狙われるのは
魂は彷徨うことなく、輪廻の輪に戻る。
アンドラスの魂はいずれ新たな命となって戻るだろう。
人間としてか、悪魔としてか、それはわからない。
いつになるかも、俺にはわからない。
ならせめて、いつ彼が生まれ直してもいいように、もっと生きやすい世界にしておこう。
俺は振り返る。
地面にお尻をつき、舞い上がる光の粒子をネロは見つめる。
「綺麗っすねぇ」
俺が試練を受けている間、無防備な身体を彼女が守ってくれていた。
アンドラスを相手に、ボロボロになりながら。
「本当にありがとう、ネロ」
リリスという繋がりがあったとはいえ、出会ったばかりの俺を守るために命をかけてくれた。
亜人種と人類は長年いがみ合っている。
互いに敵視し、見下して、歩み寄ろうとしてこなかった。
でも、それは間違いだと今は確信している。
少なくとも目の前にいる彼女は、種族の壁なんて気にしていないだろう。
みんなが彼女のように分け隔てなく、優しい心をもってほしい。
そう願いながら、俺は左手をネロにかざす。
「あ……あったかい」
淡い光がネロを包み込む。
傷が癒え、ボロボロになった肉体が元に戻っていく。
「どうだ?」
ネロは立ち上がり、手足を確認する。
グーパーして力の入り方を調べたり、ぴょんと飛んで身軽さを確認する。
「大丈夫みたいっす。なんか身体が軽いっすね!」
「それはよかった」
「今の光はなんすか? 魔法じゃないっすよね?」
「人間に魔法は使えないよ。俺は勇者だからな。今のは聖なる力だ」
ネロは驚いて両目を見開く。
「聖剣の力ってことっすか? でもそれ、ウチらには毒なんじゃ」
聖なる力は、悪魔に宿る魔力と対になる力。
悪魔に対する特攻を持つ。
と、俺も少し前までは思っていた。
「そうじゃなかった。この力は、悪魔を倒すための力じゃない……大切なものを守り、導く力だった。そこに種族の差はない」
これまで魔物に対して有効だったのは、俺たち勇者が悪魔を敵だと決めつけていたからだ。
人間と悪魔は違う生き物だと。
分かり合うことなんて考えもせず、戦い勝利することに固執した。
敵に対しては武器になり、味方にとっては盾となる。
聖なる力とは結局、持つ者の意志を具現化する力だった。
俺が敵を倒したいと望めば、聖なる力は武器になろう。
俺が仲間を守りたいと望めば、強固な盾になる。
傷ついた仲間がいれば、癒しを与えることもできる。
神より授かったこの力は、守るべきものを選ぶ。
そしてこの聖剣は――
「試練は無事に終わったんすよね?」
「ああ、おかげさまで」
「よかったっす。ウチも身体を張った甲斐があったっすね」
ネロも満足気な表情で背伸びをする。
彼女には心から感謝しよう。
アンドラスを退けていなければ、俺は殺されていたな。
「この借りは必ず返す。ただ、少し待っていてほしい」
俺は彼女に背負向け、行くべき先に視線を向ける。
「どこに行くんすか?」
「戦いが始まる場所へ。決着を付けに行く」
これは予感ではなく確信だ。
サタンは必ず、彼らの元に現れる。
最後の灯を消すために。
微かに感じる聖剣アテナの気配を負って、俺も急がなくてはならない。
「終わったら呼びに来る。迷子にならないようにここで待っていてくれ」
「ウチも行くっすよ。何言ってるんすか」
彼女は呆れながら言う。
「主様のところに行くんすよね? 配下のウチが馳せ参じなくてどうするっすか! 言っとくけど、ウチはそれなりに強いっすからね? 修行の成果を見せてやるっすよ」
やる気満々のネロはガッツポーズをとり、しっぽと耳をピンと立てる。
俺は小さく笑う。
「そうだったな。じゃあ行くか、最後の戦場へ」
「了解っすよ!」
◇◇◇
王国の崩壊を確認した一行は、地下の研究室に戻っていた。
サルカダナスが魔導具を使って襲撃された地点から周囲を調べている。
ルシファーが尋ねる。
「どうだ?」
「ダメみたい。この周辺には痕跡がない。もしかすると次元を跳躍したのかも」
「次に現れる場所を予測するしかないか」
「それも今やってる。もう少し待って」
サルカダナスは魔導具をピコピコと操作する。
彼女の検証が終わるまで、ルシファーたちが動くことができない。
アレンとの戦闘でサタンは弱っていると知りながら、足踏みをしなくてはならないもどかしさに、研究室の空気は重くなる。
「のう、サラ。ぬしに宿っておる聖剣で、アレンの場所はわからんのか?」
「残念ながら不可能です。ですが、アレン様は私の位置を把握できます。距離が離れていても、方角はわかると、以前に教えてくださいました」
「そうか……」
不安げな顔をするリリス。
アレンは無事だとわかっていても、心配な気持ちは変わらない。
彼のほうから戻ってきてくれることを期待するしかない状況に……本当はすぐにでも会いたくて、無事をその目で確かめたいと思っていた。
「リリス、気持ちはわかるけど今は戦いのことを考えなさい」
「お母様……」
不安で心が乱れるリリスに、母であるキスキルは厳しい言葉を続ける。
「私たちはいずれ、また戦うことになるのよ」
「……わかっておるのじゃ」
大魔王サタンの幻影。
偽者と知りながら、躊躇してしまった過去がリリスにはある。
その隙がアレンに怪我を負わせた。
リリスは激しく後悔している。
「もう迷わん。次は……勝つのじゃ」
世界を滅ぼす大敵に。
何より、弱い自分の心に打ち勝つことをリリスは覚悟する。
その覚悟を母親として、キスキルが見守る。
キスキル自身も覚悟がいるだろう。
亡き夫を、愛する者と敵意を交えなければならない。
表情に見せないだけで、彼女も心では葛藤していた。
この場にいる者の多くは、少なからず大魔王サタンとの思い出がある。
純粋な殺意、敵意だけで戦える者は限られる。
折り合いをつけるには時間が必要だ。
だが――
「わかった。次に狙うとしたらほぼ確実に――」
「――! ベルフェゴール! ベルゼビュート!」
ルシファーが何かに気付き、彼らに指示を出す。
瞬時に理解した二名が即座に対応したことで、誰一人死ぬことはなかった。
轟音と共に地下の研究室は破壊され、押しつぶされる。
すんでのところで脱出し、彼らは地上で邂逅する。
「話の続き、言わなくていい?」
「ああ」
ルシファーは答える。
もはや聞くまでもなかった。
答えはすでに、彼らの眼前にある。
「見つけたぞ。お前たち」
「……サタン」






