて、自身に対して振り下ろされるベルサー星人の長い腕が終わりの時を告げるまで待っているという事が出来なかった。
(……ああ、これが日本人の言う「走馬燈」という奴なのか……)
クゥエルの心は死を安らかな気持ちで受け入れていたが、彼女の頭脳は生命の危機に何とか生き永らえようとフル回転して脱出法を模索し始める。
それがまるで時間がゆっくりと進んでいくかのような錯覚を感じさせるのだ。
正門の屋根瓦の上で鳴いている雀。
桜の花びらが散った後の鮮やかな新緑。
青い空と白い雲。
鈍く光る長い腕。
迫る長い腕。
細長い異星人に突っ込んでいく2本の足。
「……え?」
いきなり飛び込んできた人影にベルサー星人は脇腹を蹴られ、バネのように大きくたわんだ後に吹き飛ばされていく。
クゥエルの鈍麻した時間の感覚の中ですら追いきれないスピードで突っ込まれては、金属質のために重量級の肉体を持つベルサー星人もその場に留まる事ができなかったのだ。
「諦めるなッ!」
両足を揃えての飛び蹴りの後、地面を転がりながら立ち上がった男がクゥエルに喝を入れるような大声を出す。
その男、藍色に染め上げられた作務衣を着ているものの全身の筋肉の興りは隠しようがなく、首も太腿も腕も太い。背中にまで肉が盛り上がっているが、その男の全体的なシルエットはけして太くはない。むしろ日本人離れした足の長さから古代ギリシア彫刻のような優雅さすら感じさせるのだ。
「……先輩!」
「天は自ら助くる者を助くと言うだろうに!」
「天? え? それ、仏教ですか?」
「念仏唱えれば阿弥陀仏が助けてくれるなら、ヨソの宗教の話をしてもいいだろうさ」
男は起き上がろうとするベルサー星人を見据えたままクゥエルに話しかける。
クゥエルから見た男の背中は岩壁のように頼りがいのある物だった。
「おのれ! 貴様、名を名乗れッ!」
「天部、ウリエル!」
「え、て、天部? 天使ではなく!?」
「そっちは謹慎中だッ!」
男の背中、肩甲骨の辺りから作務衣を突き破って生える大きな白い1対の翼に、ベルサーは自分の耳か脳内の言語チップがおかしくなったのかと訝しんだ。
天使とは言葉通りに天(=神)の御使いを現す言葉で、天部とは元々は異教の神々が教化されて三宝の守護者となった存在を指す。
そういう点においてウリエルは昨年の一件から天使としての職務を謹慎中であったのは事実であるし、仏教の修行僧であるクゥエルに迫った危険にカットに入った彼は天部でもあるといえよう。
「フン、まあ、どっちでもいいわ! ウリエル! お前を殺してから後ろの女も捻り潰してやる!」
「来いよ、外道!」
なお「外道」という言葉の本来の意味は「仏教徒ではない者」なので、ベルサー星人は文句無しに外道と言えよう。
ウリエルの挑発の意味を知ってか知らずか、ベルサー星人は大きく腰を落として敵から見える腹部の面積を小さくし、さらに長い腕を大きく前方に突き出した構えを取る。
対するウリエルも異星人に合わせるように腰を落とすが、手の長さのからくるリーチの違いは如何ともしがたい。
対峙して同じような姿勢を取った両者に対し、それを見つめるクゥエルは兄弟子がスピードを活かして懐に飛び込んでいくのではないかと思っていた。
先ほどのドロップキックの瞬発力を見ればウリエルの方に速さの利があると予想していたのだ。そして、そうでなければ宇宙でも有数の格闘巧者であるベルサー星人に対抗するのは難しいだろう。
だがウリエルはゆっくりと腕を上げて掌を見せ、敵に目配せしたのだ。
「面白い! 力比べか!」
ベルサー星人もゆっくりと警戒したまま、じりじりと前進してウリエルが挙げた手に自身の手を合わせて握り合わせる。さらに反対の手を出すとウリエルも同じように手を出してこちらもガッチリと握り合わせた。
「……ッ! さすがッ! だがッ!」
「……クッ!」
合図も無いというのに両者は揃って同時に腕に力を込めて相手をねじ伏せようとする。
だが、さすがのウリエルといえど、異形の異星人相手の力比べは荷が重かったのかプルプルと震えながら体は下がっていき、やがて片膝を地面に付いてしまった。
ベルサー星人はさらに腕に力を込めていくと、ウリエルが苦悶の表情を見せた。
同等の体格の相手と組んでいたのならば、一瞬の隙をついて敵の膝を蹴って脱出する事も可能だろうが、ベルサー星人の腕は長い。膝を蹴ろうにも足が届かないのだ。
クゥエルも兄弟子の援護に入るべきかと思ったが、劣勢のハズのウリエルの気迫に押されて前に出る事が躊躇われていた。
しかし、ウリエルは徐々に押されながらも拮抗していた両腕の左腕だけを脱力させてベルサー星人のバランスを崩させ、その隙に左手の絡ませていた指を振りほどいて体を反転させる。
「ダッシャアアアアア!!!!」
ベルサー星人の腕を自身の右肩の上に乗せて、力任せの背負い投げ。
フォームも何もあったものではないその場凌ぎの投げ技だったが、それが逆にベルサー星人にとって受け身を取る事を困難にしていた。
ベルサー星人は後頭部と背中をしたたかに打ち付ける。
そこにウリエルが助走を付けて跳びフライングエルボードロップをお見舞いしようとするが、異星人が倒れたまま伸ばした腕に阻まれ、逆にウリエルは首を掴まれてしまう。
「ガハッ……」
「やってくれる!」
ウリエルの首を片手で締めあげたまま、ベルサー星人はふらつきながらも立ち上がり、先ほどとは逆にウリエルを石畳の上に叩きつけた。
だが、どのような手品を使ったものか、ウリエルは固くゴツゴツとした石畳の上にバウンドするほどの力で叩きつけられるが、そのまま何事も無かったように立ち上がったのだ。
「……く、クソがッ!」
ウリエルの様子に激昂した異星人はウリエルに腰の入ったビンタを張った。
見ているクゥエルの肩がすくみ上がるほどの大きく鈍い音が境内に響き渡るが、ウリエルは左の頬を張られて右を向いた顔をゆっくりと戻していき、今度は逆に右の頬を相手が張りやすいように向けてやったのだ。
その表情は「どうした? そんな物か?」と言わんばかりの皮肉に満ちた物だった。
(「左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさい」か……。さすが先輩、ファイトスタイルにまでキリストの教えが溢れている……!)
それは地球で暮らすようになって1ヵ月にも満たないクゥエルでも知っている有名なキリスト教の言葉だった。
現在でこそ「楽しい宗教」を看板に掲げるカトリックであったが、かつてはこの世の物ならざる邪悪な存在から人々を守るための存在だった。
その点が「いかにより良く生きるか」という東洋哲学の真髄ともいえる仏教徒は異なる物である。
そしてウリエルはそのカトリックの4大天使の1柱であり、「神の炎」に例えられるその性質は原始キリスト教の「目ン玉、出るほどストロングスタイル」という教義を強く残していた。
その実力は残虐ハードコア路線で知られていた悪魔アスタロトとシングルマッチでも互角の実力を誇るほどで、いかにベルサー星人が宇宙でも有数の格闘巧者といえども役者不足としか言いようがない。
現にクゥエルは劣勢としか言いようのないウリエルのファイトを期待を持って見ていた。
力比べで負け、首を絞められ、石畳に叩きつけられ、頬を張られる。ウリエルにとってこれまでの内容は散々な物だった。だが、勝負の主導権を握っているのはウリエルだと言い切ってもいい。
クゥエルは自分でも気付いていなかったが、両者の戦いを高揚感を持って見守っていたのだ。
そしてベルサー星人はウリエルの挑発に乗って右の頬を打つが、その刹那、その手を掴んで跳び上がったウリエルは下半身を異星人の腕に絡みつかせ、背筋の力を振り絞ってその肘を圧し折ったのだ。
「ガアアアッ!」
関節が砕ける鈍い痛みに異星人は叫び声を上げて腕を振り回し、ウリエルを地面の上に叩き落とす。
だが、またもやウリエルはすぐさま立ち上がって、敵の腹部へ零距離ドロップキックで吹き飛ばした。
(……なるほど、さすがは毎日、掃除をサボって練習しているだけはある……)
クゥエルが感心しているのはドロップキックではない。
その前にウリエルが取った受け身の事だ。
キリスト教においてはどのような技よりもまず先に教えられる事。それが受け身であった。そして、その練習はいかにキャリアを重ねても決して怠っていいというものでもなかった。
そのキリスト教の聖人の受け身ともなれば、十字架に張り付けにされた状態で脇腹を槍で突かれても数日間、寝込むだけで済むほどであるという。
それが嘘か誠かは分からないが、それほどまでにキリスト教は受け身を重視していたのだ。
そして現在は仏法の修行中の身であるウリエルも受け身の練習を欠かす事は無かった。
先ほどクゥエルが境内に出てきた時に聞いた重い物を地面に落とす鈍い音。それこそがウリエルが寺の裏手で受け身の練習をしていた音だったのだ。
先に石畳に叩きつけられた時も、そして今また地面に振り落とされた時もウリエルはしっかりと受け身を取る事が出来ていた。
「な、何故だ!? パワーで劣る相手にこうも遅れを……ッ!」
まるで信じられない物を見たような声を出しながらベルサー星人が膝を付いて立ち上がろうとする。
だが、その刹那の隙を見逃すウリエルではなかった。
「……え!?」
クゥエルが思わず声を漏らす。
ウリエルの姿が消えたかと思うと、兄弟子は一瞬の内にベルサー星人の懐に飛び込み、異星人が立てた膝を踏んで機先を制し、そのまま跳び上がったウリエルの膝はベルサー星人の顔面に突き刺さっていたのだ。
クゥエルは自分が先ほど走馬燈の感覚を味わっていたがために時間の感覚がおかしくなってしまったのかと思った。
一瞬で消えたウリエルと、そのウリエルが膝を異星人の顔面の叩きつけた瞬間のコントラスト。
なまじ目にも止まらぬ動きを見せた後なだけに、静止画のようにウリエルの膝蹴りはクゥエルの脳裏に焼き付いていた。
閃光魔術。
それはウリエルの「神の剣」とも称される必殺技だった。
目の前で対峙している相手ですら魔力で加速された動きを捉える事は不可能であり、一瞬で勝敗を決してしまう恐ろしい荒技だった。
だがウリエルのフェイバリットはこれで終わりではない。
ゆっくりと倒れて昏倒寸前のベルサー星人の頭部を掴んで持ち上げ、自身の両の太腿の間で挟む。
さらに相手の腰に両手を回して持ち上げた。
そしてクゥエルの方を向いて片手を振って声援を要求する。
「先輩! やっちまえ!」
クゥエルが求められるがままに期待と共に声援を送ると、ウリエルはウインクを1つ返して背の翼を水平に広げた。
白い翼から魔力を放射する事で羽ばたく事なく、飛び上がる。
その姿はまるでウリエルのシンボル、聖十字架のようだった。
十分な高度を取ったウリエルは今度は逆に翼から「地面に向かう」魔力を出して急降下。
落下の瞬間に敵の頭部を挟んでいた太腿を放して、ベルサー星人の頭部だけを大地に激突させる。
「ウリエルドライバー! 南無阿弥陀仏!」
地面に頭部を突き立てたまま絶命したベルサー星人にウリエルが合掌すると、クゥエルも倣って手を合わせた。
「お~い! 2人とも~! ご飯出来ましたよ~! 読経して朝ご飯にしましょ~!」
弟子の死闘も知らずかZIZOUちゃんの呑気な声が合掌する2人の元に響いてくると、2人は顔を見合わせて笑顔を作り、小走りで本堂に向かっていった。
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