ポルトガル領アゾレス諸島 ‐ ウィキパディア
ウィキパディア-フリー百科事典
ページ/ノート
―――――――――――――――――――
ポルトガル領アゾレス諸島
―――――――――――――――――――――――――――
ポルトガル領アゾレス諸島(正式名称:ポルトガル領イベリア帝国皇室属領アゾレス諸島)は大西洋の中央部(通称:マカロネシア)に位置するポルトガル領の群島である。諸島全体はポルトガル共和国の領土ではあるが、経済と防衛に関しては高度な自治権を有している。
―――――――――――――――――――――――――――
目次
1.概要
2.歴史
3.政治
4.軍事
5.地理
6.交通
7.住民
8.文化
9.観光
―――――――――――――――――――――――――――
概要
ポルトガル領イベリア帝国皇室属領アゾレス諸島は歴史的にも伝統的にポルトガルが保有する領土であるが、ポルトガルの法的には極めて特殊な地域に分類されている。諸島全体ではポルトガルの法律が適用されているが、防衛や経済はブラガンサ=コブルゴ家が独自に有しており、さらに諸島における住民にはイベリア帝国臣民証明書等も発行している。この背景にはアゾレス諸島を巡る歴史的な背景が大きな要因となっている。また、アゾレス諸島はポルトガル内でも有数の観光地でありカジノでも有名。
―――――――――――――――――――――――――――
歴史
・1427年‐ポルトガルのディエゴ・デ・シルベスによって発見される。
・1439年‐1439年以降、ポルトガルによる植民地化が進む。初期はポルトガルからの移住者を中心としたが地政学上、新大陸への重要な航海基地であった為に各国からの移住者が多かった。
・1581年4月‐ポルトガル王国のブラガンサ王朝がスペイン王国を同君連合の名目で事実上併合。ジョアン1世がイベリア帝国を建国。イベリア帝国はポルトガル王国領、スペイン王国領を束ねた範囲がイベリア帝国となったが、ポルトガル王国やスペイン王国は名目上は存続され続け、その領土も名目上はポルトガル領やスペイン領のままとされた。
・1603年‐ジョアン2世がアゾレス諸島を保養地として指定しポルトガル王国領より分離。領土の管轄をイベリア帝国皇室属領とした。
・1808年‐フランス軍がイベリア帝国軍の要塞群であるイベリア線を突破し半島戦争勃発。
・1812年‐マドリード攻防戦でイベリア帝国軍はフランス軍に敗退。首都を消失。
・1814年‐イベリア帝国軍はイベリア半島を消失。皇族はリオデジャネイロへ脱出する。
・1814年‐フェルナンド皇帝はフランスに対して徹底抗戦を表明。アゾレス諸島にイベリア帝国海軍の拠点が置かれフランス船に対する攻撃が行われる。
・1815年‐フランス海軍艦隊がアゾレス諸島を攻撃(アゾレス諸島海戦)。フランス艦隊はイベリア帝国海軍の最新鋭装甲艦艦隊に対して敗北。
・1846年‐スペイン王国において南米植民地の消失をきっかけとした大規模な反乱が勃発。
・1849年‐マドリード包囲戦が始まり皇族は首都を脱出し王宮がリスボンに置かれる。
・1852年‐イベリア帝国軍が独立派勢力に敗退。スペイン王国がイベリア半島本土において独立する。
・1865年‐皇帝の命令によりアフリカの植民地から原住民の大規模な徴兵が実施。ポルトガル本土への輸送が始まる。アゾレス諸島は中継地として利用される。
・1873年‐イベリア帝国がスペインの奪還を目指して侵攻しイベリア戦争勃発。
・1875年‐マドリード近郊の戦いでイベリア軍が歴史的な大敗退を引き起こす。
・1879年‐ポルトガル王国領の約半分の地域がスペイン軍によって制圧されるが、イギリス軍の介入によってポルトガル王国領土を回復。同年、イギリスの仲介で和平条約が結ばれる。国内に皇族に対する不満が蔓延する。
・1880年‐リスボンで帝国軍によるクーデターが勃発。しかしクーデター軍は帝国軍によって鎮圧。
・1882年‐リスボン市民が皇族打倒を目指して武装蜂起。帝国軍によって鎮圧。
・1883年‐ペスト菌がアゾレス諸島内で流行。
・1884年‐ペスト菌の流行によって諸島内のイベリア帝国海軍基地が放棄される。
・1886年‐ペスト菌の流行によって1880年時の人口から半数近くの住民が死亡したがペスト菌の感染者が減少傾向に入る。
・1908年‐2月1日、ルイス・フィリペ・イベリア帝国皇帝が共和派の襲撃により死亡。
・1910年‐10月5日、イベリア帝国の現状に反発した共和派の帝国軍将兵がクーデターを引き起こし、1910年10月5日革命が勃発。
・1910年‐10月6日、クーデター派の民兵数百人がマヌエル2世皇帝の秋の離宮を攻撃しマヌエル2世の身辺警護を行う数人の衛兵と武装した使用人との間で戦闘が勃発し民兵側に多数の死傷者が出る。
・1910年‐10月7日、クーデター軍と皇族派との交渉でマヌエル2世皇帝の身の安全が保証される。
・1910年‐10月7日、マヌエル2世が退位を表明。また、ポルトガル共和国が成立しイベリア帝国が消滅する。
・1910年‐11月3日、ポルトガル共和国政府はマヌエル2世をイベリア帝国皇室属領であるアゾレス諸島へと幽閉する事を決定する。同年中にマヌエル2世の身柄は複数の側近や使用人と共に秋の離宮からアゾレス諸島へと移される。
・1932年‐アントニオ・サラザールがポルトガル共和国首相に就任。
・1932年‐マヌエル2世が死亡。王位請求権が兄のルイス・フィリペに移る。
・1935年‐サラザールによってアゾレス諸島における皇族の権利が認められる。
・1936年‐ルイス・フィリペが肝臓ガンで死亡。王位請求者をマヌエル2世の養子の娘に一時は決定しかけるが、この選定に皇族内から異例すぎるなどの批判が続出し選定に難航する。
・1939年‐皇族内で王位請求者の選定が行われたが王位請求者候補の不足と王位請求者に打診したドゥアルテ・ヌノ・ブラガンサがイベリア帝国皇帝の王位請求権での選定を拒否しポルトガル国王の王位請求権者を名乗るなどし決まらなかった為、結局、当初選定されていたロシア革命の影響でポルトガルに逃れてきた旧ハンガリー王家バートリ家の血筋を持つマヌエル2世の養子の娘、アーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサが王位請求者となった。この決定は王位請求権の選定においては極めて異例な事例となった。
・1942年‐サラザール首相がアゾレス諸島を訪問。アーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサと会談を行い流刑者の受け入れを行う事を条件にアゾレス諸島における一部独自自衛権が認められる。
・1943年‐一部の独自自衛権を認められた事から16歳以上の皇族派の女性志願者を中心にイベリア皇帝衛兵連隊が結成。
・1949年‐9月9日、アゾレス諸島のサンミゲル刑務所で囚人達による暴動が発生する。しかし暴動は翌日にはPIDEと武装したメイドの部隊によって鎮圧される。
・1962年‐1961年にポルトガルの植民地において植民地戦争が勃発すると皇室はポルトガル政府に対して協力すると声明を出し、アンゴラへと衛兵隊を派兵した。
・1969年‐マルセロ・カエターノ政権下においてイベリア帝国皇室属領の拡大法案が施行された。これによってアゾレス諸島の他に帝国皇室属領としてオセアニア地域に位置しているポルトガル領ティモールが新たに加えられた。この法案が施行された事によって、ティモールに武装したメイドで構成される治安部隊が派遣される。
・1974年‐カーネーション革命が勃発しエスタド・ノヴォ政権が崩壊する。
・1975年‐新ポルトガル政府は全植民地の放棄を発表したが、イベリア帝国皇室属領に指定されたティモールでは治安部隊の駐留が継続されポルトガル国内で大きな政治問題となった。ポルトガル政府は治安部隊の撤退を求めたが、皇室は皇族属領であるとして要請を拒否した。
・1975年‐10月20日、ポルトガル政府はティモールの今後には関与しないと表明。
・1975年‐11月28日、インドネシア軍が右派勢力と共にイベリア帝国皇室属領ティモールへと侵攻。これに対してアーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサは徹底抗戦を発表し派遣治安部隊を含めた現地住民のポルトガル派政党であるティモール民主同盟の民兵と共に徹底抗戦を行った。この戦闘はポルトガル側の兵力が7,000名なのに対してインドネシア軍は1万から1万5千人近くの兵力を投入した。ポルトガル政庁はアタウロ島へと疎開。
・1976年‐2月、ポルトガル側の治安部隊は敗色が濃厚となった事からインドネシア軍に対して停戦を申し込みポルトガル政庁と共にティモールからの撤退が決定された。この撤退の際、ポルトガル側の治安部隊は残存していたティモール民主同盟の民兵を伴っての撤退作戦が行われた。
・1977年‐ポルトガル議会でイベリア帝国皇室属領制度の廃止が検討されたが、イベリア帝国皇室属領に関する法的根拠がポルトガルの法には無い事から廃止は行われなかった(そもそもイベリア帝国皇室属領はイベリア帝国がポルトガル王国から分離された土地の為(※ポルトガル共和国はポルトガル王国の継承国))。
・1989年‐アーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサ(82歳)が老衰で死亡。その為、イベリア帝国王位継承権がアーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサの遺言通りに自身の息子である、マルコス・マリア・バートリ・ブラガンサ(32歳)に引き継がれる。
・1999年‐9月7日、独立派と併合継続派によるティモール紛争が勃発。すると同日中にマルコス・マリア・バートリ・ブラガンサが記者会見を開き衛兵隊と再編されたティモール民主同盟の民兵部隊の派兵を決定する。
・1999年‐9月12日、インドネシアが国連平和維持軍の受け入れを表明し東ティモール国際軍が展開された。この東ティモール国際軍にはポルトガル軍も参加しており衛兵隊やティモール民主同盟の民兵部隊も参加した。また、この際の国別派兵の人数の割合はアゾレス諸島からの派兵が最も多かった。
・2002年‐5月20日、東ティモール民主共和国が成立。
・2003年‐9月9日、マルコス・マリア・バートリ・ブラガンサが心臓発作で急死。これを受けて長女のベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサ(7歳)が王位請求権を継承する。
・2004年‐ポルトガル議会で野党、民主社会中道・人民党が政府に対する説明でイベリア帝国皇室属領の法的根拠を質問し、その際に国務大臣がイベリア帝国皇室属領は厳密には我が国の領土ではないと発言し後に首相が訂正するなど大きな政治問題となった。
・2006年‐東ティモールにおいて治安上の混乱が発生した事から東ティモール政府がオーストラリア、マレーシア、ニュージーランド、ポルトガルに治安維持軍の派遣を要請し、ポルトガルからはポルトガル共和国軍に代わってイベリア皇帝衛兵連隊が派遣される。
・2008年‐プロジェクト2024が始まる。
・2010年‐マルセロ政権が長年続けてきたブラガンサ=コブルゴ家に対するアゾレス諸島の幽閉処置を解除する事を決定。
・2010年‐10月5日、ベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサが3泊4日の日程で皇族としては凡そ百年ぶりにポルトガル本土を訪問し大統領府にてマルセロ首相と会談と会食を行った。
・2011年‐3月11日に日本で発生した東日本大震災に際しては日本政府に対して3,000万円の支援金とベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサからのお見舞いの手紙が送られる。
・2013年‐6月3日、ベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサが日本国に来日。2泊3日の日程で天皇との会談と会食後、宮城県石巻市を訪問。
・2013年‐7月11日、ベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサが4泊5日の日程で東ティモールを訪問。イベリア皇帝衛兵連隊駐留基地を訪問しその後、東ティモールの大統領、首相と会談を行う。
・2014年‐皇室専用車が長年使われたボルボ264TEからロールスロイス社のシルヴァークラウドIIに変更になる。この際にトヨタ社がトヨタ・センチュリーを薦めたと地元紙で報道される。
・2014年‐5月、東ティモールの大統領がポルトガルを訪問しマルセロ大統領と首脳会談を行う。その後、アゾレス諸島を訪問しベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサと会談を行う。
・2015年‐4月、カーネーション革命後では初となるイベリア皇帝衛兵連隊、メイド、ポルトガル陸軍、ポルトガル海軍によるグラシオーザ島での共同軍事演習が行われる。
・2017年‐1月、アゾレス諸島の南東1000kmの沖合いでライト・ピラーの発生が初めて確認される。
・2017年‐2月、長年、皇族御用達の航空会社としても利用されていたアゾレス諸島に拠点を置く旅客航空会社としては唯一の航空会社であるロイヤル・アゾレス航空が、運用していたロッキードコンステレーション3機をEUの旅客機の旧式機運用規制強化の決定に伴って、やむなく全機を退役する事が決定され事実上営業を取りやめる。
・2017年‐2月、イギリス、フランス、ドイツ、ポルトガルの研究機関によるライト・ピラーの継続観測をする為の研究拠点がアゾレス諸島に設置される。
・2017年‐5月、ブラガンサ=コブルゴ家は2月のロイヤル・アゾレス航空の営業停止に伴って皇族専用のプライベートジェット機の購入を決定し最終的にホンダジェットを購入する。
・2017年‐8月、ベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサ、ポルトガル共和国の外相、東ティモールの首相が共同会見を開き東ティモールへの投資拡大が発表される。
―――――――――――――――――――――――――――
政治
ポルトガル領イベリア帝国皇室属領アゾレス諸島では属領内の防衛、経済に関する旧イベリア帝国皇族による自治権が認められている。ただし、それ以外に関する地方自治体制などは他のポルトガル領土と同様であり諸島全体がポルトガルの一行政区となっている。
ポルトガル本土と皇族であるブラガンサ=コブルゴ家との間ではエスタド・ノヴォ政権の崩壊後、政治的に対立し一時は地域的エスタド・ノヴォなどと批判されていたが、マルコス・マリア・バートリ・ブラガンサの死後は政治的対立は沈静化している。2000年以降は皇族に対する一般国民の好感度も過半数以上が良好的に見ている事が政府系シンクタンクの調査分かっており2010年10月5日にベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサがポルトガル本土を訪問した際には沿道にベアトリス・マリア・バートリ・ブラガンサを一目見ようと多くの人々が訪れた。
東ティモールとの関係に関してはポルトガル政府内でも外交ではないかと議論があるものの、現在に至るまで両者の関係は継続して続いている。東ティモールとアゾレス諸島の関係は非常に複雑ではあるが、現在は比較的に友好的な関係であるとされ、ブラガンサ=コブルゴ家と東ティモール政府との間ではブラガンサ・東ティモール安全保障協定、ブラガンサ・東ティモール海上安全保障協定の二つの安全保障に関する協定が締結されており、東ティモールが有事に陥った場合の治安維持支援の約束と東ティモールの海上安全保障の支援が約束されている。また、ブラガンサ=コブルゴ家は東ティモールや東ティモール領のアタウロ島に対して多額の投資を行っており、インフラの整備や観光の開発などを行っている。特にアタウロ島の最大の町では「プロジェクト2024」という東ティモールへの投資金の凡そ9割が投入された大開発プロジェクトが進められており、海水淡水化施設の建設や道路、上下水道の整備、ブラガンサ=コブルゴ家が運営する幾つかの大型ホテルや商店等の建設が2024年までの全面営業開始を目指して急ピッチで行われている。これらは完成すれば東ティモールでも有数の観光地域となる事が予想されているが、このプロジェクト2024は現地の建設会社関係者による賃金を巡るストライキ運動やプロジェクト自体に対する東ティモール本土での観光産業関係団体による抗議運動などの影響を受けて2016年には計画の遅れが心配された。だが、2017年8月にポルトガル政府もプロジェクト2024への出資と支援を大幅に行う事を表明した事から今後の進展が期待されている。
―――――――――――――――――――――――――――
軍事
アゾレス諸島には一部独自自衛権が認められている事から、諸島内にはポルトガル軍の他に旧イベリア帝国皇帝(現イベリア帝国皇帝王位請求者)が指揮権を持つ武装部隊が2つ設立されている。これらの部隊は皇族を通じてイスラエルと友好関係にありポルトガル軍の装備の他にイスラエル製の装備なども使用している。また、毎年イスラエルのPMCとの合同演習なども行っており対テロ特殊部隊も育成している。アゾレス諸島のこれらの部隊はポルトガル内でも最も精強な部隊の一つに数えられる。これらの軍事費はほぼ全てがブラガンサ=コブルゴ家からの出資で運用され、ブラガンサ=コブルゴ家の関連企業の売り上げ金やアゾレス諸島で行われている観光税、防衛税が投入されている。
・イベリア皇帝衛兵連隊
1943年に設立された防衛組織である。ポルトガル国籍及び東ティモール国籍を持つ16歳以上の女性の志願者で構成されており兵力4,000人を有している。サラザール政権時代には一時その兵力は7,000人を突破していた。1989年にはポルトガル海軍から除籍したアルミランテ型フリゲート3隻をスクラップとして購入しファランクス20mmCIWSを艦後部に装備させるなど近代化改修を図り再就役させ後のティモール紛争にも投入した。2017年現在はアゾレス諸島の他、東ティモールにも軍管区が置かれ部隊が展開されており、東ティモールには駐留基地も設置されている。東ティモールの駐留部隊に関しては、2006年に4カ国による治安維持任務が行われたが、この際にポルトガルからの部隊として派兵された。この平和維持軍は現在は既に解散されているが、イベリア皇帝衛兵連隊に関しては現在でも東ティモールでの治安維持とポルトガル派住民の人権保護を名目に独自に駐留と活動を続けている。特にティモールに配備されている第2水上守備大隊は海軍の実質的な戦力を持たない東ティモール海軍から海上警備を一任されており事実上、第2水上守備大隊は東ティモールの水上防衛戦力の、ほぼ両翼を担っている。また、保有機材の内、航空機関連に関してはその大半が1990年以降に航空戦力の強化を目的に整備され現在はその過半数以上の戦力が東ティモールに配備されている。2010年には新たな航空機戦力としてポーランドの軍用機メーカーPZL社からPZLフレットナーFI282を購入した。PZLフレットナーFI282はドイツのフレットナーFI282の再設計機でありRPG‐7、RPG‐26、9K38イグラス、スティンガーミサイルなどの歩兵携行装備を機体に装備させる事で軽攻撃ヘリとしても運用可能な軽汎用ヘリコプターとして有名である。イベリア皇帝衛兵連隊はこのPZLフレットナーFI282を軽攻撃ヘリ兼、物資運搬ヘリとして東ティモールに全機を配備し運用している。以下はイベリア皇帝衛兵連隊が運用している編成及び装備一覧(※「×保有数」表記がない装備は複数を保有)。
編成
・アゾレス軍管区(在サンミゲル島ポンタ・デルガーダ)
・第1守備連隊
・第2守備連隊
・第1水上守備大隊
・סער 4.5×2
・סער 4 ×2
・ティモール軍管区(在ティモール島ディリ・在アタウロ島)
・第3守備連隊
・第2水上守備大隊
・de fragata da classe Almirante×3
・סער 4 ×2
火器
・G3A3
・グロック17
・IMIタボールAR21
・ラインメタルMG3
・MP41短機関銃
・ブローニングM2重機関銃
・UZI
・M82
・レミントンM700
・ボフォース 40mm機関砲
車両
・トヨタランドクルーザー
・偵察用オートバイ
・自転車
船舶
・アルミランテ型フリゲート×3
・サール4.5型ミサイル艇ロマット級×2
・サール4型ミサイル艇×4
航空機
・EADS CASA C‐212A×2
・SA316×10
・PZL‐104×10
・PZLフレットナーFI282×8
・メイド
正式名称:ポルトガル語:Empregada armado do imperador 略EADI 日本語訳:皇帝の武装したメイド。ブラガンサ=コブルゴ家には古くからブラガンサ=コブルゴ家の使用人で構成されている私兵を有している。古くはペドロ5世が自身の身辺を警護させる為に信用できる使用人を護衛として育成し結成されたのが最初である。これらの部隊は平時は一般のメイドと同じように皇族の身の回りの世話をしているが皇族の身に危険が生じた場合には武器をとって戦うようにと組織化された。1910年10月5日革命の際には秋の離宮で休暇をしていたマヌエル2世を捕らえようとしたクーデター派の民兵との間で実際に戦闘を行いマヌエル2世の身辺を守った。これらのメイド達はその後、マヌエル2世の身柄がアゾレス諸島に幽閉された際にもメイドとしてアゾレス諸島に行きマヌエル2世を守護した。マヌエル2世の死後、アーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサが王位継承権を引き継ぐとアーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサは、これらのメイドをさらに先鋭化させる方針をとり、事実上の兵力とした。また、当初は男性の使用人なども居たがアーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサが大の男嫌いであった事から男性使用人はしだいに数を減らし最終的には女性のメイドのみとなった。ポルトガルの植民地戦争の際には戦闘には投入はされなかったが、マルセロ・カエターノ政権下においてポルトガル領ティモールが帝国皇室属領に加えられた事を受けてアーニャ・マリア・バートリ・ブラガンサは、このメイドから300名規模を治安部隊として派遣した。しかし、カーネーション革命後にインドネシア軍がティモールに侵攻した際にはインドネシア軍と交戦し凡そ121名の犠牲者を出しティモールから撤退した。その後は1999年の東ティモール国際軍にも参加した。現在、ブラガンサ=コブルゴ家には600名のメイドが在籍しているとされ平時はメイド職や護衛の他にも儀仗兵としての役割を有している。有事の際には皇族の護衛以外にも対テロ特殊部隊としての役割を有しているとされる。また合計2個小隊規模の携行砲火器運用部隊と特殊部隊が東ティモールにおいて治安部隊として衛兵連隊と共に駐留している。メイド全体が保有しているとされる装備に関しては衛兵連隊と同様のポルトガル軍やイスラエル製の装備の他にもメイドが運用する装備にはドイツ製やポーランド製の装備も所有している。その内、車両装備は全てがアゾレス諸島に配備されている。以下は保有している装備一覧(※「×保有数」表記がない装備は複数を保有)。
火器
・リスボン銃(19世紀にポルトガルで生産された前装式ライフル)
・G3A3
・グロック17
・IMIタボールAR21
・UKM‐2000
・H&K XM8
・M4カービン カスタム
・ブローニングM2重機関銃
・UZI
・M82
・レミントンM700
砲火器
・RPG‐7
・RPG‐26
・スティンガーミサイル
車両
・ロールス・ロイス・シルヴァークラウドII×2
・ボルボ264TE×2
・AMV28A×4
・UR‐416装甲兵員輸送車×12
・特殊作戦用バギー
船舶
・サン・ガブリエル(補給艦)×1
航空機
・ホンダジェット×1
また、これらの兵力以外にもポルトガル共和国政府の指揮下にある守備隊もアゾレス諸島内には駐留している。それ以外にもアゾレス諸島に関連する兵力として、ティモール民主同盟の民兵組織であるティモール民主同盟戦線が挙げられる。ティモール民主同盟戦線は1974年に即時独立には反対しポルトガルとの関係継続を主張していた政治団体であるティモール民主同盟が、当時、植民地死守の方針をとっていた皇室の治安部隊とポルトガル政庁の支援を受けて設立された民兵組織である。ティモール民主同盟戦線はインドネシア軍によるティモール侵攻の際に治安部隊と共にインドネシア軍や併合派勢力と戦ったが、その後、敗色が濃厚になり治安部隊とポルトガル政庁の撤退が決まるとティモール民主同盟戦線も多数の民間人を連れて撤退に同行し東ティモールよりアゾレス諸島へと脱出した。しかし、1999年のティモール紛争の際に部隊が再編成され東ティモール国際軍として同行して帰還。東ティモール国際軍はその後、2002年に活動を終えるがティモール民主同盟戦線はその後も人権保護を理由に東ティモールのアタウロ島やティモール東部の一部地域の占拠を続け、東ティモール政府との摩擦から度々、東ティモール政府軍と交戦した。2006年に東ティモールで治安上の問題から4カ国による治安維持軍が派遣されるが、その際にはイベリア皇帝衛兵連隊の指揮下に再び戻った。しかし、東ティモール政府との水面下での対立は2017年現在でも継続して続いているとされており、特にアタウロ島では現状、東ティモール政府軍が同島に部隊を展開していない事から軍事的優位の立場にあるとされる(ティモール民主同盟戦線の全兵力は2,000人から2,600人とされ東ティモール国防軍の全兵力は1,900人未満)。イベリア皇帝衛兵連隊ないし、皇室属領の軍事組織は一環してティモール民主同盟を間接的、直接的に支援している事から、ティモール民主同盟戦線は公式ではないものの事実上、皇室属領に属する軍事組織であるとの見方もある。また、ティモール民主同盟の政党本部事務所はポンタ・デルガーダに置かれている。
―――――――――――――――――――――――――――
地理
アゾレス諸島はリスボンの西方に位置し、主要な島を9つ有している。総面積は2355km2で気候は基本的には一年を通して温暖な気候である。アゾレス諸島の島は以下の3つの地域に分類される。アゾレス諸島は西経25度から31度に位置する事からポルトガル本土及びマデイラ諸島よりも1時間遅い標準時であるUTC‐1に指定されている。
・東部
・サンミゲル島
・サンタマリア島
・フォルミガス島
・中部
・テルセイラ島
・サンジョルジェ島
・ピコ島
・ファイアル島
・グラシオーザ島
・西部
・フローレス島
・コルヴォ島
―――――――――――――――――――――――――――
交通
ポルトガル本土のリスボンやポルトとサンミゲル島のポンタ・デルガーダ空港を結ぶ定期便が就航している他、ヨーロッパの各主要都市との間にも定期便が運航されている。2017年2月まではアゾレス諸島に唯一拠点を置く旅客航空会社として英国系のロイヤル・アゾレス航空が国際便を含めて運行していたが、EUが旧式旅客機のEU域内での運航禁止の方針を決定した為に事実上営業を取りやめている。海路に関しては、ポルトガル本土の主な港との間でフェリーなどの定期船が運航されており、観光客を乗せた大型クルーズ船も頻繁に寄港している。
―――――――――――――――――――――――――――
住民
アゾレス諸島には2018年現在、29万人の住民が居住している。住民の半数が諸島内最大の面積を有しているサンミゲル島に居住している他、6,302人(2016年統計)の東ティモール系住民や5,175人(2016年統計)のポルトガル系アンゴラ人(カーネーション革命後に革命に反対して移住してきた住民)も居住している。
―――――――――――――――――――――――――――
文化
アゾレス諸島内には中世の時代の建築物が多く残っており1983年にはテルセイラ島のアングラ・ド・エロイズモの市街や、ピコ島のワイン畑の景観がユネスコの世界遺産に登録された。ポンタ・デルガーダにあるイベリア帝国記念美術館には歴代イベリア帝国皇帝が世界中から収集し貯蔵した様々な芸術品の品々が展示されている様子を見る事ができる。また、イベリア帝国皇室属領である事から諸島内では旧イベリア帝国の国旗等も多く見られる。ブラガンサ=コブルゴ家の宮殿周辺や首府が置かれているポンタ・デルガーダにはブラガンサ=コブルゴ家のメイドの巡回部隊が行進している様子やメイドが各所で警備を行っている姿を見る事ができ、現在ではブラガンサ=コブルゴ家のメイドはアゾレス諸島を象徴するものとされ、メイド服姿でリスボン銃を担いでいる姿はしばしば観光雑誌などでも特集されるなど観光の名所にもなっている。
その他には2005年までは、テルセイラ島のアングラ・ド・エロイズモの港には軍艦史上世界で初めて実用的な30.5cmもの大口径艦載砲であるポルトガル砲を6門を搭載したイスパニア級蒸気装甲艦(戦列艦)3番艦のサンタマリアが記念艦として展示されていたが、ポルトガル政府の要請により、現在はポルトガル海軍に所有権が引き渡されており、現在ではリスボンにて記念艦として展示されている(※サンタマリアは1815年のアゾレス諸島海戦でも活躍し20世紀半ばまで、衰退したポルトガル海軍の唯一の戦艦級を務めた軍船。アメリカ連合国海軍の装甲艦バージニアが設計される際に艦の形状を参考にされた事でも有名な船)。
―――――――――――――――――――――――――――
観光
アゾレス諸島はポルトガルでも有数の観光地である。保養地としても人気があり、欧州各国から観光客が多く訪れている。また、ブラガンサ=コブルゴ家が経営するヨーロッパでも有数の規模のカジノ産業も有名である。アゾレス諸島の経済状況は非常に好調であるとされており、特に諸島内のブラガンサ=コブルゴ家の影響力は非常に大きく諸島内のホテルの大半はブラガンサ=コブルゴ家が経営しアゾレス諸島の単独でのGDPでも53%近くがブラガンサ=コブルゴ家の影響下であるとされる。地域別と各行政区の人口別に見たポルトガル全体でのGDPの割合でもアゾレス諸島はリスボンに次ぐ高い値を有しており、ポルトガル本土からの出稼ぎ労働者も多い。
なお、ブラガンサ=コブルゴ家の個人資産額は2016年時点で米国ドル換算にして38億ドルである。これはアメリカ合衆国の大統領であるジョージ・トランプ大統領の個人資産額の35億ドルを超える金額である。この個人資産額はブラガンサ=コブルゴ家が経営しているホテル、カジノ、銀行等の営業利益、投資、寄付で得られた金額で、その他にも一家が有してるアゾレス諸島の土地の地代収入による物が含まれる。ブラガンサ=コブルゴ家はこれらの収入以外にも多数の美術品を所有しており、これらの美術的価値を合わせた総個人資産額は50億ドルに達すると言われている。




