ハロウィン特別編-1
今回からハロウィン特別編となります。
大神瑠香が目覚めた時、そこは見知らぬ薄暗い部屋の中であった。
青白い月明かりが窓から差し込み室内の様子を照らしていた。
一見、西洋建築風であるが、良く細部を見てみると和風建築の意匠も見られる。明治から大正期特有のイラストや人の話でしか西洋建築を知らぬ大工が建てた建物に違いないだろう。
普段であれば独特の風情を感じいる感性が瑠香にはあったが、彼女が今、感じていたのは疑問だけであった。
何故、自分はこんな所にいるのだろう?
何故、自分は見ず知らずの場所でベッドで寝ていたのであろう。
そもそもここはどこなのだろう?
頭の中に靄がかかったようにベッドに入る前の事が思い出せない。そもそも自分は自分の意思でベッドに入ったのだろうか?
肌寒さを感じた瑠香が自分の体をさすってみると、滑るようなシルクの手触り。いつの間にやら憶えのないネグリジェを自分は着ていた。
そしてベッドの上の瑠香には掛布団や毛布などは掛けられていない。
熊本は九州とはいえ、阿蘇地方は山地特有の気候であり、4月でも夜間は摂氏5度前後まで冷え込む。
こんな季節にどうして何も掛けずに寝ていたのだろうと訝しんだ瑠香が、もしかして蹴飛ばしてしまったのだろうかとベッドの下を見るために体を起こした時、彼女の眼に2つの光る目が飛び込んできた。
その瞬間、瑠香は全ての事を思い出していた。
「……お目覚めですか? お嬢さん……」
光る目の主は壁際の椅子に座りながら、さも楽しそうに瑠香の事を見ていた。
カトリックの神父が着る祭服を身にまとった中年の男であるが、とてもストロングスタイルを標榜するカトリックの神職者には見えないほど痩せ細っている。だが椅子に座っていても分かるほどに長身の男はかといってプロテスタントのルチャドールにも見えない。
そして痩せ細っているだけならまだしも、この男、血が通っているようには見えないほど肌が青白い。月明かりに照らされている事を差し引いてもだ。
これから訪れる享楽と愉悦に顔を歪ませる男の口から長い2本の牙が覗く。
「……吸血鬼!」
「ええ! そうですとも! 私も、そして、これから貴女も……」
「誰が!」
「いいですねぇ! すぐに諦められては興醒めというものです!」
ベッドから飛び起きた瑠香が窓から逃げようと窓を叩くが、釘でも打ち付けてあるのかビクともしない。
部屋の出入り口は吸血鬼の座る椅子のすぐ脇にしかない。
そこから逃げようとしても人間の数倍の身体能力を持つという吸血鬼にすぐ捕まってしまうだろう。
だが瑠香は諦めるわけにはいかなかった。
気を失う前に自身を囮にして逃がした3人の子供たちが外と連絡が取ってくれれば、半日ほどでヒーローが駆けつけてくるハズだったのだ。
今夜さえ乗り切れば……
かつて紛争地帯として知られていた福岡は博多のヒーローは実力者揃いで有名であったし、事の重大さを知れば東京のH市からも多数のヒーローが人員を遣り繰りして乗り込んでくるだろう。
そうでなくとも吸血鬼は日光の元では活動できないのだ。
なんとか、この場を乗り切って夜が明けるのを待てばいい。
そうすれば目の前の男を含めた吸血鬼の集団など一網打尽だ。
だが椅子に座る吸血鬼は必死に逃げ道を探して窓を叩いたり、部屋中をくまなく見回す瑠香の様子が面白いのか犬歯を剥き出しにして何度も痙攣するように震えている。
椅子の脇にワインでもあったら彼女の様子を酒の肴にして、1杯始めそうな雰囲気ですらある。だがテーブルの上にはボトルもグラスも無い。彼ら吸血鬼にとって何よりの美酒は瑠香自身なのだ。
「貴女、この教会から逃げ出したとしてどうするのです? どうせ、外の“成りたて”の連中に引き裂かれて生き血を啜られるのが関の山でしょうに……」
からかうように笑顔の男が告げるが、一々、相手をしてやるつもりもない。
「それとも映画かマンガみたいにヒーローが都合良く助けに来てくれるとでも?」
「……ッ!?」
心の内を読まれたかのような言葉に瑠香の体が硬直する。
実際に不可思議な力で心を読まれたワケではない。……と、思う……。
なにしろ吸血鬼の能力は千差万別で中には伝承で伝えらえるようなコウモリに姿を変えたり、霧のようなガスになったりする者もいるくらいなのだ。
心を読む者がいてもおかしくはない。
「ああ、図星ですか!」
瑠香の表情を見て破顔する吸血鬼。
何だ思い過ごしか……。
本当に心が読めるのならば一々、そんな反応をしたりはしないだろう。言った事が当たって当然なのだから。
ホッとした瑠香が胸をなでおろすと、妙な安心感が心を塗りつぶしていくのを感じる。
男の光る双眸を見ていると、もうどうにでもなれといった気にすらなってくる。
吸血鬼の口が耳元まで裂けていく。
長い犬歯以外の歯も鋭く尖った乱齧歯だった。
だが、そんな事ももはやどうでもいい。
………………
…………
……
ハッと気付いた瑠香が自分の頬をピシャリと叩く。
鋭い痛みで急速に意識が覚醒していく。
この吸血鬼には読唇術は無いようだが、催眠術の類が使えるらしい。
「あら? 随分と抵抗しますね? まさか本当にヒーローが助けに来てくれるとでも?」
首を傾げた男は一瞬だけ冷めたような顔をしたが、すぐに笑顔を作り直して瑠香を精神的に追い込むべく、話を続けていく。
「この村には吸血鬼が1000人以上もいるのですよ? その中を掻い潜って貴女を助けに来るヒーローなんているのですかねぇ……」
「そ、そんな事……」
瑠香も窓からの脱出が敵わない以上、隙を見計らってドアから逃げるために敢えて吸血鬼の話に乗る事にする。
もちろん、また催眠術なんかにかけられたりしないように巧妙に視線は光る眼から外しながら。
「ギオン・ソルジャー? ダイテンジン? H・R・K? それとも東京からブレイブファイブとか? ああ、失礼! もうブレイブファイブはメンバーがいなくなって1人で細々とやってるんでしたっけ? とても1000の吸血鬼を越えられるとは思えませんね!」
意気揚々と九州の有名なヒーローの名を上げていく吸血鬼。
「あと、MOーKOSなんてのもいましたね!」
「ふん、彼が来てくれたらアンタたちなんか……」
「来てくれたら、何です?」
吸血鬼がサイドテーブルの上に置かれたビニール袋から何かを取り出し、瑠香の足元に放り投げてよこす。
瑠香が恐る恐るソレを拾い上げてみると、何やらべっとりと濡れた長い布の中央に長方形の金属が縫い付けられた物であった。
月明かりに金属版を照らして見てみると、そこに浮かび上がったのは九曜紋。
仄かに鼻を突く匂いに鼻先に寄せてみると、間違えようもないそれは血液の匂いであった。
「……!?」
それは熊本が生んだヒーロー、MOーKOSのトレードマークである鉢金だった。
俗にヒーローを分類上、活動方針によって「クライムファイター」や「スーパーレスキュー」などと称する事があるが、MOーKOSは「ひっちゃかましか話ばよかばい!」と言わんばかりに至るところに首を突っ込んでいく、まさに「スーパーヒーロー」と言っても過言ではないような男だった。
そのMOーKOSが既に敗れている。
鉢金がこれほどに濡れているほどの出血をしていたのなら、もはや彼の命も……。
予想外の事態がゆえか、それとも濃密な血の匂いに当てられたのか、瑠香は足元がふらつく感覚を覚えてしまい、何とか立て直そうとまるで千鳥足のように何度も左右の足を行き来させる。
「ハッハッハ! 可哀そうに! それでは、そろそろ楽にしてあげますよ!」
ついに吸血鬼が立ち上がる。
マズい! 何とか逃げなければ……!
そう思うも、心ばかりが焦ってしまって、足が言う事を聞いてくれない。無理にでも動かしたら、そのまま姿勢を崩して倒れ込んでしまいそうなくらいだった。
ドンっ!!
椅子から立ち上がった吸血鬼の顔のすぐ右隣、白い壁から何者かの腕が飛び出してきていた。
(な、何!? 何なの!?)
さらなる予想外の出来事に瑠香の頭が真っ白になるが、それは吸血鬼も同様であったようで15cmほど先の壁から生えた腕を呆けたような顔で見ている。
ドンっ!!
今度は吸血鬼の左側からもう1本の腕が。
そして2本の腕は吸血鬼の頭部を掴み、そのまま頸椎を力任せに圧し折ってしまった。
ゆっくりと倒れ落ちていく吸血鬼。
そして、そのまま壁を突き破って現れたのは顔にアイスホッケーのマスクを付け、案山子のように細い体をトレンチコートで包んだヒーロー、マーダーヴィジランテだった。
(……そういや、まだあったわね。ヒーローの分類……)
「クライムファイター」「スーパーレスキュー」「スーパーヒーロー」、そのいずれにも当てはまらないヒーロー。
「ヴィジランテ」や「ダークヒーロー」などと呼ばれ恐れられるヒーロー。
丁度、目の前の人間がそうであった。




