74.虹の橋が架かるⅤ
『先に私の意思を伝えておこう。──ジルア、お前は避難しろ。帝国と事を交えるなどという考えを持っているのなら、今すぐ捨てろ』
……そうだった。
すっかり私の頭の中ではヤツらと戦うことばかり考えていたけど……父上とはそういう約束を交わしていたんだった。
『約束したはずだ。帝国の者とは決して戦わないと。それにお前は同意した。そうだな?』
「……さっきと今とじゃ状況が違う」
約束したのは、レイルの安全が保障されていたからだ。
アイツを助けられる可能性が、一番高い選択肢がそれだったから。
……今は違う。
アイツは帝国の手に渡って、命が脅かされかけている。
「父上の言ってたこと、帝国兵を目の当たりにしてやっとわかったよ。人の尊厳だとかをまるで無視した倫理観の欠如したヤツだった」
他人の身体を、意識を奪って、思うままに利用する。
ただ殺すよりも残酷なことを、平気でやってのけていた。
……私が言えた義理じゃないかもしれないけど。
──『私から離れて下さいジルア様ッ!!!』
……あの時の叫びは、本来のレネグ自身の叫びだったのだろう。
身体と意識を奪われ、望みもしない背信行為を強要され……それでもなお、レネグは私を守ろうとしてくれた。
「父上、私は帝国が許せない。ヤツらの所業を目の当たりにしても、私の中にある感情は怒りだ。恐怖なんかじゃない」
『……何と言おうと、私はお前を前線に出すつもりはない。──アプレザル、連れ帰れ。何をしても構わん』
「父上! ちゃんと聞いてくれ!!」
ここで話を打ち切られてしまうと、もう私に機会は無い。
だから、納得させるしかない。
今この場で父上を──この国の王を説き伏せるしか方法はないんだ。
「帝国兵は私を狙ってきた。何かの交渉の材料にするんだって。……私には人質の価値があるらしい」
『……そのようだな。何が言いたい?』
「私を囮にしてアイツらをおびき寄せればいい」
『何を馬鹿な事を……!』
父上の声色が変わった。
本気で怒ってるのが分かる。
それでも引くわけにはいかない。
「五体の竜はブラフだ。ヤツらが欲しいのはレイルと私だけで、他の人達は関係ない。だから私が囮になればいい。もちろん大人しく捕まるつもりなんてないし、私が逆にヤツらを捕まえてやる」
『お前はっ……! 私がそれを許すとでも思うのか!? なぜお前はそう──』
「父上が心配してくれてるのは分かってるよ」
父上が怒るのは、私のことを本当に心配してくれているから。
姉さんだってそう。
……それでも。
何もしないで私だけ避難するなんてこと、理屈では分かっていても、私の心が許さない。
「父上は言った。『お前が死んだら悲しむ者がいるということを忘れないでほしい』って。……でも、これってさ、誰だってそうだ。誰が死んだって悲しむ人はいる」
さっき姉さんが言ってくれたことだ。
誰だって同じ気持ちを抱えている。
皆同じなんだ。
「だから、誰も死なないように、力ある者が皆を守るしかない」
『……お前がそんなことをする必要はないと、言ったはずだ』
「違うよ、これは──これが私のやりたいことなんだ」
何も無いと思っていた、私の生きる先。
危険を冒して進んだ先にあった、私の道。
「私は、誰かを守れる人になりたい。……アイツを守れるような、強い自分で在りたいと思うから、戦うんだ」
夢、理想、志。
漠然としていた想いが、ようやく形になった気がした。
『──……』
父上は何も答えない。
それでも私の言いたいことは全部言い切った。
だから、これでダメなら、もう──……、
「お父様、私からもお願いします」
「!」
姉さんが認めてくれた……?
「ジルが自分のゆく道を定めたのなら、私はそれを応援します」
「姉さん……」
父上と同じように反対されると思ってたけど……まさか認めてくれるなんて思わなかった。
「王よ。……いえ、マーカサイト。ジルアさまの好きにさせておやりなさい。ジルアさまがこうと決めたらテコでも動かないのはご存知でしょう?」
『……』
婆やまで……!
「ジルアさまは既に一級の魔術師としての実力はあると判断しております。これは乳母としての贔屓目ではなく、魔術の師としての意見です」
『……一級の魔術師だからどうした。帝国との戦いで名のある一級魔術師たちが幾人も命を落としているのだぞ。お前達も知っているだろう』
「じゃあ、私がジルアを守ります」
「……!」
不意に右手が握られた。
冷たいのか暖かいのかよく分からない、本人によく似た体温が伝わってくる。
「絶対に連れて行かれたりさせませんし、危険な目にも合わせません。それでどうですか王様?」
『……アルル嬢』
父上が揺れた。
それだけアルルの言葉が重いのだろう。
「それに、ここで認めてあげないとまたジルアが暴れ出しますよ」
「オイ……」
いや、まあ後が無くなったらそうするつもりだったんだけど……。
横で姉さんと婆やがうんうんと頷いてるのが見えた。私の扱いって一体。
『──…………分かった』
「父上!!」
深い溜息の後に聞こえてきたのは、ほぼ諦めに近い肯定の言葉だった。
『お前を前線に出すことを作戦に組み込もう。だが約束しろ。こちらの指示には必ず従え。決して勝手な行動を取るな』
「分かった!」
『それともう一つ。──必ず生きて帰ってこい』
「……当たり前。死ぬ気なんか更々ないよ」
***
「ジルアさま。婆やは手助けできませぬ。通信網の構築で手が離せませんゆえ、どうか御武運を」
「さっき助言してくれただけで十分だよ、ありがとう。……っていうか婆や、手動で通信網構築って相変らずとんでもないことしてんな……。はい、コレ」
婆やの差し出された手に、私は耳元に付けた通信魔晶珠の魔力線を引き出して手渡した。
すぐに婆やは手元で作業をし始め、私の通信魔晶珠も緊急通信網に組み込まれた。
「それでジルア。具体的にこれからどうするんです? 敵の居場所とか心当たりが付いてるのですか?」
「うっ……ち、父上、何か情報とかある?」
父上を説き伏せるのに夢中で何も考えてなかった……。
『お前たちが出会った帝国兵以外の情報はさっき話したことが全てだ』
「そっか……」
敵は帝国で狙いはレイルと私という事は分かったけれど、人数や居場所など肝心なことは何一つ分からず仕舞いだ。
それも含めて、私がこれから身体を張って調べなければいけない。
「──ジル。私が眼を使って調べます」
「え?」
方針を固めようとしていたら、姉さんが急にそんなことを言い出した。
「どういうこと?」
「左眼の蒼玉には偽りを見抜く力がありますが、その根源は秘を解き明かす力です。つまり……居場所が分からないモノの特定もできるハズです」
「そんなことが……!?」
「確かにできますね。相応の代償は必要とするでしょうが」
姉さんが明かした事実に、アルルが補足するようにそう付け加えた。
「相応の代償って……?」
「左眼としてストラスさんと直結してますから、本人の魔力。足らなければ生命力も持っていかれるでしょうね」
「なっ!? そ、そんなのダメに決まってるだろ!」
「いいえ、やります。私は決めました、ジルを応援するって」
姉さんが閉じていた左眼を開けて、蒼色の光が力強く灯った。
「婆や、補助してくださる? 私だけでは少し不安なので」
「もちろんでございます」
「姉さん……!」
「そんな顔しないでジル。……貴方の力になれるのが嬉しいのよ、私」
……そうは言っても、姉さんの笑顔は硬い。
当然だ。命の危険があるかもしれないのに怖くない訳がない。
それでも姉さんは、私のために……。
「ストラスさん、ちょっと待ってください。少しでも負担を和らげるために、探す対象に縁がある物を媒介した方がいいです」
「確かにそうでございますじゃ。この場合は……」
「──ジル。レイル君に所縁があるもの、何か持ってないかしら?」
「! えっと、えっと……!」
アイツに所縁があるもの……!
……アイツから貰ったモノは全部、リシアの宿の衣装棚に隠した金庫に入れて大切に保管してある……!
今から取り寄せるのは無理だ!
他に何かないか慌ててポーチの中身を漁ってみたけど……それらしきものはない……!
「あぁもう! なんでこんな時に役に立たない私のバカ! ……あっ! そうだ、杖! 杖は──……うぅーん……!」
アイツがプレゼントしてくれた魔杖はどうか……と考えて微妙な気持ちになった。
だって、これ、アイツがプレゼントしてくれたとはいえ、選んだの店員だし。
縁としてはほぼないんじゃないだろうか……?
「……ジルア、さっきから気になってたのですが、そのポーチについてる白いリボンは何ですか?」
「えっ? あぁ、これは──」
アルルに言われて、ハッと気付いた。
これは、もしかしたら──もしかするかもしれない。
「ね、姉さん! もしかしたら間違ってるかもしれないけど……これでお願いしてもいい!?」
「──きっと間違いないわ。ジル、あなたの想いを信じなさい」
姉さんは私の考えを肯定して微笑んでくれた。
手渡したリボンを受け取ると、すぐさま婆やと二人で作業に取り掛かり始めた。
「……それで結局なんなんです? アレ」
アルルが耳元によってきて小声で聞いてきた。
「……あ、アイツがプレゼントしてくれた杖の包装のリボンだよ……。その包装が結構ヘタクソだったから、もしかしてアイツが自分で包装してくれたんじゃないかって思って……」
「……ふぅ~ん」
「なんだよ!?」
「アツアツですね。このこの」
「脇腹をつっつくな!?」
***
婆やが魔術で地面に描いた王都の地図に、姉さんの左眼から投影された光が当たる。
一つ、二つ……計十個の光点が地面の地図に浮かび、探索するように動き回っていた。
「目と繋がった蒼玉はこんな動作になるんですね。少し驚きです」
「すごい……けど、姉さん本当に大丈夫……?」
「大丈夫……きっと見つけて見せるわ」
そう答えた姉さんの呼吸は荒い。
私には考えられないような負荷がその身に掛かっているんだろう。
……それでも、姉さんが私のために頑張ってくれているんだ。
「……! ここ!」
「!」
姉さんが声を上げて指差した場所。
地図上の光点は一つとなり、その場所を指し示していた。
「ここは……シラーの通りか……?」
シラー。数ある王都の地区の中でも最も治安が悪いことで有名な場所だ。
そこの通りの一点、住居の中に光点が止まっていた。
『シラーと言ったか? 件のレネグ一等騎士が警備を担当していた区域だ。……見事に竜の出現地帯からは外れているな』
「ヤツらの本拠地がそこにあるかもしれないってことか……!」
可能性は大いに高い。
──そこにレイルが囚われている。
『ストラス、身体は大丈夫か?』
「えぇ、比較的早く見つかってよかったです……」
「! 姉さん、血が……!」
咄嗟に姉さんが手で覆った左眼の目端からは、ドロリと結構な量の血液が流れていた……。
「治すから、こっち向いて姉さん!」
「私の事はいいから、それより急ぎなさい!」
『待て、敵の居場所が分かったのなら騎士団を行かせる。ジルアはそこで──』
「それじゃ遅いですよ。私なら一瞬です」
「!」
アルルが私の手を引いた。
……さっきの能力がどこにでも使えるのならば、確かに一瞬で移動できるのだろう。
『待ちなさい! お前たちだけで行くつもりか!?』
「父上、騎士団を出すって言っても竜の相手だけで手一杯だろ?」
『……ッ!』
「私は必ずレイルを助ける。そんで、帝国のヤツらもぶっ飛ばす。……信じて見守ってて」
『──……無茶だけは絶対にするな。無理だと感じたら即座に逃げろ』
「王様、大丈夫ですよ。大事な娘さんに怪我なんかさせたりしませんから」
アルルがそう茶化したけど……私はコイツに守られる気なんて更々ない。
私は戦う。一片の油断も無く、ヤツらと戦い、皆を守る。
それが──私の夢への第一歩だ。
「アルル、行けるか?」
「はい。手を繋いでくださいね。はぐれたら危ないので」
アルルの手をぎゅっと握った。
そして目を固く瞑る。
……コイツが何をどうやって空間転移をしてるのか、正直知りたい気持ちはあるけど。
今はそれよりも──、
「行きますよ」
──レイルを助ける。
……アイツの身体の問題は何も解決していないけれど、それでも。
一歩ずつ進めれば何とかなるハズだと、信じていたい。
そうして、ふわりと身体が浮くような感覚に包まれて──……。
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