徳川幕府 ‐ ウィキパディア
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徳川幕府
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徳川幕府とは1603年の征夷大将軍に任官した徳川家康が創設しその後2009年の世界崩壊によって南日本の大日本帝国と共に地球上から姿を消した北日本にあった日本共和国の武家政権である。
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目次
1.概要
2.幕藩体制
3.会津・幕府の要職
4.徳川幕府の近代史
5.大日本帝国との対立
5.1江戸の壁
6外交
6.1フランス
6.2ロシア連邦
6.3オランダ
6.4ドイツ
6.5アメリカ
6.6朝鮮合藩国
6.7サウジアラビア
7.領土
7.1藩
7.2旧大日本帝国の地域
7.3海外藩
8.軍事
8.1幕府陸軍
8.2幕府空軍
8.3幕府海軍
8.4藩
9.政党
9.1大日本帝国臣民党
9.2日本倒幕解放戦線
9.3アイヌ労働者党
9.4国家社会主義日本労働者党
9.5国家社会主義朝鮮藩労働者党
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概要
徳川幕府は徳川家康が正二位内大臣兼右大将に叙任され、征夷大将軍に任じられて、260余りの武家大名と主従関係を結びその後、日本全土を実質支配し統一していた時代である江戸時代を経てその後の1868年1月3日の王政復古の大号令による国内の動乱の後も存続している政権である。この動乱によって徳川幕府は幕府を会津に移す事を余儀なくされたが、ちょうど江戸を半分にするように北北西に事実上の国境線が引かれ南側を天皇率いる大日本帝国、北側を徳川幕府率いる日本共和国となり双方は完全に分断された。
その後、徳川幕府と大日本帝国は対立を続け第一次日幕戦争、第二次日幕戦争と戦争を度々繰り広げた。第一次世界大戦では徳川幕府は連合国として参戦し第二次世界大戦では中立国となった。
徳川幕府の意向は絶大で国旗や国章にも影響しており日本共和国の国旗は大中黒旗(白地に黒の一本横線)でありさらに国章は徳川家の家紋である。
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幕藩体制
徳川幕府執政下の日本共和国の支配体制は幕藩体制と呼ばれ、将軍の政府である幕府と将軍と主従関係を結んでいる各地の大名の地方政府である藩で構成されていた。将軍は大名に対して朱印状を与え知行を保障し、大名は当該知行内において独自に統治を行う権限を一定程度有した。幕藩体制は江戸時代には確立されていたが幕府は幕藩体制の近代化を推し進めた。この体制は現在においては、連合国家、連邦国家、合衆国などの体制と似たものと一般的には認識されている。
各藩の大名には将軍と大名の主従関係を確認するための軍役、参勤交代、公共事業などの手伝普請が課せられた。
また、幕藩共和国議会という議会体制が敷かれておりこの議会では幕府の代表者や各藩の代表者や各選挙区の選挙によって身分に関係なく一般公募され選出された代表者が議員という形で各藩の自治や幕府の意向に影響を及ぼさない範囲で国政に近い事が行われる。
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会津幕府の要職
日本共和国の首都である会津には幕府が置かれ国家の長として将軍は大統領を兼務し将軍の補佐である大老・大老格や側用人・御側御用取次・奉行などがあった。奉行は多種多様なものが時代に合わせて多く作られており幕府や各藩に置かれている。例えば有名なものとしては外務省に相当する外国奉行や財務省に相当する勘定奉行などがある。1980年にはUFO奉行という未確認飛行物体を専門に調査をする一風変わった奉行や怪奇奉行という心霊現象を科学的に調査する専門の奉行等も時の将軍の命令で作られた。
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徳川幕府の近代史
・はじまり
徳川幕府は江戸時代末期の黒船来航とその後の尊王攘夷運動によって日本全土の統一を幕府は失い日本は天皇による新政府方と幕府方に分かれる事になった。1868年にこの状態は完全に常態化し両陣営は新たな国名を名乗った。関東地方を分断するように南側を支配し京都を暫定首都とした新政府方が大日本帝国を建国。北側は幕府を会津に移した徳川幕府が支配する日本共和国が正式に樹立された。両国は互いの正当性を主張し対立しそれは現代まで続く結果となった。日本共和国はフランス・オランダ・ロシアと協力関係を構築し大日本帝国もアメリカ・イギリス・ポルトガル等の国々と協力関係を構築した。日本共和国と大日本帝国は互いに軍拡を行い両国の軍事力は20世紀に入る頃には列強と肩を並べる存在となった。
・身分解放の御触書
両国が分断された当初、幕府は国家の近代化に務めていた。そこで打ち出されたのが身分の解放だった。ただし完全な身分の解放は武士の存在意義を大きく失う事であった為、幕府はまず穢多非人を廃止する事にした。一部では反発もあったがこの政策は問題なく実行され国民の身分を名目上は武士・町民・百姓の三つのみに分けた。この体制は1985年まで続いたが、地方の発展と人口増加に伴い町民や百姓の区別が曖昧になった事からその後はさらに改革が進められ最終的には武士と町民の二つとなった。
・日日清戦争による朝鮮半島支配
1894年7月25日から1896年3月にかけて主に朝鮮半島をめぐり大日本帝国と日本共和国と大清国の間で戦争が行われた。当初は朝鮮半島を巡って大日本帝国と清との間での戦争であったが朝鮮半島が大日本帝国によって支配される事を警戒した日本共和国が大日本帝国に奇襲攻撃をしかけ参戦し幕府海軍は朝鮮半島の間にあった対馬を攻撃占領、そこを起点に大日本帝国による朝鮮半島の海上輸送網を寸断した。幕府陸軍も朝鮮半島へと侵攻し1896年、幕府は朝鮮半島を事実上支配下に置いた。一方、大日本帝国は台湾を取得した。
・第一次日幕戦争
1898年、大日本帝国は一連の幕府による攻撃や挑発に対してついに痺れを切らし日本共和国へと侵攻。大日本帝国軍は陸路と太平洋側から軍艦8隻を派遣し侵攻を開始。その結果、幕府軍は関東平野にて敗走し幕府が実効支配を続けていた江戸の南南西地域(関東の平野地帯)を失う事になった。しかし、それでも山間部の戦いは幕府が征し幕府は山梨県と長野県の一部地域を占領した。
・第一次世界大戦
1924年、幕府は大日本帝国と第一次世界大戦に連合国陣営として参戦した。この戦争によって日本共和国は国連から南洋諸島の委任統治領を取得した。一方、大日本帝国は南タンガニーカを取得した。
・ナチスドイツとの協力
幕府はナチス政権下のドイツと協力関係をとった。幕府軍はこれまでフランス式の軍隊の形式がとられていたが当時、ドイツを訪問していた大老や外国奉行によってドイツの急速な軍拡を垣間見た幕府はドイツ式の軍隊を作り上げる事で軍隊のさらなる強化ができると考え軍の制服や戦車を含めて技術供与や軍事顧問団の受け入れなどを受けた。
・日本海海戦(2,26事件)
大日本帝国海軍の艦隊が日本海において偶発的に幕府海軍と衝突し発展した海戦で幕府海軍が勝利を収めた。なお、この戦争は世界で始めて航空母艦が本格的に使用された事で知られており世界初の本格的な航空母艦である江戸級航空母艦『江戸』『会津』『武蔵』が使用され大日本帝国海軍との戦いにおいて猛威をふるいその後、世界中で空母の開発競争が巻き起こった。これらの空母は当時の幕府の将軍である徳川鷹春が第一次世界大戦中に使用された航空機を見て周囲の反対を押し切り建造させていた。
・日ソ幕朝鮮戦争
幕府は支配下に置いていた朝鮮に傀儡国家である朝鮮合藩国を作っていた。そんな最中、大日本帝国が対馬を占領する事件、対馬事変がおき、さらに対馬事変から僅か数ヵ月後1937年に大日本帝国は朝鮮半島へと侵攻した。さらにソ連も参戦し幕府は南北両方からの侵攻に対応せねばならなくなった。この戦争の結果、幕府は朝鮮半島全域の利権を失い幕府の勢力下の地域はソウル近郊とソウル近くの沿岸部の地域のみとなった。戦争は幕府海軍の潜水艦無限投入作戦と幕府陸軍の同時作戦によって対馬が奪還され日本陸軍の輸送網が破壊された事や戦線が膠着状態に陥った事、ソ連海軍が日本海で、大日本帝国海軍が対馬で壊滅または深刻な被害を受けた状態に陥った事で終戦した。1940年、戦争は両国の講和条約の締結によって終結した。しかし、この戦争で幕府海軍は大日本帝国海軍の最新鋭空母『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』『龍驤』『鳳翔』の攻撃で江戸級航空母艦『会津』『武蔵』種子島級軽航空母艦『信濃丸』『北上丸』『名取丸』など、『江戸』以外の全航空母艦を失った。これらの、損失を受けて幕府は戦争末期に装甲空母の開発に着手し終戦後、大鳳丸級航空母艦『大鳳丸』『瑞鶴丸』『翔鶴丸』会津級航空母艦『富士山』『高尾山』を建造した。戦後、ソ連と大日本帝国の占領地域にはソ連側に朝鮮民主主義人民共和国が建国され大日本帝国側には大韓帝国が建国された。
・第二次日幕戦争
1943年、幕府は大日本帝国に対して宣戦布告をせずに侵攻を開始した。この戦争は第二次世界大戦に行われ1947年6月1日まで続いた。幕府軍は大規模な爆撃機隊を対馬や旧山梨県から出撃させ大日本帝国の帝都京都を無差別爆撃した。陸軍も国境線を超え戦車部隊を含んだ大規模な侵攻軍が侵攻し海からも幕府海軍の艦隊が攻撃を仕掛けた。幕府の突然の侵攻に際して大日本帝国軍は直ちに応戦したが幕府軍突然の攻撃に混乱状態に陥った。その後、福江島沖海戦で大日本帝国海軍が空母『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』の4隻を失い敗退すると戦争は1943年に大阪の陣、奈良の陣、帝都攻防戦へといたり1946年にはついに大日本帝国は本州を放棄し九州や四国に撤退した。これによって幕府軍は本州全域を占領下に置いた。戦争は1947年6月1日にアメリカの仲裁で終結した。戦後、占領された本州は京都以外の地域が各藩ごとに領地が分配され焼け野原となった京都には将軍、徳川鷹春の指導の下、再建が行われ京都にあった歴史的な建築物(神社や寺)を全て破壊しその上に西洋風の都市が20世紀後半までに建設された。御所のあった場所には中部・近畿の全体的な統治機関である幕府の京都総督府の京都城が建設された。
・世界崩壊
2021年現在でも原因不明の世界各国の国家の有する地域が消滅する現象、世界崩壊によって2009年、徳川幕府の日本共和国も大日本帝国と共にこの地球上から完全に消滅した。現在、両国のあった場所は海となっている。2021年現在、日本共和国のように消滅した国家は全世界98の国家に及ぶ。予測では2050年代には地球上から全ての陸地が消滅すると推測されている。現在、こうした状況を踏まえて国連では海上への避難計画と5万人の地球人類と地球の動植物を太陽系外の人類が生息可能な惑星へと脱出させる地球脱出計画(通称:ノア計画)を進めている。
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大日本帝国との対立
日本共和国と大日本帝国は両国の成立の時から激しい対立を続けていた。この対立は統一下にあった当時から続き朝廷と幕府の主導権争いから現在までの事態に陥った。両者の対立は2009年の世界崩壊で消失するまで続きこの両国の争いは極東アジアや太平洋全体を巻き込みかねない危険なものだった。
・江戸の壁
両国の国境線付近には日本列島を分断する長大な要塞線が作られていた。特に要塞の規模が大きかったのは幕府側で山間部には城塞や無数砲台、機銃陣地が設置され関東平野には江戸、武蔵三藩を半分に分断するように要塞線が作られていた。特に江戸から武蔵三藩を横断する要塞線は3階建てや5階建ての建物の高さに相当する正台形型の堤防のような形状をした壁が建設されており壁の上には基本的に二本のレールが敷かれその上にトロッコに乗せた85mm砲を運用していた。さらにこの要塞は世界初の近代要塞であるとされており要塞の内部には人員を輸送する為の輸送トロッコ用の鉄道などが設置されていた。この要塞線はいつしか江戸の壁と呼ばれるようになり現在では第二次日幕戦争で幕府が本州を確保した事により要塞としては使用されておらず関東平野の要塞線には観光列車などが走るようになり観光地として解放されている。
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外交
・フランス
フランスとは開国の時からの友好国であり幕府の近代化に大きく貢献した。現在もフランスと幕府の関係は切っても切れぬ強固な関係となっている。しかし、ナチスの亡命問題では対立している。
・ロシア連邦
ロシア帝国時代は一時、同盟関係を構築しており日露戦争の際には一時的にロシア艦隊の補給などを受け入れていた。ソビエト連邦誕生後は朝鮮戦争を誘発させるなどソ連との関係は最悪の状況まで冷え込んだ。しかしロシア連邦誕生後は友好的多関係を築いており天然ガスのパイプラインをつなぎ石油や天然ガスを輸入している。さらに安全保障分野でも協力しており共同軍事演習や共同兵器開発などをおこなっている。
・オランダ
オランダと徳川幕府は鎖国中も貿易を続けていた関係であり開国後もオランダは幕府との貿易において他国よりもリードした状態で貿易をしていた。幕府の近代化にも貢献しオランダはフランス同様、切っても切れぬ強固な関係となっている。
・ドイツ
ドイツの敗戦の際にはナチスの関係者の亡命を大量に受け入れておりナチス政権崩壊後は両国の関係は悪化している。
・アメリカ
アメリカは大日本帝国と同盟関係であるため事実上、敵対関係にある。
・朝鮮合藩国
強固な同盟関係にあり朝鮮合藩国には海軍の一部の艦隊も駐留している。
・サウジアラビア
サウジアラビアは大日本帝国が天皇を神として崇めている事からイスラム教に抵触するとして大日本帝国とは関係は良くなく一方で日本共和国との友好関係が強い。日本共和国はサウジアラビアから石油を輸入している他、サウジアラビアに対してフリゲート等の艦船や兵器などを輸出している。
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領土
2009年の世界崩壊までは日本共和国の領土は大日本帝国に支配されている九州、四国を除いては本州、蝦夷地、千島列島、南洋諸島を有している。
・藩
大日本帝国が廃藩置県を実施し藩を廃止したのとは逆に日本共和国では藩が存続し現在でも江戸時代にあった藩の多くが維持されている。
・旧大日本帝国の地域
第二次日幕戦争によって幕府は本州を制圧し統治下においたが。これらの地域では幕府に対しての抵抗運動が各地でくすぶっていた。そこで幕府はこれらの地域の住民の移動の自由を制限した。これは幕府の治世を守る為であった。移動を制限されたのは帝国時代は県であった静岡、長野、石川、富山、岐阜、愛知、福井、佐賀、三重、奈良、京都、和歌山、大阪、兵庫、鳥取、岡山、島根、広島、山口の地域の住民でこれらの地域に住む住民は第二次日幕戦争以前の国境線を超える事は基本的に許されなかった。
・海外藩
幕府は日本本土外の地域の施政を海外藩と分類している。南洋諸島には南洋藩が置かれ藩の内政は幕府から絶大な信頼を受けていた会津藩が行う事となった。朝鮮を併合した際は朝鮮の各地に18の藩が置かれた。その後、18の藩を主軸に幕府の傀儡国家である朝鮮合藩国が建国された。現在は朝鮮合藩国は必ずしも傀儡国家とはいえないが強固な同盟関係にある。
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軍事
幕府は陸軍、海軍、空軍を有していた。陸軍及び海軍は当初はフランス式の軍隊として作られておりその後ナチスドイツと関係を強化する頃にはドイツ式の軍隊が構築された。幕府軍の制服はドイツ式の制服が採用された。かつてはヘルメットにシュタールヘルムを採用していたが現在はACH式のヘルメットが採用されている。幕府軍は当初、武士のみで構成されていたが大日本帝国との対立が本格化すると一般人の徴兵を行い次第に近代化した軍となった。しかし幕府軍内では今でも武士階級の兵は優遇される傾向にあり軍の要職や士官は大半が武士である。総兵力は通常70万だとされる。また、空母の保有数では1位のアメリカが38隻を保有しているのに対して幕府海軍は13隻(※実質12隻)であり世界第二位である。また、幕府陸軍は5万人の特殊部隊を有しているが特殊部隊が採用している歩兵装備のボディーアーマーはその外見的な特徴から世界的にも有名である。特殊部隊の採用しているボディーアーマーは甲冑をモデルにした現代戦に対応した仕様の迷彩アーマーと防毒機能を持ったフェイスガード等の装備が支給されており、中東への平和維持軍の派遣の際にはこの部隊の姿が度々見られた。
・幕府陸軍
兵力:550,000人
・幕府海軍
兵力:100,000人
航空母艦13隻(1隻は江戸級航空母艦で記念艦として保存)・強襲揚陸艦2隻・弩級戦艦1隻(記念艦)・ミサイル重巡洋艦4隻・ミサイル巡洋艦28隻・ミサイル駆逐艦59隻・警備フリゲート30隻・エアクッション艇300隻・潜水艦11隻・戦車揚陸艦23隻
・幕府空軍
兵力:50,000人
・藩
各藩には規模は小さいが藩が有する武士を中心とした軍事組織が存在する。その中でも会津藩は各藩の中では最大規模の組織を有しており会津藩が内政を管轄している南洋諸島藩には会津藩海軍と称される組織があり5隻の警備用駆逐艦が在籍している。
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政党
・大日本帝国臣民党
朝廷派の政治団体で20世紀に国内でテロ活動を行っていた。大日本帝国への併合を訴えていた。幕府によるテロ組織壊滅の作戦によって現在は事実上活動していない。
・日本倒幕解放戦線
共産主義を掲げ幕府を打ち倒そうとする極左組織で国内で度々テロ事件を引き起こしている。
・アイヌ労働者党
蝦夷地や千島列島で主に活動している地方政治団体でアイヌ民族の地位向上を目指している。
・国家社会主義日本労働者党
第二次世界大戦前に結党された国家社会主義の政党で議会において第四党の最も小さな規模を有している。
・国家社会主義朝鮮藩労働者党
朝鮮合藩国の政党で朝鮮合藩国の政府与党である。その歴史は第二次世界大戦後に日本共和国に亡命したナチスの多数の関係者から始まり当初は国家社会主義日本労働者党であったが朝鮮戦争後に朝鮮合藩国の政党として分党し政府の主導権を幕府の援助を受けて握る事に成功した。世界各国からはナチズムを擁護していると非難されている。これに対して幕府は朝鮮合藩国と我が国は関係ないと批判を受け付けていない。現在、朝鮮合藩国には亡命したナチス関係者をはじめ多くのドイツ系住民が南米より移住し国家社会主義国家を形成している。




