淡路島・異泥災害 ‐ ウィキパディア
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淡路島・異泥災害
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この項目は、異泥災害前後の淡路島について解説しています。災害以前の淡路島に関連する地理・行政・歴史は「淡路島」「淡路国」「淡路島市」「瀬戸内海国立公園」の記事をご覧ください。
2019年8月、日本の大阪湾の島嶼・淡路島が未知の異泥災害( Mad mud disaster )によって壊滅した事件。日本政府は淡路島の住民の避難に取り組んでいたが間に合わず、3万人を超える犠牲者を出すことになった。
現在も淡路島は灰色の異泥におおわれた状態にあり、原因解明や終息の手がかりはつかめていない。
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目次
1.概要
2.場所
3.淡路島の概略
3.1災害前
3.2現状
3.3沿岸部
4.発端
5.異泥( Mad mud )
6.淡路島騒動
7.異泥災害
8.被害
8.1人的被害
8.2関西経済の混乱
9.淡路島封鎖
10.各国の動向
10.1アメリカ
10.2ロシア
10.3中国
12.その他
12.1日本神話
12.2怪物
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概要
淡路島“異泥”災害は2019年夏、日本の淡路島で起きた異常現象で、地下から灰色の未知の泥状物質・異泥がにじみだすようにあらわれ、島のほぼ全域で被害をもたらした。幾つかの前兆現象に対して、日本政府は淡路島からの全住民の避難を進めていたが、突然島の全域に広がった災害に対処しきれず都市火災、建造物倒壊、交通事故、溺死や疲労衰弱などによって死者行方不明者3万人を超える大惨事となった。さいわい異泥災害は本土に広がらなかったが、日本政府の淡路島封鎖からおよそ二年が経過しても異常現象は収まる兆しをみせていない。
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場所
徳島県 淡路島市(淡路島)
所在海域 瀬戸内海
座標 北緯34度09分 - 34度36分
東経134度39分 - 135度01分
面積 592.55km²
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淡路島の概略
・災害前
淡路島は日本有数の大きさの島で、関西経済圏の海上交通の要所の海峡に臨み、本州と四国をつなぐ鉄道道路を中継する位置にある。だが、島内の工業商業はふるわず人口は異変当時8万人を割り込みかけて減少傾向だった。
20世紀末の明石大橋と大鳴門橋の開通により、淡路島には新たな鉄道道路が開通。人やものの流れが大きく変わったが、世界的な景気落ち込みによって地元への経済効果は予想を大きく下回り、逆に島外への人口流出・地域経済の弱体化が進行していた。
2010年代からようやくハイテク産業や教育研究施設の誘致、国際的芸術イベントの成功、新たな観光地の開発などの好材料がそろい淡路島の経済開発が本格化した。
・現状
異泥災害下の淡路島は、沿岸部の狭い範囲を除いて全域が灰色の泥におおわれた泥の荒野と化している。泥の深さは平均50㎝で厚いところでは20mを超える。山地の標高は十数m単位で下がり、内陸の地形が全体としてなだらかになった。もともとあった土砂が異泥へ同化(異泥化)したことでまわりへ広がっていったとされる。奇妙なことに、大量のやわらかい異泥は沿岸部を侵して海へ流れ出ていない。山地の異泥も流れ切らず、山の高所で地盤が露出することもなかった。
島の内陸には灰色の泥の荒地が広がり、はなれ小島のように大小の巨岩や建造物の廃墟、放置車両が泥に浸かった姿をみせている。樹木や草花、鳥獣や昆虫など、生物は一切見られない
異泥のひろがりの中では時折、前触れなく流れや波が起こり重力に逆らうような動きさえ見られるが科学的なメカニズムの解明は進んでいない。
・沿岸部
淡路島の沿岸部は正常な土地で、内陸の被災地を囲むように長く帯状に続いている。幅は数百mから1㎞程。狭い海辺の土地は、住民避難の際には救援隊の活動の足がかりとなり、避難者の一時待機場所となった。異泥の奇妙な動きや一般土壌の異泥化が海岸に近づくほど低下した為だが、海水そのものは異泥に作用せず、くみ取った少量の海水をかけても特段反応はない。
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発端
最初の異変は2019年8月14日早朝、淡路島の南の沼島で発生した。天候悪化や地震活動はなかったにもかかわらす、島の多くの建物が50㎝~1mも沈降し、半壊以上の損害を被った。さいわい人的被害は極めて少なく、負傷者のみ26名にとどまった。366名の島民から一人の死者も出なかった理由は、異変の数時間前に全員が悪夢(詳細不明)によって目覚め、ほとんどが屋外にいるか家族といっしょにいたためだった。
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異泥( Mad mud )
灰色で重く冷たい未知の泥状物質。赤錆色や銀色のマーブルが入っている。沼島の異変ではじめて目撃され、その後の異変でも毎回地中から突然にじみ出してきた。
発生源は不明で、地表に吹き出したあと時間の経過とともにもとからあった土砂が灰色の異泥へ変容して短時間で辺りを覆い尽くした。深さにして平均50㎝ほどで土地の異泥化はおさまるが、大量の異泥がある場所ではしばしば不定形の生き物のような奇妙な動きが目撃された。泥の海の面を不自然に動く波頭、傾斜地をゆっくり遡る泥流、前触れなくみるみる一m余盛り上がって数十秒でやわらかくつぶれる泥の小山などで、一部は詳細に映像記録された。発生条件やメカニズムは詳しくわかっていないものの、ほどんどの科学者は異泥を生き物と考えていない。異泥の重量の99%以上を数百種類の鉱物の微粒子、水が占めるが、分析不能の未知の微粒子が0.08~0.2%存在し異泥の奇妙な性質に深く関わっているとみられている。
異泥の特性として、被災地の外へ出されると急速に変質してもとの土塊にもどる*ことが挙げられる。異泥災害が土地と強く関係していることを示すが、未知の微量成分も消失してしまうため正確な科学分析が不可能となっている。灰色の異泥から自然状態にもどる現象は、初期の事件(前兆現象)の現場でも事態の収束とともに広くみられた。
※土壌は粒子が微細化して団粒構造が失われるなど、物理的性状は短時間に不可逆的に変容していた。
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淡路島騒動
沼島の事件の後、淡路島で同様の異常現象が十数回発生した。現象は直径2㎞ほどの範囲で30分~1時間続いて毎回多くの建築物や道路に被害を与えた。また、灰色の不気味な泥と生き物じみた動きは全国に報道された。
異常現象は淡路島のどこでいつ発生するか予測がつかず、住民は島外へ自主避難をはじめたが、夏の怪談や超常現象として興味本位の情報が広まった結果、逆に淡路島を訪れる外来者が爆発的に増えた。かれらは泥まみれになるだけで実害の無い怪奇現象をぜひ体験してみたいと公言。連日、新たな発生地を探して淡路島の道路を行き来した。
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異泥災害
2019年8月30日午前7時ごろ、異常現象は突然淡路島全域に拡大した。狭義の異泥災害( Mad Mud Disaster )はこのとき始まったとされる。
淡路島全土で異泥化が進行して未曾有の混乱が広がり、20,000件を超える火災や爆発事故、建造物の倒壊、交通事故が同時多発的に発生。山地では600ヶ所を超える土砂崩れが発生した。消防車両や救急車は道路を走れなくなり、市街地や工場の火災が野放図に拡大する事態となった。避難する被災者も、道路が路上へ倒れこんだ障害物や事故車両で塞がれて徒歩で移動するしかなく、ひざ下までつかる冷たい泥の中で疲労困憊していった(関連項目:『南あわじ大火』、『明石大橋連鎖火災』、『蓮の花~淡路島の泥中退避行〜(小説)』)。
異泥災害の激甚化に対して、近隣の警察や消防、自衛隊の動きは迅速だった。すでに全島避難で動いていたためだが、拡大する異泥は急派された車両の行く手を阻み、徒歩で無秩序に沿岸にたどり着く被災者のケアと本土移送で、マンパワーと輸送力の大半が費やされた。明石大橋と大鳴門橋の通行の完全再開、淡路島の主要港湾施設の仮復旧、米軍の活動参加、おびただしい隻数の民間船を伴う災害ボランティアの参集も大勢を動かせなかった。最大の理由は、異泥におおわれた内陸にヘリコプターや水陸両用の装軌車両、少数のエアクッション艇しか踏み込めなかったことで、淡路島における捜索救出活動は、台風接近時の二日間の中断をはさんで10月25日まで続けられたものの、9月中旬以降、生存者の発見は急減した。
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被害
・人的被害
淡路島の異泥災害の死者行方不明者は33,000人とされる。激甚化の直前、淡路島には住民約40,000人と本土からの来訪者12,000人余り(島民避難の支援要員含む)がいて、日本政府は徳島県や淡路島市と協調して全島避難を進めていた。さまざまな事情で連絡がつかないもの、病気などで移動が難しいもの、避難を拒むもの、さらにピックアップポイントに移動できないものが島の各所に数百人単位で散らばっていたが、多くがそのまま消息を絶った。また、避難する途中に激甚化に遭遇して大型バスや列車の中にいた住民集団、市街地で大規模火災に巻き込まれた人々から多くの死者と負傷者が出た。本土からのやじ馬観光者たちは、一部が政府の勧告を無視して淡路島にい続けて本格的な異泥災害に遭った。かれらは無人化した地元家屋に押し入るなど、一部が犯罪化しながら避難の進む島内を動きまわり、彼ら自身が正確な人数や所在を当局に把握させなかった。そのため激甚化後ほぼ全員行方不明になった。
なお、灰色の泥にしずんだ遺体は急速に分解されて泥の一部となった。救援部隊が搬出困難な遺骸を仮埋葬したところ、現地をふたたび訪ねたさいに遺体袋の中で白骨化して泥まみれになっていたことから確認された。
・関西経済の混乱
異泥災害による経済的被害は一兆円を超えるとされる。地震災害と異なり、淡路島そのものが事実上放棄されたためである。しかし、全島避難達成後、日本政府が淡路島への接近禁止の方針を打ち出したことで、経済的被害は国家予算規模に拡大しつつある。最大の理由は明石海峡・鳴門海峡・紀淡海峡(友ヶ島水道)の海上交通の制限で、淡路島封鎖を厳格にする政府組織は淡路島側に進入禁止海域を設けて、三つの海峡にさらに狭い幅の航路しか認めなかった。神戸港の国際貿易港の地位に大打撃が予想されたことから関西経済の殺害予告とまで言われたものの、対策本部は経済界や大阪府知事などの猛反対に応じなかった。淡路島封鎖の方針はほぼ原案通りに強行され、日本経済全般に波及する深刻な影響が生じている。淡路島上空を飛行禁止とした措置も、民間航空に混乱を呼び、便数が激減した地方空港があらわれた。
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淡路島封鎖
異泥災害下の淡路島は日本本土から隔離され、対策組織の監視下にある。避難民の一時帰島なども認められていない。
日本政府は10月以降、異泥災害の対策本部を発展解消させて新たな監視警備組織を立ち上げ、総理直轄で人員の拡充と武装化を進めた。通常の法手続きや慣行を逸脱した方法で予算が組まれて警察や海上保安庁、自衛隊から必要な人員や装備が集められ、閉鎖した明石大橋と大鳴門橋の二カ所の橋上には最接近監視拠点がつくられた。当該組織にLCAC-1級エア・クッション型揚陸艇が新規導入された際には閣内でも批判が起きた。
「異常な未知の災害への対処」を理由に、政府は事実上の準軍事組織を超法規的に立ち上げたといえるが、反面、淡路島の調査活動にはひどく慎重で、マスメディアの取材はもちろん学者の渡航調査の許可もなかなか出さない。淡路島沿岸部の基地建設、内陸への観測機器の配置にも及び腰とされる。
日本政府の不可解な姿勢は、本土への異泥災害の野放図な拡大を真剣に警戒し淡路島を刺激しないことを最大限重視しているように見える。この点に関して、未知への恐怖だけでは説明できないことから、異泥災害の突然の急拡大と恒常化に何らかの人為的干渉があったのではないかと疑われている。
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各国の動向
・アメリカ
日本政府の協力要請があり、早い段階から淡路島の調査活動に専門家チームを派遣していた。さらに激甚化に際して、直ちに空母や揚陸艦を含む大型船舶を紀伊半島沖に送り避難活動に大きな役割を果たした。合衆国大統領は、淡路島の事件を未知の極大災害(Ultra catastrophe)と呼び、日本政府に対して巨額の緊急資金援助と対米輸出の貿易優遇措置を決定。米国民や先進諸国に対日援助をよびかけた。
過剰な物言いや支援は、一般に日本の急激な弱体化を回避し対ロ・対中国の連携強化が目的だとされる。しかし、何らかの弱みの存在を疑う見方もある。
しばしば取り上げられるのは激甚化に先立って起きた淡路島の火災事故で、8月30日の深夜3時、アメリカから派遣された科学調査団の拠点・淡路島大学の体育館で火の手が上がり、運び込まれていた調査機材もろとも施設が焼失した。
火元の調査や被害の把握、死傷者の身元確認は当日朝から始まった異泥災害の激甚化で実施されず、関係資料や証拠品も混乱で失われた。しかし、火災直前、現場で乱闘や発砲騒ぎがあったという不可解な証言があり、一部で米国調査団が準備していた観測計画・Arrowhead(詳細不明)が異泥災害の激甚化を引き起こしたと噂されている。当局者は噂を否定しており、米軍の淡路島救援作戦『DAYBREAKE'S BELL』で示された日米の絆を汚すものと非難している。
・ロシア
ウクライナ情勢の緊迫で日本の異泥災害への関わりは限定的だったが、救助部隊の派遣や援助物資の提供は迅速で、チャーターした大型客船をロシア人スタッフの操船で淡路島に最接近させた島民脱出作戦は、一度に3,000人もの避難を成功させて世間の注目を集めた。さらに異泥災害に科学的興味をいだき、さまざまな科学調査を提案したが、日本側の了承を受けないまま、援助物資の大型貨物機に最新の観測ヘリコプターを載せて日本へ送り込んだ事件は物議を呼んだ。
・中国
ロシアと同様に日本の異変に強い関心を示したが、淡路島で中国人観光客が消息を絶ったとして大規模な捜索部隊の現地入りを日本へ強く申し入れた。人民解放軍の事実上の日本派兵に当たるとしてアメリカを交えた外交問題となり、結果として強い反発を日本政府に抱かせて中国の関係者の現場外しが行われた。
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異泥災害の原因調査
異泥の謎に対して物理学や化学、流体力学、地質学などの多くの分野の科学者が関心を示した。さまざまな仮説が立てられているが、サンプルの採取保存や現地調査の困難のために信頼のおける科学的データは限られている。謎の微量成分の分析や泥流の奇妙な運動の解析はある段階で行き詰まっており、異泥災害の解決の見通しは立っていない。
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その他
・日本神話
2019年9月15日、淡路島の異変が連日報じられる中、海外で公式ニュースに隠れるようにして『日米政府が隠蔽した秘密資料』なるものがインターネット上に公表された。怪文書は日本神話と今回の異泥災害を関連づけ、日本の政府関係者や文化人が気がついたときには異泥災害に関心の強い欧米の一般大衆に流布していた。文書は有力情報として夜の淡路島の衛星写真を示した。日付は異泥が激甚化した8月30日とされて、宇宙からとてつもない大きさと長さの「波打つ光の柱」が下り、斜め俯瞰で淡路島の南方に突き立っていた。
日本神話の創世について、怪文書は「古事記」「日本書紀」に準拠したとして次のように要約した。曰く最初の陸地を作ったのは男女の二柱の神で、天空の橋から混沌としてただよう下界へ矛(天沼矛:あまぬまほこ)を下ろしてかきまぜた。すると刃から落ちた滴がつもって最初の陸地・オノゴロ島が出来た。淡路島は二神がオノゴロ島に降り立ったあと、今日ある島々を生み出したさいに最初に産まれた島、乃至はオノゴロ島そのものとされた。
問題の文書は『太古の異泥災害の記憶が日本神話に残されている』と仮説を立てていた。それによると日本列島ははるか昔、全土が異泥に覆われたことがあり、その時あった原始社会は一度崩壊した。それから長い時間かけて社会は再建され、異常な出来事は神話伝説として伝えられることになったが「国産み」や「天孫降臨」など、創世につづくさまざまな記述には今後日本の本州に異泥が拡大したさいの対処の手がかりが眠っていると言うのだった。
この怪文書とアマノヌホコと名付けられた光の柱の衛星写真は、日本で存在が知られると猛反発を呼んだ。
「日本に古事記、日本書紀と呼ばれる古代の歴史書はそもそも実在せず、本件の日本神話の記述とされる内容は何者かの創作物である。日本の最初の大地が得体の知れない泥の滴りから生まれ、天沼矛なる武器が道具に使われたと言う架空の創世神話は、日本の国土の神聖さと平和主義を汚し愚弄するものである」
日本政府の公式発表をはじめとして、著名な研究者や学術団体は相次いで怪文書を否定するメッセージを発した。あわせて、国際社会に対して古代日本が実際に編纂した代表的歴史書の「古神記」と「日本華夷記」の二冊を示して真正の日本神話を紹介した。海外でもこの騒動は大きく取り上げられ、ロンドンの大英博物館の日本史や人類博物館の民俗学の著名な専門家たちは、何者かの架空の日本神話の流布を【文化テロ】と強い言葉で非難した。(詳細は関係項目の「古神記」「日本華夷記」「淡路島偽書問題」参照)
話題を呼んだ衛星写真も、悪質な合成写真と判断された。怪文書が天沼矛と呼んだ光柱は大変印象的で多くの人々が注目したが、問題の光景は日本の人口密集地の至近で起きた出来事のはずだった。しかも、日付は島の避難活動の最中だが、光柱の目撃情報や証拠写真は一切存在しなかった。また、拡大分析したところ大阪湾の泉州沖に巨大な人工島が認められた。これは現実の大阪湾に存在しない地形で、ほかにも十数箇所、現地との相違点が確認された。偽の日本神話と天沼矛写真はある意味、異泥と同様、出所不明の存在で、今もなお人類史上類例のない災害に乗じた悪質なデマゴーグとして犯人探しが続けられている。
・怪物
淡路島の警備は厳重だったが、容易に対岸や海上から異泥におおわれた内陸を遠望できた。ここから政府の公式発表やマスコミの取材報道と異なる奇妙な情報がしばしば世間に広まった。
代表は通称『サバイバー』と呼ばれる一群の目撃談で、淡路島の沿岸で手を振る生存者や島に立ち上る煙(煮炊き・救援を求める狼煙)を見たとの情報が一日最大200件も関係機関に通報された。その中には、海辺にたたずむ兄の顔を高性能望遠鏡によって確認したと主張する元島民もいたが、一年間で凡そ3,000件を超えた通報の中で実際に被災者救出につながった事例は皆無だった。人間が確認された事例は4件あったものの、いずれも遠泳などで警戒をかいくぐった不正な淡路島上陸者だった。
次に、封鎖から半年が経過した頃から急増した通報は「怪物案件」と総称された。淡路島内陸の灰色の荒地に何か不気味なものがいるというもので、大きく歪なヒトガタ、信じられない早さで走るイモ虫、あるいは多頭多腕の獣などが民間人から報告された。はじめのうちは泥からはい出たり徘徊するだけだったが、時間が経つにつれて異形は群れを成したり、行進したり踊ったり祈りをささげる通報内容が増えた。
当局はこうした目撃情報をすべて見間違いやイタズラとして処理した。あまりに荒唐無稽で、証拠写真がことごとく不鮮明であったり、奇妙な光で対象が隠されていたり通報者と突然連絡がつかなくなるためだったが、いつしか情報は世間に広がり新たな都市伝説(当局が否定した秘密情報)として取り上げられるようになった。
淡路島の異形は一般に「怪物」と称されるが、熱心な研究者やマニアたちはぐねぐねとしたすがたから未確認の異形たちを「蛭人」あるいは「異泥の怪物」と呼称している。
この淡路島・異泥災害の記事の執筆はK John・Smithとボイジャーによる共同執筆によって行われました。
【原案:K John・Smith 編集:ボイジャー】




