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走る。
走る。
走る。
僕の前には誰もいない。
少しでも早く次の一歩を!
少しでも遠くへ次の一歩を!
走るための姿勢は崩すな!
真愛さんも、天童さんも、三浦君も、クラスメイトの皆がトラック脇で僕を応援してくれている。
嗚呼、やっぱり速く走れるっていいなぁ。
出力調整機能がecoモードのままになっているせいで体は重いし、スクランブルモードやコンバットモードを使うよう電脳内の警告音が五月蠅い。
そもそも人間の反応速度を越えた体のせいでフライングにならないようワザと他の走者が全員スタートしてからスタートする事にしたのも、走る事が好きなのに陸上部に入らなかったのも、そして今、152kgの重い体を引っ張っりながら走っているのも僕がマジキチに改造されてしまったせいだ。
今だって3000mを半ばまで走っているのに呼吸はまだ必要ない。
呼吸のために体内に余計な動きが生じて運動のエネルギーが殺されてしまうくらいなら息なんてしない方がいい。
呼吸をしない分、昔とは大分、感覚が異なっている。
それでも誰も前にいないトラックを走るっていいなぁ。つくづくそう思う。
元々、僕は中学校では陸上部に入っていた。でも体の小さな僕はどうしても一歩辺りの歩幅が短くて、中々にタイムが伸びず、他の競技への転向を進められた事もあった。
それでも僕は走る事が好きだった。
やがて白いゴールテープが見えてくる。
記録は7分8秒16だった。
やっぱecoモードじゃ人間と大して変わらない記録しか出せないか……。
まぁ目標の世界記録はクリアしたからまあいいか!
石動誠がクラスメイトたちと勝利の喜びを分かちあっている頃、競技の進行や得点の集計、場内放送を行う運営テントには3年生たちが詰めかけてきていた。
「ちょっと生徒会長! 改造人間はズルいでしょ!?」
「ズルいと思うのなら、貴方もどこかで改造してきてもらったらどうかしら?」
詰めかけてきた3年生たちは総合得点順位暫定1位のA組と暫定3位のD組だった。D組は今、行われた3000m走の結果で1年B組に抜かれて3位の落ちていたのだ。そして3年A組と1年B組との差も僅か。
彼らは生徒会長を始めとする競技委員に先ほどのポイントを無効にして、石動誠の参加する種目は得点に集計しないように求めているのだった。
彼らにとっては高校生活最後の体育祭。同じ3年生に順位で負けるならともかく、1年生に、しかも改造人間なんて存在のせいで負けるだなんて到底、認める事のできない話だった。
「ってゆ~か、貴方達、結果が出てから文句付けに来るって女々しくない?」
「いや、だってあんな小さな小学生みたいな子がデスサイズだなんて思わないでしょ!」
「前に見たドキュメントビデオと雰囲気が変わり過ぎてて分かんなかったんです!」
「小さいって言うな!」
「えっ! すいませ……」
「可愛いって言いなさい!」
「は?」
10人近くの生徒に囲まれながら、委員たちの先頭に立った生徒会長は実に堂々としていた。もっとも個人的な思惑で動いていたので立派ではなかったが。
一団の後方にいた1人の女子生徒がおずおずと声を出す。
彼女はD組のクラス委員。暖簾に腕押しといった様子の生徒会長に対し、別のアプローチから攻めてみる事にしたのだった。
「あの~……、体育祭の競技は『日本陸連の規則に準ずる』って規則ってありませんでしたっけ?」
「へぇ? 酒田さん? アナタ、そう言って同じ学校の生徒を除け者にしようってんだ?」
「そういうわけじゃ……、で、でも、規則があるんですし……」
「同じ事じゃない!」
「ひっ!?」
元々、押しの強い人間が苦手な酒田が生徒会長に睨まれて引き下がろうとしたところにクラスメイトたちが助け舟を出す。
「酒田さんの言う事ももっともじゃない!」
「そうだそうだ! 日本陸連は改造手術を受けて強化された人間を認めてるのかよ!」
「…………」
「な、なんだよ……」
生徒会長の無言かつ満面の笑顔に思わず1歩、2歩と引き下がる3年生たち。
その笑顔のまま生徒会長は長机の上のファイルを開いて目の前の3年生たちに突き出す。
開かれたファイルに閉じられていたのは体育祭実行に関する校内便りだった。
「ん? コレ、生徒全員に配布されたヤツじゃ……」
「そうよね……」
「生徒会長? 校内便りが何か?」
「まだ気付かない?」
不気味なほどの笑顔を保ったままの生徒会長が声を出す。その声色には自分の策がドンピシャでハマったという愉悦がありありと見える。
「酒田さんが言ってる日本陸連があーだこーだってどこに載ってるのよ?」
「え? ん? あ、あれ?」
「な、無い!?」
「酒田さんが言ってるのは去年までの実施要項ね!」
生徒会長がパラパラとファイルをめくって去年と一昨年の体育祭の校内便りを見せると、そこには確かに「競技の実施においては日本陸連の競技実施要項に準ずる」の文字があった。
そして今年の校内便りに目を戻すと、そちらには無い。
「ど、どうして……」
「どうしてって私が消したからよ!」
「は?」
「こう、体育委員長から上がってきた原案をドラッグしてデリート、デリート!」
生徒会長がパソコンを操作する真似をしながらウインクを決める。
「マジか……」
「そして私がイジった事にも体育委員長は気付かないでハンコを押してくれたわ。もちろん校長先生、教頭先生、体育主任の先生もね!」
生徒会長がファイルを1枚めくると今年分の校内便りの原義が出てきた。
そこには確かに今、生徒会長が名前を挙げた人間の判子が赤い朱肉で押されていた。
詰めかけてきた3年生たちの視線が生徒会長の後ろにいる体育委員長に注がれる。
「え、うん。ゴメン! 全っ然! 気付かなかったわ! 俺、去年のヤツのデータの日付だけ変えて生徒会長に渡したぐらいだし!」
皮肉にも体育委員長は先ほど改造人間のせいで逆転を許してしまった3年D組の生徒だった。
アハハと盛大に笑う体育委員長に詰めかけてきた3年生たちは徒労感を感じていた。
なんか運営テントの方でガヤガヤしてるな~。何かあったのかな?
BGMやら大勢の人の話声で何を話してるかは分からないけど、そんな事よりもお弁当だ! お弁当!
いつものお弁当は2団重ねの弁当箱にそれぞれオカズとフリカケご飯という構成だけど、今日は体育祭という事で少し朝、早く起きてオニギリを握ってきたのだ!
オカズもハンバーグ、ウインナー、唐揚げ、玉子焼きと体育祭仕様でいつもより豪華なのだ! テンション上がるな~!
「あら? 誠君、嬉しそうね!」
「うん! やっぱ運動会って言ったらお弁当でしょ! いつもは体に良さそうな野菜とかも入れるけど、今日はそんなの入ってないんだよ!」
「その玉子焼きも誠君が?」
「うん! 1個、食べてみる?」
「それじゃ、私の玉子焼きと交換しましょ! まぁ、私のはウチのお婆ちゃんが作ったやつだけど……」
「へぇ~! 大家さんが……」
真愛さんの家の玉子焼きは出汁入りのヤツなんだな。出汁巻きとはちょっと違う感じだけど、冷めてしっかりと味の馴染んでいて美味しい。
それに表面には焦げ跡なんか一切無い。黄色1色で見た目から美しい。その点、僕が作った玉子焼きはほんのりと表面が茶色くなっている所がある。
「誠君の玉子焼きって甘くて美味しいわね! なんだか優しい味がするわ」
「いやぁ、大家さんのと比べたら恥ずかしい出来だよ」
「あら? 誠君くらいの男の人がしっかり綺麗な形で玉子焼きを作れるだけ凄いと思うわ!」
「え? そう? ありがと!」
僕の玉子焼きは砂糖と牛乳、ほんの少しの塩を入れて作る。
石動家、というか母さんがよく作ってくれた味だった。
去年、兄ちゃんと2人で暮らすようになってから、最初の数日は兄ちゃんが料理を作ってくれたけど、兄ちゃんの玉子焼き(スクランブルエッグを作ってから、それをフライ返しなどで押し固めて成形するという斬新かつ既存の調理法に囚われないユニークな物)を見てからは僕が料理を担当するようになった。まぁ、兄ちゃんの料理も見てて楽しくはあるけれど、毎日の食事にエンターテイメント性は求めてないんだよなぁ。僕は。
以来、何度も玉子焼きには何度も挑戦してるけど、満足にできる出来という物というのは出来た試しが無い。
その僕が作った玉子焼きが真愛さんにお世辞でも美味しいと言ってもらえて嬉しかった。




