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メルティア ‐ ウィキパディア

ウィキパディア-フリー百科事典

ページ/ノート

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メルティア

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メルティア(パンテストノ語:□□□□□□ 生誕:2019年10月1日‐2047年9月13日)は帝政エンテルスレニアで活躍した哲学者ヘレクレスに仕えていた牛人族の奴隷・遺産相続人。ヘレクレスの死を巡る裁判を起こした事で知られる。


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目次


1.生誕

2.ヘレクレスとの暮らし

3.来日と法廷闘争

4.裁判のきっかけとメルティアが果たした役割

5.法廷闘争の影響

6.メルティアの考え


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生誕


2019年10月1日に帝政エンテルスレニアの併合の後に成立したヒルドア属州にて牛人族の奴隷の家族の長女として生まれた。母親は娼館の娼婦、父親は都市労働をしていた。帝政エンテルスレニアにおける身分制度では奴隷の子供は奴隷である為、生まれながらにして奴隷とされた。なお、両親から付けられていた本来の名前はメルティアではなく、ソフィアソシスというのが本来の名前だった。ソフィアソシスだった頃のメルティアは5歳になると仕事をさせられる様になったが、まだ幼かった為、他の奴隷の子供達と共に娼館の清掃の仕事を任されていた。2024‐2025年にかけて両親が相次いで過酷な労働を原因として死亡した。両親が死亡した事から2025年にメルティアの法的な所有者である娼館の主によって競売にかけられた。極度の男性優位社会であった帝政エンテルスレニアにおいて、通常、女児の奴隷はあまり人気はなく1‐2年は買い手が殆どつかないのが当たり前だったが、メルティアの場合はすぐに買い手がついた。メルティアは奴隷の競売会場にこの日、初めて来た哲学者のヘレクレスによって買われる事となった。購入後、ヘレニクスはソフィアソシスの名前をメルティアに改名させた。


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ヘレクレスとの暮らし


ヘレクレスはメルティアを購入すると元々雇っていた3人の使用人達と共に家事をさせた。メルティアの仕事は基本的には、この使用人達と一緒にヘレクレスの身の回りの世話を行う事だった。しかし、ヘレクレスはメルティアを他の使用人達とは違い自身の子供の様に扱ったという。ヘレクレスはメルティアに上等な服を買い与え、また自らで教育も施し、自分と同等の食事を与え、風呂にも毎日入れさせたという。周囲の者たちからは、奴隷の首輪を付けている以外は自由人に変わりなく見えたとされる。


ヘレクレスはメルティアを自分の子供の様に扱ったが、その一方でメルティアはヘレクレスの関係について性的な関係であった事を後に語っている。ヘレクレスは週に何度か夜になるとメルティアを自身の寝室に呼び出し行為にふけっていたという。なお、メルティアはヘレニクスとその様な関係であったが、不満は一切無かったとしている。


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来日と法廷闘争


2039年9月11日にヘレクレスが死去すると、メルティアにはヘレクレスの遺言に則り、ヘレクレスの持つ資産の4分の1が相続された(残りは使用人に相続された)。さらにヘレクレスはメルティアへの相続分の資産とは別に解放奴隷の身分を購入する費用もメルティアには準備していた。これによってメルティアの身分はヘレクレスの死後、解放奴隷となった。解放奴隷となったメルティアは相続された資産で、エンテルスレニアの帝都エルエドガにある集合住宅の2階の1室を購入するとそこで暮らした。ヘレクレスが残した資産はメルティアに分配された分だけでも、当時のエンテルスレニアの貨幣価値に換算してメルティアが庶民より少し上等な生活をしたとしても一生、生活に困らない分だけはあり、メルティアはこの資産を少しずつ使いながら過ごした。日本エンテルスレニア戦争の終結後も、これは変わらなかった。また、メルティアは解放奴隷になった後も、帝政エンテルスレニアが崩壊し奴隷制度が無くなった後も、ヘレクレスとの奴隷契約印が入った奴隷の首輪を外さずに生活を続けた(解放された奴隷は首輪を付ける必要はない)。なお、この奴隷の首輪はその後、生涯に渡って身に着けている。


その様な生活を続けていた中、2年後の2041年、メルティアの元に日本の弁護士グループの岡村幸喜( おかむらこうき )弁護士が訪れた。岡村幸喜弁護士はメルティアに対して日本エンテルスレニア戦争中の自衛隊、在日米軍、国連軍(日本の在留外国人による軍隊)による戦争犯罪を調べていると述べ、ヘレクレスの死を起こした住宅街への空爆は自衛隊による重大な違反行為の可能性があるとして、日本政府を告発する事を提案してきた。この提案にメルティアは数日考え、後に承諾したという。


その後、メルティアは岡村幸喜弁護士、同じく裁判に参加するつもりの民間人十数名と共に日本へと渡った。日本へと渡ったメルティア等の原告団は弁護士会、大学教授や市民で構成される市民グループ、日本共産党、日本社会党の支援を受けた。2043年、これらの支援を受けつつ原告団は東京地裁に対して日本政府を相手に、戦時中の2039年9月11日に自衛隊が行った帝都エルエドガの空襲にて、軍事施設や政府機関ではなく住宅街を爆撃し民間人58名を死亡させた事はハーグ陸戦条約やジュネーヴ諸条約及び追加議定書などの国際人道法で定められた条約内容に違反する攻撃だとして、全ての被害者に対する損害賠償請求と当事者の処罰請求を行った。なお、原告側が国に求めた損害賠償請求額は1人辺り1,600万円の賠償額だった。


告発された日本政府は、事前に偵察で得られた情報を基にエンテルスレニア帝国軍の軍事施設をピンポイントに空爆したとして住民への意図的な空爆の事実を否定。また、エンテルスレニアがハーグ陸戦条約やジュネーブ条約に非加盟であった事から、条約による保護の対象外であると主張し裁判所に訴えを退ける様に求めた。一方で原告側は、自衛隊が帝都の空爆に使用していた戦闘機用のJS‐88ロケット弾ポッドが誘導ミサイルに比べると命中精度に難のある兵器と言われていた点を指摘し政府が主張するピンポイントでの精密爆撃を疑問視した他、空爆された帝都の区画は完全な一般住宅街であり軍事施設があった事自体を疑問視した。また、国際人道法に関しては過去に欧米諸国が行った中東でのイスラム国掃討作戦、アフガニスタン戦争、アフリカでの対テロ戦争などでの事例を挙げて、条約に非加盟の国家や勢力であっても条約批准国は条約内容を守る必要があると主張した。


裁判の争点は、自衛隊による帝都空爆が軍事施設を標的とした物だったのか。国際人道法の適用範囲はどこまでとするのかが、最大の争点となった。


この一連の裁判は最高裁判所まで争われ、2047年まで続いた。裁判は1審の地方裁判所が日本政府側の主張を全面的に認めた為、原告側の訴えを退ける判断をし、2審の高等裁判所も地方裁判所の判断に続いた。しかし、3審の最高裁判所は一転し原告側の告訴内容を一部認めて国に対して1人辺り、38万円の損害賠償金の支払いを命じる判決を下した。損害賠償金の額はアメリカやイギリスやオランダの例が参考にされた。


最高裁判所が1審と2審で下された判断を覆したのには、幾つか理由があるが、最も大きかったのは政府が主張していた軍事施設をピンポイントに空爆したという主張に疑わしい点があった為である。弁護士会が防衛省に対して行った情報開示請求で開示された資料の中に、資料の殆どは黒塗りではあったが、数少ない黒塗りではなかった資料の中に帝都の空爆対象施設を記した資料があり、この資料には2039年9月11日に空爆を受けた住宅街は載っていなかった。さらに、航空自衛隊の装備品に関する資料の中に、JS‐88ロケット弾ポッドに関する注意記述があり、航空自衛隊は導入当初からJS‐88ロケット弾ポッドについて、安価で破壊力があるが、射撃管制システムが簡易的な物である為、AH‐64Dのロケット弾ポッドなどと比較すると命中精度に難があり劣る性能であると評価していた事が明らかになった。原告側は政府の主張が正しいのであれば、命中精度に難のある武器で住民を巻き込みかねない攻撃を行った事になるのではないかと指摘し、また、開示資料の地図上では爆撃を受けた住宅街から北東方向に3km離れた所にエンテルスレニア帝国軍の軍事施設があると書き込まれている事から、戦闘機のパイロットが爆撃対象の施設を間違えて空爆した所謂、誤爆だったのではないかと指摘した。さらに原告側はこれを裏付ける証言だとして帝都の住民の証言資料と照らし合わせた結果、この空爆を受けた住宅街から北東方向に3km離れた位置にある軍事施設が、9月11日は空爆を受けなかったが、翌12日には空爆を受けたという証言があるという事を紹介し、自衛隊側が空爆対象のミスに気がついて後日に改めて空爆を行ったのではないかと指摘した。


政府はこれらの原告側の指摘に対して、住宅街に軍事施設があったという主張を引き続き行ったがそれを示す資料を裁判所に提出する事ができなかった。また、裁判が行われている最中に週刊誌に自衛隊関係者が匿名を条件に取材に答える出来事が起きており、帝都の空爆を指揮していた現地の司令部内で誤爆によって空爆対象の施設にダメージを与えられなかったという趣旨の報告が上がってきていたという詳細な証言が報道された事も少なからず判決に影響を与えたと見られている。


最高裁判所は2039年9月11日の住宅地への空爆が自衛隊機による誤爆であったと判断した。また、国際人道法の適応範囲は過去の欧米諸国の事例に則り、相手勢力が条約に非加盟の国家や勢力であっても条約批准国は条約内容は守る必要があるとした。これらの事から、最高裁判所は賠償金の支払いを国に命じた一方で、今回の空爆が国際人道法の違反に当たる行為だとの認定は明確にはしなかった。攻撃に関与した関係者への処罰に関しても一定の責任があるとは認めつつも処罰までは認めなかった。


なお、裁判では賠償の対象を巡って個別の事案でも審議がされており、メルティアに関しては自衛隊の空爆によって死亡したヘレクレスは民間人ではなく、軍関係者なのではないかと日本政府は例え賠償命令が出たとしても、賠償の対象にはならない主張していたが、原告側はヘレクレスは戦争の勃発前には既にエンテルスレニアの皇帝政権への協力は一切行っておらず、自宅で病気の静養に入っていたとして列記とした民間人だと主張した。この審議は日本エンテルスレニア戦争に多大な影響を与えたとするヘレニクスの扱いを巡る内容であった為、審議は紛糾したとされるが、ヘレクレスは最終的には民間人であると判断された。


自衛隊による住宅街の誤爆事件や裁判の詳細に関しては「自衛隊機住宅街誤爆事件」の記事を参照。


この一連の裁判において、メルティアは原告側として証言台にも立った。その様子は非常に理論整然とした様子だったとされており、原告側の弁護士によると、メルティアは日本への来日時に裁判を行う前に日本の法律や地球の国際法等の法律書を読み込み、裁判まで僅かな期間だったが、裁判の時点で相当な法律知識を身に着けていたという。さらに来日して2年がたった頃には日本語も自由に喋れる様になった。メルティアはそれらの法律知識などを交えながら日本語を使って証言台に立ち、その発言には非常に説得力があり関心を集めたという。岡村幸喜弁護士は、メルティアの様子について、彼女は私情的では余り無かったが法的知識を交えて証言する彼女の知識人ぶりは明らかに哲学者ヘレクレスが施した教育の成果だとして驚きを持って称した。


こうしたメルティアの様子は裁判の内容を報道していた日本のメディアでも取り上げられ大きく注目された。最高裁判所での裁判の時点ではメルティアはメディアでの報道において単なる原告団の一人としてではなく半ば、原告団側の顔の様な存在として扱われていた。複数の報道番組への出演も果たしており、原告団側の主張を世間に伝えている役目も果たした。日本メディアの多くはメルティアが元奴隷であるという事に注目し、学校教育機関にも行った事がない元奴隷の女性が遠く離れた異国の地(日本)でその国を相手に裁判をしているとして関心を持って報じた。また、日本語と法的知識で理論整然とした物言いをする様子は哲学者ヘレクレスの養育の賜物だとしても注目された。また、メルティアは辯舌家としても知られる様にもなった。


メディアの報道の中には戦時中に残虐な事を行ったエンテルスレニアの国民がこの様な裁判を行う事に嫌悪的な反応を向ける物も多かったが、それらに対してもメルティアは理論整然とした言葉で時には相手が言う事を肯定する事もあれば、反論したりする事もした。これらの様子からインターネット上ではメルティアの事を異世界論破王と呼ぶ人々も現れた。


メルティアは裁判に当たって日本での暮らしが長くなった事もあり日本の文化などについても相当、詳しくなった。特に用が無い日などは気分転換に寺や神社への参拝、美術館や博物館、科学館へ行くのが趣味だったという。日本の伝統、社会、科学技術、民主主義、法治システムなどを高くリスペクトし、特にメルティアは日本の社会と法治システムについて高く評価しており、エンテルスレニアよりも100年先を行っていると評す程、高く評価していた。これらを公言していた事から一般の日本人からの評判も良かった。しかし、良い評判もある一方で依然として反エンテルスレニア感情も根強かった為、メルティアやその支援者に対する批判の声も大きく、誹謗中傷なども相次いでいた。ネット上においてメルティアは批判者からは、言い訳責任逃れ女や、左翼期待の次世代アイドルなどと貶める声もあった。


メルティアの裁判での辯舌家ぶりを表す逸話としては以下の様な話が残っている。


「…裁判官の皆さん、私はエンテルスレニア人です。私達がエンリコの地で日本人の罪なき人々にした事を考えれば、私達を憎む気持ちは分かります。しかし、この問題は私達、エンテルスレニア人だけの問題ではないのです。これは日本人の皆さんにも大いに関係のある日本の法治国家性が問われている重大な案件なのです」


この言葉はメルティアが最高裁判所で最後の自己の主張を述べた際にその自己の主張の最後に述べた内容である。メルティアがこれにて自己の主張を述べ終えた所、裁判を傍聴していた一般傍聴人からは多くの拍手が出た為、裁判官が慌てて拍手を止める様に現場を止めた話がメルティアが非常に辯舌が上手かった逸話として残っている。


メルティアが日本の世間から非常に注目されていた事を示す逸話としては、傍聴希望者の列の長さの話がよく知られている。3審の裁判の各審議では一連の裁判でメルティアが有名になった事でメルティアの姿を一目見ようと非常に多くの一般傍聴人の希望者が訪れた。傍聴希望者の列は最大で4,853人にまで達し、この数は日本の裁判史上でも有数の傍聴希望者数となった。


裁判が終わるとメルティアの元には大学や芸能事務所からオファーの話が多く来ていたという。さらにはそれだけでなく、日本の政治政党である日本共産党、日本社会党、民進党などからは日本国籍を取得し、国会議員選挙に立候補を求める要請もあったという。だが、メルティアはそれらの話を全て断るとすぐに帰国の準備に入った。メルティアは帰国前、裁判の支援者に感謝の挨拶回りを行った。メルティアはこの時、ヘレクレスの無念を晴らせたと支援者に感謝を述べたという。


しかし、2047年9月13日、メルティアはこの挨拶回りの最中、日本エンテルスレニア戦争中に戦死した自衛官の夫を持つ妻の工藤美寧々( くどうみねね )によって刺殺された。享年27歳だった。


東京駅構内を弁護士と共に歩いていた所を背後から走って迫ってきた工藤美寧々によって刃渡り16cmの包丁で刺された。工藤美寧々はすぐに現場に居た人々に取り押さえられ、メルティアは近くの病院に緊急搬送されたが病院で息を引き取った。死因は出血多量だった。工藤美寧々は犯行時「ニコニチャットバンザーイ!」などと意味不明な事を叫びながら犯行に及んだ。


病院に搬送される前、メルティアはまだ意識を保っており、犯人に対してパンテストノ語で「□□□□□□□□□□□□□□□□□(日本語訳:この国の法治はお前を裁く!)」と犯人に向かって言い放ったという。これがメルティアが発した最後の言葉となった。


その後、工藤美寧々は警察に逮捕され、その後の裁判で工藤美寧々の弁護側は心神喪失の状態の主張や、情状酌量を求めたが裁判所は入念に準備された計画的な犯行であるとして、殺人罪の罪で懲役16年9カ月の実刑判決を言い渡した。メルティアが言った通り、工藤美寧々は日本の法治によって裁かれる事となった。メルティアが殺害された事件については「東京駅メルティア刺殺殺人事件」の記事を参照。


この事件は連日、メディアで大きく報道された。自衛隊機住宅街誤爆事件の裁判を支援していた弁護士会や市民グループ、日本共産党や日本社会党は、メルティアには葬儀を取り仕切る身内が居なかった事から東京都内でメルティアの合同葬を開いた。その後、メルティアの遺体はエンテルスレニアへと帰国し、日本の支援団体が集めた寄付金によって帝都エルエドガの哲学者墓地に埋葬される事となった。本来、哲学者ではないメルティアは哲学者墓地には埋葬できなかったが、日本の支援団体がエンテルスレニアのアルカデミアと交渉して特別に埋葬が認められる事になった。メルティアはヘレニクスの墓の隣に埋葬された。


また、東京都港区にある増上寺にも日本の支援団体によってメルティアの供養塔が建立されている。


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裁判のきっかけとメルティアが果たした役割


メルティアが参加した自衛隊機住宅街誤爆事件の裁判が開かれるきっかけとなったのはヘレクレスの知名度による物が大きかった。ヘレクレスは日本でも非常に有名な人物であった為、その死因は日本の弁護士グループや左派系の市民グループの目に留まった。これがこれらの団体が国を相手に裁判を起こそうとした最初のきっかけだったとされている。


そして裁判を起こす為に事件の調査を進める過程でヘレクレスの奴隷であったメルティアの存在が明らかとなり、弁護士グループや市民グループはメルティアと接触を図ったのだという。市民グループの会長を務めた田代正子氏はメルティアが裁判で果たしたその役割を裁判後に共産党系メディアの週刊赤旗の取材で述べており、日本でも知名度が高いヘレクレスと共に暮らしていたメルティアは裁判を行う上で日本の世間に対する非常に大きな広告塔的な存在だったとして、もしもメルティアが居なければ、この裁判は最初から、ここまで注目されなかっただろうとしている。


なお、その後の裁判中のメルティアの辯舌家としての才能の発揮に関しては、完全に予想外だったとしており、当時は世間と一緒にその様子に、ただただ驚いていたと述べた。田代正子氏は失礼だとは思うがと前置きしつつ、奴隷という単語に先入観があり、奴隷だった彼女が証言台で活躍する事は裁判前は殆ど考えていなかったと述べた。現在ではその考えが大きな間違いであった事が分かると述べ、田代正子氏は裁判におけるメルティアの証言は明らかに裁判を勝利に導いた一つの大きな要因であったと述べた。


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法廷闘争の影響


メルティアが参加した自衛隊機住宅街誤爆事件の法廷闘争は惑星融合事件後初どころか第二次世界大戦後の日本では初となる国際人道法違反を巡る裁判となった。この法廷闘争の影響は非常に大きく、それまでは余り注目されていなかった戦時中の他の事件や事故にも焦点を当てるきっかけとなった。最高裁判所は自衛隊機住宅街誤爆事件を厳密に言えば国際人道法違反であると明確に判断をした訳ではないが、この事件で被害者への賠償が認められた事は他の事件や事故を巡る新たな法廷闘争の始まりにも繋がった。


この自衛隊機住宅街誤爆事件の法廷闘争はある意味で惑星融合事件後の日本の新たな立場を明確にするものとなった。日本は惑星融合事件後、地球唯一の超大国としてその立場を新たに再構築された世界で確立したが、それは同時にかつての超大国アメリカや欧米諸国なども海外派兵によって慢性的に抱えていた問題と同様の問題を現在の日本も抱えている事を多くの日本人が自覚させられるきっかけとなった。自衛隊機住宅街誤爆事件の裁判後、問題となった日本エンテルスレニア戦争中及び後の主な事件は以下の通り。それぞれの事件の詳細は各事件の記事を参照。


・避難民隊列誤爆事件(戦時中)

自衛隊機が避難民の列をエンテルスレニア帝国軍の隊列と誤認して空爆した事件。国会で問題となり、被害者に対して政府は1人辺り35万円の見舞金の支払いを行った。避難民隊列誤爆事件に関しては「避難民隊列誤爆事件」の記事を参照。


・農場誤爆事件(戦後)

戦争終結後もゲリラ的活動を続ける一部の勢力に対する掃討作戦中に陸上自衛隊の無人攻撃機(攻撃用ドローン)が誤ってムクルセイオーン神殿敷地内の農場を誤爆した事件。幸い死傷者は出なかったが飼育されていた家畜が全滅した。政府は農場に対して家畜の賠償として138万円の支払いを行った。しかし、この賠償は後に人間よりも家畜の方が賠償額が多いとして国会で非難された。なお、政府は適正であるとしている。農場誤爆事件に関しては「農場誤爆事件」の記事を参照。


・国連軍無差別発砲事件(戦時中)

国連軍に参加していたネパール臨時政府軍の兵士が複数の住民に対して無差別発砲を行った事件。国連軍司令部が兵士の訓練が不足した事によるヒューマンエラーが発生したとして後に謝罪。被害者に対する1人辺り20万円の賠償が行われた。国連軍無差別発砲事件に関しては「国連軍無差別発砲事件」の記事を参照。


・ロシア連邦軍無差別攻撃問題(戦時中)

国連軍に参加していたロシア連邦臨時政府軍が進撃した地域でエンテルスレニア帝国軍と住民を区別せずに無差別に攻撃した問題。日本国内の人権監視団体の指摘で判明し多くの物的証拠が挙げられたが、ロシア臨時政府は現在に至るまで事実を否定している。ロシア連邦軍無差別攻撃問題に関しては「ロシア連邦軍無差別攻撃問題」の記事を参照。


・在日米軍住民誤爆事件(戦時中)

国連軍に参加していた在日米軍による住民誤爆事件。エンテルスレニア帝国の軍用物資を積んだ荷車の車列を空爆した際に標的を誤り近くの市場を空爆した。在日米軍は被害者に対して27万円の見舞金の支払いを実施している。在日米軍住民誤爆事件に関しては「在日米軍住民誤爆事件」の記事を参照。


・降伏兵士虐殺事件(戦時中)

タルアル=ナスク世界の慣例に則った降伏の意志表示をしていたエンテルスレニア帝国軍の部隊を陸上自衛隊野戦特科部隊の現場指揮官が相手が降伏の意志を示していたと気づいていたにも関わらず、降伏の意志無しと判断して攻撃し全滅させた事件。自衛隊内からの内部告発によって明らかとなり、後の調査で事件を起こした現場指揮官の娘が日本エンテルスレニア戦争が勃発するきっかけとなったエンテルスレニア帝国軍によるエンリコの虐殺の際に犠牲となっていた事が明らかとなり私怨による判断だった事が明らかとなった事件。防衛省は当該、指揮官に対して懲戒免職の処分を下した。この事件まで日本には軍事法廷の制度が存在しなかったが、この事件の判明によって事件後、軍事法廷が正式に法制度化される事になった。降伏兵士虐殺事件に関しては「降伏兵士虐殺事件」の記事を参照。


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メルティアの考え


メルティアはよく左翼や極左などと表現される事がある。これはメルティアが裁判に当たって左派系の団体の支援を受けていた事が要因であると見られているが、メルティア自体には左派系の思想があったかどうかは不明である。また、日本共産党や日本社会党が裁判後にメルティアに対して選挙への出馬要請を行った際にこれらの政党内で一部の議員がメルティアの政治思想が党の空気とは合わないなどとして出馬に反対していた事もあった。


福岡国際大学のドイツ人社会政治学者エリック・シュタイナーはメルティアの死後、メルティアの思想についての分析を生前の裁判での証言やテレビのニュース番組にコメンテーターとして出演した際の発言内容からしている。エリック・シュタイナーはメルティアの政治思想について主に以下の点を挙げている。


 ・裁判での全証言中、私情の割合が大幅に少なかった。メルティアは証言を行う際、私情ではなく法的根拠や国際法に関係した内容を中心に発言をする傾向があった。

 ・裁判中、コメンテーターとして出演した日本の情報番組にて、メルティアは裁判を起こした理由を問われた際、法に違反する可能性があるならば裁判で争わなければならないとは口にしたが、そこに事件で死亡した人々への思いなどは口にしなかった。

 ・高等裁判中にコメンテーターとして出演した日本の情報番組内で愛知県新惑星開発公社社長爆殺未遂事件を扱った際、この事件は日本国内において犯人への同情論が広がっていた中、メルティアは同情する必要は一切無い。粛々と裁かれるべきだと発言した。これは出演番組内のコメンテーターの多くも同情する様な発言を行っていた中での発言だった。

 ・高等裁判中にコメンテーターとして出演した日本の情報番組内で愛知県新惑星開発公社社長爆殺未遂事件を扱った際に、この際、メルティアは当時、世論が新惑星開発公社の組織実態の調査、法規制、組織解体の意見が強まっていた中、その全てに反対する意見を述べた。メルティアは現在の日本の世論は完全に冷静さを失っているとし、現行法下において合法な組織に対して、これらの行為を行うならば、時間がたち冷静な議論が出来る様になってからするべきだと主張していた。

 ・高等裁判中にコメンテーターとして出演した日本の情報番組内で愛知県新惑星開発公社社長爆殺未遂事件を扱った際に、新惑星開発公社の被害者側弁護士と共演したが、この際、メルティアは当時、世論が新惑星開発公社の組織実態の調査、法規制、組織解体の意見が強まっていた中、被害者側弁護士と意見を紛糾させた。被害者や被害者側弁護士が主張するがメルティアは上記の通り、新惑星開発公社の組織実態の調査、法規制、組織解体の内容を全て現状において行う事には反対していた事から両者は紛糾した。この際、メルティアは被害者側弁護士が新惑星開発公社を反社会勢力と発言していた事について、新惑星開発公社は現行法においては法的解釈の上において反社会勢力の分類には当たらない事を指摘し、被害者側弁護士が新惑星開発公社を反社会勢力だと発言するのは問題があるのではと指摘。他にも新惑星開発公社と被害者側との裁判件数が近年は減少していた点に触れ、なぜ、違法だと言うのであれば訴えなかったのかと被害者側弁護士に問い、これに対して被害者側弁護士が新惑星開発公社側が裁判対策として巧妙に労働内容を定めた契約書を書かせる様になったからだと説明すると、メルティアは非情ですがそれが現行法では合法だと言うんですよなどと発言していた。

 ・高等裁判中にコメンテーターとして出演した日本の情報番組内で愛知県新惑星開発公社社長爆殺未遂事件を扱った際に、新惑星開発公社の被害者側弁護士と共演したが、この際、メルティアは当時、世論が新惑星開発公社の組織実態の調査、法規制、組織解体の意見が強まっていた中、弁護士側が組織解体の道筋として示していた組織実態の調査を経て組織解体を行うという指針について、組織解体を最初から前提とした指針に反対した。メルティアは現行法において合法な組織を解体する可能性がある処置は細心の精査を行わねばならないとして、結論が最初から出ている指針には公平性が一切無いと主張した。法律はどの様な悪人でも善人でも平等に適応されるべきだとした。

 ・高等裁判中にコメンテーターとして出演した日本の情報番組内において憲法9条の法解釈の変更に反対していた。メルティアは当時の中田政権が憲法の法的解釈を変更した事について、これを反対した。メルティアは地球のローマ帝国を例を挙げて法解釈の変更が共和制ローマを帝政ローマに変え、ピザンツ帝国では市民という集団が、法解釈の変更によって市民という名前の個人の役職へと変化したと指摘し、帝政エンテルスレニアもまた法解釈の変更によって帝政が誕生したと主張した。メルティアは法解釈の変更が許されるのであれば、それは将来も繰り返されるとし長期的には法律が当初の意味から大きくねじ曲がってしまう可能性を指摘した。メルティアは法解釈の変更は危険な行為だとし、法解釈ではなく必要ならば法律をしっかりと制定するべきだと主張した。

 ・高等裁判中にコメンテーターとして出演した日本の情報番組内で愛知県新惑星開発公社社長爆殺未遂事件を扱った際に、当時の中田政権が当初は新惑星開発公社の組織実態の調査に関して日本国外での問題だとして調査に否定的だったのが、世論や野党などの追及により一転して調査を行う方針となった際には、メルティアは政権のこの対応が法解釈の変更であるとの認識を示した。メルティアはこの様な政府の姿勢について法解釈の一貫性を喪失していると批判した。

 ・メルティアはコメンテーターとして出演した日本の情報番組内で殺人事件の報道時によく報道の有り方や日本の社会の空気感について、容疑者は裁判所に罪を行ったと認定されるまでは、あくまで容疑をかけられただけであり、裁判所が判断をまだしていないにも関わらず、容疑者の段階で犯罪を確定的に行ったものと受け取れる様な報道の仕方や見方が世間に溢れている事は問題だと指摘し、無罪推定の原則は守るべきだと指摘した。

 ・メルティアは裁判中にコメンテーターとして出演した日本の情報番組内において、帝政エンテルスレニアについての所見を問われた際、日本を知ってからは帝政エンテルスレニアの法律は野蛮だと感じると前置きしつつ、それでも、タルアル=ナスク世界においては最も発展した法律体系を有していたと評価した。その例としてメルティアは奴隷制を挙げており、奴隷制を敷く国はタルアル=ナスク世界においては無数にあるが、帝政エンテルスレニアには唯一、奴隷となった者でも解放奴隷となる事や、過剰な暴力を振るう主人から救済される法律があったとし、実際に過剰な暴力を振るわれていた奴隷が法律によって救われる場面を目撃した事が何度もあるとして、この様な国は他には無かったとした。メルティアは帝政エンテルスレニアを皇帝の権力が強化されていく中で形骸化しつつあったとはいえ "王でもなく貴族でもなく民衆でもなく法による支配" があったと称した。メルティアはこの "王でもなく貴族でもなく民衆でもなく法による支配" という言葉を日本にも述べており、日本については帝政エンテルスレニアよりも数百年は先を行った素晴らしい法律だと賞賛した。

 ・メルティアは裁判中にコメンテーターとして出演した日本の情報番組内において、日本や地球の事を初めて知った際の所見を述べた際、日本や地球の法を知った時、非常に美しいと感じたと発言し、また日本や地球を法による秩序の世界だと思ったと賞賛する発言をした。


以上などの点からエリック・シュタイナーはメルティアを非常に硬派の法治国家主義者だと分析している。メルティアにとって法律は何よりも最上位の存在だったのだろうとし、特に "王でもなく貴族でもなく民衆でもなく法による支配" というメルティアの発言に注目し、この発言こそがメルティアの根幹的な思想を表しているとした。メルティアがこの様な思想に至った背景にはメルティアの生い立ちが影響しているとエリック・シュタイナーは推測し幼少期の奴隷時代の記憶やヘレニクスによる教育の結果、この様なメルティアの思想が形成されたのだろうと分析している。


なお、補足としてメルティアは種族的に見て牛人族であるが、牛人族は人間とは違い自我の確立が早い種族である事が知られている。人間の子供は自我が確立するまで1歳半から3歳であるが、牛人族は生後1ヵ月で言葉は喋れないものの自我が確立する。さらには1歳児頃には人間の6歳児に相当する自我を有する。これは動物などに見られる早成性と同様のものだと生物学的には考えられているが、それ故、メルティアもこれらの種族的特徴から幼少期の両親がまだ生きていた頃の記憶がはっきりしている傾向にあった。なお、だからと言って牛人族を含めてこれらの種族が最終的に獲得する知能指数が人間と比較して違いが生まれている訳では無い。例としては、これらの早成性的特徴を有した種族の6歳児と人間の6歳児の知能指数はほぼ同じであるとされている。人間よりは早くに自我を確立するものの、その後の知能指数の推移は緩やかに人間とほぼ同じに推移する傾向となっている。

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― 新着の感想 ―
[一言] メルティアの根幹にはヘレニクスに近いような印象を受けますね。 それに彼女の姿勢から見ても我々が学べる点が多いのは非常に有用とも言えますね。法による国家の統治、法による秩序の維持こそ現代で色…
[一言] 成程、メルティアは法治主義でしたか。 確かに人権もへったくれもない世界では法による規律でしか理不尽な暴力を防げないでしょう。 けれど9条改憲反対の辺りは日本が動きにくくするためのようにし…
[気になる点] メルティアの記事が書かれて半年以上経ちましたね、もうそろそろ追加の続きを見て見たくなります。 一体メルティアの思惑とは何なのか気になります。 自分も言いたいことはありますが、あの時と…
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