レソト共和国 - ウィキパディア
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レソト共和国
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レソト共和国とはアフリカ南部に位置する共和制国家である。イギリス連邦の加盟国のひとつで、領土の三方を南アフリカ共和国に囲まれた国家である。首都はマルギットで、1966年にイギリスから独立した。
公用語:ソト語・英語
首都 :マルギット
人口 :6,835,432人
民族 :ソト族・ズールー系民族・白人・その他
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目次
1.国名
2.歴史
3.地理
4.地方区分
4.1自治州
4.2県
4.3主要都市
5.政治
6.軍事
7.経済
8.国民
9.交通
10.文化
10.1祝祭日
10.2標準時
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国名
「レソト」とは「ソト語を話す人々」という意味する。
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歴史
・ボツワナから南アフリカ共和国北部にかけては、サン族の居住地だった。
・16世紀 - サン族と競合が始まった。(バントゥー系ソト族が北方より移動してきてサン族を駆逐)
・1818年 - 初代国王モショエショエ1世がサン族を排除し、ソト族の長となった。
・1840年代 - 南アフリカのオレンジ自由国からボーア人の進入に対抗するため、イギリスの保護を受ける。
・1868年‐イギリスの保護領となった。イギリス領北バストランドが成立。
・1871年‐完全にイギリスの植民地にされる。
・1884年‐イギリス領北バストランドと南バストランドの統合が議会によって決定される。
・1885年‐イギリス領バストランドが成立。
・1890年代‐マルギットやポートエドワードを中心に工業化が進む。
・1902年‐地方政治に限り、自治が認められる。
・1953年‐イギリスより独立しモショエショエ2世を国王とするレソト王国を建国。イギリス連邦に加盟した。
・1954年‐旧南バストランドの住民がショエショエ2世による統治に反発。
・6月8日‐軍によるクーデターが発生しショエショエ2世を幽閉する。
・7月13日‐クーデター軍のレボン・レハンヤ軍司令官が王国の解体と共和制国家を宣言。
・7月23日‐ショエショエ2世をニューシェピー島へと追放。
・7月24日‐モショエショエ2世の皇太子が即位。同時にレボン・レハンヤ軍司令官が大統領に就任する。
・1956年‐レボン大統領は南アフリカに対してクイーンズタウン、イーストロンドンまでの領土を歴史的に見ればそれらの地域はレソト共和国に編入されるべきだと表明し領土の割譲を要請する。南アフリカはこれを拒否。
・1956年‐レボン大統領は大レソト主義を表明。
・1957年
・5月1日‐レソト軍が南アフリカの南東国境地域を突破し突如として侵攻を開始する(レソト大攻勢)。レソト戦争が勃発。
・5月19日‐レソト軍はレソト国境から南東地域幅約58kmの地域を占領下に置く。
・5月22日‐南アフリカ軍による本格的な反抗作戦が開始される。
・6月8日‐南アフリカ軍がクイーンズタウン作戦を実行し3日以内にレソト軍に占領された北部地域一帯をほぼ奪還する。
・7月‐南アフリカ軍がレソト軍が支配するウムタタを奪還しこれによってレソト軍は最後の都市を消失する事になり全軍がレソトに撤退。
・9月‐南アフリカとレソト共和国はイギリスとの仲介によって休戦条約を締結。
・1958年‐レソト戦争の終結がイギリス、ロンドンで行われたロンドン会議によって合意される(ロンドン合意)。合意の17日後にロンドンにてレソト戦争の終結宣言が出される。
・1959年‐事実上の敗戦によってレボン大統領に対して国民が退陣を要求するデモが各地で行われる。しかし、レボン大統領は軍を動員してこれを弾圧。
・10月‐レボン大統領は首都をマルギットからニューシェビー島へと遷都。
・1962年‐レソトはソ連軍の基地をニューシェビーに誘致し同盟を関係を結ぶ。
・1963年‐南アフリカとの外交的対立が悪化。
・1966年‐レソト軍が再び南アフリカへと侵攻。この際、レソト軍はソ連軍の支援を受ける。第二次レソト戦争勃発。レソト軍はローデス、エリオット、ムカンドゥリ、コーヒーベイまでの南アフリカ地域を占領。南アフリカとの激しい攻防戦が始まる。戦争は南アフリカがソ連の本格的介入を恐れた為、約3ヶ月で終結したが、南アフリカは大半の地域を奪還しレソトの支配地域はコーヒーベイ、ウムタタと付近の地域一帯のみという結果になった。
・9月19日‐国連はレソト共和国に対して経済制裁を実施。
・1967年
・1月2日‐レボン大統領が交通事故で死亡。
・1月3日‐レボン大統領の側近であるジョージ・レドボ軍司令官が大統領に就任。
・2月13日‐反体制派が旧北バストランドにて決起しレソト内戦が勃発。
・5月20日‐反体制派が討伐される。
・6月29日‐事実上の秘密警察である国家警察軍が創設。秘密警察による弾圧によって少なくとも1万人から3万人以上の国民がジョージ政権の崩壊までに犠牲となる。
・1969年‐ニューシェビー島に南半球最大のソ連軍潜水艦基地と空軍基地が建設される。
・1970年‐ソ連の南極観測隊がニューシェビー島より出発。これに同行したレソト大学の動物行動学者サリー・エドマンズ教授がレソト人で初めて南極大陸に上陸し1930年代に南極大陸で発見された世界最高峰(標高3万4千フィート)の巨大山脈をソ連探検隊と共に調査する。
・1971年‐黒人大統領下であったにも拘らず旧南バストランドの地域に限って白人優遇政策を実施した。
・11月‐ソ連科学アカデミーの研究施設がニューシェビー島に建設される。
・1972年‐国家警察軍によるウムタタ住民弾圧虐殺事件が発生する。
・1975年
・12月8日‐ニューシェビー島において11万人の全島民が一夜にして姿を消す事件が発生する。レソト軍は国家緊急事態宣言を発令する。
・12月9日‐大陸駐留のソ連軍がニューシェビー島を調査。
・12月10日‐9日の島民消失事件によって事件当時、首都に居た政府首脳陣も行方不明となった為、レソト軍は緊急的処置としてマルギットに臨時政府を設立する。
・12月11日‐ソ連から派遣されたソ連軍の調査部隊がニューシェビー島に上陸。
・12月24日‐国家警察軍とレソト軍の間で対立が発生しマルギットにおいて3日間に渡る大規模な銃撃戦が発生する。
・12月30日‐レソト軍は国家警察軍の全ての捜査権を凍結する処置を発表する。
・1976年
・1月1日‐レソト軍のピーター・ピエット軍司令官が6月中に大統領選挙を行うと告知。
・3月19日‐ニューシェビー島にソ連とアメリカが大規模な共同調査隊を派遣。
・6月30日‐大統領選挙の結果、レソト民主会議のトーマス・モヘレが大統領に就任。
・7月10日‐首都がニューシェビー島からマルギットに正式に遷都される。
・7月12日‐国家警察軍が廃止され国家警察軍の長官や副長官など国家警察軍上層部の29名が軍に逮捕される。後に全員が銃殺刑となる。
・1977年‐前政権が行った多くの悪法とされた政策や法律を廃止し国民投票によって憲法が改正される。レソト共和国の民主化。
・1978年
・4月5日‐前国王が退位しモショエショエ2世が復位した。
・8月4日‐ニューシェビー島の事態が解明できていない事からレソト政府はニューシェビー島への一般人の一切の立ち入りを禁止。島の管理はレソト軍、ソ連軍、アメリカ軍が共同で管理する地域となる。
・1980年代‐南アフリカとの関係が再び悪化する。
・1993年‐アネット政権の政策に反発したレソト軍がクーデターを起こし、政権を転覆し、全ての政党の活動を禁止する。
・1994年‐サティー・バーマン大佐率いる王政派青年将校らが軍政を敷いていた軍司令官を暗殺。その後、サティー大佐を中心に新たな軍事政権を樹立させる。
・1995年‐HIV排除法が成立。国内に急増していたHIV患者を軍が隔離し毒ガスや銃で殺害する行為が横行。この虐殺によって数万人のHIV患者が殺害される。国際連合はこれに対して虐殺行為であり人道危機であるとレソトを非難。
・1997年‐サティー大佐が反体制派に暗殺され軍事政権が崩壊。軍が内部分裂を起こす。
・1998年‐アメリカ軍、ロシア軍、ボツワナ軍が国内で治安維持活動を行い治安を改善させる。
・1999年‐治安回復を受けアメリカ軍とボツワナ軍が撤退した。
・2000年‐定数250、小選挙区比例代表併用制を柱とする下院関連法が改正された。
・2002年‐下院再選挙と大統領選挙が実施され、与党レソト民主会議が勝利する。シシリモ政権が発足した。
・2007年‐下院総選挙と大統領選挙が実施され、与党レソト民主会議が勝利する。第2次シシリモ内閣が発足した。
・9月‐ロシア海軍が休止させていたニューシェビー島での艦船駐留を再開。
・2012年‐下院総選挙と大統領選挙で全バソト会議、バソト国民党などによる連立政権が成立。トーマス政権が発足した。
・2013年‐ニューシェビー島が自然保護区に設定され動物保護団体との共同プロジェクトで絶滅の危険がある動物を密猟者から守る為に絶滅が危惧されている動物をニューシェビー島に移送する。
・2015年‐クーデター未遂事件が発生する。
・2017年‐大統領選挙によってレソト初の白人女性大統領が誕生した。
・2018年‐白人大統領に反対する一部の将校と外国人がクーデター未遂事件を引き起こしたがレソト軍によって鎮圧され、レソト人68名、南アフリカ人8名が逮捕された。
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地理
国土の約半分がドラケンスバーグ山脈の山中に位置するため、旧北バストランドの地域は平地が一切なく、標高が1400mを超える。最高峰は、タバナントレニャナ山であり、標高2482mはアフリカ大陸南部の最高峰でもある。旧南バストランドは旧北バストランドの南東に位置し隣接している。また、アフリカ大陸最南端とほぼ同じ緯度に位置するニューシェビー島が南アフリカから見て東南に位置している。ニューシェビー島のレソトの大陸沿岸からの距離は約210km離れている。ニューシェビー島の面積は日本の九州の約半分程の面積である。
レソトの気候は恵まれている。大陸部の領土の大半はケッペンの気候区分による温暖湿潤気候と西岸海洋性気候であり、イタリア北部に似ており、雨季は存在しないものの、10月から4月にかけての夏季に降雨量が多く、冬季は乾燥している。年間降水量は700mから800m程度である。
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地方区分
レソト共和国の上級の地方行政単位は州でありレソト州と南レソト州の2つの州が存在しその下に16の県が存在する。レソト州と南レソト州の領域は旧北バストランドと旧南バストランドの領域となっている。ただし、南レソト州には第二次レソト戦争でレソトに併合された南アフリカの地域も編入されている。
・主要都市
・マルギット
・ポートエドワード
・マセル
・ポートシェプストーン
・コクスタッド
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政治
国家元首は、大統領と国王の二人であり体制としては共和制をとっている。国王は国民統合の象徴的地位で、政治的権力を有していない。レソト共和国の政治の特徴としては大統領の地位が国王と同じ地位であるという事である。所謂、二頭政治に近い。しかし、国王には政治的権限は無い為、事実上の政治的国家元首は大統領である。大統領の権限は2000年以前は非常に強力なものであったが、2000年以降は憲法によってある程度は抑えられている。レソト共和国議会は二院制である。
また、旧北バストランドと旧南バストランドの住民の間では一部で対立が存在する。
以下はレソト共和国の政党。
・レソト民主会議
・バソト国民党
・レソト国民会議
・レソト王党派連盟
・バソト会議党
・統一民主党
・統一レソト会議
・マレマトロウ自由党
・自由国民党
・セファテ民主党
・北レソト民主独立党(非公式)
・南レソト解放運動(非公式)
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軍事
詳細は「レソトの軍事」を参照。
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経済
レソトの経済は、諸外国への工業製品の輸出と繊維製品と農業製品を中心とした輸出、アフリカ諸国への出稼ぎで支えられている。南部のマルギット、ポートエドワードでは1890年代にイギリス人が工場を建設した事からその後、重工業、軽工業などが発展し1940年代から1950年代においてはアフリカ大陸でも有数の部類に入る工業地帯が形成された。イギリスの植民地時代にはこれらの工場で製造された装甲車や自動車などが第二次世界大戦で使用されている。独立後はこれらの工業地帯で製造される工業製品や軍用車両などがアフリカ大陸を中心とした諸国に輸出されレソトの経済は工業製品の輸出に依存した。しかし度重なる戦争やクーデター等の事件による社会的混乱によって工業設備の更新などが進まず、その品質はしだいに南アフリカなどの他の国々に追い抜かれて取り残されていった。その為、現在では工業製品の輸出量もアフリカの他の工業国に比べれば多くなく、レソトの工業は国内向けの軍需産業によって辛うじて支えられているのが現状である。その為、1980年代にはレソトは慢性的な赤字貿易となった。
その後、レソト政府は、慢性的な貿易赤字を解消、工業のみに依存した現状からの脱却、これ以上の拡大的発展が望めない農業以外の産業を振興する為に繊維加工業に着目した。貿易優遇措置を講じた結果、アメリカ市場向けの繊維産業誘致に成功し1980年より続いていた赤字貿易を脱却し2000年以降、年率3.2%を超える国内総生産の成長を達成した。近年では観光業の誘致にも力を入れている。
なお、レソトは長年、法律によって外国からの輸入自動車の数を税制面で規制する処置をとっており、国内向けに自動車の生産を強化している。しかし、この処置には反対の声も多くあり、諸外国からは撤廃を求められている他、国民の間でも国産自動車の性能の悪さから、政策に反対する声が多くある。レソトは国産自動車の輸出も行っているが、輸出事業は大きく伸び悩んでいる状況である。参考までにレソトの国産自動車に使われている技術の多くは1930年代から1950年代の物が多いとされている。この為、走行性も含めて排ガスなど多くの性能に問題点が指摘されている為、レソトの国産自動車は欧米諸国では輸入する事ができない状況である。
また、レソトの旧首都でもあったニューシェビー島には石炭や鉄鋼の鉱山が存在しているが、11万人の全島民が失踪した事件の後はニューシェビー島には住民は居住しておらず、今では鉱山も全て放置され手付かずの状況となっている。
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国民
・人口比率
国内で人口が多い傾向があるのは南側で、特に工業地帯を有しているマルギットやポートエドワード等の都市部に人口が集中している。
・民族
国民の約4割(約219万人)はバントゥー系のソト族である。その他の約5割の住民がズールー系民族で占められ、1割未満の住民が白人やその他の民族で占められている。白人はその大半がイギリス系の住民である。
・言語
基本的にはソト語(セソト、南部ソト語)と英語が公用語とされている。また、他の民族の言語も少数ながら使用されている。語者が最も多い言語は英語となっている。
・宗教
国民の約8割はキリスト教徒である。この他としては地域の伝統宗教も存在する。
・保険
HIV感染者が1990年代以降激増しHIV排除法による非人道的な虐殺行為によって国内のHIV患者は激減したが現在でもHIV感染者は多く、国民の7人に1人がHIV感染者である。感染者が多い地域はレソト州でありレソト州では平均寿命は60歳から35歳と、成人死亡率が世界でもっとも高い。
・白人優遇政策
1971年の法制定以降、レソトの南レソト州では白人を優遇する政策が実施され続けている。国際人権団体などは人種差別であるとしてレソトに対して政策の撤廃を訴えているが、現在でもレソト政府は政策を撤廃していない。レソトでは白人は少数民族として登録され政府が保護すべき民族であるとされており、税金面で白人は優遇されている。また、白人と有色人種の結婚を1年間に上限数を設けることで制限しており、政府は白人同士の結婚を奨励している。その為、レソトの白人人口は他のアフリカ諸国に比べて年々、増加の傾向にある。
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交通
3つの空港とレソト横断鉄道を有している。しかしながら、国内の基本的な移動手段はミニバスやバス等が主流となっている。
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文化
1953年の独立から初等教育に力を入れている。男女格差が最も少ない国家の一つであり、女性の識字率は2001年時点で90.3%に達する。しかし、男性の識字率は81.1%にとどまっている。これは男子児童が放牧の労働力として組み込まれている家庭が多い為である。
・祝祭日
・10月3日:戦没者追悼の日
・10月4日:独立記念日
・12月8日:慰霊祭
・標準時
レソトではUTC+3を採用しており、協定世界時より3時間進んだ時間を採用している。レソト戦争以前は南アフリカ標準時を採用していたが、レソト戦争後に当時のレボン大統領がUTC+3を採用しそれがそのまま現在でも使用されている。




