28-4
時系列は前後するが、都立H第2高校に異星人の臨時教員が赴任した日。
1人の女子生徒が転入して来ていた。
「1人暮らしは大変だろうから、困った事があったら何でも相談してくれな?」
「ありがとうございます」
朝のSHRの予鈴の音を聞きながら、担任となる男性教師と転入生が教室に向かって歩いていた。
「ところで部活同とかは決めているか? 俺は陸じょ……」
「いえ、部活動なんかにうつつを抜かしている暇はありませんので……」
「そ、そうか……」
体育担当で陸上部顧問の佐藤はけんもほろろな転入生の様子に、少し淋しく思ったものの、まだ十代で両親を失って兄弟も無く天涯孤独の身ともなれば気負う事もあるのだろうと思い直した。
そもそも1人暮らしだと自分でも言ったではないか。彼女は学校の勉学の他にも家事全般を自分でやらなくてはならないのだ。
だが部活動か同好会に所属しなければならないという校則は自分が校長に事情を説明して説得すれば特例としてどうにでもなるだろうが、やはり幽霊部員でも何か部活に参加していた方がいいだろうと佐藤は思っていた。
今は良くても、彼女もすぐに進学か就職、進路について考えるようになる。
その時に「部活は何もやってませんでした」では面接の際にマイナスになるかもしれない。
なんなら自分が顧問を務めている陸上部で幽霊部員でも入ってもらえば「○○をやっていたのですが、成績は伸びずレギュラーにはなれませんでした」で通せるかもしれない。
転入生の体格から考えればそれは十分に説得力を持つハズだった。
彼女は身長こそ女子の平均的な物であったが、細く華奢に見える体格にまだ幼さを残した顔つき。だが目付きだけは力強く、何かを決意しているかのようだった。
佐藤は転入生の目に並々ならぬ何かを感じていたが、それが良からぬ物だとは疑いもしない。
彼の生徒たちからの評は「脳筋」「熱血バカ」、そして「今時、珍しい熱血教師」だった。
「ここだ」
佐藤が幾つも並ぶ教室の1つの前で立ち止まる。
すでに職員室で組章を渡して、クラスについても教えてはいるが、いきなり入らずに1呼吸おいて転入生に心の準備をさせてから教室の扉を開けた。
クラスの生徒たちはすでに転入生の噂を聞いていたのか興味津々の者、あるいは宿題をやっていなかったのか転入生などそっちのけで机の上のプリントに取り組んでいる者など反応は様々だった。
転入生は緊張など無縁のように教壇に向かう佐藤の後をついてくる。
「あ~。すでに知っている者もいると思うが今日からクラスの仲間が1人、増える事になった。さ! 自己紹介を」
佐藤に促されて転入生は黒板に白チョークで自分の名前を書き、それから生徒たちに向き直り澄んだ声で喋りだした。
「紙魚山 式です。よろしくお願いします」
いつもならばクラスに馴染めるように短時間でも質問コーナーを設ける所だが、彼女の目付きのように取り付く島の無い声の調子に、佐藤も次の言葉を切り出すのが躊躇われた。
紙魚山は自分の席を探しているのか教壇の脇に立ったままクラス中を見渡し、何故か驚いた顔で佐藤の方を向いた。
「あれ? 石動誠君は同じクラスじゃないんですか?」
その表情は先ほどまでとは一転して歳相応、もしくはより幼く彼女を見せるようなキョトンとしたものだった。
「ん? 石動? アイツは1年だぞ? 知り合いか?」
「ちょ、直接的なものではないので向こうは知らないでしょうが……」
「そうなのか? 紹介してやろうか?」
「いえいえいえいえ! だっ、大丈夫です!」
直接的な知り合いではないと聞いて佐藤はてっきり石動誠が活動期間中に彼女の知り合いか何かを助けたのかと思い、知り合いのいない紙魚山のために紹介してやろうかと提案したのだが、彼女は驚いたように必死で拒否して教室の後ろにとっとと歩いて行ってしまった。
だが、そこは欠席者の席で机の中に教科書などが入っている事にまた彼女は驚いて固まってしまった。
「ああ、そこは今日、風邪引いて休んでる大川の席だ。紙魚山の席は窓際の空いてる席だけど、お前、視力とかは大丈夫だったよな?」
「……はい」
窓際の1番、後ろの空席に紙魚山は動き、力無く佐藤に返事をした。
(何、やってんのよ!? 石動誠! アンタと私は同い歳でしょうが! 何? 留年? 高校浪人?)
こうして紙魚山式はH第2高校の“2”年B組の一員となった。
(クソ! クソ! クソ! せっかく石動誠と同じB組になったって喜んでたっていうのに……!)
歯噛みするほどの苛立ちを隠そうともしない紙魚山にクラスの面々も“触らぬ神になんとやら”の精神で話しかける事は無く、SHRが終わっても彼女に1人、鬱屈した感情を心の中で燃え上がらせていた。
(フン! まあ、いいわ! 石動誠、ちょっとした誤算があったようだけど、所詮はあなたの寿命が少しだけ伸びたという程度の事よ! アナタを殺すのは私よ! 石動誠!)
宿敵と定める少年の命乞いする姿を想像し、紙魚山は唇を歪めてほくそ笑む。
どうせならば変身する前に大勢を決して人間態のまま殺したいものだ。
あの病的に痩せ細った骸骨の姿を模した死神に命乞いされても面白くも何ともない。ここは、あの女子中学生とも小学生男児とも思える可愛らしい人間態のまま泣きわめかせてやりたいものだ。
紙魚山が胸の中を埋め尽くす嗜虐の心に頬を赤らめさせていると、隣の席の女子生徒が控えめな小声で話しかけてきていた。
「……っと、ちょっと紙魚山さん」
「え?」
「貴方の番よ……」
「私の番?」
「そう。自己紹介……」
我に返った紙魚山が教室を見渡すと、すでに1時間目に入っていたのかクラスの皆は机の上に教科書とノートを出し、教壇には何故か全身、真っ赤な女性がいた。
(自己紹介? 5月も中旬だっていうのに? 私が転入生だから? それじゃ「私の番」ってのはおかしい。あ、私のために皆、自己紹介してくれてるって事かしら?)
なんとか状況を推測した紙魚山は立ち上がり自己紹介を始める。
だが……。
「先ほどは名前だけでしたが、前は……」
「Bullshit!」
「は?」
髪まで真っ赤な事を除けば「THE 美人所教師」を形にしたような知性溢れる顔立ちの女性にいきなり罵倒され、紙魚山は頭の中が真っ白になってしまったが、また隣の席の生徒が小声で教えてくれた。
「……英語でだよ。紙魚山さん、聞いてなかったの?」
なるほど、クラスの皆の机の上に乗っているのは英語の教科書。つまりは1時間目は英語の授業なのだ。それなら英語での自己紹介というのも頷ける。
「……ソ、sorry. my name is……」
「fuck! You will not laugh! You will not cry! You will learn by the numbers. I will teach you. Now get up!(クソが! 泣いたり、笑ったりできないようにしてやる!)」
「ヒィッ!?」
まるで機銃掃射のように流れる罵倒に紙魚山が悲鳴を上げた時、彼女は気付いた。
授業が始まっているというのに、教科書もノートも出していない自分の机の綺麗な状態に。
「……い、1時間目は酷い目にあったわ……」
その日の昼休み、紙魚山式の姿は別館の学食にあった。
あの後、なんとか1時間目を切り抜け、その後の午前中の授業は同じ轍を踏まないようにそつなくこなしていた彼女に石動誠抹殺の機会は無かった。
(……でも昼休みなら話は別よね? 調べはついているのよ! 石動誠!)
紙魚山はまだ見ぬ宿敵の姿を求めて食堂の中を巡り歩く。
長机にパイプ椅子が幾つも置かれた学食はそれなりに賑わっていて空席はまばらだったが、宿敵の姿を忘れようハズも無い。
紙魚山式には石動誠の姿を後ろからでも見分けられる自信があった。
だが石動誠の姿は無い。
そんなハズがと思いながらももう1度、探し回り、さらにもう1往復。
だが、あの憎き改造人間の姿はどこにも見当たらなかった。
(……ど、どうして!? 奴も1人暮らしの男だったら昼食は学食で食べるハズでは? ハッ!? まさか購買のパンで済ましたとか? 金、持ってんだから、みみっちい真似するんじゃないわよ!)
まさか石動誠が毎日、自分で弁当を作っているとは思いもしない紙魚山式は、これから来るのではないかという希望を捨てられず、そのまま食堂で食事もせずに無駄に時間を過ごしていた。
学食の従業員たちには不審な目で見られたが、大願成就のためにはそんな事など気にしていられないのだ。
だが、そうこうしている内に昼休みの終了5分前の予鈴が鳴り、彼女に声を掛けてくる者がいた。
「あっ! 紙魚山さ~ん! 5時間目、始まるよ~!」
「……貴方も食堂だったの?」
「うん。今日は私もお母さんも揃って寝坊しちゃって……」
隣の席の女子、確か草加雅美とかいう生徒ととぼとぼと教室に向かって肩を落として歩いていく紙魚山式だった。
(……お腹、空いたわね……)
帰りのSHRの後、紙魚山式は全力ダッシュで屋上まで駆け上がっていた。
予想外の事態の連続で未だ怨敵との接触は果たされていない。
だが、むしろ接触しなくとも済む屋上からの狙撃こそがもっとも紙魚山が安全に暗殺がこなせる方法だと言えよう。
担任の佐藤なる教師のSHRは簡潔で早く終わり、故にそれから全力で階段を駆け上がってきた屋上の眼下にはまだ帰宅する生徒の姿は見えない。
(フフフ……! まあ、泣き叫ぶアナタに靴を舐めさせてやれないのが残念だけど、アナタには1秒でも早く死んでもらいたいのよ……)
最初からこうすれば良かったのだと思う。
無駄に石動誠をいたぶろうとわざわざ転入してきたが、そもそも最初から屋上からの狙撃を軸に考えていたら、学校に忍び込んで屋上で待機していればそれで済んでいたのだ。
屋上に流れる気持ちがいい風を楽しんでいると、ちらほらと帰宅する生徒たちの姿が見え始めた。
石動誠の所属する部活までは知らないが、丁度いい事にこの学校は今日から中間テストの準備期間だった。部活動も休みになっているのだ。自主練という名目で練習をする部活もあるらしいが、どの道、石動誠は改造人間だ。大会に参加なんかできないのに真面目に自主練などするわけがない。
つまり、あと数分、屋上から正門を監視していれば必ず帰宅する石動誠が見えてくるハズなのだ。
そして、ついにその時が訪れる。
「お~し! それじゃ、部活動も休みだし皆でカラオケ行こうぜ~!」
「部活動が休みも何も、ヒーロー同好会はロクに活動なんかしてないじゃない?」
「天童氏は勉強しなくて大丈夫で御座るか?」
「大丈夫、大丈夫!」
「ホントかな~?」
「おっ! それじゃカラオケ、マコっちゃんは不参加?」
「フッフッフ! そんな事を言ってもいいのかな?」
「ん?」
「僕のヒーロー登録証があればカラオケも割引になるのだけれど?」
「何っ! 逃がすな! 真愛ちゃんは左腕を掴んで!」
「ハイ、ハイ……」
いかにも青春を楽しんでますといった底抜けに明るい表情をした標的は、数人の友人たちと連れ立って校門に向かってのんびりと歩いていく。
途中で2人の女子生徒に腕を押さえられ連行されるような形になったため、紙魚山は一瞬だけ躊躇った。
紙魚山の狙撃は命中精度こそ抜群だが、攻撃範囲がそれなりにあるためにあのように密着されると女子生徒にまで被害が及んでしまうのだ。
(……まっ、石動誠なんかとツルんでる方が悪いって所かしらね……)
2次被害など構いもしない。
紙魚山は狙撃を決意する。
だが、その時、背後から重い屋上の扉が開く音が聞こえたために紙魚山は飛び上がるように振り返った。
「ん? 貴女は2年B組の……」
「ゼツゥボー先生?」
そこに現れたのは英語教師、ゼツゥボー・ゼス。
彼女は何故か5月だというのに足元まである真っ赤なロングコートを着ており、コートの前は閉じられ、そして両肩にはそれぞれバスケットボールほどの球体がゆっくりと回転していた。




