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KGB鉱山国 ‐ ウィキパディア

ウィキパディア-フリー百科事典

ページ/ノート

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KGB鉱山国

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第三次世界大戦後の1962年以降、日本海の佐渡島を支配したソビエト連邦の特別組織。それまで知られていなかった巨大な金鉱脈を発見したことで国際的に注目された。国家情報機関のKGBが主導する異例の統治組織で、国際世論を無視して独立国家のようにふるまい、戦後のソ連に莫大な黄金をもたらして覇権を支えた。


金山地下の非人道的奴隷労働、おびただしい行方不明者、人員をおぎなう非合法の人身売買への関与は公然の秘密で、信じがたいペースで豊富な貴金属を採掘しながら、いくつもの事件で人々の関心を集めたが1991年12月、突如発生した「佐渡島消滅事件」によって島全域が消滅した。異変の原因は不明で、現在も10万人を超える犠牲者の行方はわかっていない。


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目次


1.概要

2.佐渡島

3.佐渡金山と佐渡島前史

4.第三次世界大戦とソ連の佐渡島侵攻

5.パックスソヴィエティカと日本の戦後

6.佐渡金山発見

7.佐渡金山の国際的影響

8.KGB鉱山国のすがた

9.KGB鉱山国の軍事

10.佐渡金山と黄金奴隷

11.KGB鉱山国の周辺国と国際事件

12.佐渡島消滅


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概要


KGB鉱山国はソビエト連邦国家保安委員会令下の特別組織からうまれ、日本海の佐渡島を領土にした。それまで発見されていなかった巨大金山を独占支配したことで知られる。国際社会に認められた独立国ではなかったが、ソ連最高指導者ユーリ・アンドロポフにつながり母組織KGBの有形無形の支援をうけたことで、ある種の自治領でありながらソ連のほかの政府機関や軍部、党組織すら干渉できなかった。貴重な黄金を信じがたいペースで採掘して国際的関心を集めたが、最大の佐渡金山の実態は厳重に秘匿され、1980年代には人喰い島や奴隷鉱山、地獄金山などと呼ばれて不穏で異常な噂が広まった。


1991年7月、「佐渡島消滅事件」によってKGB鉱山国は島もろとも完全に消滅し、誰ひとり救助されなかった。突然の異変は核攻撃、正体不明の小天体の直撃などと噂されたが本格的な科学調査は実行されず、1992年現在、佐渡島海域は事実上放置されている。


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佐渡島(日本海)


座標:北緯39度2分0秒 東経139度22分0秒 / 北緯39.03333度 東経139.36667度

面積:854.76 km²

海岸線長:262.7 km

最高標高:1,172 m

最大都市:佐渡


佐渡島はアルファベットのSに似た特徴的なかたちで、南北の山地と間にはさまれた平野の三つの地形に大別される。植生は極めて変化に富み、寒帯・亜熱帯地方特有の植物が島内に同居する非常に珍しい植生地域である。いわゆる佐渡金山は島の北西にあるが、その他にも金山銀山(鉱脈)が南や北の山地などに分布する。


佐渡島全体が一つの特別領だが、要地の佐渡金山とそのまわりの土地(島面積の1/5強)はほかの地域と区別して警戒管理された。このためロシア人移民が移り住んだ平野部などと違い、佐渡金山の周囲の土地は自然保護区のように手付かずにされた。


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佐渡金山と佐渡島前史


佐渡島の貴金属資源が日本人に発見されなかったのは、不運と偶然が重なったためとされる。日本の近現代の為政者の佐渡島に対する認識は「反政府的傾向の辺境地域、そのさらに沖の大きな島」に過ぎず、近代以降の科学的地下資源調査は行われていなかった。


日本の佐渡島統治の歴史は古く、8世紀以前に佐渡国が置かれていた。しかし、島の鉱山開発は一部にとどまり、中世に入ると数少ない銀山も暴動や戦乱の被害で閉山に追い込まれた。佐渡島が属する北陸地方は、戦国期に仏教の宗派の一向宗(石山本願寺)の勢力圏に入り、地元民衆は武家の日本統一後もしばしば苛政に実力で対抗した。開国後、明治新政府が受け入れた新潟港租借地問題では、来航した米英の水兵や軍艦に対して武装民兵が地元の有力者や攘夷派の商人の支援を受けて激しく抵抗している。佐渡島の開発が進まなかった一番の理由は、こうした不穏な北陸情勢にあったと言われる。また、佐渡島には固有の土地神信仰や慣習があり、資源開発が忌避されていたという。


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第三次世界大戦とソ連の佐渡島侵攻


佐渡島は第三次世界大戦(1962年)ではじめて世界的に注目され、その後の現代史の焦点の一つとなった。


米ソの全面戦争は世界を滅ぼすと言われたが、現実の米ソ軍事衝突は1962年夏に始まると約半年でソ連の圧勝で終わった。大戦の発火点はギリシャ・トルコ間の地域紛争で、バルカン半島全体に緊張が高まり米英がギリシャに軍事介入すると、1962年8月、ソ連は世界同時多発で開戦に踏み切った。西側陣営は米英地上軍のギリシャ上陸で軍事バランスが崩れ、ワルシャワ条約機構が機能不全に追い込まれつつあるというソ連の危機感を理解しておらず、戦略的奇襲を受けて通常戦で敗退を重ねた。1963年2月1日、アメリカ合衆国は先制核攻撃を受けて壊滅。ソ連本土への報復核攻撃は不調に終わり、ヨーロッパの西側諸国並びに世界各地の残存米軍が継戦を断念したことで三度目の世界大戦はソ連の完全勝利で終わった。


・第三次世界大戦の日本

当時の日本は、米英の属国と見做された大東亜民主共和国(東亜日本)で、大戦時は駐留米英軍を支えて宗谷、津軽、対馬の三海峡を封鎖し、極東ソ連海軍の太平洋進出を阻止する役目を負った。ところがソ連軍は開戦劈頭、佐渡島を急襲し、重要視されていなかった同島を基地化した。米英軍在日司令部が陽動と判断して三海峡封鎖に戦力を集中させ続けたため、ソ連の第二段階の新潟上陸作戦はほぼ無傷で成功し、精鋭侵攻部隊は北関東へ急進。本州を分断されて首都東京を脅かされたことで東亜日本はソ連の侵攻軍に全面降伏した。


西側報道機関は「アイ・シャル・リターン」「栄光ある転戦」と喧伝したが、在日米英軍はその後一度も交戦せず、侵攻したソ連軍との交渉でフィリピンなどに安全に撤退した。米英軍は海峡部に孤立した上、東京・厚木・横須賀などのおよそ60万人の軍属と欧米系民間人の安全が脅かされたことで継戦を断念したのだが、こうした動きは日本国民を失望させた。西側の日本反攻作戦は実行されず、翌年、アメリカ合衆国の壊滅で第三次大戦は終結した。北米核攻撃には、太平洋に進出したソ連ミサイル原潜も参加した。


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パックスソヴィエティカと日本の戦後


第三次世界大戦後、超大国ソビエト社会主義共和国連邦の一極体制は「パックスソヴィエティカ」と呼ばれた。中ソ戦争(1975年)で限定核攻撃が行われたことからパックスアトミカ・パックスヌクレイという場合もある。(関連項目→ 「パックスソヴィエティカ」「パックスアトミカ」「共産圏の東西対立」「中ソ戦争」)


・日本人民共和国と鉱山国成立

第三次大戦中、ソ連は米英が日本各地に残した基地を利用したが、ごく一部を除いて日本人の軍隊は国内から動かされなかった。日本軍は外征作戦の経験の無い旧式装備の軽歩兵で、一部の優良な航空機部隊や機械化部隊、海軍艦艇は撤退する在日米英軍に主要装備を破却されてしまい無力化されていた。このため日本兵はアジア太平洋のその後の戦闘に巻き込まれず、佐渡島奇襲から降伏までの約一月が日本国民にとっての第三次世界大戦の戦闘となった。


日本の戦災は北陸や関東の一部地域と空襲の被害地に局限されたものの、敗戦の代償は大きかった。ソ連は北海道と北東北を分離して樺太の一部と併せたアイヌ自治共和国アイヌスタンをつくるとソビエト連邦の新たな一員に加えた。宗谷・津軽海峡の支配権を狙った事実上の領土割譲だった。また、日本占領軍司令部は新政府に西日本の特別自治都市・京都の特権剥奪と京都朝廷の解体、天皇のソ連本土移送を強く主張した。敗戦後から日本人の反ソ(反ロシア人)感情は高まり、戦後の佐渡金山の発見と莫大な黄金のソ連の独占で決定的となった。


•佐渡島に関するソ日交渉は、ほとんど注目されることなく成立し、99年間ソ連の代行機関に委ねられることとされた。日本側の交渉担当者は、ソ連が本格的な軍事基地化を狙っていると考え「日本海沿岸地域の経済発展を領導」するとの文言を軽視したが、実際には本土列島の基地を手に入れたことで佐渡島の軍事的重要性は急落していた。佐渡島の資源開発とその成果に関して、日本人民政府は発言権請求権を一切有さないという条文は将来に禍根を残した。


佐渡島を欲したのはKGB(ソ連国家保安委員会)で、送り込まれた統治委員会は佐渡島全体をロシア化した。新体制の発足時、佐渡島の日本人社会は崩壊し、佐渡島にあった家屋や田畑はソ連の侵攻軍に破却されて軍用地に変えられていた。成人男女の島民は用地接収時にソ連軍に狩り集められ、新潟上陸作戦に伴って日本本土へ連れ去られてしまい、残された人々は餓死寸前で山間部や海岸近くで島内難民化していた。後を引き継いだ統治委員会は、佐渡島のロシア化を決めてソ連本土で移民を募る一方、島内難民の日本人をことごとく新潟に移送した。佐渡島島民は、ソ連軍に徴用された男女も新潟港で船から放逐された人々も混乱する本土で悲惨な運命を辿ったとされる。


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佐渡金山発見


世界的に著名な佐渡金山が現代に発見された経緯ははっきりしない。佐渡島の統治委員会の活動が本格化した1962年秋頃、国境警備軍の測量技師が偶然金鉱石を拾ったことがきっかけとされたが、統治委員会のこの発表は後年捏造と判明した。

イギリスのノンフィクション作家エドワード・ロイズは1980年に発表した著書『黄金と血』でロシア人測量技術と発見現場の山の写真とされたものが、戦前の東ドイツの宣伝映画から取られたものであることを実証し、問題の技師や所属部隊そのものも架空だと暴露した。KGB鉱山国はこれに反論や適正発表を一切行わなかった。


ノンフィクション『黄金と血』は第三次大戦前、佐渡島の不可解な土地買収も明らかにした。開戦のおよそ10年前、フランス企業が別荘地開発の名目で進めていたもので、現在佐渡金山がある山地が買収活動の中心だった。作家ロイズは事業者がKGBのダミー企業であることを突き止め、KGBが相当早い段階で佐渡島の金脈の情報をつかんでいたと主張した。さらに、第三次大戦の佐渡島奇襲もKGBが使嗾し、佐渡島や新潟平野の軍事情報を用意したと推測している。


陰謀の首謀者として名前が挙げられたのは、大戦後のソ連最高指導者で問題の時期にKGB議長だったユーリ・アンドロポフだった。ロイズが注目したのは1950年代からアンドロポフの側近に加わったオークボという東洋人男性で、続編「黄金と闇」で素性と佐渡金山の謎を究明すると予告した。しかし、ロイズは1984年2月、日本人民共和国の山梨県甲斐市で消息を絶ち、行方不明事件はそのまま未解決となった。草稿や調査資料、協力者のリストはふたりの息子に相続されたものの、公表されなかった。


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佐渡金山の国際的影響


未知の巨大金山は、佐渡島の開発開始からおよそ四年後、モスクワで開かれた第三次世界大戦の戦勝記念式典の最中に突如存在が明らかにされた。戦後に最高指導者に就任したユーリ・アンドロポフ書記長は「新時代の黄金」と呼ぶ金塊を自らの手で披露し、ソ連は戦後世界の混乱に終止符を打つと宣言している。


パックスソヴィエティカ(パックスアトミクス)は戦後五年余でいくつもの問題が生じていた。北米核攻撃の環境への悪影響は、ソ連にも寒冷化と凶作のかたちで波及していたが、軍部は軍拡を主張し内政重視の官僚や政治家と対立した。国際的に見るとソ連の力は依然圧倒的だが、イギリスやオーストラリア、ブラジルが互いに手を結んで力ををつけはじめていた。共産圏の中では、統一ドイツの急激な経済成長や共産中国の中国大陸統一によって足並みの乱れが生じていた。


不安定化の最大の原因は、戦勝国のソ連が新たな国際秩序の明確なイメージをもっていなかったことだった。ある歴史家は、この時期のソ連の停滞を古代ギリシアの軍事国家スパルタになぞらえて、ペロポネソス戦争でアテネを降伏させたあと覇権が長くなかった事実を指摘した。


・ブラッドゴールド経済

佐渡金山の莫大な黄金は、戦後ソ連の新たな武器になった。最高指導者アンドロポフは単純にいえば『湧き出す黄金で世界一豊かになった』との楽観的ムードを振りまいて国内の緊張を和らげ、食料不足や軍の台頭に対処する貴重な時間を稼ぎ出した。


第三次大戦後の最大の問題の一つは、国際通貨ドルの失墜だった。ソ連の通貨ルーブルはさまざまな事情から次代の国際通貨として受け入れられず、国際貿易で物々交換や貴金属の決済が常態化する一方、新しい国際通貨はなかなか生まれなかった。戦災による貴金属の大量喪失が背景にあり、フォート・ノックスやニューヨーク等にあった莫大な金塊は大戦末期の北米核攻撃で失われてしまい、回収された一部の黄金は放射能汚染で使用不能になっていた。被害はイギリスなど国家資産の黄金を預けていた国々にも及び、希少価値が増した金銀が高騰する一方、主要国の通貨の信用は大きく揺らいだ。


こうした情勢で、未発見の金山の黄金はソ連の巨大な資金源となり国際的取引への影響力さえ生み出した。さらに佐渡金山の地下はブラックボックス化されたため、金銀の採掘量やコスト、推定埋蔵量、採掘計画などは外部に漏れなかった。鉱山事故の報道一つで貴金属の取引相場が変動し、フェイクニュースで反ソ国家の株価が乱高下する事態が発生しKGB鉱山国の内外に政府と民間を問わず経済スパイ事件が多発した。


イギリスとスペインは1971年を目標にして南アフリカ、ブラジル、オーストラリアなどの金産出国と連携し、ひそかに新たな国際通貨ニューポンド(NP)を作り出そうとしていた。ソ連の覇権を経済戦争で覆す野心的プランは、想定外の佐渡金山の黄金によって撹乱されて準備段階で破綻に追い込まれた。


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KGB鉱山国のすがた


国際的に見ると佐渡島はソ連や周辺諸国の法の支配から切り離された空白地帯で、いかなる国からも独立国家として承認されていなかったが、独自の軍隊や統治機構をもち核戦争のどさくさ紛れに存在を既成事実化させていた。


KGB鉱山国は、書類上は委任統治領としてスタートした。日本人民共和国がソビエト連邦に統治を委ねたかたちだったが、現実はソ連が日本から得た租借地で、事実上の領土割譲だった。この点、ソ連はそもそも国際機関から委任(信託)されていないため、戦時中、誤った文言で締結した交渉そのものが無効とする見解もある。アンドロポフ政権下のソ連はKGB鉱山国を「東方特別領(または特別領)」と呼んだが、これはソ連の国内法や外交・安全保障に前例のない定義不明の造語だった。また、ソ連は佐渡島を領土に加えるための手続きや宣言を国内外に行っていない。ソ連の公式文書にKGB鉱山国は、単に「佐渡島(Sado-Aylend)」と表記された。


佐渡島を統治したのはKGBが送り込んだ統治委員会と下部組織・認可団体で、島全体を独立国家に等しい自治領にかえた。その性格の一面は、英仏植民地にかつて存在した会社統治領のような事業優先体質で、独自通貨を発行し共産党組織すらつくらなかった。同時に極端な厳罰と秘密主義を通す場面があり、金山地下の奴隷労働の非人道性と犯罪性は公然の秘密だった。ソ連本国の司法行政機関や軍部、党組織は何度も佐渡島への介入を試みたが、ことごとく最高指導者(元KGB議長)のユーリ・アンドロポフの庇護とKGBの有形無形の支援、ソ連に広がっていた黄金の利権に活動を阻まれた。佐渡島は影で書記長の荘園、KGBの植民地ともよばれて一国二制度と呼ぶべき異様な政治状況が黙認されることになり「KGB鉱山国」のアダ名がつくこととなった。


こうした矛盾や混乱は、巨大金山の権益を独占する者たちがその喪失を恐れて、日本政府との再交渉や統治体制の見直しを忌避したためだとされる。異論もあり、ノンフィクション作家ロイズは矛盾や混乱は意図して作られたと主張した。黄金のために人命を費やす奴隷鉱山の運営が予定されていたため、ソ連とその最高指導者の庇護を受けながら責任や権利関係が曖昧で、不可侵な領域が設計されたと述べた。


・統治体制

KGB鉱山国は執行委員会を頂点にした組織が統治した。執行委員会代表の八人(経済官僚3名、政治官僚3名、軍人2名)の合議で運営されたが、重要会議には所属のはっきりしない顧問や相談役がしばしば出席した。


統治組織は大きく三部門にわかれて、KGB国境警備隊の派遣部隊で編成された軍事部門、ロシア人移住者を大量に受け入れて島の地上の大半を占める市民社会をデザインした内政部門、農業牧畜や鉱業、漁業の発展に取り組み、鉱山国独自の通貨(島内紙幣)をつくった経済産業部門である。戦後の佐渡島にはロシア人の民間人が大量移住して、10万人に迫る市民社会に発展した。ロシア人島民の生活水準は高く、ソ連本土を上回る手厚い公共サービスが約束され、潤沢な資金投入をした日本海の漁業、水産加工業は成功をおさめた。加工食品はソ連本土や中東、西ヨーロッパにも輸出されて高く評価された。なお、西ヨーロッパへの輸出は、のちに佐渡金山の奴隷労働に関する経済制裁対象になって途絶した。


・ロシア人島民の意識

KGB鉱山国の中核とされた佐渡金山エリア(後述)と、佐渡島のほかの地域は別々に開発が進められた。ロシア人移民の一般島民は佐渡金山を普段意識せず、話題も慎重にさけて産業振興に取り組んでいたが、市民社会が豊かになるにつれて島民意識もかわり1970年代後半から佐渡金山を忌避する世論が公然と噴出しはじめた。北米難民の人身売買の犠牲者が詰め込まれていると噂された貨物コンテナはとくに嫌悪され、佐渡港から金山エリアへのトラック輸送は深夜や夜明け前、人目に触れないように行われるようになった。


・佐渡島の一般の貴金属鉱山

佐渡金山ほど有名ではないが、佐渡島には貴金属鉱脈が20前後確認されていて、厳重に警備された佐渡金山エリアの外の鉱山は一般のロシア人移民たちが開発した。野放図な採掘で小山の形を崩したり、大量の廃土の投棄により農水産業関係者と紛争になることがあったが、悪名高い奴隷労働は無く現場では電化機械化が積極的に進められた。ブラッドゴールドの特徴(後述)も抽出された黄金に生じなかった。しかし、佐渡島の鉱業関係者はしばしば金山エリアへの関与を疑われ、海外渡航時にトラブルに遭った。


 ・佐渡金山エリア

佐渡金山はKGB鉱山国で最大の産金量を記録し、海岸部の街ごと他の地域から隔離状態におかれた。警戒エリアの面積は180km²近く(島の土地面積の1/5超)に達し、一般地図ではエリア全体が白紙にされた。


金山エリアの管理組織は委員会直轄の小組織で、人事予算の独立性が極めて高く、一般上級幹部や三部門の現場スタッフも内部の動きを知らされなかった。ところが金山エリアの管理組織の中でも、核心となる地下(金山)の担当グループは別格とされ管理はさらに厳重だった。こうした仕組みは大きさの異なる人形を入れ子にしたマトリョーシカに例えられた。KGB鉱山国→佐渡金山エリア管轄組織→地下施設/坑道担当部局と重ねることで佐渡金山の地下の秘密は確保されたが、非効率的で情報共有や組織の改善が難しく、のちに警備の穴や初動の遅れといった失態が表面化した。なお、ある著名な日本人作家は自分の代表作でKGB鉱山国を卵に例えて、極端な守りの堅さと閉鎖性。黄身(佐渡金山エリアの奴隷鉱山)と白身(ロシア人移民の島社会)のかけ離れた性格を巧みに表現したが、国内外のファンやメディアの評価はかんばしくなかった。


・未来技術

1960年代の一時期、KGB鉱山国は佐渡金山の発見と開発をソ連の科学技術の成果として宣伝し、共産圏の新聞雑誌に佐渡島の地下を掘り進む原子力エンジンのドリルマシンの想像図が流布した。また、ソ連は最新の資源探査衛星の打ち上げ計画を発表し、未知の巨大鉱山発見の期待を高めた。結局、未来的な原子力マシーンや第二の佐渡金山は姿をあらわさずいつしか忘れられていったが、騒動の影響は一部で尾を引き1977年1月末、日本人民政府は統治委員会に対して原子力マシーンや小型核爆弾の佐渡島地下での使用を問い合わせた。日本海に異常な地震波を観測し、佐渡金山地下が震源と推定されたためだったが、このときすでに奴隷鉱山の情報は公然の秘密となっていたことから、日本の地震学会関係者は世間知らずであると一般大衆や内外のメディアから嘲笑された。


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KGB鉱山国の軍事


佐渡島の軍事部門は、KGB国境軍総局から派遣されたソ連本土の精鋭の軽歩兵が主力で、小規模な航空戦力と中小型艦艇の海軍を擁した。


・KGB鉱山国の軍事力

兵力は40,000人。その内凡そ6,000人が佐渡金山エリアに所属した。以下はKGB鉱山国が保有した戦力。(( )内は金山エリア所属)


・警備軍が保有する装備一覧。

・陸上

 ・BTR‐40    ×50(10)

 ・BTR‐60    ×30(0)

 ・ZSU‐23‐4    ×14(4)

 ・2K12      ×8(0)

・航空装備

 ・MIG‐29    ×2(0)

 ・MIG‐23    ×2(0)

 ・Mi‐26     ×2(0)

 ・Mi‐8      ×5~10(0)

・海上装備

 ・クリヴァク3型国境警備艦 ×3(0)

 ・1400グリーフ設計国境警備艇×8(3)


・その他

佐渡金山エリアには、正規のものではない戦闘車両が50両前後存在したといわれる。代表はウラル‐4320トラックの荷台に対空機関砲ZU‐23‐2を積載したガントラックで、ウニモグに対空機関砲を積載したガントラック、ジルのZIL158を改造した装甲バス、車種不明の武装サイドカーなども目撃されている。戦時急造や戦地で改修されたような軍用車両が地上戦力に加えられていた理由は不明で、KGB鉱山国の金山エリア以外の地上部隊や海空軍にそのような装備はなかった。


・佐渡金山エリア

佐渡金山エリアには、地下坑道や鉱山関連施設の守備と治安維持のために独立性の高い6000人の兵力が展開したが、エリアの広さや重要性に比べて員数は過小だった。このため金山エリアの地上部隊は密猟者を狩る自然保護区のパトロール、あるいは刑務所の看守に似たものと評され、陸海の境界の警備はKGB鉱山国の主力に頼って境界線を外から監視・警邏する体制がとられた。これと対照的に金山エリアの中の主要施設や坑道出入り口の警戒は厳重で、地下に出入りする精鋭の武装兵はとくにまわりに恐れられていた。金山エリアの兵力を増強し、エリア内の山野や外周の警備を万全にしなかった理由は不明で、国籍不明のスパイ上陸、脱走奴隷や亡命者が山野に潜む事件が発生しても改善されなかった。


・謎の軍隊

金山エリアの過小な兵員への説明として、非公式の秘密兵力と超人的精鋭という二種の噂が流れた。秘密兵力の最初の噂は多国籍の消耗部隊で、共産圏の重犯罪者や戦災難民を軽歩兵に仕立てて使い潰しているといわれた。1970年、実際に脱走兵を自称するグループがオーストラリアに現れてKGB鉱山国の非人道性を訴えて話題となったが、まもなく反ソ反共テロを煽動する極右組織が用意した偽者と判明した(キャンベラの黄金の軍隊事件)。その後も、影の軍隊の噂は日本人ニンジャ部隊などたびたびかたちを変えて流布し、1970年代終わりにコリアスタンの軍人が佐渡金山エリアで確認されたときにはまじめに目撃情報を評価する西側専門家は少なくなっていた。


もう一つの超人兵士の噂は、金山エリアの警備兵力の不足は一騎当千の能力で補われているというもので、オーストラリアン・コミックの超人ヒーローをモチーフに興味本位な内容が流布した。しかし、のちに海外のテロ事件に派遣されことをきっかけにして、佐渡金山に地下戦闘専門の特殊部隊が実在したこと明らかになった。


・G013特別警備旅団

金山エリアの特殊戦闘部隊のひとつ。仮面の暗殺者が地底の闇から忍び寄るとして、英豪のアクション映画や軍事スリラー小説に取り上げられて蝙蝠、闇の蛭などのあだ名もつけられた。公表された実戦部隊は100人。旅団規模ではなくG013の呼称も撹乱のための無意味な記号と数字だった。メンバーは本土で選抜されたロシア人で必ずしも屈強な体格ではなかったが、地下施設や坑道の作戦活動に特化して高温多湿、暗所・閉所、空気の汚染、孤独に長時間耐える者が集められた。全員、軽業師や軟体芸人めいた隠身接近術を習得していたといわれ、海外の事件では都市の下水道網や地下鉄構内、占拠された刑務所施設でも戦果をあげた。


最大の特徴は怪異なスタイルで、暗色のドーランを塗った半裸に戦闘ベスト、怪物めいたゴーグルと鉢金が有名。海外にすがたをみせたときオーストラリアン・コミックそのものの姿が注目を集め、暗闇をフクロウのように見通し、つねに単独行動でナイフ戦闘を好む等、誤ったイメージが流布した(実際にはマシンピストルや散弾銃を装備し、チームで活動した)。『ノーモーションの凄まじい投げナイフ』は、海外の反ソ反共テロを解決した際にある種の伝説になったが、これものちにブレードを射出できる特殊な戦闘ナイフを独自開発していたとわかった。ソ連軍はこのナイフの威力を認めて、特殊部隊の装備に再設計したものを採用した。


・その他の部隊

G013特別警備旅団は『ツェーピ』と呼ばれる特殊な警備隊に所属するとされた。ほかに闇と坑道に特化した戦闘犬部隊、トロッコをカスタマイズした小型装甲列車、液体空気のカートリッジ散弾を武器にする冷却剤放射器チーム。軌道走行できる武装サイドカーや自転車部隊が存在したといわれる。反ソ諸国の軍事専門家は、未確認の鎖部隊のほとんどを実在がきわめて疑わしいとして真剣に取り上げなかった。その理由は映像などの証拠がなかったことと、かれらの仮想敵の暴徒化した奴隷鉱夫、鉱山に侵入する少数の工作員のふたつに対して、奇抜な特殊装備を開発し、戦闘チームを何種も編成する必然性がなかったからだった。


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佐渡金山と黄金奴隷


KGB鉱山国の発表によると、1964年の本格採掘から1990年までの凡そ25年間に佐渡島が産出した貴金属は金165トン、銀1200トンに達した。佐渡金山はその8割以上を占める異常な産出だった。第三次大戦末、北米核攻撃で莫大な黄金が失われたことで、貴金属の価値は信じられないほど高騰した。その戦後世界にまったく新しい鉱脈として佐渡金山は登場し、ソ連のアンドロポフ政権に巨大な資金と国際金取引への影響力をもたらした。


・血の黄金

佐渡金山の黄金は、特定の人工光線の下でブロンズレッドの反射光を帯びた。赤光の原因は不明で、スイスの研究機関は未知の元素を含有するという仮説をたてている。「ブラッドゴールド」という不吉なアダ名がつく一因となった。


 ・佐渡金山の奴隷

佐渡金山の地下の奴隷労働は、1970年代に世界的に噂が広まりブラッドゴールド、佐渡金山送り、地獄金山、生贄島、死の奴隷、黄金の奴隷など。反ソ宣伝で使われた幾つかの言葉はそのまま一般社会に定着した。


・ 佐渡島の重労働(強制労働)

強制労働そのものは第三次大戦末からみられた。欧米系の戦時捕虜が中心で、東京陥落後東南アジアや太平洋諸島、アラスカ方面の戦地から日本列島に後送され、その一部がソ連軍からKGB鉱山国へ引き渡された。戦時捕虜の中に佐渡金山に関わったものは一人もいなかったと言われ、もっばら開発の遅れた平野部で道路や水道、送電網の整備、家屋建設、空港拡張工事に従事した。捕虜がトラックやバス、建設土木機械を任される場面は珍しくなかった。佐渡島の西側捕虜は最大10,000人いたといわれ戦後2〜4年島で過ごした後、不幸な傷病者以外、ロシア人の佐渡島移民と入れ替わりに全員帰国した。同時期のアイヌスタンやソ連本土で捕虜虐待や不審死、極端な拘束の長期化がみられたのとは好対照で、のちに帰還捕虜たちは佐渡金山の死の奴隷の噂が流れると、当初信じがたいとして疑問を投げかけた。


・黄金の奴隷

悪名高い佐渡金山の鉱夫は死の奴隷とも呼ばれる人身売買の犠牲者で、海外で自由を奪われて地下坑道に送り込まれた。しかし、過酷な肉体労働よりも遺体のみつからない奇妙な最期(神隠し)で知られ、おびただしい人間が地下へ降りたまま消息を絶った。

黄金の奴隷は佐渡金山エリアの中にだけ存在した。ひとたび地下で作業に従事したものは、専用収容施設と金山坑道を行き来する生活を繰り返し、ふたたび外部に脱走できたものは一人もいなかったと信じられている。このため今日知られている佐渡金山の地下や黄金の採掘の情報は、地上労務専門の別グループの脱走者がもたらした断片的伝聞、あるいはKGB鉱山国やソ連、ドイツなどの亡命者が何かの機会に目にした報告書や参加会議で得た情報に限られる。非常に多くの不明の点があり、プロパガンダや悪意ある情報操作、創作物のイメージが混ざり、現実離れした不合理な話や互いに異なるいくつもの話が広められた。


・KGB鉱山国の主張

KGB鉱山国は佐渡金山の地下の奴隷労働や不審な失踪、国際的な人身売買への関与を全面的に否定している。佐渡金山は世界最高水準の電子化・機械化された鉱山で、身元が確かで専門技能をもつロシア人が勤務していると主張している。しかし、これまで佐渡金山とはっきり確認できる現場写真、テレビ映像が公開されたことは無く、そこで働くというロシア人鉱夫や技師がメディアにすがたを見せたこともない。佐渡金山の映像報道そのものが、機密保護とテロ対策を理由にして1978年のアンドロポフ来島のニュースを最後に共産圏では絶えてしまい『人道的かつ合理的運営が行われている』が広報官の決まり文句となった。


・人身売買

わずかな例外を除いて、佐渡金山の黄金の奴隷とよばれた人々は元合衆国国民の戦災難民とその子弟で、国際的人身売買の犠牲者と信じられている。いわゆる白人が多かったが黒人やヒスパニック、東洋人、ネイティヴアメリカンも混じり、比率はしばしば変わった。かれらは北米の新興国のスラムや紛争地、アジア・太平洋の難民キャンプに暮らしていたものが、誘拐や債務奴隷、紛争捕虜などさまざまな経緯で拘束されて、現代の奴隷船といわれる偽装貨物船の大型貨物コンテナ、遠洋漁業の大型漁船の船倉で海路を運ばれた。人種や社会的地位、学識、専門技能、宗教はほとんどの場合無視された。途中、ハワイ諸島近海や南シナ海において、司法当局の捜査や海上事故をきっかけに船の正体が暴かれた事例がいくつかあり、犠牲者たちの扱いは一様にきわめて悲惨なものだった。ただし、KGB鉱山国(佐渡島)を目的地にした船舶で犯罪事実が確認されたことは無い。周囲のソ連陣営諸国は人身売買を容認していないため、とくに入念に偽装して移送を繰り返したと想像されるが、コリアスタンで政変が起きた1970年代にルートを再編。コリアスタンが諸外国の非難を無視して公然と人身売買の船を受け入れ、コリアスタン→佐渡島直通便の船舶に多数のコンテナを積み込むかたちにかわった。コリアスタンから佐渡島への低賃金出稼ぎ労働者の派遣、生活雑貨の輸出の貨客船に便乗させたのだが、コリアスタン兵士が必ず乗り込んで船を警備したため、黄金の奴隷が暴かれることはなかった。


・佐渡金山地下

黄金の奴隷は、警戒エリア内に常時30,000~40,000人いたと推測され地上の強制収容施設から迷路のような薄暗がりの作業現場に送り込まれた。ひとたび地下で作業に従事したものは厳しい監視下に移されて、地上勤務者にもどされたり一般社会に脱走できたものは一人もいなかったと信じられている。奇妙なことに地下の電化や機械化は一部分にとどまり、人々はろくな訓練も指導もなしに、ツルハシや手押し台車といった単純な道具を与えられて奇妙な黄金の採掘(後述)や坑道の延伸・整備、土砂運びをさせられたといわれる。


【※以下は根拠となる資料の提示が不十分です】

地下の肉体労働につく者はノルマや懲罰、劣悪な作業環境に苛まれたが、もっとも恐れられたのは異常な頻度の行方不明だった。 佐渡金山の地下に入るようになった黄金の奴隷は最短で二週間。平均3~4年でほぼ例外なく変事に襲われた。地下を歩いていると、いつの間にかひとりだけ集団からすがたが消える、ひとつの作業現場からわずかの間に十数人全員いなくなる。さらにはトロッコで移動中、坑道の奥へつくまでに二十人以上姿を消すといった「神隠し」が繰り返し起きたのだ。だが、KGB鉱山国の管理者は、鉱山出入り口の警備を固めるだけで失踪者を探そうとせず対策もしなかった。佐渡金山の坑道は地下深く総延長300キロを超えたともいわれるが、どれほど失踪が続いても行方不明者の遺体が地下で見つかることはなかった。


はっきりした数字はないが、地下で消息を絶った黄金の奴隷の総数はある推測では25年間で15万人に達したといわれる。KGB鉱山国の関係者は、この異常な数字こそが奴隷労働が荒唐無稽なフェイクである証だと主張し、これほどの人数が地下から帰らなければ佐渡金山の坑道は死体で埋め尽くされ、疫病の巣窟になると反論した。


・カナリア

あまり知られていないが、黄金の奴隷は二つのグループにわけられた。佐渡金山の地上に留まって炊事、洗濯、清掃、医療看護、営繕修理など支援作業に就くものと地下坑道に送り込まれるもので、前者はいつしかカナリアと呼ばれるようになった。収容施設の人員全体の二割弱(5000~7000人)で、旧合衆国への愛国心や郷愁、反共反ソ意識が弱いものが選ばれた。判定の手段として、しばしば星条旗が持ち出されてふみにじる・燃やす・引き裂く行為が強要されたという。


佐渡金山の地下坑道や地下に出入り可能な施設、中枢、主要インフラに比べると、それ以外の地上施設は警備が手薄なところが多く、カナリアの奴隷たちがいた収容施設や作業場も警備や監視が比較的ゆるかった。敷地外の山野に逃げ込んだり貨物コンテナに潜むなどして脱走を成功させる者が時折あらわれ、黄金の奴隷から監視の目を盗んでメモなどのかたちでえた情報が、脱走者によって外へ持ち出された。さらにカナリア脱走者の消息は、新たに入山させられた犠牲者から伝わることがあり、黄金の奴隷たちが反抗心を失いかけたとき、しばしば気力を取りもどすきっかけになったという。


 ・佐渡金山の地下の情景

噂話に近い情報が伝えられているが真偽は確かめられていない。主な話を抜粋すると『主要な坑道は一定深度を超えると複雑な石組みにかわりトンネル道路か空の地下水路のようだった。あるときソ連兵は武装トラックを走らせたが路面はビクともしなかった』『地下坑道の天井断面はアーチで、黒い木の柱が肋骨のように続いていた』『坑道はノミで掘り抜かれた狭い通路で、水害後のトンネルや地下街を復旧するようにつまっている土砂を掘り返して整備した。土砂の無い箇所も珍しくなかった』『よく木の皮やウロコに似た低品位の金や銀のカケラが土砂に混じって見つかった』『金銀は壁や天井にまるで苔やカビのようにうすくこびりついて、簡単に描き削ることができた』『金や銀が鐘乳石や石筍のように取れた』『あるとき、地上の収容施設におびただしい数の負傷した奴隷が担ぎ込まれ、何人かは黄金や純銀(と思われる金属塊)でギプスのように体の一部を固められていた。警備兵にも混乱があり、何人かのカナリアの奴隷が彼らだけで救急救命を行い負傷者と話し込んだが、その後全員連行された』『地下深くには、石の壁や床を自由に突き抜ける蟹や鰐ににた黒い怪物たちがあらわれる』 (順不同)


・ライブラリーレポート事件

1988年、英国と南アのシンクタンクがKGB鉱山国の佐渡金山の実態を分析した調査報告で「鉱石採掘の実態はない」と結論した。


ライブラリーレポートと呼ばれた報告書のベースはKGB鉱山国とソ連の公開情報と、他国の鉱山運営の実態であった。プロパガンダや噂、脱走者、亡命者がもたらした真偽不明の伝聞、断片的証言は可能な限り排除し、例外的にドラゴンバード事件(後述)の公開写真を分析に用いた。かれらが最も重視したのは廃土(坑道の排土と精錬後の鉱石クズ)だった。とくに後者は、通常であれば数グラムの金を抽出するたび1トン前後の割合で、黄金の増産に比例して爆発的に増えるはずだった。しかし、佐渡島の地表を精査して廃土の山、沿岸部の埋め立てなどから算出できた総量はきわめて少なかった。ライブラリーレポートは佐渡金山の不自然さを「小麦を100袋収穫しながら、麦わらは10束しか出なかったと言い張るようなもの」と述べた。


また、世界を驚嘆させる金産出量に比べて、佐渡金山の貯鉱施設や精錬施設は能力過小で配置に合理性を欠くと評価した。その一方で、一時期KGB鉱山国が存在を主張した「地下の先進的精錬施設」や「革命的な貴金属抽出技術」はフェイクと断定した。ライブラリーレポートはさらに、ソ連本土で佐渡金山の貴金属鉱石が精錬されている可能性を、輸送コストや日本海の船舶の動き、佐渡港の貨物取り扱い能力からみてありえないと論証した。結論は、佐渡金山エリアは自然鉱の採掘を行っていないというもので、仮説の一つとして「金銀の含有率が40%以上の何か」が掘り出されているなら、佐渡金山の莫大な黄金の産出と現地の実態は両立するとした。


地下の奴隷労働、異常な未帰還者の真否を取り上げず、佐渡金山の異常性を「土」に注目して論考したライブラリーレポートは重要だったが、発表後、補足資料の一つが大問題となった。レポート本論が「金銀の含有率が40%以上の何か」とした採掘物を、問題の補足資料は「過去の人工物」とし、佐渡島には未知の地下遺跡があり古代の金貨や宝飾品、建築装飾がソ連に消費されている可能性が高いと明記した。執筆者が参照したのは「中世のドル」といわれた東ローマ帝国の金貨で、同国は経済的繁栄を支える金貨をエジプトから輸入した黄金でつくった。黄金の出処は古代エジプトの遺跡で、中世のドルの発行は古代エジプトが数千年かけて蓄えた黄金を都市鉱山ならぬ遺跡鉱山(墓所)から掘り出すことで成り立っていたのだ。


補足資料はこの関係をソ連とKGB鉱山国に当てはめ、ソ連は覇権を支える黄金を金鉱山に偽装した地下遺跡から得ている想像したが、ライブラリーレポートの本論とは対照的に何も具体的証拠がなかった。しかも、一部マスコミの注意をひいて不必要にクローズアップされたことから、一般社会でレポートそのものの最終的結論のように印象付けられた。KGB鉱山国と背後のソ連は金品を漁る墓泥棒で、盗掘で国を支えていると反ソ宣伝活動に使われたのである。KGB鉱山国やソ連は荒唐無稽で根拠がないと反論したが、意外なことに反ソのイギリスからもレポート補足資料への非難が噴出した。東洋史の専門家は佐渡金山の古代地下遺跡を幻想と断言し、佐渡島は人口の少ない僻地だったこと。巨大地下遺跡を作り得る国家組織や指導者の痕跡が、古代のアジア・太平洋の如何なる史料にもなく、神話伝承すら皆無だと膨大な歴史資料から証拠立てた。


批判派のイギリスの歴史家の一人は『佐渡金山の地下で悪魔的な錬金術が行われている』と、この時期に流布した怪奇小説じみた噂を引き合いにして、地下遺跡説を病的妄想と酷評し、執筆者を大衆の歴史観を歪める扇動者と名指した。その結果、ロンドンでは個人的で感情的な中傷合戦が展開されることになり、ライブラリーレポートそのものの評価を下げることになった。


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KGB鉱山国の周辺国と国際事件


・日本人民共和国(首都・大津)

第三次世界大戦中、ソ連の侵攻に敗れた東亜日本政府の後継国家。火山性列島のアジアの後進国で、1980年代になっても電気ガス水道や電信電話網は、主要都市と工業地帯、駐留軍基地周辺以外ほとんど普及が進んでいなかった。戦後の天皇の太宰府幽閉事件と、佐渡島の黄金のふたつの問題のために反ソ反政府感情がきわめて強い。


日本人民共和国はアイヌスタンとKGB鉱山国の成立で領土が縮小し、戦前の貿易関係が崩れたことで経済も弱体化した。たよりにしたのは海外の出稼ぎ労働者からの送金で、年間150万人〜200万人がソ連やドイツ、東欧へ渡航した。国内では駐留ソ連軍基地が地域経済の核になり厚木や横田、横須賀、対馬、佐世保、沖縄に大小の基地経済圏が出現。軍需や兵士の給与をあてにした食品や消耗物資の製造販売、生活サービス、住宅、風俗観光産業が盛んになった。

日本人民共和国の海外送金と基地経済への依存は年々強まり、後年のソ連内戦のさい大きな経済的打撃を被った。


 ・KGB鉱山国とソ連に対する日本世論

第三次世界大戦後、佐渡島の巨大金山発見の報道は日本人に大きな衝撃を与えた。近世近代の日本は貧しさに苦しみ、第一次大戦後についに莫大な負債をかかえて米英の属国となった。だが、早くに佐渡金山の黄金を手にできていたなら徳河幕府の破滅的財政は緩和され、後継の明治新政府の巨額の債務や海外への利権譲渡・領土の売却を避けられた可能性があった。それだけに戦後日本では佐渡金山の本格稼働後、全国で抗議運動がわき起こり一部は都市暴動に発展した。『父母、祖父母さらにその先祖。あらゆる同胞の苦難と屈辱はたまたま金山を見つけられなかったせいか。だとしたら先祖に子孫に「今」を何と言い訳するのだ。黄金が掘り出されて持ち去られるのを黙って見送るのか。』(「あけの琵琶湖」事件の檄文)


日本人の憤激は大きかったがさまざまな事情で地方の連携がとれず、有力な指導者も武力もなかったため、国政をゆるがす政治運動に発展しなかった。また、KGB鉱山国とソ連は、佐渡島の資源開発についての再交渉を断固拒否した。


 •「りとーさん」

KGB鉱山国からの亡命者や脱走者は、日本人民共和国に逃げ込むと「りとーさん(人名の“ いとう”に酷似した発音)」の隠語で特別視されて、民衆から有形無形の支援を受けることがあった。逃亡幇助の反政府組織が存在したわけではなく、援助者たちは自然発生的に集まって金山エリアの秘密が暴かれることを望んで手をかした。代表的パターンは第三国の大使館や貨物船にひそかに送り届けられるものだったが、なかには下級官吏や民間人にリレーして庇護されながら、一年近くかけて列島を縦断した逃亡者もいた(→関連項目『ビリーの24の扉(グアム難民キャンプから拉致された元難民の少年の手記)』)


・コリアスタン(首都:ソウル)

朝鮮半島の親ソ新興国家で、のちに高麗人民共和国とも名乗った。社会の後進性と閉鎖性が深刻だった。


コリアスタン独立の背景にはソ連との密約があったとされる。同国を早期に連邦構成国に加える構想(ソ韓併合)で、指導部の朝鮮人たちは元武装ゲリラやテロ組織の幹部で政治経験はほとんど無かった。しかし、大戦初期に佐渡島を急襲された日本があっけなく打倒されたことから、コリアスタンがあてにしたソ連の開発官僚や民生部門の技術者組織、援助資金などは大部分が日本列島(日本人民共和国、アイヌスタン、KGB鉱山国)に流れた。戦後、ソ連は釜山などの軍事基地と主要な鉄道をおさえると密約を反故にして、コリアスタンそのものへの関心を低下させた。同国指導部は、人材不足と経験不足を繕うように情報統制と厳罰主義、最高指導者の個人崇拝を進行させた。


 ・KGB鉱山国とコリアスタン

KGB鉱山国とコリアスタンのつながりは1970年代以降急に深まり、最貧国コリアスタンは国際的な非合法ビジネスで悪名を広めた。北米・東南アジアにまたがる犯罪ネットワークを取り仕切っているのはコリアスタンと噂されるようになり、ヨーロッパやオーストラリアでは朝鮮人マフィアを悪役にしたアクション小説やギャング映画が人気を呼んだ。


KGB鉱山国とコリアスタンが関係を深めた経緯はよくわかっていない。転機は1972年のコリアスタン指導部の交代といわれ、前年に突然、高麗人民共和国を名乗り共産中国との連携を打ち出したコリアスタンは、詳細不明の政変で最高幹部が失踪してふたたび親ソ姿勢に転じた。このあと疎遠だったKGB鉱山国と急接近し、佐渡島コリアスタン間の直通定期航路と定期空路が相次いで開かれた。


コリアスタンがKGB鉱山国向けの人身売買ビジネスに深く関与すると、北米や東南アジアから佐渡島に向かう遠洋漁船や貨物船など偽装奴隷船は、朝鮮半島の港に一旦「荷下ろし」するようになった。国際的な非合法ビジネスのために、コリアスタン政府は大小28もの収容施設を建設して巨額の利用料や手数料(金塊)をえた。さらに優良な奴隷は最終的に同国の貨客船に載せ替えられて佐渡島の佐渡港へ運ばれた(のちに金山エリアの港へ直送するルートも生まれた)が、病気や怪我、年齢、定期便の定員超過などを理由にコリアスタンに残された者は、同国の農場や工事現場で酷使された。また、コリアスタンは人身売買ルートを利用して自国製の小火器や対人地雷、ドラッグなどを北米の紛争地帯へ輸出した。


 ・ジョイ・ラック・チーム

コリアスタンの有名なダンスグループで、1970年代後半から国家行事で見事な踊りを披露するようになった。最大の特徴は、メンバー全員が白人の美女美少女だったことで最盛期に150人にもなった。彼女たちの素性は戦後コリアスタンに残留した米英系市民の子女と説明されたが、コリアスタン指導部へKGB鉱山国、あるいはその影響下の人身売買組織が選りすぐった北米難民とその子女だと考えられている。


 ・低賃金労働者

コリアスタンの低賃金出稼ぎ労働はKGB鉱山国との関係強化ではじまり、1980年代後半に年間1万人を超えた。ゴミ処理や清掃はコリアスタン出稼ぎ労働者が担い、彼らを運ぶバスやトラックの行き来が街で日常化した。反面、ロシア人島民との交流は少なく、佐渡市近郊につくられた複数の朝鮮村(フェンスで囲われた倉庫群)で彼らだけで暮らした。コリアスタン労働者は佐渡金山エリア(地下坑道)にひとりも派遣されなかったといわれる。


この点について「佐渡金山の地下に求められるのは “敗北した敵” だ。敵国の血肉だ」という奇妙な発言が一時広まった。1989年末、国際会議に参加したコリアスタン最高指導者の失言だが意味不明で、有力国はほとんど注目しなかった。


 ・秘密兵力

KGB鉱山国へ派遣されたコリアスタン人労働者には監視員が随行した。1984年に公表された亡命コリアスタン人の元高官の手記によれば、コリアスタン軍の精鋭部隊がKGB鉱山国の黙認で労働者や監視員に紛れ込んで入島し、1982年までにコリアスタン兵士が駐留する拠点が金山エリア内に二箇所、秘密裏に築かれた。 一箇所あたり最低200人規模で、海岸部の拠点の隠蔽された洞窟桟橋にはコリアスタン海軍所属の小型潜水艦が配備されたという。


コリアスタンの佐渡金山部隊は、暗躍する秘密兵力として西側メディアや小説・映画などに取り上げられた。しかし、KGB鉱山国とコリアスタンは疑惑を否定し、反ソ陣営の多くの軍事専門家も疑問を示した。KGB鉱山国がコリアスタンから兵員を求める必然性は無く、部隊の具体的任務、とくに小型潜水艦の意図も不可解だった。このため秘密基地発言は捏造、乃至はニセ情報を何らかの目的で信じ込まされたと評された。


・アイヌスタン

第三次世界大戦中、東亜日本から分離独立した自治共和国でソ連の連邦構成国に直ちに加えられた。南樺太と北海道、東北地方の北部が領土で宗谷・津軽海峡を狙ったソ連に対する事実上の領土割譲だった。


当初、アイヌスタンの政治経済の実権は駐留ソ連軍司令部が握ったが、ロシア人が大量に移民するとロシア系アイヌスタン人が主導する政府が作られ、駐留ソ連軍と新政府の間に対立が生じた。大きな問題になったのは北海道と東北を分断する津軽海峡で、駐留ソ連軍の軍事施設と軍のさまざまな活動が民間航空や海運、土地開発、地元漁業を妨げていた。ロシア人移民の政府と駐留ソ連軍の間のいざこざは、のちにアイヌスタン駐留ソ連軍基地を、アイヌスタン政府のロシア人歩兵部隊と警察部隊が取り囲む騒動に発展した。


アイヌスタンに名を冠するアイヌ人たちはこうした抗争と距離をおき、政府主導の文化復興と地位向上活動(法整備や企業育成、教育文化事業など)に熱心に取り組んだ。反面、戦後日本人は苦境に立たされるものが多く、とくに北海道の日本人(和人)はそれまでの軍や警察、米英系資本の後ろ盾を無くし、ロシア人移民に土地財産や農林水産業や畜産業、鉱業の利権を奪われた。凋落した和人集団の中にはアイヌ人からの報復を恐れて本州へ去るものもあり、そのまま相当数が南下して人民共和国領へ流入しようとしたことから国際問題化した。


・旧合衆国(アメリカ連邦、テキサス自由国ほか)

合衆国壊滅後、世界経済は1/20に縮小したといわれたが、ソ連は戦後の北米復興に関心を示さなかった。戦後三〜八年間、ソ連軍は被害が少なかった北米都市や基地を占領したが、武装解除や戦時賠償金の名目で組織的な略奪行為に力を入れ、一部地域ではアメリカ人科学者や技術者を拉致する特殊作戦も行ったといわれる。その過程で、進駐ソ連軍は活動を妨げる旧合衆国の残存政治組織や軍集団、難民キャンプを攻撃し、復興の芽をつんだ。


KGB鉱山国は、旧合衆国諸勢力(分裂した後継国家や無法地帯に割拠する武装組織、宗教コミュニティ)との間に公式の外交通商関係を結んでいなかった。反共反ソ感情が北米に根強かったためだが1970年代前半から、北米全域にブラッドゴールドの金粒や延べ棒が大量に出回って通貨のように使われはじめた。北米で多発した紛争でソ連製自動小銃やロケットランチャー、手榴弾、対人地雷、さらに統一ドイツ製トラック(ガントラック)は絶大な力を発揮した。また、戦後アメリカの有力勢力は、荒廃した都市や産業施設の廃墟を金属スクラップの鉱山にして資金を稼いでいた。海外との取引は死活問題であり、KGB鉱山国の黄金は受け入れるしかなかった。前後して、北米にロシア系犯罪組織が勢力を広げて誘拐や債務奴隷、紛争捕虜などさまざなかたちて自由を奪った犠牲者を太平洋をまたいで佐渡金山に送り込むようになった。


 ・北米核難民のアジア拡散

1960年代半~1970年代前半、共産中国の働きかけと残存米海軍・民間人団体の懸命の努力で、北米から大規模な難民集団がアジアへ渡った。スクラップ扱いの廃船を改造して海を渡った個人や集団も見られ、ある推計ではこのときの大移動は2000万人を超えた(カナダ、メキシコからの出発者含む)。途中で天災や事故、病気や飢餓で命を落とすもの、犯罪者の犠牲になるものも少なくなかった。


アジア太平洋に渡った北米難民の一部は共産中国に迎えられたが、多くのものがフィリピンやグアムを中継地にして東南アジア諸国やオセアニアに移り住んだ。しかし、オーストラリア・ニュージーランドは1972年に北米難民の受け入れ厳格化(事実上の拒否)に転じ、行き場をなくした人々はアジア各地の港湾都市、米軍基地の内外にスラムを形成した。

人身売買組織はアジアに渡った北米難民にも目をつけ、各地で毎年十数人〜百人単位の行方不明者を生み出した。現地人の犯罪組織が実行を請け負うパターンが多く、ブラッドゴールドが報酬にされたという。


・共産中国

第三次世界大戦後、中国共産党は中国大陸の統一を宣言したが、満州(通称・未回収の中国東北部)の権益をめぐってソ連と中国は激しく対立した。中国指導部はソ連の核戦力と先端軍事技術に対抗するため、元合衆国軍人や科学者、技術者に目をつけて北米難民を国内に迎え入れた。かれらは 300万~500万人に達して中国軍の近代化に深く関わり、中ソ限定核戦争のさい義勇部隊を編成してソ連軍と直接交戦した。


KGB鉱山国は共産中国と対立し、コリアスタンの中国からソ連側への再転向は、鉱山国が間に入ることで実現した。これに対して、中国指導部は中ソ限定核戦争の際、佐渡金山破壊を計画して、水爆のミサイル二発を照準したといわれる。


・ドイツ社会主義連邦共和国(首都:ベルリン)

通称、統一ドイツ。第三次大戦後、東ドイツが西ドイツ全域を併合し、デンマークとフランスの一部を領土に加えて成立した。戦後、ソ連の核の傘のもとで驚異的経済と技術革新を成し遂げて、世界中に工業製品の輸出攻勢をかけた。


KGB鉱山国と経済大国ドイツの公的関係は形式的で、二国の貿易規模もごく小さかった。だが、ドイツの影の政府といわれたシュタージ(国家保安省)はKGB鉱山国上層部と深くつながっていたと言われる。佐渡金山の地下戦闘部隊の海外派遣は、アフリカのドイツ系資本が巻き込まれた人質テロ事件解決のために実現した。また、戦後のシュタージは世界最大の経済スパイ機関の異名で知られ、KGB鉱山国の秘密に対して重大な関心をよせていた。島内に複数の隠れ家をもうけて関係各所を監視し、北米やフィリピンの人身売買組織、コリアスタンに諜報員を潜入させたといわれる。


・話題になった国際事件


 ・NN問題

NNはニッポニア=ニッポン「トキ」を指し、第三次世界大戦後に異常繁殖したトキによって日本人民共和国の北陸地方を中心に生じた鳥害の総称。アイヌスタンの民間航空機の墜落事故によって国際問題になった。


第三次大戦終結からしばらくして、それまでと違った性質のトキが確認されるようになった。羽毛の赤味が強く攻撃性を増した群は急速に生息域を広げて、1975年までに新潟平野の異常トキ群は推定十万羽を超えた。新潟市と近隣の市町村では連日、攻撃的なトキとカラスの群れ。あるいはトキ群同士の争いが目撃された。また、トキの被害は新潟平野から中部地方、北関東、東北へ拡大し、通行人や車両、家畜への襲撃も続出した。最も恐れられたトキ被害は航空機との衝突バードストライクで1974年4月5日、アイヌスタンの民間ジェット旅客機が日本海へ墜落し、乗員乗客148名が犠牲者となった。


1974年9月、日本人民軍が中心となり、トキの広域駆除作戦が新潟平野で実施された。対空機関砲やロケット弾まで持ち出されたことから海外メディアに「トキ戦争」と揶揄されたが、異常個体群の駆逐には至らなかった。日本人民共和国の科学アカデミーは、この駆除作戦とともにトキの生態調査に取り組み、1975年12月、異常個体の発生源をKGB鉱山国(佐渡島)と結論した。しかし、KGB鉱山国はトキ異常種の島内の発生、鳥害を否定し続けてトキ調査団の入島も一切受け入れなかった。



 ・プルガサリ事件

1977年2月~4月にかけて日本海で正体不明の首長竜ににた巨大生物が目撃され、最終的にコリアスタン海軍に倒されたとされる事件。同時期に日本海で多発した船舶事故との関連が噂された。船舶事故は、日本海の漁船や貨物船が正体不明の物体と海上で衝突して船首や船底を損傷したというもので、短期間に10件以上発生した。執拗な追跡を受けて船体が大破したとするケースもあった。事件発生は日本列島寄りの緯度40度以南経度140度以東の海域に集中したが、極東ソ連やアイヌスタン、日本人民共和国政府の関係機関は事故情報を共有しておらず当初は異常を認識しなかった。『海竜』の目撃証言もまともに相手にされず記録に残されなかったばかりか、飲酒や薬物乱用の疑いで報告者の漁民や見張り船員が捜査をうけた。


1977年4月2日、コリアスタン政府は海軍所属の羅津級フリゲート元山が日本海を航行中、正体不明の黒い巨大生物に襲われたと発表した。コリアスタン当局者は巨獣をプルガサリと呼称し、フリゲート艦を執拗に狙い、なかなか銃砲が通じなかったためにフリゲート艦は船腹や船上構造物に大きな損傷を生じたと述べた。


コリアスタンの発表では謎の黒い巨大生物は元山の砲撃で討伐されたが、戦闘時の証拠写真は不鮮明で怪物の死骸は回収されていなかった。また、政府発表にはフリゲート艦の航行目的、交戦海域の正確な位置、詳しい経緯などにいくつか不明瞭な点もみられた。ねつ造説が一時ささやかれたが1977年4月25日、今度は日本人民共和国のトロール船「瑞洋丸」が日本海で操業中、巨大な腐乱死体を引き上げた。トロール船はプルガサリの情報を知らず、全長10メートルを超える腐敗した死骸を扱いかねて再び海に投棄したが、帰港後にカラー写真や死骸の断片を当局に提供している。


瑞洋丸の発見はコリアスタン政府の発表を裏付けるものと注目され、不可解な船舶事故が途絶えたことから、日本海沿岸の住民や船乗りは海竜は実在して討伐されたと受け止めた。しかし、公式に海竜の存在を認めたのはコリアスタン政府だけだった。先進諸国の多くの専門家は、プルガサリがフリゲート艦の25mm30mm連装機関砲の至近弾で傷つかなかったという発表に不審をもち、元山乗組員の集団ヒステリーや蜃気楼、岩山の誤認説がささやかれた。瑞洋丸がみつけた巨大な死骸に関しては、無関係な大型のサメやウバザメという説明が有力視された。


プルガサリ事件において、KGB鉱山国はほとんど動きを見せなかった。海竜死骸の広域捜索、写真の真否論争にも関心を示していない。事件前年、佐渡金山の産金は過去最高を更新し、さらなる増産のために海底への大規模な坑道の延伸、海上からの海底資源開発が計画されていた。しかし、プルガサリ事件が終結したころから動きが聞かれなくなり立ち消えとなった。とくに海底掘削の中断は理由が不明確だったことから、もともとKGB鉱山国が金取引の撹乱を狙った架空の開発プロジェクトで、プルガサリ事件の騒動で世間の注目がそれてしまい、狙ったインパクトを生めなかったために放棄されたという話が生まれた。オーストラリアやブラジルの有力メディアが一時さかんに報道したが、KGB鉱山国は一切コメントしなかった。


 ・ドラゴンバード事件

1984年2月、国籍不明の超音速機が日本海に飛来した侵犯事件。漆黒の所属不明機は中国大陸の奥地からあらわれ、マッハ3という異常な速度で飛行。高度1万メートル以上から佐渡島近海で一時降下し、太平洋方面に飛び去った。のちにハワイ諸島近海で無人の残骸が見つかったが、爆破処理されて証拠収集は困難だった。その後、謎の黒い極超音速機は旧アメリカ合衆国の戦略偵察機SR‐71の改造機ないしは精巧なコピーと判断された。


問題の機体はオリジナルより尾部を延伸して偵察機器を増設し、その外観からドラゴンテール・タイプと呼称された。しかし、第三次大戦後もSR-71を運用した国は無く、稼働機はどこにも存在しないはずだった。また、問題の機体の発進地点は中国奥地よりさらに南西とされたものの特定できず、候補地はインド領内、インド洋の島、東アフリカときわめて広範囲だった。侵犯から約一年後、KGB鉱山国と佐渡金山の航空偵察写真が突然、世界各地にばらまかれた。送付先は資源開発の有力企業や大学、研究機関、軍事経済分野の専門家、通信社などで親ソ反ソの区別はなかく、受け取った者が公にしたものだけで複写は186部に達した。また、いずれも大まかな補正や分類整理、地図情報とのすり合わせが済まされていた。


KGB鉱山国の秘密情報を暴露した勢力の目的は、ソ連のアンドロポフ政権の威信低下と考えられ、謎の偵察機とその黒幕の正体があらためて関心を集めた。超大国を挑発した犯人はついに特定されなかったが、最有力容疑者はイギリスで多くの関係者がインド、サウジ首長連合国などと組んで秘密作戦を実行したと考えた。

これを疑問視する人々は、SR‐71が強引な領空侵犯を行いながら佐渡島近海で減速•降下し不必要な危険を冒した点を重視し、これをKGB鉱山国への示威行動と考えた。真犯人はソ連軍部の反アンドロポフ勢力とする異説で、使いどころのない戦利品の米軍機、乃至戦前にソ連で研究されたSR‐71のコピー機を引き換えにして長期政権に衝撃を与えたと主張した。


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佐渡島消滅


1991年7月1日深夜、KGB鉱山国とのすべての通信連絡が途絶し、ソ連本土への定期航空便も予定された到着時刻に姿を見せなかった。日本の北陸地方の住民、複数の航空機と艦艇が佐渡島上空に正体不明の閃光を目撃していたことから、核ミサイル攻撃あるいは核テロという未確認情報が関係者を駆けめぐった。


しかし、明け方以降に届けられた偵察情報は信じがたいものだった。佐渡島は跡形なく消え失せて現場には海原が広がっているというもので、ソ連がKGB鉱山国を襲った変事の実情把握を急ぐ中、発生事実と現場写真が日本人民共和国によって全世界に発表された。情報公開は人民政府内部の反ソグループが隙をついて行ったもので、ソ連指導部はこのあとさまざまな困難に直面したが、事件直後の日本人民政府の裏切り行為が問題を悪化させたとして怒りを露わにしている。


その後、佐渡島消滅の影響範囲は海面下50mに達することがわかった。KGB鉱山国の痕跡はどこからも見つからず、海上をただよう遺体や遺品は皆無であった。一時、ヨーロッパ・南米を中心に佐渡島の核攻撃や隕石落下、火山噴火が取り沙汰されたが、いずれも根拠のない噂で島の完全消滅のメカニズム、巨大質量が失われた海で津波が起きなかった理由を説明出来なかった。佐渡島消滅の原因解明には国際的関心が集まった。消滅事件が文明国の人口密集地で再発する不安があったからで、反ソのイギリスやオーストラリアから共産圏へ異例の調査協力の申し出があり、事件の二ヶ月後、スイス・ジュネーブで国際共同調査の準備会議がはじめられた。


・内戦

消滅事件から5ヶ月後の1991年12月、ゴルバチョフ首相による反アンドロポフ軍事クーデターが発生し首都モスクワが占拠された。戦火はクリミア半島、キエフ、レニングラード、バクーに飛び火したがアンドロポフ派も反アンドロポフ派も相手を圧倒する戦力をそろえられず事態は膠着してしまった。国内の有力勢力が中立・傍観を選び、イギリスなどの海外勢力も内戦介入が核兵器使用を誘発することを怖れて両勢力と距離をとったのだ。1992年3月の時点でソ連の内戦は継続している。


ソ連内戦は佐渡島消滅事件の調査に影響し、国際共同の科学調査計画は予備調査の最中、クーデター直後に凍結された。さらに極東ソ連軍が行っていた海域封鎖と監視活動も、内戦二週間後に唐突に打ち切られている。


1992年現在、佐渡島消滅海域は日本人民政府があらためて封鎖しているが、先進国の関心はソ連内戦と核の危機にシフトし、日本人民政府も軍の要員や装備、予算の不足のために早くも監視活動の縮小が検討されている。現場付近を航行した民間船からは海上の大型生物や怪音の情報がよせられ、不審なコリアスタン船の出没も確認されているが、今のところ有効な対策はとられていない。

 

このKGB鉱山国の記事の執筆はK John・Smithとボイジャーによる共同執筆によって行われました。


【原案:K John・Smith 編集:ボイジャー】


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― 新着の感想 ―
[一言] KGB鉱山国は佐渡島の謎とも繋がっていることで成立していたようですね一体怪物が出てきたり黄金が大量に取れているのだろう。 他の記事とも繋がりがないし判断しにくい。資料の不足とも言える部分も…
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