アメリカ大陸 ‐ ウィキパディア
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アメリカ大陸
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アメリカ大陸とは1935年、ヨーロッパの西方の洋上に突然あらわれた巨大大陸である。樹海が広がる南北の大陸と橋のような地峡部からなり、当時、ヨーロッパ世界とアジア世界(列強植民地・貿易相手国)を結んでいた直通の海上交通を、出現と同時に遮断した。未知の大陸には豊かな自然と手つかずの鉱物資源が認められるが、すべての海岸線が高く険しい断崖絶壁でまわりから隔絶している。このため謎が多いアメリカ大陸の調査開発は、一部地域を除いてほとんど進んでいない。
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目次
1.概要
2.面積
3.城壁(グレートウォール )
4.生物相
5.人類と文明
6.新大陸委員会
7.アメリカ大陸に関連する探検家
7.1 クリストファー・コロンブス
7.2 チャールズ・リンドバーグ
7.3 アメリア・エアハート
8.アメリカ大陸の冒険時代
8.1 大空港 ニカラグア
8.2 冒険家の街 ヒューストン
8.3 カリフォルニア島
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概要
アメリカ新大陸(超大陸)とは1935年、ヨーロッパの西方およそ8,000㎞に突如あらわれた未知の大地で、南北の両アメリカ大陸と周辺の島嶼を総称する。それまで地球の水半球を占めていた「アトラン大海」は、太平洋と大西洋のふたつに分断されて、北極・南極圏の狭い海域を除くとつながりを失った。また、アメリカ大陸はほぼ全ての海岸線が30~50メートルの断崖絶壁で、外界と隔絶され発見当時、断崖大陸、城塞大陸とも呼ばれた。
アメリカ大陸は海上に異常な形で出現したが、かなり早い時期に大陸の地峡部へ中継基地(空港)が築かれた。それまでヨーロッパ世界とアジア・オセアニア世界を結んでいた「西廻り遠洋航路」は、アジアへ列強の侵略艦隊を呼び込みフィリピン、ベトナム、シンガポール、オーストラリアなどに白人国家や巨大植民地を誕生させた。しかし、アメリカ大陸はこの航路を断ち切り、アジアの白人勢力を孤立させたため、ほとんど何もわかっていなかったにもかかわらず工事が強行され、大型飛行船団による「西回り空路(西廻り遠洋航路の代替)」が打通されたのだった。
国際連盟加盟国(ヨーロッパ列強)が主導の空港建設を例外として、アメリカ大陸の探索と開発は長く停滞した。たよりとした航空輸送が高コストであったこと、海がせまる地峡部や海岸線近くから奥地に進むとアメリカ大陸に特有の局地的異常気象(ホワイトダウンバースト、球状雷雲等)が多発し、飛行物体が狙いうちされているかのように墜落事故に見舞われたためだった。
1950年代以降、南北アメリカ大陸の探検は危険で困難な陸路から進められた。中心となったのは、リスクやコストを度外視して世界各国から集まった冒険家や写真家、研究者、富裕な好事家だった。彼らの好奇心や名声欲、チャレンジ精神は「アメリカン・スピリット」と呼ばれアメリカ探検を牽引したが、異生物や遺跡の発見、未知の災害や騒乱、国際的事件が起きるたびに冒険活劇めいたエピソードを生むことになった。
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面積
43,000,000 km2(概算)
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城壁
新大陸の海岸線は、北極圏から南極圏までほぼ例外なく断崖絶壁で30~50メートルも海面からそそり立っている。アメリカ大陸の「全土が巨大な台地の上にある」という異常な特徴がよくあらわれた地形で、探索と開発を厳しく制限し続けている。
断崖は頑健な岩ばかりではなく、本来やわらかくもろい砂質や粘土質の海岸線も多くある。そうした崖はふつう自重で海へ崩れたり打ちよせる波に削られるが、アメリカ大陸の「城壁」に於いては石組みのように崩落や浸食に抗し、通常ではありえない耐久性で垂直と高さを保っている。南アメリカ大陸の「アマゾン大瀑布」を例にとると、南大西洋に注ぐ地球最大規模の大滝直下の「城壁」ですら崩れず、流水の破壊的重量と圧力、海面落下時の衝撃(振動)をものともせずに出現当時の地形を保っている。人工環境で再現されない不可思議な耐性に関して、ある城壁の研究者は「ゆるぎない、まるで魔法がかかっているようだ」とコメントしている。
・城壁を破壊する試み
爆破によって大規模に「城壁」を崩落させ、アメリカ大陸の断崖に一種の「風穴」を空けようとする計画は、空港建設とほぼ同時に立案され、予備実験が行われた。
・ニカラグア「打鐘」実験
1940年代、ニカラグアの東海岸線・モスキートス海崖で行われた「城壁」爆破の大規模実験。急勾配の斜面に変えることを狙った。この実験ではじめて「城壁」に向けられたエネルギーが莫大な電気や振動に変容する異常現象(非公式に「転化」と呼称)が確認され、断崖を崩壊させるはずのエネルギー(実験の最大規模はダイナマイト1680キロの起爆)は異常な衝撃波(地表振動)や大量放電、熱、電磁波にランダムに瞬転して飛び散った。その影響は実験区域外にも及び、8例目の最終試験では、大陸の海岸線に沿って有感震動波が千キロ以上広がり「北アメリカ大陸が震えた」と誇大に報道された(「打鐘」の俗称はこのとき付けられた)。ほかの実験でも野生動物の集団死といった予想外の危険な反応が見られたため、城壁の爆破実験は8例で中止された。その後、新大陸委員会はアメリカ大陸の海岸部での爆発物の使用を原則禁止と定めた。なお、8例の爆破実験の全てで「城壁」はほぼ無傷だった。しかし、「城壁」の土や岩を人力や機械で削ったり基礎杭を打ち込む工事は可能で、禁止命令ののち断崖の克服は地形の改変から大型リフトやロープウェイ、階段など特殊設備の建設へシフトした。
・都市伝説として流布している「城壁」の異常現象
巨大で不可解な「城壁」には都市伝説が多い。「城壁」にリフトなどが作られると、貴重な施設の被害をおそれて検証試験(爆破実験)は許可されなくなり、空想的な理論や疑似科学、超常現象がまことしやかに広まった。「紫光の魔法陣」はその一つで、悪意をもってアメリカ大陸の断崖を壊そうとする者に対して光る円陣があらわれ破壊の痕を「巻き戻す」ようになおすばかりか、攻撃者を襲うという。1943年、イギリス海軍の駆逐艦が北アメリカ大陸東岸・フィラデルフィア沖で遭難した事件はその実例とされ、都市伝説では、事件の真相はイギリス軍が行った「秘密兵器実験」の失敗で、標的の「城壁」から解き放たれた数万の魔法陣が科学兵器の爆発の火球を消し去った。さらに、実験海域から逃げ遅れた駆逐艦一隻が艦内をおぞましい有様に変えられ、最後は海面に広がる巨大魔法陣の中に没したとされる。
・イギリス政府の公式見解
イギリス当局はこういった都市伝説を完全否定し、フィラデルフィア沖の駆逐艦沈没そのものをデマだとしている。問題の駆逐艦エルドリッジは、1943年に北大西洋ではなく南シナ海にいて、貨物船A・フルセフの海上火災事故に対処中、積荷の爆発に巻き込まれて失われたと述べた。
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生物相
アメリカ大陸には豊かな自然が広がっている。固有の動植物が数多く自生し、北大陸と南大陸の間にも生物相の違いがみられる。もっとも分類調査が進んでいるのは蝶や蛾、そして蘭の仲間で、蝶はヨーロッパの学会にある時期一年に2600もの新種や亜種が報告された。さらに化石でしか確認されていなかった絶滅生物(古代植物や昆虫、魚類)なども南北アメリカ大陸から次々に発見された。
自然生物の標本調査は、探検隊が持ち帰ったサンプルや大陸沿岸の滝などから落ちた漂流物をもとに進められているが、空港都市のある地峡部から遠く離れた奥地の調査は、測量や気象観測、天体観測、地下資源の優先順位が高く、一般大衆も一部の美しい蝶や珍獣を除くと自然生物への関心は低い。例外は大手の農業関係企業(いわゆる種子種苗産業)や医薬品産業、富裕な大学の研究室で、アメリカ大陸を未知の遺伝子資源の宝庫とみなして調査隊を送り込み、ニカラグアやヒューストンに出張所や試験栽培農場を設けている(冒険家へのサンプル採取の依頼はここからしばしば出される)。
南北アメリカ大陸の密林には未知の巨大哺乳類や巨竜がすむと言われ、まるで神話や童話に出てくるような奇妙な生物との遭遇が幾度か報告された。物的証拠が欠如したため事実上無視されてきたが、1958年のニカラグアの空港を巨猿(巨人)が襲った事件で状況は一変し、関係者の聴取や報告の再確認が進められている。冒険家の街 ヒューストンでは、異形の巨大生物の生息に関してさまざまな情報が飛び交い、イギリスの大手新聞社やドイツの博物館、フランスの富豪が情報を求め、生け捕りを公募して莫大な懸賞金をかけようとしている(あるいは、有力冒険家チームに秘密依頼をした)との噂が流れている。
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人類と文明
アメリカ大陸は、人間の手がまだ触れない未開の土地とみなされている。全域が外界から断絶されているからだが、白人原住民や巨大な都市遺跡を大陸奥地で見たとの噂は後を絶たない。ほとんどの場合、人工物(遺跡や遺構)とされたものは風変わりな自然地形や、大陸出現の後に進出した人間の痕跡(タイ王国やペルシャ帝国の失敗植民地や連絡拠点の廃墟、未承認の探検隊のキャンプ、遭難者の住居跡、飛行船の残骸)で、未知の文明の巨大建造物や異様な地下構造物(痕跡)をたしかに発見したと主張する者たちは、明確な証拠をなかなか持ち帰ることができなかった。
・巨人山事件
1959年、新大陸の遺跡に関してヨーロッパ諸国を騒がせた事件。「巨人山フィルム」とのちに呼ばれる映像資料がイギリス、フランスなどの有力新聞社や通信社に送られた。「四つの巨大な胸像が刻まれた岩山」がさまざまな角度や距離で撮られていて、北アメリカ大陸の奥地の遺跡とのメモが添えられていた。正確な撮影場所は伏せられて胸像のモデルに関する説明も一切無かった。未知の巨像は明らかな人工物で、写り込んでいる植生や飛び交うおびただしい数の鳥から北アメリカ大陸の内陸のどこかだと標定された。しかし、まわりの地形の映り込みが巧みに避けられて撮影場所を特定する手がかりが無く、逆に幾つかの証拠から「巨人山は映画セットだ」と主張する専門家もあらわれた。
捏造説はのちに「巨人山フィルム」が実写とセットの二種のフィルムを意図的に編集しているとの別の分析結果が公表されて振り出しにもどり、新大陸委員会や冒険家たちも巻き込んで、遺跡の真偽や撮影場所について激しい論争が繰り広げられた。「AH」あるいは「ヒッチコック」と名乗る撮影者の正体、「巨人山フィルム」をばらまいた意図は現在も不明である。
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新大陸委員会
1936年、国際連盟(本部ジュネーブ)に成立した組織で、新大陸アメリカの統治機関と呼ぶべき存在。イギリスの支援を背景に日独の活動で条約が結ばれた。アメリカ大陸の領有権問題はこのとき凍結され、調査・開発・利用は運営組織の事業計画に従って進められることとなった。かなり強引な発足で各国の法制度との調整は不完全で、アメリカ大陸自体、当時は地峡部のごく狭い範囲しか探索されておらず、後でどんな問題が噴き出すかわからない情勢だった。にもかかわらず自治組織を発足させたのは「大陸側当事者・代表者」を設けることで、早急に解決できる(少なくとも現場レベルの話し合いを開始できる)案件が積み上がっていたためだった。最重要課題でありながら本格的着工が足踏み状態だったニカラグア地峡空港の建設も、新大陸委員会が列強代表連絡協議会からさまざまな案件(その中には、土地や施設の名前をどの国の言葉で命名するかもあった)を引き取ることで停滞を脱した。
・国際連盟加盟国以外の動き
新大陸委員会への信託は、合意後も紆余曲折があったが、イスラム諸国やアジアの国際連盟の非加盟国はヨーロッパ主導の動きそのものに否定的で、帝羊朝ペルシャ帝国とタイ王国はそれぞれ遠洋艦隊や武装移民団を進出させてアメリカ大陸に拠点を建設した。
だが、ペルシャとタイが南北アメリカ大陸の断崖の上に設けた軍事施設(入植地)は当初から自然災害の被害を受け、人員の総入れ替えや移転などの無理を重ねた末、二年足らずで完全撤退に追い込まれた。ただし、タイ王国の北アメリカ入植地解体には不明瞭な部分があり「廃墟に取り残された47人の子供たち」「まぼろしの第二入植地」などの現代版伝説が生まれた。
・大韓帝国のアメリカ領有宣言
有名なアメリカ大陸の領有権に関する奇行・醜聞の一つで、1936年に朝鮮半島の大韓帝国が南北アメリカの完全領有を世界に宣言した。その主張はアメリカ大陸の最初の発見者は韓国人(貨物船の見張り船員)で新大陸の領有権は大韓帝国にあるというもの。大韓帝国は新大陸の奥地へ探険隊を送ったことは無く、諸外国は主張を無視しているが、大韓帝国発行の記念切手やパスポート、学校教科書には大韓帝国の国土として、アメリカ大陸の巨大な地図がのせられている。
・新大陸委員会のすがた
1930年代後半から、新大陸委員会のアメリカ大陸統治が実働した。各種事業に各国から軍人や警察官、研究員、技術者、官僚が派遣され、建設や運輸関係企業の国際的プロジェクトグループが組織された。供出された資金は、ヨーロッパの中堅国家の国家予算を上回った。一部で、新大陸委員会は世界のエリートが集う陰謀集団で、アメリカ大陸に次世紀の超大国を作ろうとしているとささやかれたが、現実のアメリカ大陸は、出入りもままならない断崖絶壁の未開地で、莫大な予算は膨大な輸送コストに多く費やされた。
重要かつ新規の事業は理事会=列強代表の承認が必要であること。独自財源が事実上存在しないこと。とくに軍事・警察力は各国の派遣部隊(5-7年の任期)に完全に頼っていたことから、新大陸委員会が新興国家として周囲の脅威になる可能性は皆無に等しかった。後年、ヨーロッパ列強の一部がアメリカ大陸の奥地で秘密作戦を展開したが、新大陸委員会はその行動を全く察知できず、たくわえていた地理情報や活動ノウハウ、通信施設を一方的に利用されたばかりか、国際連盟本部で行った抗議・弾劾も当初まったく無視された。
・財源と産業育成
新大陸委員会は国営や公営企業、民間航空会社から、新大陸空路や空港の利用料、管理費、保証金を集めた。だが利用を増やすため、初期に意図的に安値に設定したためほとんと利益は無く、職員の出張費や雑費まで有力国の供出金に頼る時代が長く続いた。新大陸委員会は支出節減のため、高くつく輸入食料や生活雑貨、セメントなどの資材の自給自足に取り組み、1940年代末からニカラグア周辺地域の移民を募集した。独自財源の創出にも熱心で、空港の独自発行の切手の販売(主にコレクター向け)と、珍蝶の標本などおみやげ販売の二つは最初の成功例となった。後者は取引量、取引金額はささやかだったが利幅が大きく、下級職員やその家族の副職として人気があった。
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アメリカ大陸に関連する探検家
1.クリストファー・コロンブス(1451〜1500?)
大航海時代の代表的な冒険家。スペイン王家の支援で西ヨーロッパからアジアへ至る長大な西回り航路を切り拓き、のちにスペイン領フィリピンの総督となった。スペインは新たな航路で中国・東南アジアと直接交易が可能となり、莫大な利益を手にした。さらに後年、オーストラリア大陸が発見されて広大な領土も獲得した。だが、コロンブス自身は投機による個人的借金に生涯悩まされ、フィリピン総督時代は政治能力の低さを露呈して有力華僑やインド系商人と対立。フィリピン南部の原住民反乱も防げず統治は混乱した。
1497年、地位を失い孤立したコロンブスは、起死回生の賭けで日本へ向けて商船団を派遣したが、新たな商圏の開拓どころか一隻も帰還せずに全財産を失い、フィリピンの自宅から行方不明となった(没年不明)。なお、日本側の記録には、コロンブスが商船を送り出した翌年、伊豆と相模国の漁村を異国の海賊船三隻が襲ったとある。この地の新興勢力・北条早雲が討伐し大型船一隻と武器・貨物を接収。生き残りの異国人を召し抱えたが、当時の中央や貿易都市(京都・堺・博多)に噂程度しか情報は伝わらず、コロンブスが最後に送り出した探検隊の顛末はスペイン側に伝わらなかった。
2.チャールズ・リンドバーグ(1902~1974)
フィリピン合衆国の冒険家・政治家。若くしてヨーロッパに渡って最新の機械工学を学び、独自設計の画期的高速飛行船「スピリット オブ セブ」を建造。1927年(アメリカ大陸出現前)、パリから西回りに飛び立ち、地球の水半球と呼ばれた「アトラン大洋」の無着陸横断飛行を成功させた。彼の冒険行を契機にツェッペリン飛行船は一挙に評価を高め、民間の航空大量輸送が本格化した。 リンドバーグがたどったヨーロッパからアジアへの西回り空路は、アジア・オセアニアの白人勢力にとって重要な意味があり、大量輸送時代を導いたリンドバーグは母国の英雄となった。
・リンドバーグの戦争
1932~1933年、リンドバーグが義勇軍(空軍)「フライング・タイガース」を率いてインド洋の武装勢力に対して行った一連の戦闘。東アフリカ沿岸、マダガスカル、コモロ諸島、セーシェル、マスカリーン諸島、スマトラ島、モルディブまで含む広大な海域に所属不明の武装飛行船が出没し、ヨーロッパのインド洋空路を閉鎖に追い込みつつあった現地人の海賊や山賊、土侯の私兵を襲撃。当時、最新兵器の空襲に対抗できる軍事勢力は現地に存在せず、一方的攻撃が繰り返された。
アメリカ大陸出現のさいリンドバーグは母国フィリピンにいたが、多くの人びとの予想に反し、異常事態が起きた東に向かわず、インド洋空路の確保のため西へ向かった。個人が武装集団を率いて軍事行動を他国で繰り返すなど、それ自体は犯罪的な行動だったが、フィリピン合衆国やフランス領インドシナ、スペイン副王領オーストラリアなどの白人勢力は、当時前代未聞の異変によって海上交通を遮断され、アジア・オセアニアの有色人種勢力の中で孤立しようとしていた。かれらは、インド洋の賊徒を討つ空の英雄を讃え、1934年初頭マニラ空港に凱旋帰国したリンドバーグと彼の仲間たちは15万人といわれる群衆に迎えられた。
・「リンドバーグの戦争」の実態
「リンドバーグの戦争」はリンドバーグの大衆人気を不動とし、その功績は政界に転じた後も繰り返し取り上げられた。現地住民を多数巻き込んだ空爆と銃撃で1万2000人を超える死傷者を出したとされるが「匪賊討伐」の実情はフィリピン本国やヨーロッパにほとんど伝わらず、賊徒勢力下の村落に対する無警告空爆、畑や山野の焼却、交易船や漁船への無差別射撃、そして毒ガス弾の実験的大量使用は「合理的科学的戦術」と総括された。また、フライング・タイガースは最盛期12隻もの武装飛行船を擁したが、リンドバーグは現地調達した中古船の集団だったと説明。帰国時に3隻しか残っていなかったことも、耐用限界をこえて激戦を繰り返したためだと説明した。しかし、実際に「中古船の義勇軍」に当てはまったのはリンドバーグ直属の本隊だけで、残りは国際企業ツェッペリングループが手配した新造の飛行船兵器だった。ドイツの退役軍人が操っていたことがわかっていて、かれらは義勇軍が解散されると貴重な戦訓と船とともに自国へ引き上げ、のちのドイツ空軍の中核となった。
・疑惑
リンドバーグがもてはやされ、国際問題化が必至の私戦を事実上免責された謎の説明として傭兵説が存在する。「リンドバーグの戦争」はそもそも単なる私戦ではなく、新大陸出現の異常事態に際し、関係国の合意(黙認)で行われたというもので、ある研究者はリンドバーグは単なる表看板にすぎず、黒幕とドイツ人傭兵が全て取り仕切ったと主張した。黒幕として名前をあげられるのはイギリス政府で、次いで同国の国際的投資グループ「CH7」、フランス第三帝国植民省が並ぶ。後にリンドバーグの支持基盤となるフィリピン合衆国極右勢力(陸軍北伐派とマッカーサー家をはじめとした大土地所有者たち)が黒幕と推理されたこともある。
また「リンドバーグの戦争」に際して、義勇兵の行動はあまりにも素早かった。リンドバーグのカリスマ性、決断の早さと説明されたが、リンドバーグ自身が終身大統領就任後間もなく行った政治改革の余波で、マニラ首都警察から秘密資料が報道機関に流出する事件が起こり、リンドバーグがアメリカ大陸の出現よりもかなり早い平和な時期に、大量の武器と戦闘員を集めていたことが明らかとなっている。新大陸の出現前、インド洋の海賊討伐は緊急の課題ではなく、リンドバーグが私兵を率いて何を狙っていたのか現在もはっきりしていない。
・殲滅空軍
リンドバーグ本人はアメリカ大陸に足を踏み入れなかったが、1945年(第一次東亜戦争末期)に日本の焦土化を公言したフィリピン殲滅戦略空軍はリンドバーグが空軍大臣時代に創設した組織だった。フィリピン空爆艦隊は紛争の度に中国大陸や日本、ビルマ、タイへ渡海爆撃を繰り返し、太平洋方面ではハワイ諸島やグアム、イースター島へ足場となる軍事基地を建設。1960年代になり、リンドバーグ終身大統領の秘密命令で新鋭空爆艦と空挺団が北アメリカ奥地へ派遣されたと言われる。
3.アメリア・エアハート(1897~1937?)
20世紀を代表する探検家の一人で、高速飛行船の女性パイロット。アメリカ大陸の「発見者」とされる。
1932年、リンドバーグの単独飛行と同じ大洋横断ルートをたどるべくパリを立ったが、予定した日程の半分足らずで異形の大陸に遭遇した。このとき未知の陸地の目撃、通報は少なくとも143件記録されていて、アメリアは最初の発見者ではなかった。彼女が特別視されるのは、アジアへの超長距離飛行を予定していたリソースを転用し、危険な未知の気象に悩まされながら謎の大陸を調査飛行し、正確な緯度経度や地形、気流、植生などの基礎的科学的情報をヨーロッパへ持ち帰ったことにある(彼女の報告をもとにして、北米東海岸から南米大陸の一部まで、簡易だが正確な地図がすぐさま制作された)。
「アメリカ大陸」の命名は、彼女のこの功績に由来する。
アメリアはその後もパートナーたちとともにアメリカ大陸の調査飛行を繰り返した。1937年、彼女の提唱でイギリス・フランス・スペイン・フィリピン・日本の五カ国合同の大規模調査が計画され、アメリアが最新鋭のツェッペリン社製高速飛行船ヒンデンブルク(主隊)を率いた。安全なアメリカ大陸横断空路を確保するため、飛び抜けるのではなく霧や嵐に悩まされながら要地の航空測量や気象観測を行い、謎の大陸がほぼ中央で細い地峡になっていて、その地に大型飛行船の格好の道標・兼・着水地となる巨大な淡水湖を発見した。こうした貴重な情報を基にして、数週間後、民間の貨物飛行船団がアメリカ大陸の地峡をおとずれて安全な横断に成功し、謎の大陸に遮断された東西の貿易ルートは空路でつなぎ直された。
・アメリア失踪
アメリアの飛行船は支援船団からの補給で飛行していた。新大陸の調査開始から18日目、ヨーロッパ側の支援船団へ貴重な調査資料を下ろすと、アメリアの飛行船は接近する嵐をさけてふたたびアメリカ大陸に向かった。大陸西側の海(太平洋と呼称)にはフィリピン合衆国と日本が用意した支援船団が待機するはずだったが、この時展開が遅れており、アメリアは北アメリカ大陸の西海岸の一部を航空調査した後、8日後に自ら支援艦艇の仮の集結地・ハウランド島に向かうことにした。だが、アメリアの飛行船は予定日を過ぎてもあらわれずそのまま消息不明となった。遭難(不時着)、漂流を念頭に大規模な捜索活動がはじめられたが、アメリアの飛行船が到達できた範囲はあまりにも広く、二ヶ月以上かけた捜索で一つの残骸もみつからなかった。アメリアは歿年不明のまま新大陸に名を残し、大陸横断空路を切り拓いた伝説的冒険家として現在も尊敬を集めている。太平洋にはアメリアの終焉の地を探すアマチュア飛行家が今もいて、時折話題となる。
不確実な情報だが、事件当時、南大西洋上にいたフランスの貨物船がアメリアからの緊急通信を受信したといわれる。悪戯か誤報として顧みられなかったが、事実ならアメリアは故障など何らかの理由で西の太平洋ではなく南アメリカ大陸(全くの未踏領域)へ飛行船を進ませていたことになる。この異説をもとに、1968年に南米奥地の架空の密林王国の白人女王の一人娘・タザーナを主人公にした冒険小説が刊行されヨーロッパで爆発的人気をえた。
・疑惑
アメリア失踪当時、アジアの新興国の日本が彼女を拉致したという噂が囁かれた。日本はアメリアの新大陸探索に協力していたが、フィリピン合衆国と琉球や台湾の領有権、漁業権、イスラム教徒レジスタンスの取締をめぐってしばしば対立しており、アメリア機の行方がつかめず市民の苛立ちが募ると、日本はいつのまにか陰謀論の主役にされていた。曰く、日本は友好的な態度の裏で、フィリピンがヨーロッパ世界との連絡を失い、アジアで孤立する状況が長引くことを望んでいた。そのために邪魔なアメリアへ偽の気象情報を送り、太平洋に不慣れな彼女の飛行船を嵐の中へ突っ込ませた。洋上の残骸は、日本側の艦艇が捜索活動の陰で徹底的に処分した、と。あるいはニセの補給船を出して、アメリアの飛行船を騙して降下させると捕縛。呼び寄せていた捕鯨船団に飛行船ごと収容すると日本へ拉致した。あるいは検疫と偽り、ミクロネシアの日本の秘密基地に移送、などである。証拠のない空想だが、1944年の第一次東亜戦争の最中、フィリピン合衆国政府が対日政治宣伝に陰謀説の映画を公開し、その後も同様の主張を繰り返したため、ある年齢層の合衆国市民の間では日本のアメリア謀殺/拉致説がかたく信じられている。
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アメリカ大陸の冒険時代
アメリア失踪後もアメリカ大陸の探査は続けられた。南北アメリカ大陸は地峡部から大陸の奥へ進むほど暴風・砂嵐・雷などの殺人的気象現象が威力を増し、飛行船の運用はきわめて危険だった。このため、アメリカ大陸の海岸線や大きな河川に沿った航空調査が一通り終わると、有力国や大企業は利益が薄く危険な奥地への関心を急速に失い、新大陸委員会も地峡部の中継基地(空港)の整備と拡充に力を注いだ。
一方、アメリカ大陸には一般大衆から「冒険大陸」の俗称がつけられた。手つかずの未知の自然、無人大陸というイメージに、国家や企業の利権と(採算が取れないために)縁が薄いという状況が重なり、ロマンティシズムやヒーロー願望、知的好奇心がないまぜになって関心が高まった。アメリカ大陸の探検に個人で乗り出す者やその支援者が次々あらわれ、著名な作家や退役軍人、富裕な発明家、新進気鋭の起業家や貴族の子弟が新大陸へ渡った。他方、アメリカ大陸には「逃亡大陸」「無法大陸」との異名もつけられた。無法な蛮地への脱獄囚の逃走、犯罪組織の麻薬農場建設、海賊の出没といった真偽不明の噂が流れた。
危険なアメリカ奥地への無秩序な探検は、民間人の遭難事故や行方不明者の続発につながり、帰還者からもたらされたとされる情報はろくに検証されず、ヨーロッパ諸国のタブロイド紙や講演会で世間へ公表された。白人そのものの容貌の原住民(欧州では高貴な野蛮人とよばれた)、高い四角い塔城のならぶ廃墟、毛長の巨象や剣虎の棲む森、首長竜がひそむ大湖、奇怪な文様をえがいてなぎ倒されている森林の話が大衆の興味を集め、怪しげな証拠写真が大量に出回ったが、冒険家が支援者の富豪や新聞社を喜ばせるためのねつ造も多かった。アメリカ大陸の西岸でも似たような騒ぎは5年から10年遅れで起きた。日本人やフィリピン人、スペイン系オーストラリア人の冒険家が主役で、太平洋側の噂はなぜか「未知の人工物からの襲撃」が多かった。
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大空港 ニカラグア
「ビック・アックス」「地峡湖空港」と呼ばれる国際連盟管理下のニカラグア空港を擁する新大陸アメリカ最大の都市。人口約22,000人(1960年)。もっとも早く開発された地域である。新大陸で食料や生活物資をまかなうため、空港都市の近隣に10余りの町や村が作られ、軽工業や農業牧畜、湖の漁業(養殖含む)、養蜂、林業が営まれている。
アメリカ大陸の中継空港は、大陸出現によってヨーロッパ・アジア間の海上交通が絶たれたことで緊急工事で建設された。アジアで孤立した白人勢力(植民地政府など)の悲鳴に近い要請で、大規模で安定した定期空路を再構築し、海路を代替させることが急がれたのだ。ニカラグア湖周辺が建設地に選ばれ、湖面と湖岸を停泊地にした大空港が計画されたが、未知の大陸の自然環境の理解は不十分で工事は問題が続出した。とくにニカラグア湖の利用は、季節によって海のように湖面が荒れることやサメなどの危険生物がいることが後から分かり何度も計画の見直しが行われた。1939年、ニカラグア湖国際飛行船停泊地として開港。空港を名乗らなかったのは、スタート時に運用できたのはわずか5隻分の離発着場だけだったためで、設備や機器の数量や性能不足は深刻だった。
・ニカラグア火酒騒動
1940~44年、新大陸委員会管理下のニカラグアの地峡空港と関連組織を巻き込んだ混乱。発端は開港直後の火災事故で、安全運行と空港機能の改善拡張を急いでいたことから、新大陸委員会は関係者に対して空港及び工事関係施設と作業現場の全面禁酒を定めた。ニカラグアに多種多様な国籍の異才が集まる中「禁酒」はあくまでも常識的な飲酒マナーを広め、ルールを厳守させる第一歩のはずだったが、有志グループに啓蒙啓発活動を任せたところプロテスタントの新興セクトにつながり暴走。密輸や密造、ルール違反の飲酒の摘発とその懲罰に過剰にのめり込んだ。酒瓶や酒器を破壊する強引な捜索、対象者の尾行、店の営業妨害、悪質な違反者への私的制裁が繰り返され、安全意識向上や事故防止の当初の目的から外れた禁酒運動に憤懣が爆発し、暴動に近い騒ぎとなった。最終的に治安組織が再編され(コウバンシステムの導入など)、道徳警察まがいの禁酒組織は強制解散となった。残党はユカタン半島へ移り住み、厳格な道徳規律のコミュニティを作った。
・テキーラ
禁酒法時代と呼ばれた3年半余の間、国際空港の内外で密造酒がさかんに作られた。運動廃止後も酒造りは一定の支持をえて改良が重ねられ、新大陸の独自の蒸留酒テキーラが誕生した。テキーラはイタリア人の雑貨商アル・カポネが開発と販路拡大を主導し、禁酒法時代はあらゆる手段で密造密輸に協力した。カポネの下でテキーラの風味は現在のかたちに完成し、空港土産から販路を少しづつ世界へ広げた。このときテキーラは「国際連盟の下で開発された新世界の酒」と公認であるかのような誤解を招くキャッチコピーでヨーロッパで宣伝された。
なお、カポネは「タバコ」と呼ばれる大陸産の薬草の愛好者(愛煙家)として知られ、イギリス資本と組んで一般大衆への普及を目論んだことでも知られる。しかしタバコは毒物を含むことが早い段階で広く知られて拒否感情が強く、なかなか市民に浸透しなかった。
東洋と西洋の海上長長距離輸送路が(高コストながら)安定すると、新大陸委員会による本格的な大陸調査が再開された。だが、拠点ニカラグアから南北アメリカ大陸奥地への進出は、メキシコ・コロンビア地域から先には自然環境に阻まれてなかなかはかどらなかった。新大陸委員会は1950年代初め、一定の成果が上がったとして探索遠征を縮小・中止し、ニカラグア市の近代化と空港機能向上にリソースを集中した。余力は「地峡横断鉄道建設」と断崖の「巨大リフト建設」の予備調査・試験工事に振り向けられた。南北アメリカ大陸の探索は、名声や冒険そのもの、あるいは学術的価値を目的とした民間人(探検家や好事家、ジャーナリスト、科学者たち)に委ねられた。
・ニカラグアの針事件
アメリカ大陸奥地の異形の危険生物が、はじめて公に確認された事件。1958年末、国籍不明の大型飛行船(中破)がニカラグア北方に漂着し、吊り下げられていた一角単眼の巨人が暴れ出した。都市伝説と思われていた怪物の襲来に対して、ニカラグアの軍組織や警察の動きは後手に回り市街地に大きな被害が出たが、巨人は市のシンボルの通信タワービル(通称・ニカラグアの針)によじ登ったところを、試験中の新型飛行機械の銃撃を受けて転落死した。異形の生物の正体と、これを捕獲していた国籍不明機の素性は国際的な大問題になり、当時のアメリカ大陸に流れていた噂(列強が大陸奥地に秘密基地を建設し、コマンド部隊や山岳部隊、外人部隊を送り込んでいる)がクローズアップされた。
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冒険家の街 ヒューストン
北アメリカ大陸の人口八千人余りの街(1960年)。リオグランデ川を超えた先で未知の北米大樹海に接し、大規模探検の最前線基地になっている。早い時期に「五本指」と呼ばれる大型施設(強力な通信基地、飛行船発着場、病院施設、それらを支える火力発電所と燃料基地)を集中整備したことで、大空港 ニカラグアに次ぐ街に急成長した。
1960年頃のヒューストンの街は成長期で、未知に挑む冒険家が世界中から集まり、熱気と活気にあふれていた。同時に人の出入りが激しく行方不明事件が多く、暴力事件や車両の暴走行為、発砲事件があとを絶たなかった。街の中心部を外れると、インフラ整備が不完全な開発区画にかまぼこ型の簡易宿舎や貸し倉庫、駐車場があるだけの「集合住宅地」が広がり、不法滞在者が住みついた一角は難破船が打ち上げた様な二.三階建てバラックが密集。治安や衛生状態は極端に悪く、武器密造や密輸、売春、麻薬の犯罪組織がはびこった。
・ヒューストンの武装車両行政
ヒューストンには、ジョンソンセンターと呼ばれる専門工場が大小百近く集まるエリアがあり、遠征調査用の特殊車両やボート、銃火器、各種装備を取り扱った。四駆車輌や動力ボートの特殊改造・武装化に関して高い水準の技術と経験を有し、年100台を超えるペースでオートバイやサイドカー、ランドローバー、ピックアップトラックを修理・改造した。一部の冒険家は、自分が入手したハーフトラックやケッテンクラート、シュビムワーゲン、中古の装輪装甲車を持ち込み独自改修した。
ヒューストン市当局は、冒険家たちの中古兵器の個人輸入(トラクター、スクラップ名目)や民間車両の装甲化・武装化を規制しようとしたが、アメリカ大陸の探検の危険度が増すにつれて条件付き容認に転じた。
さらにニカラグアの巨人事件のあと、市当局自身が装甲車両部隊の結成を決定。1960年、北米大陸向けに改修した巡航戦車コメット3両、歩兵戦車チャーチル3両、重戦車コンカラー4両からなる戦車隊を試験運用して「戦車警察」乃至「超級警備隊」と呼称した。なお、ヒューストンの関係者は、イギリスの当時の主力戦車センチュリオンを高く評価し、単一の隊編成を希望していたが、イギリスが本国でも廃れたコンセプトの「重戦車」を新大陸事業の拠出金代わりに(交換部品や治具一式とともに)押し付けてきたことから、大戦期のイギリス製中古戦車と重戦車の歪な編成になった。ヒューストンの戦車隊の一件は、新大陸委員会が有力国から中古兵器や試作品、短命な新型車両を押し付けられ、苦労しながらアメリカ大陸で運用するパターンの代表例となった。
こうしたヒューストンの様子は武装車両行政と言われた。
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人食いのカリフォルニア島
北アメリカ大陸の西海岸沖の巨大な島。人食い島、棺桶島、黄金島、不思議島などさまざまな呼び名がある。太いニンジンのような形でスカンジナヴィア半島とほぼ同じ面積。アメリカ大陸と狭い海峡をはさみ、寄り添うように位置している。カリフォルニア島の海岸線は入り組んで険しいが、大陸のような断崖絶壁ではなく、大小の入り江から比較的容易に上陸が可能だった(静かな砂浜もみられる)。地上は鉛灰色の陰気な風景で、乾いて起伏の大きな荒れ地が広がり緑はほとんどない。大きな生き物の姿は見られず、海鳥のすがたはまったく見えない。奇妙なことにアメリカ大陸や近くの小島の海鳥の群れも、カリフォルニア島近海には近づこうとしない。その理由は不明である。
・カリフォルニアの虫喰い洞窟
カリフォルニア島の地下には無数のトンネルがあり、カルスト地形を思わせる巨大な洞窟も確認されている。世界最大級の洞窟地形と言われるが、火山活動や水の浸食作用が認められず多層で、ほかの地の天然洞窟とかけ離れた特徴をもつことから「蟻の空き巣」「虫喰い洞窟」と言われることがある。トンネルの長さや深さの広がりは不明で、公的な本格調査は渡航禁止(後述)で中断されてから行われていない。
・希望と失望の地
カリフォルニア島は、アメリカ大陸やほかの島々と共に出現したが唯一、不壊の「城壁」をもたず比較的容易に船舶から上陸できた。アメリカ大陸への進出拠点、太平洋航路の東の終点(停泊地)として利用が検討され、予備調査も行われた。気の早い大規模開発プランも出されて、カリフォルニア島の東端からアメリカ大陸の断崖の上に鉄橋を架けることで陸路をつなぎ、カリフォルニア島の港湾施設をアメリカ大陸の西の玄関口、資源輸出の海上貿易拠点にするとされた(金門橋計画)。
しかし、人びとの期待が集まる中、のちに「人食い島」「棺桶島」と言われるほど異常な行方不明事件が続発。わずか7ヶ月でカリフォルニア島の内外で測量調査にあたっていた男女134人が消息を絶った。国際連盟は各国に渡航禁止を公告する一方、現地調査を行ったが失踪者は一人も発見できなかった。一部の冒険家や研究者の間で、カリフォルニア島の地下深くには獰猛な飛行生物(通称・モスマン)が巣くい、夜が来ると大群で人や動物を襲うと噂が流れていたが、あいまいな目撃談や爪痕(?)だけで証拠はなかった。現地の大規模調査でも、地下トンネルは限られた範囲しか踏破できず真偽は確認できなかった(失踪者の船やキャンプに激しい戦闘の跡があったことは事実だった)。
前後して、カリフォニア島の土地利用が非常に難しいことが分かった。無数の地下トンネルと、カリフォルニア島の地表の岩そのものが軽石のようにもろいことが理由だった。飛行船から地上調査に移行すると、危険なたて穴があちこに口を開いて人や家畜の地表の移動が難しいことがわかり、大型車や建設機械は自重でたちまち擱座した。島の奥地に着陸した飛行船が係留杭をまともに打ち込めず横転する事故も起こり、船体が浮力を無くすと、事故機は現場直下の洞窟の天井を壊して地下に落ちた。カリフォルニア島での道路建設や大重量の機械設置、ビル工事は事実上不可能と判断された。降水量が少なく、河川が全くないことも評価を下げた。
また同時期、「アメリカ大陸の北極圏の島々には、太平洋と大西洋をつなぐ抜け道ルートがある」「北アメリカ大陸の中央には巨大湖があり、東西にのびた大河で太平洋と大西洋はつながっている」との噂が話題となった(→「北アメリカの天然運河」の項目参照)。人びとの注目は逸れ、カリフォルニア島は得体の知れない危険がひそむ「岩クズの山」とまで酷評されて忘れられた。
・ゴールドラッシュ
1954年3月1日、カリフォルニア島近海で漂流する日本の漁船が発見された。無人の船内にはさまざまな機材や地図書類とともに、一億円相当の砂金があった。この事件により、カリフォルニア島の地下トンネルの迷路の奥に大量の金が眠っていることが判明した。漁船の日本籍は偽装でオーナーや母港は不明。何者かが金の存在を知り、国際連盟の巡視をかいくぐってひそかにカリフォルニア島から金を採取していた。金の発見の経緯や第一発見者、盗掘の関係者、20名以上いたはずの偽装漁船の乗組員の行方は、現在も解明されていない。
カリフォルニア島の金の情報はあっけなく世界にもれ、各国から一攫千金目当ての渡航者が押し寄せた。数百人が無為無策に迷路のようなトンネルの奥へ入り、さまざまな事故に遭い、不可解な集団失踪事件も再発した。だが、文字通り手づかみで砂金を取れる「砂金だまり」を見つけて一夜で百万長者となる者もあらわれた。
・汚れた黄金
カリフォルニア周辺では、1954年半から治安が急激に悪化し、莫大な利益を目当てに中国系やロシア系、日本の犯罪組織がそれぞれ密航ルートを築いた。不法な渡航者の総数は不明だが、漁船や貨物船、ヨットなどに偽装した密航船がカリフォルニア島へ接近し、ある推計では毎年30,000~40,000人を各所の入江から上陸させた。犯罪組織がらみで強制的に送り込まれるケースも多く発生し、日本のヤクザ組織の場合、借金漬けの男女を危険なカリフォルニア島に行かせることをマグロ漁船送りと隠語で呼んだ。また、ある華僑系組織の大型船の拿捕事件では、船倉から凍死・餓死した児童が100人近く見つかり、その後中国大陸で誘拐されたり売買された児童奴隷と分かった。
カリフォルニア島へ自由意志で渡った者たちも、しばしば密航組織に採取場を占拠されたり、強盗集団に砂金を狙われた。対抗した渡航者たちの武装化やグループ化はさらに治安を悪化させ、砂金が採れるトンネルの「利権争い」で密航組織の採金集団と、重武装の渡航者たちが殺し合う事件が発生した。この時期、カリフォルニア島の内外で、犯罪がらみの制裁や抗争事件で、毎年4,000人が死傷したとされる。トンネルの中の事故や、不可解な集団失踪事件も続いていたが、押し寄せる人間と彼ら自身が引き起こす殺傷事件があまりにも多く重大視されなかった。カリフォルニア島の人食いの怪物の存在を主張する人びとは、ゴールドラッシュの陰で捕食者の増殖や人肉へのナレが進行し、人間への危険が高まっていると主張している。
こうした一連の凶悪な事件や問題は諸外国でも報道され、次第にカリフォルニアで採掘される金は汚れた黄金と呼ばれるようになった。
1959年の夏には、ゴールドラッシュとは無関係な日本の漁業船団が、不審な武装船に銃撃されて死傷者が出た。新大陸委員会は国際問題化したカリフォルニア島の治安悪化に対し、日本政府に協力を求めた。最初の偽装漁船捜査から最近の密航組織摘発まで協議を重ねていたためで、1960年より駆逐艦2隻を主力として二年間の近海の警備活動が実現した。新大陸側でも、哨戒艇や哨戒飛行船の更新や増補が行われ、商船改造の軽空母と、捕鯨母船を改修した軽武装の大型取締船(武装ボート母船)が島の近海へ送り込まれた。
・さまよう島
ゴールドラッシュ後、取締活動の刷新のためあらためて詳細な航空調査が行われた。その結果、カリフォルニア島の現在の位置が地図上の位置(過去に測量された位置)から大きくズレていることがわかった。ニンジン型の島の向きも「先端」が西へ3度以上、向きが振れていた。記録を調べた結果、散歩するかのようなズレは過去に二度、カリフォルニア島の警備隊から報告されていたが、島の注目度の低さから毎回機械の故障や報告者の錯誤として処理されていた(現場の警備隊員は、自分たちで手直しした海図を使用していた)。
さらに、伝説の航空冒険家と呼ばれるアメリアもこの問題に気がついていたとみられ、最後の調査飛行のさいカリフォルニア島を精査する計画を立てていた(実行はされず、失踪事件により疑義を公にする機会も失われた)。
新大陸委員会の研究部門には、巨大大陸アメリカの出現の謎を解く手がかりが、カリフォルニア島の異変にあると考えている者も多い。しかし、移動現象はその後確認されず現地調査(とくに地下の探索)はゴールドラッシュの混乱により不可能な状況にある。自由な上陸どころか場所によっては低空飛行さえ危険で、最短でも治安回復まで3年はかかるとみられている。
このアメリカ大陸の記事の執筆はK John・Smithとボイジャーによる共同執筆によって行われました。
【原案:K John・Smith 編集:ボイジャー】




