南洋幕府 ‐ ウィキパディア
ウィキパディア-フリー百科事典
ページ/ノート
―――――――――――――――――――
南洋幕府
―――――――――――――――――――――――――――
南洋幕府とは2009年に発生した日本列島消失事件後に消失に巻き込まれなかった徳川幕府政権下の日本共和国の海外領土である南洋諸島に開幕された徳川幕府を継承する新たな幕府である。
公用語:日本語
首都 :コロール
人口 :360,065人
民族 :日本人・現地住民・外国人
(幕府は国民の三分の一が日本人であると公表している)
―――――――――――――――――――――――――――
目次
1.概要
2.幕藩体制
3.幕府の要職
4.歴史
5.人権問題
5.1身分制度の概要
6.外交
6.1フランス
6.2サウジアラビア
6.3オランダ
6.4ポルトガル
6.5朝鮮合藩国
6.6北朝鮮
6.7アメリカ
6.8大日本帝国
7.領土
7.1藩
7.2首都コロールの様子
7.3文化
8.軍事
9.経済
―――――――――――――――――――――――――――
概要
南洋幕府とは2009年に発生した日本列島が突如として地球上から消失するという前代未聞の大災害、日本列島消失事件後も徳川幕府政権下の日本共和国の海外領土であり消失に巻き込まれなかった南洋諸島に作られた新幕府。日本列島消失事件後も日本共和国を実質継承した国家となったが2029年7月14日に発生した南洋諸島消失事件によって地球上から消失した。
―――――――――――――――――――――――――――
幕藩体制
南洋諸島には日本列島消失事件前、南洋藩と呼ばれる日本共和国の海外藩が置かれており会津藩が内政を任されていた。消失事件後は南洋藩を管轄していた会津藩のグループを中心に政治が動かされたが国民に対して圧政を敷いた事や徳川家や他の家への背信行為を行い会津藩を中心に新幕府を作ろうとした為、幕府軍のクーデターによって会津政権が転覆されその後は軍の臨時政権を経て南洋幕府が開幕された。
南洋幕府の幕藩体制は徳川幕府とは少し違うものとなった。大元の部分は変わりなく将軍の政府である幕府と将軍と主従関係を結んでいる各地の大名の地方政府である藩という形は変わらなかったが、徳川幕府時代の藩には大名は当該治行内において独自に統治を行う権限を一定程度有していたのに対して南洋幕府の藩の権限は非常に低く小規模な軍事組織の保有も認められず各藩の大名は実質は単なる一行政区の代表者であり本質は中央集権体制に近かった。これは、各藩の力を抑えこみかつ、大名という住民の代表者を出す制度を作る事によって住民の幕府に対する反発を抑制し国家の分裂を防ぐ為であった。これらの大名は全藩議会と呼ばれる議会に出る事になっておりさらに、身分関係無く選挙によって選ばれた住人の代表者と幕府の代表者も全藩議会には出席し幕府の意向に影響を及ぼさない範囲で国政が行われた。
―――――――――――――――――――――――――――
幕府の要職
南洋幕府の首都であるパラオ諸島のコロール島には幕府が置かれ国家の長として将軍は大統領を兼務し将軍の補佐である大老・大老格や側用人・御側御用取次・奉行などがあった。奉行は多種多様なものが時代に合わせて多く作られており幕府や各藩に置かれている。例えば有名なものとしては外務省に相当する外国奉行や財務省に相当する勘定奉行や部族間の問題を仲裁する部落仲裁奉行などがある。幕府の要職は基本的に家柄が重要視されている。
―――――――――――――――――――――――――――
歴史
・日本列島消失事件
日本列島消失事件とは文字通り日本列島が2009年にこの地球上から原因不明の消失が発生した事件である。この事件によって南洋諸島が本来属していた国家である徳川幕府の日本共和国は完全に消失し日本共和国の領土は南洋諸島のみが残される事になった。事件当初、南洋諸島を治めていた徳川幕府の南洋藩は大混乱に陥り南洋藩の内政を担当していた会津藩の警備隊や駐留していた幕府の軍隊が南洋諸島中に展開され戒厳令下におかれた。
・会津政権の樹立と混乱
日本列島消失事件によって南洋藩は存続の危機に陥った。ただでさえ南洋藩は多くの諸島や部族を抱えているのに日本共和国という徳川幕府の圧倒的な力添えを失った事は南洋藩にとって大きな痛手であり経済的、部族的に問題は山積した状況だった。この状況は裏を返せば例えば暴動が一つ起きただけでも南洋藩の崩壊を招きかねないものだった。さらに南洋藩の消滅は日本共和国の消滅をも意味をした。
そんな最中、南洋藩の内政を行っていた会津藩の藩士達は体制を維持する為に強権的な政府運営を行った。本国からの資金援助や物資援助を受けられない状況下でただでさえ僅かな国家予算の大半を軍事費にまわし税金の増税や会津藩の警備隊による実質的な秘密警察『白虎隊』を組織。これによって市民生活は常に監視される状況になった。この政権を会津政権という。会津政権は当初、幕府軍と協力体制をとっていた。しかし、会津政権は次第に事実上の独裁政権へと変貌し白虎隊に逮捕される者が幕府軍にも現れるようになった。会津政権は国内の粛清と引き締めを図り政権の強化を目指した。
・会津政権の崩壊
2013年2月3日、会津政権は国家総動員法を可決した。この法案の可決は幕府軍の不信を更に増大させ後の政権崩壊を招く原因の一つとなった。この法案は住民を大規模に徴兵し会津藩の警備隊を強化し幕府軍とは別の軍事組織を作る事が目的の法案だった。さらに会津政権は幕府軍に対する予算を縮小した。
2013年3月1日、パラオにある首都コロールで会津政権の強権的な政治に反発した市民による一揆が発生した。この一揆に対して会津政権は白虎隊を動員し武力によって暴動を鎮めた。市民側の死傷者は112人を超えこの事件は国際的にも報道され会津政権は国際社会から非難された。そんな最中、幕府軍は極秘裏に会津政権の内偵を行い結果、会津政権が会津幕府を開幕しようとしている事が幕府軍に明るみに出だ。そしてついに2013年3月12日、幕府軍はこれまでの会津政権による強権的な独裁政治に反旗を翻し幕府軍によるクーデターを実行に移した。幕府軍は幕府陸軍をコロールの市街地へ突入させ各政府機関の制圧を行い海軍はパラオ諸島の封鎖や会津藩海軍基地の封鎖を実行した。このクーデターに対して国民の大半は幕府軍を歓喜の声で迎え首都コロールでは白虎隊による僅かな抵抗があったものの3月13日、幕府軍は会津政権の最高幹部の藩士を全員逮捕し政府機関を完全に掌握、これにて会津政権は完全に解体された。政権幹部だった者達の大半は幕府転覆を企てたとして幕府への背信行為、徳川家への背信行為、国家への背信行為、幕府より与えられた権限の越権行為、等の罪によって逮捕され切腹の命令が下り切腹させられた。
・臨時政権の樹立
政権を掌握した幕府軍は海軍司令官を中心とした臨時政権を樹立した。臨時政権は会津政権が組織した警備隊や白虎隊を含めた全政府機関を廃止し、会津政権の作った悪法の数々を廃止した。
・南洋幕府の開幕
2013年4月1日、臨時政権は日本列島消失事件によって地球から消失した徳川幕府を継承した新たな幕府、南洋幕府の開幕を正式に発表した。この発表によって会津政権時代は国号が日本共和国のままであったのに対して国号が正式に変わる事となり南洋諸島は南洋幕府となった。なぜ南洋諸島の国号が南洋幕府という幕府の名前のままとなったのかは正確な理由は分かっていないが国名を協議する時間が無かった為だと現在では推測されている。国旗は会津政権時代は水色を背景に左上に縮小された大中黒旗が入った南洋藩旗や会津藩旗が使用されていたのに対して現在では大中黒旗と徳川家の家紋が使われている。
・南洋藩の解体と分藩政策
2013年6月15日、南洋幕府は徳川幕府の幕藩体制を参考に議会制を取り入れた新体制の構築を進める為に南洋藩の解体と各島や諸島ごとに新たな藩を置き大名を置く分藩政策が行われた。徳川幕府の幕藩体制とは違い南洋諸島の藩の権限は非常に低かったものの徳川幕府時代にも見られなかった現地住民の大名が出現し全藩議会も設置され民主化がある程度の範囲で進められた。諸外国から見ればこの程度の民主化ではまだまだダメな具合ではあったが、これらの政策は会津政権の暴力を経験した国民から大変支持された。
・南沙安全保障条約の締結
2014年12月18日、南洋幕府とサウジアラビアは互いの安全保障を保障しあう南沙安全保障条約を締結した。南沙安全保障条約とはサウジアラビアが南洋幕府の幕府の軍備を資金面で多額の援助をし一方の南洋幕府の幕府軍はサウジアラビアの要請に応じて海軍を派遣するというものである。この異様な条約の締結の背景には南洋幕府が抱える強大な軍事力の問題があった。特に海軍の規模が大きく南洋諸島には日本列島消失事件前から海軍の一大拠点が構築されており幕府海軍の全潜水艦11隻が駐留していた。さらに南洋諸島を訪問していて日本列島消失事件に巻き込まれなかった仙台丸級航空母艦1番艦『仙台丸』以下、ミサイル巡洋艦2隻、ミサイル駆逐艦6隻、警備フリゲート10隻、潜水艦11隻の計30隻が残されていた。これらの兵器は南洋諸島全体の人口規模、経済規模から考えても過剰な戦力であり南洋幕府の国家予算ではとても一国では維持できなかった。そこで南洋幕府は消失事件前から親交のあったサウジアラビアにこの条約プランを持ちかけサウジアラビアも2011年以降の中東地域の不安定化を見て了承した。この条約の締結後、幕府海軍はサウジアラビアの要請で3回に渡って中東地域に出撃しイエメンやリビアの反政府組織を攻撃している。
・南洋諸島消失事件
2029年7月14日、南洋諸島は何の前触れも無く日本列島消失事件の様に消失した。この南洋諸島の消失によって南洋幕府の勢力は地球上から完全に消滅し旧日本共和国は海外領土を含めて全て消滅した事になった。この事件によって現時点では原因不明の消失をした地域は2009年の日本列島に加えて南洋諸島が加わり二つの地域、3つの国家の地域が消失した事になる。この事件の当初はさらに消失する事件が起きるのではないかと世界中で大きな問題となったが2058年現在、この二つの地域以外は消失していない。
―――――――――――――――――――――――――――
人権問題
南洋幕府には国際的に非難された人権問題である身分制度が残っていた。南洋幕府には徳川幕府の身分制度を継承し武士と町民の身分が残っていた。
・身分制度の概要
徳川幕府時代、日本共和国にはそれまで士農工商と呼ばれる制度があった。人々は武士、町人、百姓、穢多非人に分かれていた。日本共和国では両国が分断された当初、幕府は国家の近代化に務めた。そこで打ち出されたのが身分の解放だった。ただし完全な身分の解放は武士の存在意義を大きく失う事であった為、幕府はまず穢多非人を廃止する事にした。一部では反発もあったがこの政策は問題なく実行され国民の身分を名目上は武士・町民・百姓の三つのみに分けた。この体制は1985年まで続いたが、地方の発展と人口増加に伴い町民や百姓の区別が曖昧になった事からその後はさらに改革が進められ最終的には武士と町民の二つとなった。
この武士と町民の身分は南洋幕府でも同じだった。しかしこれで差別があるかどうかと問われればそれは一部の武士の特権を除いては殆ど無いと言える。町人であっても質の良い教育や医療を受けられた。しかも南洋幕府では年に最大10人の枠で厳しい試験ではあるが町人から武士への昇格試験も行っていた。
―――――――――――――――――――――――――――
外交
・フランス
フランスとは徳川幕府時代から友好関係であり日本列島消失事件の際には南洋幕府に対して経済支援や物資支援などを行い現在でも友好国である。
・サウジアラビア
南沙安全保障条約を締結しており両国は同盟関係で南洋幕府にとってスポンサー的な国家であり最も重要な国家である。
・オランダ
オランダとは徳川幕府時代から友好関係であり日本列島消失事件の際には南洋幕府に対して経済支援や物資支援などを行い現在でも友好国である。
・ポルトガル
ポルトガルとは徳川幕府時代から友好関係であり日本列島消失事件の際には南洋幕府に対して経済支援や物資支援などを行い現在でも友好国である。
・朝鮮合藩国
宗主国が日本共和国であると言う点で共通しており日本列島消失事件後、両国は緊密な外交関係を築いている。
・北朝鮮
朝鮮合藩国と非公式ながら同盟関係にあると思われている国家で南洋幕府とも外交関係があり貿易関係である。
・アメリカ
日本消失事件後に南洋諸島に対して現在の日本共和国には南洋諸島の管理は不可能だとして国連に統治を委託するように求めてきた為、南洋幕府とは徳川幕府時代同様、緊張関係にある。
・大日本帝国
大日本帝国は日本列島消失事件によって本土の領土である九州と四国を失った為、領土が沖縄諸島と帝都がある台湾のみになった経緯があるためそれまでは幕府とは敵対関係であったが現在では南洋幕府との関係は非常に軟化している。
―――――――――――――――――――――――――――
領土
第一次世界大戦後に国連から日本共和国に委任統治された南洋諸島全域を有している。
・藩
南洋藩の廃止と分藩政策によって南洋諸島には現在48藩の藩が島や諸島に作られている。18藩の大名は日本人の家柄だが残りの大名は現地住民の部落の長が大名を勤めている。以下は各諸島ごとの藩の数。
パラオ諸島 :16藩
マーシャル諸島 :24藩
ミクロネシア諸島群:4 藩
北マリアナ諸島 :4 藩
・首都コロールの様子
パラオ諸島のコロールには南洋幕府の首都が置かれていた。コロールには幕府の行政機関の建物が多く存在しその大半が日本建築の武家屋敷であり、幕府の中心である為、コロール城(南洋城)も建設されていた。ちなみにコロール城のデザインは姫路城や江戸城が参考にされていた。
・文化
南洋諸島には原住民であるミクロネシア系部族の文化や風習と宗主国であった日本共和国の日本文化、武家文化が混ざり合った様な状況が存在している。人口が多い街や村には日本風の家屋が立ち並び武家屋敷も多くあった。武家屋敷にかしては行政機関としての奉行所として使われていたものは大小様々な場所に作られた。ちょんまげ姿で伝統的な衣装である着物を身に纏って街中を歩いている武士の姿や軍服姿の武士の姿もしばしば見受けられた。この光景は南洋幕府時代に入ると若干変化を見せ原住民でも町民から武士への昇格制度が本格的に受けられる様になった事により武士となった原住民出身の武士が伝統衣装を着て刀を腰に差して街を歩いている光景や日本の武士スタイルでちょんまげと着物姿で街中を歩いている原住民出身武士の姿が僅かに見られる様になった。
―――――――――――――――――――――――――――
軍事
南洋幕府には幕府陸軍、幕府海軍、幕府空軍の3軍が組織され国防をになっている。その他にも治安維持を行う警察機関として幕府特別警察(通称:特警)が存在する。以下は各組織の概要。
・幕府陸軍
兵力:25,000人
概要:主力戦車60両、自走砲15両、対空戦車13両、対空ミサイル車両9両、装甲兵員輸送車300両、輸送トラック1500両、ロケット砲150基、牽引砲150基、揚陸用フェリー1隻を保有。
・幕府海軍
兵力:10,000人
概要:仙台丸級航空母艦1番艦『仙台丸』以下、ミサイル巡洋艦2隻、ミサイル駆逐艦6隻、警備フリゲート10隻、潜水艦11隻を保有し予備役艦として旧会津藩海軍が保有していた警備駆逐艦5隻を保有している。山霧型汎用戦闘機95機、対潜ヘリコプター21機、早期警戒機1機、ユーロコプター エキュレイユ59機。
・幕府空軍
兵力:1,000人
概要:新田型戦略爆撃機5機、SA330 21機、MI‐26 2機。
・幕府特別警察
兵力:6,000人
―――――――――――――――――――――――――――
経済
南洋幕府の経済は徳川幕府時代に行われた産業改革によってかなり多角化されていた。その為、農業や漁業以外にも工業もある程度行われておりサイパン島とグアム島には艦船を補修する為の簡易的な乾ドックもあった。20世紀後半には観光業でも成功を収めた。そのため徳川幕府時代の統治時代は黒字経済であった。




