ハロウィン特別編-4
黒岩清美は山の斜面を駆けていた。
手を引く弟の清彦はまだ小学5年生ながらも高校1年生の彼女の足に着いてきていた。
すぐ後ろを走る中学2年生の弟、清志も遅れているわけではない。木の枝を武器代わりに持って走る清志は殿をしていてくれているのだ。
「きゃあ~! きゃっ! きゃあああ!!」
「ヒィっ!」
「うわっ! とまっ! 止まんなッ!」
木の影から飛び出して大きく裂けた口を向ける吸血鬼に悲鳴を上げるが3人は走ることを止めない。
後ろからも吸血鬼が迫ってきているのだ。
後ろからだけではない。3人は数えきれないほどの吸血鬼に包囲されているのだ。
それは清美たちの悲鳴に群がるように次から次へと新手が現れている。
まるで地獄の底が開いたような光景だ。
月明かりも深い森の中にまでは入ってこないというのに彼女たちは自分たちの足元さえはっきりと見る事ができた。
吸血鬼という怪異があまりにも多く集まっているために現実と非現実が曖昧になって、いたる所を人魂がゆらゆらと飛び、それが周囲を照らしているのだ。
突如、前方から迫っていた吸血鬼に青い光が突っ込み、すぐ横の大木に衝突させる。
木の枝が突き刺さって腹部から突き出るが、吸血鬼はそれでも前に進もうともがく。吸血鬼の怪力であれば脱出するのに大した時間はかからないだろう。
だが青い光の正体は死神だった。
死神はその手に持った大鎌で吸血鬼の首を刈り取り、そしてまた飛び立つ。今度は彼女たちが走ってきた後方へ。
死神、デスサイズはイオン式ロケットエンジンの光芒を残しながら地を這うように飛び、木を蹴って方向転換しながら3人に迫る吸血鬼を次々と切り捨てていく。
つい先程、3人は吸血鬼に襲われていた所をデスサイズに助けられていた。
そこで死神は「安全なところまで送る」と言ったのだが、3人は自分たちを逃がすために囮になってくれた女性を助けてくれるように頼んだ。
彼女たちの知り合いではない。村外の人間であろう女性は見ず知らずの3人の兄弟のために自分の身を危険に晒してくれたのだ。
その女性は清美たちに警察に連絡して状況を伝えてヒーローを派遣してもらうように言い残していった。
生憎とまだ警察に通報する事はできていない。携帯電話会社の電波塔が村内には何ヵ所かあったハズだが携帯は圏外だった。これほどの集団の吸血鬼がいるのだ。恐らくは電波塔も破壊されているのだろう。
だが目の前の死神もヒーローのハズだ。
何せ、あの最強のヒーローと謳われたデビルクローの兄弟なのだ。そのデビルクローを倒したスカイチャリオットをデスサイズが1撃で撃破してみせた所は3人も春休み中のテレビ中継で見ていた。
だがデスサイズが言うには女性の救出にはすでに仲間が向かっているらしい。
そして、まるで子供のような珠を転がす声で死神は仲間との合流地予定地点に行くから付いてこいと3人に言ったのだ。
もうすぐ、この地獄から脱出できる。それだけが3人の心の支えだった。
吸血鬼の多発地帯である阿蘇周辺の黒岩兄弟にとってもこれほどの吸血鬼の集団など、見たことも聞いたことも無い。
むしろ、ここ数年は野良吸血鬼の目撃情報すら極端に少なくなっていたのだ。
清美がまだ小学校低学年の頃には、祖父が夜中に軽トラで野良吸血鬼を跳ね飛ばしてワイヤーロープでグルグル巻きに縛ってきた事もあった。庭先に転がしておけば翌朝には灰になって消滅しているのだ。
それが熊本県赤口村の日常だった。
だが全ては一変した。
人間と吸血鬼の力関係は逆転し、祖父も奴らの仲間にされてしまった。恐らくは父も、母も、友人も、清美が片思いしていた男子生徒も。
(……一体、何があったというのだろう……?)
見覚えのある道路に気付き、もう村外れに近い事を知った清美が安堵して心の片隅でそんな事を考えていた時、前方を飛んでいた死神が急に飛び込んできた吸血鬼に角材で殴りつけられる。
死神は大したダメージは受けていなかったようだが、地面を転がって兄弟の元まで来た。
「い、石動さん……!」
「何……?」
「そ、その人、示現流を使います……!」
現れた吸血鬼は佐々さん家のお婿さんだった。
彼は去年の夏ころに鹿児島から佐々家に来た人で示現流の師範代だという。
日本有数の剛剣で知られる流派を吸血鬼の怪力で使う。それがどれほどの威力を生むかは清美には想像も付かなかった。
佐々さんは吸血鬼たちの襲撃が始まって村が混乱の坩堝と化していた時に3人や他の子どもたちを守るために日本刀を持って斬り込んでいったほどの剛の者だった。
だが、もはやあの力強かった眼差しは暗く濁り、彼と共にあった同田貫も無い。
それでもどこかで拾ったのであろう角材を上段に構える姿は酷く冒涜的なモノのように清美の目に映った。
対吸血鬼用の剣術を使う剣術を使う吸血鬼を相手にデスサイズはどう戦うのか? 例え佐々さんが持っているのが角材だとしてもデスサイズの病的に細い体躯で受ける事ができるのか? あの大鎌は剣よりも間合いが長い。それは即ち、間合いに入られれば打つ手が無いという事ではないのか?
「ジゲンリュー? ああ! 剣術か! なら……」
そう言ってデスサイズは腰のホルスターから引き抜いた拳銃で佐々さんの胸板を撃ち抜いてしまった。
俗に吸血鬼の退治法として「木の杭で心臓を貫く」というものがあるが、木の杭だろうがプラズマビームだろうが心臓を貫かれれば、吸血鬼だろうが大概のモノは死ぬのだ。
「…………」
「どうしたの? 早く行こう! 森の中は死角が多い」
「あ、ハイ……」
「石動さん、パないっスね……」
「そう?」
清彦は別に褒めたわけではないと思うがデスサイズは構わずにまた飛び立つ。
どの道、佐々さんが最後の吸血鬼というわけでもないのだ。
ふたたび走りだした3人が後、少しで大きな県道に出るというその時、前方から何か異質な物音が聞こえてきた。
デスサイズは彼らの後方で吸血鬼たちと斬り合っている。かと言って吸血鬼が立てる音でも無さそうだ。
(……こ、今度は何なのよ!)
止まらず走り続ける清美の正面から現れたのは高速回転しながら飛来してくる物体。その速度に回避できずにぶつかると思った刹那、回転体は軌道を変えて清美たちを避けて彼らのそばに迫っていた吸血鬼の頭部に突き立った。
(な、鉈?)
それは鉈ではあったが、日本古来の肉厚の物とは違い随分と薄作りの物である。
清美には知る由もなかったが、それはマチェットと呼ばれる洋鉈だった。
後方から飛んできたデスサイズが絶命した吸血鬼の頭部から鉈を引き抜き前方へと投げ返す。
数度、おぞましい断末魔の声が響き、そして今度は左側から回り込むようにまた鉈が飛んでくる。
デスサイズが高く天に飛んで鉈をキャッチして、地面に投げるとまた鉈は軌道を変えて地を這うように飛んで行った。
それから何度もデスサイズは周囲の吸血鬼と戦いながら鉈でラリーを続けていた。
鉈が行く度、来る度に断末魔の声が上がっていく。
「わあっ!!」
清彦が突如として悲鳴を上げ、清美が彼が固まったまま見ている方向を向くと、そこには何かのマスクを付けたトレンチコートの者がいた。
「…………」
トレンチコートの怪人はデスサイズと鉈の応酬をデスサイズと続けながら、手に持ったアイスピックで正確に吸血鬼たちの心臓を貫いている。
物言わぬ怪人はマスクのせいで表情は読み取れないが、背筋が凍るほど鬼気迫る戦いぶりであった。
「貴方たち! 無事だった!?」
「貴女は!」
「アンタも大丈夫だったか?」
「良かった……」
トレンチコートの怪人の後ろから3人の元へ駆け寄ってきたのは彼らを逃してくれた女性だった。
という事はこの案山子のように痩せ細った人物がデスサイズの言う「仲間」という事か。
自身を大神瑠香と名乗った女性が語るところによれば、この怪人は「マーダーヴィジランテ」という一応はヒーローらしい。
やがて6人が県道のある開けた場所まで出ると、上空に数十体の吸血鬼が彼らを待ち構えていた。
コウモリのような翼を背中や腰の辺りに備えた吸血鬼、それは「夜空を飛ぶ者」と呼ばれる上級吸血鬼だ。肉体を変異させるにはどれほどの人間から生き血を啜ってきたというのだろう?
なりたての吸血鬼は映画のゾンビのように知性すら持ち合わせていないのだ。人間の生き血を吸うたびに吸血鬼は醜悪な知性を得て、さらに吸血を繰り返す事で不可思議な力を得るという。
何か合図があったのか、無数の飛行吸血鬼たちは一斉にデスサイズとマーダーヴィジランテに襲い掛かる。
清美たちは後回しにして先に2人のヒーローを片付ける算段らしい。
ニホンミツバチが巣を襲うスヅメバチを集団で覆い包んで蒸し焼きにするように吸血鬼たちはデスサイズとマーダーヴィジランテを包み込んでまるでカマクラのように盛り上がったドーム状の物体を形作る。
無論、ミツバチのように蒸し焼きにするつもりではない。まともな武器を持たないミツバチとは違い、吸血鬼には鬼のような怪力を持つのだから。
だが一方のドームは爆ぜ、もう1方は燃え上がる。
デスサイズは吸血鬼たちに押し包まれた時、その身を包むデスサイズマントを爆発反応装甲モードにして自発的に爆破させたのだ。
元々は対戦車榴弾や高エネルギーのビームからの防御のためのリアクティブアーマーモードであったが、自身に殺到する吸血鬼を怯ませるには十分だった。
そしてデスサイズはロケットの最大推力でドームから脱出してビームマグナムと大鎌で吸血鬼たちに反撃していく。
もう1つの炎上するドームからは次々に吸血鬼たちが投げ飛ばされ、やがて姿を現したのは火達磨になったマーダーヴィジランテだった。
だが松明のように燃え盛るマーダーヴィジランテに苦しむ様子は見られない。しかし鉈まで包む炎に触れた吸血鬼たちは悶絶してのたうち回っては力尽きていく。地面を転がって自身にまで引火した火を消そうとするが消えないのだ。
それも至極、当然。吸血鬼がこの世のモノではないのと同様。マーダーヴィジランテを包む炎もこの世のモノではない。
マーダーヴィジランテの心を覆いつくす「悪への憎悪」が最高調に達した時、彼の心の内の炎は地獄の業火となって彼の身を包む。
それが「マーダーヴィジランテ ファイヤーフォーム」だ!
吸血鬼たちは一気に勝負を決めるつもりだったのだろうが、むしろ逆に一網打尽にされる結果となってしまった。
清美も弟たちも息をするのも忘れて2人のヒーローの戦いに驚嘆していた。
「…………凄い……」
「な、なんだコリャ!?」
「これは……、一体……?」
清美は隣の瑠香の方を向く。マーダーヴィジランテの事を知っていた彼女なら目の前の現象について説明してくれるだろうかと淡い期待を抱いて。
「そ、そんな目で見られたって私にだって分かんないわよ……」
「そ、そうですか……?」
「ま、でも、あの2人が今、日本で1番、殲滅力があるコンビかしらね?」
「えっ!?」
「あの2人が吸血鬼たちに負ければ日本は終わるわ……」
「…………」
熊本が、とか、九州が、ではなく日本が?
瑠香の言葉に清美は自分の耳を疑ったが、そもそも吸血鬼の大量発生なんて事態がそもそも前代未聞なのだ。
一方、この戦いを1kmほど離れた空の上から見ている者がいた。
宙に静止したまま眼下の虐殺としか言えないような戦闘を瞬きすらせずに見つめるその者は吸血鬼であった。
そして関口村の外れにある山城跡である赤口城の地下、西洋風の調度品を設えた小部屋でテーブルの上に乗せた水晶玉で1人の女吸血鬼がその戦いを見ていた。
空を飛んで戦闘を見ている吸血鬼の視界が水晶玉に送られているのだ。
「いかがなさいます? 女王?」
傍に控える吸血鬼の執事にしばらく無言で通し、ワイングラスに入れた人間の血液で喉を潤す。
「……私が出るわ。これ以上、兵を失っては後々の計画に差し支えるわ……」
「それは……」
執事の声に困惑の色が出る。彼も女王が負けるとは思ってはいない。だが、それでも万が一という事もあるのだ。
そして女王に代わりはいない。千年に1人と言われる「吸血女王」はただ強力なだけではない。まさに吸血鬼を統べる存在であるのだ。
「心配かしら?」
「……ご寛恕ください」
「心配性ね……。まぁ、いいわ。それなら『南瓜頭』も連れてくわ。それなら安心でしょ?」
「賢明な判断だと思います……」
恭しく頭を下げる執事に満足して女王は水晶玉に視線を戻す。
「死神」と「殺人鬼」。ただの食事ではない戦いに向けて、女王に本能的な喜びの火が灯る。




