42.託されたもの
カランカランと、ドアに付けられた鈴が鳴った。
酒場の店内に客はあまりいない。
昼のピークを過ぎた時間なので、当然といえば当然のことだった。
鈴が鳴ったことで来店に気付いた店員が小走りで駆け寄ってくる。
「いらっ──しゃいませ、お一人ですか?」
寄ってきた店員は入ってきた客の顔を見て一瞬怯んだが、すぐに笑顔を取り繕い、定型句を続けた。
「いや、待ち合わせなんだが──」
「おぉい! こっちだこっち!」
入ってきた客──スヴェンが胴間声のした方へ振り向くと、隅の席から手を振っている男がいた。
店員に軽く会釈をして男が座っている席に向かう。
***
「よぉ、ひっさしぶりだなぁ副団長殿!」
「……今は団長だ」
「俺の中で団長は一人だけなのさ。……へっへへ、見ない内にすっかり貫禄が出ちまいやがって」
「アンタの方こそ別のところの貫禄が出過ぎているようだが」
言えてらぁ、と樽腹を叩く男──冒険者のダニーが愉快そうに笑った。
既に半分ほど飲み干しているジョッキを呷り、店員を呼んで勝手に注文をする。
「待て、飲む気はねぇぞ」
「なんでぇ、酒が飲めねぇってクチでもなかろうが」
「この後まだ野暮用があんだよ」
スヴェンの返答にダニーは大袈裟に肩を落とし、つまらなさそうな顔をする。
「おいおい、少しくらい羽目外せよ。嫁さん貰ってタマ抜かれやがったか?」
「うるせぇ。用が済んだらすぐ帰るんだよ俺は」
「へっ。夫婦仲が良好そうで何よりだことで」
ニヤリと笑うダニーにスヴェンは鼻を鳴らし、やや強引に話を切り替えた。
「本題に入るぞ。……単刀直入に聞く。アンタ、ルノアの奴とまだ繋がりがあるのか?」
「……」
──この問いこそが、この男を王都へ呼びつけた理由。
今の王室を取り巻く諸問題のキーマンとなるやもしれないこの男へ、問いただすべき事だった。
「旦那が一方的に連絡を取ってくるだけだ。俺から旦那への連絡手段はない。……最後に会ったのは、三年前。あいつを──レイルを託された時さ」
ぐびりとエールを喉の奥へと流し込んで、ダニーは話を続ける。
「旦那は何の事情も説明せずに、ガキの面倒を見てやってはくれねぇか? ──なんて無茶を言いなさる。……まぁ、二つ返事で引き受けた俺も俺だがな」
「……レイルの事を、何も聞かされてないのか?」
「あぁ、何も。……ただ、冒険者として生活できるように仕込んでやってくれ、ってだけさ」
スヴェンは黙考する。
レイルの面倒を押し付けた張本人は、依然として行方知れず。
唯一繋がりがあると思われたこの男──元王国騎士団員であっても、やはり情報は持っていなかった。
(あいつの秘密主義は今でも徹底してやがるな……)
「……レイルは、まだ生きてっか?」
「ピンピンしてるよ。……まだ、な」
「へっ。そうかい」
ダニーはジョッキを一気に飲み干し、再度店員におかわりを頼んだ。
店員が去るのを待って、スヴェンが口を開く。
「レイルの事情は何も知らないんじゃなかったのか?」
「あぁ、何にも知らねぇ。……だがな、見てりゃ分かることだって、ある。あいつがいつも何かに悩んで、苦しんでいる事くらいはな」
「……」
「旦那がいてどうにもならなかったんだ。……奇跡すら見放したってことだぞ?」
店員から受け取ったエールを再度呷り、半分ほど飲み干して、ジョッキを乱雑にテーブルに置いた。
強めの音が響いたことから、感情の籠り具合が窺える。
「レイルはどうなる」
「……助けようとはしている。手段も、あるにはある」
「手段はあるが実行できないってところか?」
「……それ以上は機密だ」
「はっ。そりゃもう答えを言ってるようなもんだがな」
ダニーがエールを呷りながら呟いた。
スヴェンはだんまりを決め込み、水の入ったグラスを傾けていた。
「どうしようもなくなった時。……最期の時は、立ち会えるか?」
「……あぁ、それは必ず。信ずる龍に誓って、約束する」
「助かる」
つまみに頼んだ揚げたてのフリットを頬張り、ダニーは礼を言った。
「……最近のレイルはずっと楽しそうだった。以前のあいつぁ、暗い目をしてたんだがな」
「……」
「あのお転婆王女サマのおかげだよ。人が変わったみてぇにすっかり明るくなりやがった」
「やっぱり気付いてたのか。姫さんのこと」
「へっへへ。向こうは気付いちゃいなかったけどな」
「アンタは団抜けてから変わりすぎなんだよ……」
騎士団を退団したこの男が、監視中の対象に接触した事。
それに何か裏があるのか、当時は内部で随分と揉めて、調査に長い時間を費やした。
その時間を掛けたシロという調査結果も、今となっては何の意味もないものだったが。
(本人に直接聞きゃ早かったんだがな……。退団員についての扱いは色々とある以上、仕方なかった)
今のように非常時でなければ、こうして会うこともなかっただろう。
「大きな声じゃ言えねぇが、古巣の噂話ぐらいは耳に入ってくるのさ。王女様の家出話、とかな」
「……今度キッチリ、情報漏洩の罪の重さについて話しとく必要がありそうだな」
「だっはっは! そうしとけ! 帝国のスパイが混じってるかもしれねぇからな?」
「ロクでもねぇこと抜かすな」
軽口を叩き合う二人の間に、一瞬の静寂が訪れた。
「いつか終わるもんだと知ってたのに、いざその時が来ちまうとなると……心の整理がつかねぇモンだな」
三杯目のジョッキを空にしたダニーが、ポツリと零した。
「……随分、レイルの事を気に掛けているみたいだな。アンタらしくもない」
「何言ってんだ。俺ぁ元々面倒見は良い方だぜ? ……それに、レイルは俺の息子みたいなもんだ。そりゃ気に掛けもするさ」
その言葉を聞いたスヴェンは、少し驚いたような表情を見せた。
「……息子、か」
「未だに良い報せが聞こえてこねぇ奥手の副団長殿にゃ、分からん気持ちだろうがな」
「馬鹿言え。親心くらい俺にも分かるさ。年頃の娘を四人も面倒見てたからな」
「そりゃ面倒見られてたの間違いじゃねぇか? 女の子はだらしねぇ男の世話をしたくなるもんだぜ」
「……んなわけあるか」
「それによぉ、件の四人の内の王女様に現在進行形でお世話されてんじゃねぇか」
「……」
それを言われてしまうと、スヴェンはぐうの音も出なかった。
「おう、娘といやぁ、アルルの嬢ちゃんが店にいなかったんだが、知らねぇか? ギルドにも顔出したんだが依頼にも出てねぇみたいでよ」
「アルルの奴は城でさっき会った。書庫の本を堂々と持ち去っていきやがるんだ。……あいつのああいうとこ、親に似てきてヤなんだよなぁ……」
「だっはっは! 子育てに苦労するのはどいつも同じってわけか!」
「笑い事じゃねぇんだよ……」
スヴェンはため息を吐きながらフリットを摘まみ、口に放り込んだ。
その後も結局色々と話し込んでしまい、スヴェン達が席を立ったのは数時間経った後の事だった。
***
「時間取らせてもらって悪かったな。恩に切る」
「いんや、こっちこそ。レイル達が消息不明と聞いて、古巣にアプローチ掛けようとしてたところだったんだ」
ダニーは爪楊枝を口に咥えて、げっぷを一つ。そして樽腹をポンポンと叩いた。
いかにもオッサンといった感じの仕草だった。
それを見たスヴェンがはぁ、とわざとらしく溜息を吐いた。
「前はこんなんじゃなかったんだがなぁ……」
「何がだ?」
「……昔はもっとカッコよかったって言ってんだ。ダニエル」
「馬っ鹿言うんじゃねぇ、今だって十分男前だろうが! モテモテだぜ俺ぁ」
「女関係でしょっ引かれても何の温情も加えねぇからな」
「んなヘマするかい。俺ぁ博愛主義だからな! 全員平等に愛を分け与えてるから問題なんて起きねぇのさ!」
「……」
しょっ引かれるよりも先に刺されそうだな、とスヴェンは呟いた。
「他人の事よりも自分の火遊びの心配したらどうだ。王に知られたら首が飛ぶんじゃねぇのか?」
「……? 何のことだ?」
「頬の紅葉マークだよ。まだ消えてねぇぞ」
「あぁ、これか」
スヴェンが言われてようやく思い出したという感じで、左の頬に手を当てた。
赤く腫れた痕が未だ残っている。
「これは妻からの愛の証だ」
「……随分バイオレンスな愛情表現だな」
「照れ隠しさ。可愛いもんだろ」
あの王女様がそんなことするかねぇ……と呟くダニーを追い越し、スヴェンは足早に王城へと続く帰路に着いた。
***
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