モンゴル海軍 ‐ ウィキパディア
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モンゴル海軍
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モンゴル海軍(Монголын тэнгисийн цэргийн хүчин)とはモンゴル国が1997年まで保有していた海軍組織である。
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概要
モンゴル海軍は人民軍時代に設立された海軍組織である。1956年前まではモンゴル北部フブスグル湖にて輸送船スフバートル号及び石油運搬用のバージ3隻のみを保有しソ連からの石油の運搬のみに従事していたミニ海軍であったが、1952年2月19日に発生した中華人民共和国の新疆、チベット、青海、甘粛省北部、内モンゴル自治区のアルシャー盟の地域で発生した水化災厄によって同地域が世界最大規模の淡水湖(モンゴル名:南大フブスグル湖・ロシア名:ラグーン11・中国名:中華人民湖)になった事を受けてソ連の支援を受けて装備の拡充が行われ1956年に本格的な海軍となり1960年代から1980年代まではソ連に次いで世界最大規模の河湖艦隊を保有していた。
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海軍戦力拡大の政治的背景
当時、モンゴルはソ連との友好関係を強化しており、一方で中国とは中ソ対立が悪化するに従ってモンゴルも中国とは距離を置いた関係となっていた。そんな最中の1952年2月19日に発生した水化災厄は、ソ連と中国の対立の最前線とも言える地域となった。ソ連は湖となった中国の地域の一部領有権を主張しモンゴルもソ連の方針を支持した。ソ連は水化災厄によって湖となった地域の中国側の領有権は失権していると主張し南大フブスグル湖(モンゴル名)のソ連、モンゴル、インド、パキスタン、中国による五分割案を中国側に提示した。しかし、中国はこの要求を拒否し同湖を巡る領土問題が激化した。
こうしたソ連、モンゴルと中国の対立背景を受けてソ連はいち早く南大フブスグル湖における戦力の拡充に乗り出しモンゴルもソ連の支援を受けて本格的な海軍船舶の導入を行う事になった。
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編成
1956年から1997年までモンゴル海軍はフブスグル湖と南大フブスグル湖に二つの軍管区を設けていた。フブスグル湖軍管区と南大フブスグル湖軍管区である。フブスグル湖に配備されている艦船はフブスグル湖艦隊と呼称され、南大フブスグル湖に配備されている艦船は南フブスグル湖艦隊と呼称されていた。この内、1996年まで全ての艦船が運用されていたのはフブスグル湖艦隊である。
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年代別保有艦艇一覧
1955年
・スフバートル号×1
・バージ×3
1956年
・スフバートル号×1
・バージ×3
・リガ型フリゲート×2
・輸送船×1
・哨戒艇×10
1962年
・スフバートル号×1
・バージ×3
・リガ型フリゲート×2
・輸送船×1
・哨戒艇×15
1966年
・スフバートル号×1
・バージ×3
・リガ型フリゲート×2
・ミルカ型フリゲート×2
・輸送船×2
・哨戒艇×16
1969年
・スフバートル号×1
・バージ×3
・リガ型フリゲート×2
・ミルカ型フリゲート×2
・輸送船×2
・哨戒艇×16
1975年
・スフバートル号×1
・バージ×3
・リガ型フリゲート×2
・ミルカ型フリゲート×2
・ペチャ型フリゲート×2
・輸送船×2
・哨戒艇×16
1978年
・スフバートル号×1
・バージ×3
・リガ型フリゲート×3
・ミルカ型フリゲート×3
・ペチャ型フリゲート×2
・輸送船×3
・哨戒艇×20
1983年
・スフバートル号×1
・バージ×3
・リガ型フリゲート×4
・ミルカ型フリゲート×3
・ペチャ型フリゲート×2
・輸送船×3
・哨戒艇×20
1990年
・スフバートル号×1
・バージ×3
・リガ型フリゲート×4
・ミルカ型フリゲート×3
・ペチャ型フリゲート×2
・輸送船×3
・哨戒艇×20
1995年
・スフバートル号×1
・リガ型フリゲート×4
・ミルカ型フリゲート×3
・ペチャ型フリゲート×2
・輸送船×3
・哨戒艇×10
1996年
・スフバートル号×1
・リガ型フリゲート×2
・ミルカ型フリゲート×1
・輸送船×3
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モンゴル海軍が行った戦闘
・中ソ蒙水上国境紛争
1975年8月9日、南大フブスグル湖のモンゴル側湖岸水域において中国の水上警備船艦隊、計18隻がモンゴルの警戒ライン内へと侵入するという事態が発生した。この時、モンゴルの湖岸水域ではソ連のソビエト海軍国境警備艦隊、計11隻が警備任務を行っており、この艦隊が中国艦隊と最初に接触した。ソ連側は中国側に対して停船を呼びかけたが、中国側は呼びかけに応じず、逆にソ連艦隊に向かって威嚇射撃を行い、これが両艦隊の交戦に発展するという事件にまで発展した。この事件に対してモンゴル海軍もソ連を支援しフリゲート艦6隻を緊急派遣した。この際、ソ連、モンゴルと中国の艦隊との間では第二次世界大戦後の水上戦闘では最大規模の砲撃戦に突入した。この戦闘はモンゴル海軍設立後初の戦闘であり、また最大規模の戦闘となった。水上戦闘は1日半にも渡って続いたとされ、結果はソ連、モンゴル側の勝利に終わった。この戦闘による両陣営の被害はソ連艦隊が大破2中破3の被害を出し、モンゴル艦隊が大破1中破2、対して中国艦隊は18隻中、轟沈9中破1という惨敗の結果に終わった。この事件を受けてモンゴル海軍はその後、フリゲート戦力の増強を行った。また、この事件後もモンゴルと中国は度々、警備艇同士の銃撃戦が度々発生した。
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ソ連崩壊の影響と民営化
1991年のソ連崩壊はモンゴル海軍にも大きな影響を与えた。モンゴル海軍はソ連からの支援によって成立していた組織であり、またモンゴル海軍はモンゴル国の財政難に伴う国家予算の縮小の一番の対象となり1992年には哨戒艇20隻の内半数の10隻が退役となり、その他の艦艇もフブスグル湖艦隊のスフバートル号やバージ以外はほぼ全ての艦船が活動休止の状態となった。また、南大フブスグル湖の領有権を巡ってモンゴルを含めた当事国の間で自国から3海里以外の領有権の一時凍結に関する条約が結ばれ、さらに条文には水上戦力の現有戦力以上の戦力の保有制限が明文化された事もあり海軍の一時活動停止を行っても良いという状況を作った。
その後、1996年、モンゴル政府は残った艦船の内、リガ型フリゲート×2、ミルカ型フリゲート×2、ペチャ型フリゲート×2、哨戒艇10隻の配属先を海軍から陸軍内に新たに併設した陸軍水上支援警備隊へと変更。さらに1997年には軍管区の廃止と海軍の民営化を行った。
・民営化のその後
民営化された海軍はその後、幾つかのグループに分かれた。フブスグル湖艦隊はフブスグル湖において7名の水兵が現在でもモンゴル海軍の名でスフバートル号とタグボート1隻を運用し現在では湖を訪れる観光客の案内や物資輸送をしている。
一方で南フブスグル湖艦隊は4つのグループに分かれたとされており、輸送船は2隻と1隻のグループに別れ、それぞれのグループの水兵が中心となって海運会社を設立し現在では南大フブスグル湖において物資輸送を行っているとされている。また、他のフリゲート艦に関してはミルカ型フリゲートは地元漁業組合の元、大型漁船及び貨物船として運用されているとされ、リガ型フリゲート2隻に関してはフリゲートの水兵達が立ち上げたモンゴル水兵社の元、湖を訪れる観光客の案内やロシア、カザフスタンからモンゴル間のフェリーとして2005年まで運用されていた。しかし、2002年にフェリーとして運行されていたリガ型フリゲート・ダルハンが暗礁に乗り上げる事故を起こしており、この事故でダルハンは使用可能な部品の回収後にスクラップとして売却され、リガ型フリゲートは一隻のみとなった。その後、残る一隻も運用されていたが2005年以降は艦のスペア部品の在庫上の問題とモンゴル水兵社の経営方針の転換からフェリーとしては運行されておらず、港においてモンゴル海軍を記念する記念艦として停泊、有料観覧展示がされている。
これらの民営化後に分化した各グループは現在、2001年に発足されたモンゴル海軍交流協会を通じて現在でもある一定の交流を行っているとされる。ただし、現在でも海軍の名前で活動をしているのはフブスグル湖のモンゴル海軍のみである。また、日本のネット上における知名度が高いのもフブスグル湖のモンゴル海軍となっている。
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モンゴル陸軍に配備された艦船の状況
モンゴル海軍からモンゴル陸軍へと転属になった艦船に関しては現在でも陸軍に所属し運用されているが、哨戒艇以外の艦船の稼働回数は非常に少ないとされており、ミルカ型フリゲートに関しては2005年以降、一度も稼働しておらず港に係留されたままの状態となっている。




