生命の母イブ
聖剣の名を呼び、力を解き放つ。
原初の聖剣、その名はイブ。
試練の果てに知った名前が、彼女の枷を解き放つ。
「……イブ……それが原初の聖剣の名だと?」
「そうだ」
「――嘘だな」
サタンは否定する。
俺が知った彼女の名前を。
サタンは訝しむように俺と聖剣を見つめる。
「聖剣が持つ名は全て、実在する神の名前だ。暴風の神オーディン、守護の女神アテナ、月の女神アルテミス……全て実在する」
「まるで会ったことがある言い回しだな」
「あるとも。故に知っている」
サタンは逡巡せず即答した。
魔王が神の存在を肯定し、断言するのも不思議な話だ。
俺のように聖剣を通して神と邂逅することもできない魔王が、どうして知ってるのか。
だが、奴はこれまで敗れた魔王の集合体。
サタンよりも古い魔王だって混ざっているはずだ。
俺が知らないだけで、歴史に残っていないだけで、彼らは邂逅したのだろう。
いやもしかすると、百年前の戦いでも……。
「余が神の名を知らぬはずがない。イブ……そんな神など存在しない」
そうしてサタンは断言する。
俺は思わず、笑ってしまった。
馬鹿にしたわけじゃない。
ただ、サタンの言っていることが真実だったから。
「正解だ。イブは神ではない……人間だ」
「……」
「だけどな? この聖剣の名がイブであることに間違いはない。なぜならイブこそが、全ての生命の始まりだから」
「――どういう意味だ?」
あらゆる神の名を知り、イブを神ではないと断定しながら、その正体は知らないらしい。
サタンは俺を睨む。
怖い視線を感じながら、俺は聖剣を横向きに持ち、刃を見ながら話す。
長い話は好きじゃない。
だから端的に、先に結論を伝えるとしよう。
「人も、悪魔も、神も……全てイブから生まれたんだよ」
「――!」
サタンが驚きで目を見開く。
世界が誕生する前、何もない空間に二つの生命が誕生した。
始まりの二人。
名を、アダムとイブ。
男女の番として生まれた二人から世界は始まった。
彼らは人間だった。
今の俺たちと同じとは到底言えないけど、姿形は同じだ。
彼らは互いに、生み出す力を持っていた。
アダムはその力で世界を形成した。
空を作り、大地を作り、海を作り、自然を作った。
この世に存在する物質、景色に至るまで、アダムが作り出したものが起源となっている。
対してイブは命を生み出した。
人間を生み、悪魔を生み、動物を生み、昆虫を生み……。
生み出した命は交わり、新たな命を生む。
人間と悪魔の間に生まれた命が亜人種であり、現代にある生物の原点はイブである。
アダムは世界という家を作り、世界の基盤を作った偉大な父である。
イブは世界に生きる生命を生み出した。
俺たちにとって偉大な母だ。
神もイブから生まれている。
原初の聖剣に宿る力は、かつて命を生み出したイブの力そのもの。
内からあふれ出る命の輝きが、終焉の魔剣の傷を癒した。
おかげで俺は、万全な状態でこの場に立っている。
「イブが神を生み出した? そんな事実はない」
「知らないだけだ。お前も知りたいなら聞けばいいさ。その手に持っている魔剣に」
俺は指をさす。
サタンが握る最強の魔剣。
原初の聖剣と対を成す……終焉の魔剣を。
「俺は魔王じゃないけど、そいつの名前を知っているぞ」
「……なんだと?」
「なんだ? お前は知らないのか? いや……知るわけがないよな。それは本物じゃない。お前の中にある大魔王サタンの記憶から複製した贋作だ。偽りの器には、偽りの力しか宿らない」
「貴様……」
サタンが怒る。
奴が複製した大罪の権能は、聖剣グレイプニルの効果で封印されたままだ。
加えてアスモデウスたちから回収した権能は、終焉の魔剣と融合している。
奴の中に、憤怒の権能はない。
にも拘らず、権能を発動したかのようにサタンの力が向上する。
怒りによって高ぶり、地面と空気を刷り削る。
「たかだか一度生き延びた程度で……調子に乗り過ぎだ」
「……」
「忘れたか? お前は一度、余に敗れている」
「……忘れるわけがない。人生で初めての敗北だ」
俺は負けた。
勇者が魔王に敗れること……それは恥だ。
俺たちは負けられない。
背負う使命を果たすために、か弱き者たちを守るために……俺たちの剣はある。
俺は聖剣を強く握る。
「俺は……何も守れなかった」
ここに来る道中、世界を見た。
悲惨だ。
何もかもが破壊され、跡形もなく消滅している。
かつて誰かが幸せに、緩やかに生きていた場所も、何一つ残っていない。
人も悪魔も関係ない。
ただ静かに暮らしたいだけの者たちこそ、俺が何より守らなければならない存在だった。
最強の名が聞いてあきれる。
自分の弱さに、不甲斐なさに腹が立つ。
それでも……。
「こんな俺を、まだ勇者と呼んでくれる奴らがいるんだ」
リリスが、サラが……俺の帰りを待っていてくれた。
俺を見て、心から涙を流してくれた。
ルシファーはまだ、俺を最強だと呼ぶ。
俺との決着を望んでいる。
目を瞑れば見える……耳を澄ませば聞こえる。
みんなから伝わる期待が。
遠く離れていようとも、たとえ声は届かなくとも。
俺の勝利を、信じてくれている。
「だから応えるんだ。これ以上、何も失わないために!」
聖剣が輝きを強める。
サタンからあふれ出るどす黒く禍々しい力の濁流を、聖剣の輝きが相殺する。
まるで光と闇、生と死、正と悪。
相反する力と概念が、俺たちを中心にぶつかり合っているようだ。
「サタンの亡霊、お前はここで倒す! そして再び、世界をやり直す!」






