ルティユス・ヘレニクス ‐ ウィキパディア
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ルティユス・ヘレニクス
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ルティユス・ヘレニクス(パンテストノ語:□□□□□□□□□□□□□ 生誕:1953年7月7日‐2039年9月11日)は帝政エンテルスレニアの哲学者・数学者・発明家。エンテルスレニア史上、最高の哲学者として評価されている。
称号:全パルニアの擁護者
:パルニアの守護者
:エンテルスレニアの父
:オケアリュスの化身
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目次
1.概要
2.生誕
2.1日本エンテルスレニア戦争
2.2ヘレニクスの鉄船
2.3死没
3.私生活
4.死没後
5.著作
6.学派
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概要
その生涯において帝政エンテルスレニアの哲学者・数学者・発明家として活躍した。哲学者としては「魔導流体仮説」「霊魂の探求」「恋愛不変論」「経済流動仮説」「神々について」「富と快楽」を発表し、数学者としては立方体倍積問題の証明、円積問題の証明、天体の回転について等を発表した。発明家としても活躍し、魔法が存在する世界において、魔法を使わない装置の発明に興味を示し、ヘレニクスの水時計、水力式全自動天文盤、滝の水圧を利用した水力式大型オートマタ時計、温泉地の地熱と水力を利用した地域規模の複数の跳ね橋を連動させたヘレニクス跳ね橋などを発明した。
日本エンテルスレニア戦争においてはヘレニクスの鉄船と呼ばれる大型魔導船の建造を主導した事でも知られている。
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生誕
ヘレニクスは1953年7月7日に帝政エンテルスレニアのクルディス属州の州都クルドニアで石細工職人の家の3男として生まれた。しかし、長男が家業を継ぐ風習がクルディスでは強かった為、ヘレニクスは比較的、他の兄達と比べれば自由に過ごした。州都にあるアルカデミア(エンテルスレニアの学園教育機関)に通う事もでき、アルカデミアではポクル学派やオロクス学派の教育を受けた。アルカデミアで受けた教育の結果、ヘレニクスは哲学者を目指す様になった。
ヘレニクスはアルカデミアでの在学中に過去のアルカデミアの古い文献に重錘式の機械時計に関する記述を発見した事から、これを自作した事でアルカデミアで高い評価を受けた。自作に際しては実家で石細工職人の技術を見ていたり、仕事を手伝っていた経験もあった事からその時の経験が大きく役立ったという。重錘式の機械時計はタルアル=ナスク世界においては技術的に普及していなかった時計技術であった為、大きく注目された。この重錘式機械時計の再現によってヘレニクスはアルカデミアで学者としての資格が認められる事になった。
学者となったヘレニクスはポクル学派とオロクス学派の二つの学派に所属し研究活動に没頭した。他の学者との研究や論議をしながら、自身の研究にも精を出した。中でも哲学や数学に大きな力を入れて取り組んでいた。
ヘレニクスの数学は現代では、立方体倍積問題の証明、円積問題の証明、天体の回転について等、科学文明の度合いが地球と比較すると未成熟だったタルアル=ナスク世界において、これらを発表した事から非常に高い評価を受けているが、しかし、地球へと転移する前の当時の時代においてはアルカデミアと世間から高く評価されたのは哲学や数学ではなく、ヘレニクスの発明品の方が主だったと言われている。
ヘレニクスは水力を用いた発明品の開発が非常に得意だった。最初にヘレニクスが発明したのはヘレニクスの水時計と呼ばれる水時計で、この時計は、地球で言う古代ギリシャのクレプシドラの様な水時計であったが、クレプシドラよりも大がかりな仕掛け時計で約10分毎に鈴の音が鳴り、さらに約15分毎の時には鈴の音が変わり、約1時間が経過すると鐘の音が鳴る仕掛けだった。また、時間はほぼ正確で、クレプシドラよりも高性能な時計だった。
次にヘレニクスが発明したのが水力式全自動天文盤だった。ヘレニクスの水時計はクルドニアのアルカデミアに設置されたが、この水時計の発明はたちまち学者や帝政エンテルスレニアの珍しい物好きの貴族達の間で話題になった。魔導時計以外でここまで時間に正確な時計は非常に珍しかった為である。さらに、時間経過を一定間隔で随時知らせる機能も注目を浴びた。このヘレニクスの水時計の噂を聞きつけタルトス属州の貴族政治家がヘレニクスに魔導を使わない自動天文盤の作成を依頼した。この貴族政治家は自身の記念碑として州都トルトタスにこの自動天文盤を寄贈する事を目的にしていた。こうしてヘレニクスによって発明されたのが水力式全自動天文盤である。この天文盤は州都トルトタスの中央広場に設置された。水力式全自動天文盤は街の地下を流れる地下水道の水圧を利用した装置で、半分が地上に露出した複数の円盤状の天文盤が空の動きに合わせてゆっくりと回転し空の星の位置を伝えてくれる装置だった。
その次にヘレニクスが発明したのが、滝の水圧を利用した水力式大型オートマタ時計である。ヘレニクスはクルドニアの神殿司祭から信者達を驚かせられる装置の製作の依頼を受けた。ヘレニクスは仕掛け時計を提案し、時間になると人形や楽器などの仕掛けが動き出す非常に大がかりな水力式大型オートマタ時計を提案した。当初のヘレニクスの提案では水道橋を作るなどその提案は余りにも壮大過ぎた為、神殿司祭は拒否したものの、ヘレニクスが当初の規模よりも縮小した物を再度提案してきた事で作られる事になった。こうして完成したのが神殿敷地内の滝の水圧を利用した水力式大型オートマタ時計である。この装置は滝が自然の滝であった事から、時間に正確性を持たせる為に滝の上方部分で水量を調整する大がかりな装置が組まれ、その滝つぼ付近には水圧を受け取る装置を設置し、そこからエネルギーが伝達され仕掛け時計が動く仕組みとなっていた。滝の水圧を利用して、礼拝の時間になると神話の物語を再現した人形劇が笛や太鼓やハープの音色と共に始まる仕掛けだった。
帝政エンテルスレニアにおいてヘレニクスが全国的に大きく注目される様になった発明は温泉地の地熱と水力を利用した地域規模の複数の跳ね橋を連動させたヘレニクスの跳ね橋である。時のエンテルスレニア皇帝であるバフハルジ帝から、自身が保養地として利用している温泉地アルトゥールの利便性を良くしてほしいという依頼が来た。ヘレニクスは皇帝からの依頼だった為、その時は実家で歳の離れた弟の結婚式に参加していたが、慌てて式から抜け出し皇帝の待つ帝都へと向かったという。そこでこの依頼内容を聞き、ヘレニクスはアルトゥールに行き、現地を視察した上でヘレニクスの跳ね橋を考案しこれが建設された。ヘレニクスの跳ね橋はバフハルジ帝時代の公共建築物の中でも最高傑作であると称される。ヘレニクスの跳ね橋は温泉地の地熱と水力を利用した非常に大がかりな装置であり、その規模はアルトゥールの地域規模と言っても過言は無かった。魔導によって汲み上げた熱湯の温泉の熱を利用して歯車などの装置を動かし、また、汲み上げた温泉水が水路を流れる水圧を利用した装置をアルトゥールの各所に設置し、それらから得られるエネルギーや仕掛けの動作を利用してアルトゥールの各所に設置した仕掛け式の跳ね橋を設計の段階から指定されていた特定の時間に動作させ、橋の開閉が全自動で行われる仕組みを作り出した。この地域規模で設置された全自動の跳ね橋は記録に残る限りでもタルアル=ナスク世界初の試みとなった。バフハルジ帝はこのヘレニクスの跳ね橋を設計の段階からヘレニクスの元を訪れて視察し、非常に興味深かそうに見学をしていたという。そして建設が始まった頃にも皇帝の業務の傍ら、何度も建設現場に訪れヘレニクスに対して足りない資材や人材などは無いかと聞くなど、ヘレニクスの提案したこの事業に絶大な期待を寄せヘレニクスに対して便宜を図らっていたとされる。完成後、バフハルジ帝はこの壮大な装置を見て「これが人の御業か!」と感激の言葉を述べた記録が残っている。なお、バフハルジ帝はヘレニクスの跳ね橋の完成時には病気を患っており、静養の身であったが、ヘレニクスから跳ね橋が完成したとの報を聞き、床から飛び出てアルトゥールへと向かったという。その後、バフハルジ帝は病気なのが嘘のように元気に振まい数週間に渡ってアルトゥールに滞在し、ヘレニクスが設計した仕掛けを見て回ったという。記録によればバフハルジ帝は帝都への帰りには自分で馬に跨り帰る程、元気を取り戻したとされている。しかし、その後、バフハルジ帝はアルトゥールから帰還して数日後に崩御した。バフハルジ帝の国葬式にはヘレニクスも招待されヘレニクスはバフハルジ帝の皇帝廟にヘレニクスの跳ね橋を小さく大理石で模った模型を副葬品として納めた。
60歳を過ぎてからは体力的な衰えから、アルカデミアでポクル学派の学長として、もっぱら室内での研究活動に没頭した。発明家としては余り活動はせず、その代わりに哲学と数学により力を入れた。
・日本エンテルスレニア戦争
ヘレニクスは2039年に勃発した日本エンテルスレニア戦争に少なからず大きな影響を与えている。日本エンテルスレニア戦争の勃発前の時点において、惑星融合事件後、タルアル=ナスク世界から地球への転移国家であるエンテルスレニアと日本との緊張関係は急速に悪化していた。両国は外交関係を持たず、民間の交流さえも無かったが、元々、エンテルスレニアの影響力が強い地域に日本が進出してきた事で、反エンテルスレニアだった国々が日本に急接近しこれに対して親エンテルスレニアの国々との対立が起こっていた。当然、エンテルスレニアは親エンテルスレニアの国々を支援したが、日本の軍事支援の方が技術的に圧倒しており、6度勃発した反エンテルスレニアの国と親エンテルスレニアの国の戦いは反エンテルスレニア側の圧倒的な勝利となった。この時点において、日本とエンテルスレニアは互いに非接触の状態ではあったが事実上の代理戦争を行う状態となっていた。エンテルスレニアは当然の事ながら日本を敵国として認識していた。
日本エンテルスレニア戦争の勃発前の段階において、両国にとって最大の軍事衝突だったのがオルテキア戦争である。エンテルスレニアのあるティスタル大陸に程近いムガレア小大陸を舞台に親エンテルスレニアのプラネティオン帝国が反エンテルスレニアのソドム王国に侵攻を開始した事で戦争が勃発したが、日本も直接参戦した。一方でエンテルスレニア側も軍団を派遣し、あくまで代理戦争ではあったが両国にとってこれは初めての直接対決となった。それまでも日本の自衛隊はそれまでの戦争には何らかの支援として作戦等に参加していたが、エンテルスレニア側は直接的な参戦はしていなかった。オルテキア戦争の結果は、日本の支援を受けたソドム王国の圧勝に終わった。エンテルスレニアが派遣した軍団は壊滅しエンテルスレニアの皇帝政権は驚愕した。エンテルスレニアの皇帝政権は日本を帝国の国益への重大な脅威と見なし直接的な戦争をすぐに御前会議にて決定したが、本国から派遣された軍団が壊滅した事を受けて戦争の前に日本の情報収集を行う事となった。
オルテキア戦争では、エンテルスレニアが派遣した軍団が壊滅した事はエンテルスレニアにも伝わり分かっていたが、軍団がほぼ壊滅した事で本国への帰還兵が殆ど居なかった事から、現地で何が起こったのかが全く分からなかった為だった。エンテルスレニアの皇帝政権は過去の戦争やオルテキア戦争を含めて情報の精査を始めた。しかし、断片的な情報しか集まらず、有益な情報収集は殆ど上手くいかなかった。
しかし、情報収集が暗礁に乗り上げていたその時、エンテルスレニアのアルカデミアで「日本の軍事力について」という発表が行われた。この発表内容はエンテルスレニアの皇帝政権や軍関係者を驚愕させた。というのも皇帝政権や軍が総力を挙げて情報収集を行いながらも有益な情報が殆ど集まらなかったにも関わらず、この「日本の軍事力について」という発表の内容が明らかに皇帝政権や軍の集めた情報よりも、非常に詳細だった為である。すぐにエンテルスレニア帝国軍はこの発表の著者を招集し協力を求める事になった。この協力を求められる事になった発表者こそがヘレニクスだった。
実はヘレニクスはオルテキア戦争が勃発する半年前に、プラネティオン帝国の哲学者アプルニユスから学会への招待を受けていて、これに参加する為にオルテキア戦争勃発の2ヵ月前にエンテルスレニアを船で旅立っていた。ヘレニクスとアプルニユスは友人関係であり、二人は専門分野は全く違ったが(アプルニユスは天文学と動物学を研究)友人関係であり、以前、タルトス属州で行われたエンテルスレニアとプラネティオン帝国の哲学者のパーティーに出席した際に互いの専門分野の話で大いに盛り上がった事から以後、手紙でやり取りをする仲だった。プラネティオン帝国は天文分野や神学の哲学研究が進んでいる事で有名で別名、星の国というが、ヘレニクスは天文分野ではなく動物研究の発表を聞きに訪れたという。しかし、ヘレニクスが到着してすぐ、オルテキア戦争が勃発し学会は開かれず、ヘレニクスはアプルニユスの宅で泊まって過ごす事になった。戦争中、プラネティオン帝国は帝都ゴモラの殆どは攻撃を受けぬまま降伏した為、ヘレニクスの身に危険が及ぶ事はなかった。戦争後、アプルニユスはヘレニクスに対して国に帰る様に促したが、海上交通が完全にストップしていた為、帰れなかった。すると、そうこうしている内に帝都はソドム王国軍によって事実上、占領されたがこの時、日本の自衛隊なども帝都に駐留を始めた為、その光景を見たヘレニクスは好奇心から帰国を一切取りやめて、自身が目撃した物の詳細をスケッチしたり考察する事にしたという。期間は凡そ半年間に及んだ。こうしてヘレニクスによって執筆されたのが「日本の軍事力について」であった。この執筆が終わった頃には海上交通が再び復活し始めていた為、ヘレニクスはこの時期の交易船に乗って他国を経由して帰国した。帰国後、ヘレニクスはアプルニユスを共同執筆者としてこの「日本の軍事力について」をアルカデミアで発表。それがエンテルスレニアの皇帝政権や軍の関係者の目に留まった形となっていたのであった。
協力を求められたヘレニクスはこれを承諾した。ヘレニクスは自身の発表内容を基にエンテルスレニアの皇帝政権や軍に対して日本と戦争をするにあたってどの様な準備をすれば良いのかなど、自身の率直な意見を伝えた。また、ヘレニクスは自分だけでなく他の有力な哲学者も招集して対策を練るべきだと提言した。これらのヘレニクスの提言は大筋で受け入れられ、以降、エンテルスレニアは「日本の軍事力について」を基に日本との戦争の準備に本格的に取り掛かる事となった。
ヘレニクスが作成した発表「日本の軍事力について」は、主に陸戦、海戦、空戦の考察をしている。その調査手法は、直接の目視による観察とスケッチ。アプルニユスが使役魔導で使役した鳥類の視界を借りて行ったスケッチによる方法。街で行った聞き取り調査がこの発表内容を書く上で採られた主な調査手法だった。そして、これらの調査手法によって得られた情報を基にヘレニクスとアプルニユスが考察を行った物がこの発表内容だった。それぞれの項目の主な内容は以下の通りである。
・陸戦
ヘレニクスは直接的に日本の陸上軍隊の本格的な戦闘部隊の姿を現地で目撃した訳では無かったが、プラネティオン帝国の帝都ゴモラの市内で日本から派遣されていた建築会社のトラックやショベルカー等の民間自動車を目撃していた。この事からヘレニクスは日本軍(※自衛隊の事。エンテルスレニアは当時、日本の自衛隊の事を日本軍と呼称していた)は恐らく、この鉄車(ヘレニクスは自動車の事を鉄車と名付けた)を大量に運用していると推測した。悪路での走行も可能で、さらに早い速度で移動ができ、重い荷物を大量に運搬する事ができるとして、戦場において通常の軍隊よりも遥かに機動的な軍団の移動が可能であるとし、これが日本の強さの理由の一つだと考えた。
また、ショベルカーなどの工事用重機に関しても述べており、これらの重機があれば1ペル(地球時間における約1時間の事)の時間だけでも直ぐに簡易的な要塞や陣地の建築が可能であるとして恐るべき土木工事能力と称した。さらにヘレニクスは日本軍はこれらの鉄車を利用して攻城戦も行っているのだろうと推測し、鋼鉄で覆われた鉄車で攻め込まれれば、並大抵の軍隊では城壁を守り切れないと推測した。
その他、日本の戦争に参加し生存した元プラネティオン帝国軍の兵士の証言として日本軍は弓よりも遥か遠くから敵を狙える遠距離からの攻撃魔導武具を全ての兵士が持っているという証言を掲載し、日本軍は高度に進んだ魔導技術によって全ての兵士がエルフ族の魔導弓兵に匹敵する水準の弓兵なのだろうと推測した。その上で、日本軍に対抗するには取り扱いのしやすい遠距離武器を全ての兵士に持たせる必要があると提言している。ヘレニクスは自衛隊の小銃をスケッチし、これについてを、攻撃魔導武具だと考察し、その構造については弾倉を短矢用の弾倉であると推測し、引き金を引く事で弾倉内の短矢が発射される仕組みなのだろうと考察した。
また、日本兵(自衛隊員)の姿についても言及しており、帝都ゴモラに駐留する日本兵(施設警備の自衛官)の姿をヘレニクスはスケッチした。ヘレニクスは日本兵を森の戦士と呼んでおり、日本兵が迷彩模様の装備を着ている事について、その理由を考察し、その姿の理由は草木に姿を偽装する為に全身を緑色で塗っているのだろうと考察した。
・海戦について
ヘレニクスは帝都ゴモラに来航した海上自衛隊や在日米軍の艦隊を目撃しており、これについて考察している(※なお、ヘレニクスは在日米軍を日本の自衛隊と同じ軍隊だと思っていた)。ヘレニクスはまず、日本軍の船には全てに共通する3点と形状から2種類の船が存在するとしている。全てに共通する3点とは大きさ、素材、動力である。ヘレニクスは日本軍の船は皆一様に巨大な船ばかりであり、かつその素材には鉄が使われているとした。そして、その全てに非常に優れた未知の魔導航行能力があり、その巨体を早く自由自在に動かせるとした。
次に2種類の船とは、平甲板船と攻城船である。ヘレニクスは、いずも型護衛艦や原子力空母カール・ビンソンを平甲板船。イージス艦を攻城船と呼んだ。ヘレニクスはこれらの艦船の使用用途をその形状から予想した。まず、両者に共通しているのはどちらも攻城戦と海戦を目的に作られているのだろうと考察した。その上で平甲板船はその巨体の上の平な甲板上に無数のカタパルト等の攻城兵器を搭載する事で海辺の城塞を破壊し、その巨体を生かして城塞に接岸して兵士を送り込んで攻略するのだろうと予想した。また、その巨体さ故に海戦では並大抵の戦船ではこの船に乗り込む事もできない為、安全に敵の船に対して甲板上から投石や弓矢や魔導などで攻撃を与える事ができるであろう事から海上における巨大な要塞としての機能も平甲板船にはあるのだろうとした。そして、その船体は金属の塊である為、これだけの巨体で体当たりされれば、大半の船は破壊できるだろうとした。敵船に対する体当たりの武装と言えば衝角であるが、日本軍の船には衝角は搭載されていない。これは、船全体が金属でできている為に衝角が必要ないのだろうとした。また、衝角が無い事によって敵の城塞に対して接岸しやすくしていると予想した。なお、ヘレニクスは甲板上の戦闘機類を目撃してはいるが、飛ぶ姿を目撃した訳ではなかった為、ヘレニクスはこれを日本が使役している戦竜(空戦の項目で解説)の形に見立てて模った日本の攻城兵器の類であると考えた。
攻城船についてはヘレニクスは巨大な攻城塔を積んだ船だとしている。ヘレニクスはイージス艦の艦橋設備を攻城塔であると考えた。艦橋の窓などは物見櫓兼、弓や投石や魔導などを目的とした攻撃用の窓だと考え、また、SPI-1レーダーは、開閉式の跳ね橋であると考え、その内部にはバリスタなどの攻城兵器が設置されていると考えた。後部甲板もバリスタなどの攻城兵器を運用する為の甲板であり、バリスタは近くの格納倉庫内に普段は収納されているとした。マストは一見、マストの様に見えるが物見櫓や攻撃用の櫓だと考え、CIWSは投石器、主砲に関しては日時計だと考えた。なお、平甲板船に乗り込む為の橋や梯子などは何処かに格納されていると考えた。
ヘレニクスは平甲板船と攻城船の関係性についてこの様に考察している。ヘレニクスの予想では、日本が元居た世界では、最初に平甲板船が登場し、これが木造の帆船を時代遅れの産物に変えた。この予想は、いずも型護衛艦と原子力空母カール・ビンソンのサイズから考察されており、ヘレニクスは、いずも型護衛艦が最初期に建造された平甲板船で原子力空母カール・ビンソンはいずも型護衛艦よりも後に建造された物だと考えた。
いずも型護衛艦が最初期の平甲板船で、原子力空母カール・ビンソンは、いずも型護衛艦クラスのサイズの平甲板船を体当たりで沈められる様により巨大に作られた平甲板船だとした。ヘレニクスは日本が元居た世界において、日本や日本の敵の国同士で平甲板船の造船競争が起きたのだろうとし、この様な巨大な船の造船競争が起きたと仮定すると、経済を相当に圧迫するとし、これを解決する為に生まれたのが攻城塔を乗せた攻城船だとした。
攻城船は平甲板船よりもサイズは小さくその建造費用は平甲板船よりも安いであろう事は予想でき、さらに、体当たり攻撃では、攻城船はサイズが小さい為、平甲板船に勝つ事はできないが、平甲板船に横付けすれば搭載されている攻城塔の高さ的に原子力空母カール・ビンソンのクラスの平甲板船の甲板に容易に乗り移れる。平甲板船には大量の攻城兵器が搭載されているが、平甲板船と同じく大量の金属で作られている攻城船の鉄板を完全に破壊するのは難しい。この防御力と、平甲板船よりも小回りが利く機動力を生かして、搭載されている攻城兵器を使いながら平甲板船に横付けして平甲板船を攻略する用途があるのだとした。
なお、ヘレニクスは攻城船と平甲板船の関係性に関して別の仮説も提唱しており、こちらの仮説では、攻城船が実は海上要塞や海辺の城塞を攻略する為に先に生まれ主流となったが、攻城船は搭載できる攻城兵器の数に制限がかかる為、これを解決する為に平甲板船が開発されたとし、それが、いずも型護衛艦クラスの大きさの平甲板船であったが、これは攻城能力は高いものの、海戦では攻城船に対して防御面で不安がある為、より圧倒的なサイズと体当たり攻撃能力、圧倒的な攻城兵器の運用を考えて考案されたのが原子力空母カール・ビンソンのクラスの平甲板船だとしている。
ヘレニクスは攻城船と平甲板船の関係性については上記以外にも複数の仮説を提唱した。
・空戦について
ヘレニクスは間近で見た訳では無かったが、帝都ゴモラ上空を飛行する日本や在日米軍の航空機の姿を目撃しており、これと合わせて、元プラネティオン帝国軍の兵士の証言から日本の航空戦力について考察している。ヘレニクスは日本は高度な魔導技術を持っている一方で、飛空櫂船を建造する技術は無いのではないかと予想した。あったとしても幅広く運用はされていないのではないかと予想している。
ヘレニクスは日本の戦竜(ドラゴン等空を飛ぶ魔獣による航空戦力の事)は神のごとき速さで空を飛ぶとし、そのブレス(ドラゴンの攻撃法)は城壁を容易く破壊できる威力があるとした。また、日本軍は戦竜に竜種だけでなく、巨大な虫を使役しているのが特徴で、虫の腸の中に兵士や物を乗せて運んでいるとした。なお、ヘレニクスが言っている日本軍の竜種とはジェット戦闘機の事を指し、巨大な虫とはヘリコプターの事を指している。ヘレニクスはジェット戦闘機やヘリコプターの事を生物だと考えていた。
ヘレニクスは日本軍の竜種が非常に強力である事から、日本が元居た世界でこれらの竜種が幅広く戦竜として使役されていたとすると、例え飛空櫂船を作っても浮かぶ的にしかならず、直ぐに破壊されてしまう恐れがある為、元居た世界での戦争には足の遅い飛空櫂船は向かないのではないかと考えた。その為、ヘレニクスは日本軍には飛空櫂船の戦力は存在しないか、あったとしても戦闘には使われていないのではないかと予想した。
なお、アプルニユスは日本軍の竜種や虫の予想図を発表の挿絵に書いており、ジェット戦闘機はその面影はありつつも、生物として描かれ、ヘリコプターはトンボに似た姿の生物で描かれ、その尻に空いた開口部から日本軍の兵士が乗り降りする様子を描いている。
当然の事ながら、今日の我々から見ると、このヘレニクスの発表「日本の軍事力について」は多くの点に間違いがある事が分かる。しかし、この発表は多くの間違いは含まれているものの、正しいと言える考察箇所もあり、少なくとも他のエンテルスレニアの知識人が幾ら考証を重ねても導き出す事も出来なかった日本の姿を朧気ながら導き出した事は日本においても高く評価されている。また、この発表は、地球の科学技術文明の姿を直接見た事の無いタルアル=ナスク世界の住民が自分達の既存の学術知識から日本について必死に考察しようとして生まれた貴重な実例となった。
この「日本の軍事力について」は、今日では間違い箇所が分かるが、当時のエンテルスレニアには間違い箇所は分からなかった。それどころか、エンテルスレニアで考えられた日本像の中では最も詳細性と正確性があった。これはスケッチ等による資料や考察を含めてである(例えば、スケッチで言えば、ジェット戦闘機やヘリコプターの想像図は完全に間違っていたが、イージス艦や空母、車両のスケッチは非常に正確だった)。その為、この発表は以後の対日戦争を検討するエンテルスレニアには非常に参考にされた第一級の研究資料となった。
この「日本の軍事力について」が日本エンテルスレニア戦争に与えた影響は非常に大きく、エンテルスレニア帝国軍の戦闘形態や軍隊の在り方などが明らかに日本エンテルスレニア戦争ではそれ以前のエンテルスレニア帝国軍と違った。例えば、それまではラメラーアーマーで構成された重装歩兵を中心とした軍隊であったのが、日本軍の機動力に対応する為として鎧の軽装化が行われた。また、部隊の単位がそれまでは最小の部隊でも100名近くの人員によって部隊が組まれていたのが、部隊の機動力を重視して最小の部隊の人員数が日本で言う分隊の規模となり、軍隊が大きく細分化された。さらに、戦争中にはそれまでの従来の戦争では行わなかった大規模な地竜(地球で言う馬の様な扱いを受けている小型の竜)の動員が行われ軍の機動力強化が行われた。また、機動力の強化と部隊の細分化に伴って指揮命令系統も一新され、それまでは兵士100名辺りに付き2名しか通信を受け取る人員が居なかったが、これを7名辺りに付き1人の単位にまで通信を受け取れる人員の数の増強を図った。これによって魔導通信の護符がかつてない規模で大量生産された。司令部の機能も従来の戦争の様に司令部が軍団と共に行動していては、混乱が生じるとして、戦線の後方に全戦線を統括する司令部の創設が行われた。偵察も強化された。日本軍の機動力に対応する為には抜け目のない戦況の情報収集が重要だとして、軍の偵察能力の強化が図られた。エンテルスレニア帝国軍は「日本の軍事力について」において日本軍が使役魔導で使役された動物や魔獣の目に気づいていないという事に気がついた。そこで、使役魔導を扱える魔導士を大量に軍に動員した他、新たに魔導士となる者たちにも使役魔導を覚えさせる方針を取った。これによって、エンテルスレニア帝国軍の偵察能力は非常に強化された。
武器も大きく変わった。それまでは地球で言う古代ギリシャの重装歩兵の様に槍や剣を持った兵士が圧倒的に多かったが、日本軍の遠距離装備に対抗する為に全ての兵士に弓、弩、連弩、投石紐が配備され、中でも連弩と投石紐は最も大量に配備がされた。投石紐の弾頭には規格統一された鉛玉がかつてない規模で大量に生産され、連弩に関しては、エンテルスレニアがこの時、対日本戦争を想定して配備した連弩は対日本戦争の為にエンテルスレニア帝国軍が新規に開発した物で、地球における中国史に登場する様な連弩よりも遥かに機能的かつ高威力がある物が開発された。この連弩の矢には青銅製の矢が採用されている。戦時中、この連弩は日本側からは、様々な戦場で見受けられた為、異世界のAK‐47と呼ばれた。また、日本軍の戦竜への対策として、既存の対竜用のバリスタを改良し数発を装填し連続での射撃が可能な様にした新しいバリスタの導入や、対空能力強化の為にバリスタの配置や陣地を工夫するなどした。当時のエンテルスレニア帝国軍の変容の様子は、変わらなかった所は無かったと言われる程の大変容だった。
これらの大改革は「日本の軍事力について」を基に行われた。日本の東京大学で軍事学を専門としている加藤伊豆奈氏は「日本の軍事力について」がその後に与えた影響について以下の様に述べている。
「日本の軍事力について」は間違った点も多かったが、この発表によって生まれ変わった言わば新生エンテルスレニア帝国軍は、明らかに現代の軍隊への抵抗能力を大幅に高めたと評価している。中でも自衛隊を最も困惑させたのが、使役魔導による動物や魔獣を使った偵察であるとし、結局、自衛隊はエンテルスレニア帝国軍の動物や魔獣を使った偵察への有効な対策を戦時中に打つことはできなかったと指摘した。加藤伊豆奈氏は戦時中のエンテルスレニア帝国軍の動物や魔獣を使った偵察能力について、地球国家の現代軍隊に相当するだけの情報収集能力が充分にあったと指摘している。加藤伊豆奈氏はエンテルスレニア帝国軍がこの様な大改革を遂げられた最大の要因はヘレニクスによるこの「日本の軍事力について」がそれだけ地球側の本質を捉えていた為だとヘレニクスの発表を評価した。
加藤伊豆奈氏はもしもヘレニクスが「日本の軍事力について」を発表していなければ、日本はもっと短期間かつ簡単にエンテルスレニアを制圧する事ができただろうとしている。
・ヘレニクスの鉄船
ヘレニクスが日本エンテルスレニア戦争において最も大きな影響を与えた発明がヘレニクスの鉄船である。ヘレニクスの鉄船とは、凡そ5年の歳月をかけてエンテルスレニアのパルニア属州で建造された3隻の鉄製の軍艦の事である。このヘレニクスの鉄船は「日本の軍事力について」の仮説に基づいてエンテルスレニアの皇帝政権が、ヘレニクスを責任者に命じて建造させた。開発の責任者に任じられたヘレニクスはエンテルスレニアの各地から優秀な哲学者や魔導士を招集して当時のエンテルスレニアが用いれる技術の粋を集めて建造が行われた。
建造に招集された職人の多くは当初、建造に懐疑的だったという。多くの職人は鉄の船が海の上に浮かぶ訳がないと考えた。これは職人だけでなく哲学者の中からも同様の意見が出たという。しかし、ヘレニクスは日本の鋼鉄製の軍艦が海に浮かぶのだから浮かばない道理はないとして建造を進めさせた。そして、実際に完成し海に浮かんだ時、その場にいた人々は大きな驚愕と歓声の声を上げたという。こうして海の上に浮かんだヘレニクスの鉄船と今日では呼ばれている鋼鉄の船はタルアル=ナスク世界史上では史上初めてタルアル=ナスク世界の住民が完全に独自に自分達の技術で建造した鋼鉄製の船となった。
ヘレニクスの鉄船は外見上はイージス艦に非常に酷似した軍艦である。艦の6割近くが金属で構成されており、これはエンテルスレニアの造船史上、他に例を見ない鋼鉄製の軍艦であった。推進装置にはスクリューが導入され、これもタルアル=ナスク世界の住民が完全に独自に自分達の技術で史上初めて開発、導入がされたスクリューだった。このスクリューは魔導技術によって回転しその速力は巡航速度で2から3ノット、加速時で4から5ノットの速力を出す事ができた。艦橋に当たる部分は攻城塔であり、側面には開閉式の跳ね橋が2つあり、これを開く事でその内部に設置された片舷1基、合計2基のバリスタを運用する事ができた。艦の後部甲板上にも隣接する倉庫から収納された2基のバリスタを展開する事でバリスタの運用を行う事ができた。
これは「日本の軍事力について」にて、ヘレニクスが予想した日本の軍艦の姿そのものである。エンテルスレニアは日本に対抗する為、日本が持っていると予測した機能の軍艦(「日本の軍事力について」でヘレニクスが予想した用途の日本の軍艦)にできる限り対抗できる様にする為、自国でも同様の軍艦を建造した。それが今日、ヘレニクスの鉄船と呼ばれる軍艦である。しかし、当初は艦の全てを金属で作ろうとしたが、技術的な限界からやむを得ず、艦の4割には木材が使用される事になった。ヘレニクスは艦の全てを金属で作らなければ日本の軍艦に体当たり攻撃をしても艦体が脆弱な部分がある為、エンテルスレニア側の軍艦が沈んでしまうと考えていたが、これは技術的な妥協点だった。それでもヘレニクスの鉄船は当時のエンテルスレニアが用いれる技術の粋を集めた最高傑作である事には変わらなかった。また、艦の速力の遅さにもヘレニクスは不満を持っていたが、これだけの巨体が魔導によって動いているだけでもすごい事だった。
その他、エンテルスレニアが用いれる技術の粋を集めた最高傑作を物語る話として攻城塔内に搭載されたバリスタが、本来の用途が沿岸防衛が目的の陸上運用用の重量級の物が採用されていた事も挙げられる。この本来は沿岸防衛用のバリスタには100kgの石球を1.1km先にまで撃ちこめるだけの性能があったが、装填に時間がかかる等の問題点があった為、従来の船舶では運用がされてこなかった。しかしヘレニクスの鉄船は船自体の内部構造の仕掛けによって装填時間の大幅な短縮化が図られ、これによって従来では考えられない発射間隔での連続投石が可能だった。
しかしながら、当然の事ながら、ヘレニクスの鉄船は非常にイージス艦と酷似した外見を有しているがイージス艦ではない。形状だけがイージス艦で、その実態は自走能力や鋼鉄製である事を除けば、地球における古代の軍艦水準の戦闘艦である。その為、実際のイージス艦と対峙すれば、間違いなく勝機は無い軍艦だった。
しかし、ヘレニクスの鉄船は日本エンテルスレニア戦争中において予想外の大きな効果を上げる事になった。ヘレニクスの鉄船は戦時中、造船所のあったパルニア属州の港から動かされる事は殆ど無かった。これはエンテルスレニア帝国軍が決戦兵器として温存していた為である。エンテルスレニア帝国軍の戦略としては日本との戦争を遂行する間にもさらにもう2隻のヘレニクスの鉄船を建造しこれをもって艦隊を編成して実戦に参加させる予定であった。しかしながら、結局の所、残りの2隻は戦争がエンテルスレニア帝国の予想を遥か超えて日本の進撃速度が速すぎた事から建造途中で計画が放棄された。また、既に就役していた残りの3隻も実戦投入が検討されたが、主戦場であった海域に派遣するには速力が不足し、到着する頃には戦いが終わってしまう事が予想された為、日本艦隊に対する決戦兵器を期待された本艦艇であったが、結局の所、実戦に参加する事は一度も無かった。ヘレニクスの鉄船はパルニア属州周辺の警備活動においてのみ運用された。
しかし、ヘレニクスの鉄船が効果を発揮したのは実戦においてではなかった。当時、エンテルスレニアと戦っていた日本は殆どの戦線にて戦況を日本側の圧倒的な優位の状態で進めていた。しかし、日本側にはある問題が持ち上がり、それに関して疑心暗鬼の状態に陥っていた。それが当時、ドローン問題と呼ばれた問題である。当時、日本は圧倒的な優位で戦況を進めたが、エンテルスレニア帝国軍の動きが明らかに日本側の軍事情報を知って行っている物だと日本側は戦争を遂行する上で気がついた。さらにそれが原因で、自衛隊部隊や国連軍部隊(在日外国人による部隊)に犠牲者や負傷者が続出する事もあった。これを受けて当時の自衛隊や在日米軍は情報の精査に乗り出し、その結果、エンテルスレニア帝国軍はドローンの様な戦力を偵察に使い日本側の情報を知っているのではないかという結論に達した(実際にはドローンではなく使役された動物や魔獣だったがこの時点では日本側は気づいていなかった)。また、時を同じくして自衛隊の偵察ドローンが相次いで何らかの体当たりの様な攻撃を受けて墜落するという事案が増え、これが惑星融合事件前の地球において地球各国が検討していたドローンを使った対ドローン空中戦の形態の一種と類似しているという指摘も現れた(これも実際には使役された動物や魔獣が落としていた)。これらの事から、自衛隊内では実はエンテルスレニアは日本が未接触の地球国家から軍事支援を秘密裏に受けているのではないかという疑念が持ち上がった。この疑念は結局の所、その様な事実は一切無くエンテルスレニアは単独で日本と戦っており、日本側の取り越し苦労だった訳だが、この戦争の開戦頃から自衛隊は開戦前に調べ上げていた過去のエンテルスレニア帝国軍の戦い方の内容とは全く違う戦い方をエンテルスレニア帝国軍がしていた事から、この疑念は拍車がかけられた。さらにこの疑念を強くした事故も不運にも起こっている。国連軍側の自衛隊と在日米軍との間の連携不足により国連軍部隊(ブラジル臨時政府軍、ペルー共和国臨時政府軍、カンボジア臨時政府軍)が偵察に使用していた手製ドローンが墜落した物を複数機、自衛隊と在日米軍が回収しこれをエンテルスレニア帝国軍の偵察用ドローンだと誤認してしまう騒動も発生した。この味方ドローンの敵機誤認騒動はすぐにこれが味方機であった事が判明する事になったが、この騒動は日本側の疑心をより深めてしまう事に繋がった。これらの一連の結果として戦争中期以降の時期になると、自衛隊はエンテルスレニアが謎の第三者の支援を受けていると考える様になった。
そして、自衛隊がこの疑念を確信に変える出来事があった。それが、自衛隊によるパルニア属州周辺の偵察である。自衛機がパルニア属州周辺を偵察した際に港に停泊するヘレニクスの鉄船の様子を捉えたのだが、自衛隊はヘレニクスの鉄船を、艦のサイズや形状からこれをイージス艦であると誤認してしまった。この誤情報はその前のドローン問題などと合わさり、すぐに自衛隊や日本政府内で大論争を巻き起こした。日本政府はこのイージス艦が何処の国の艦なのかなど紛糾した。最終的には、パルニア属州が主戦場から遠く離れている事。何故か稼働状態では無いと推測された事。駐留は確認されているが、ここまで戦況が悪化しているにも関わらずバルニア属州から動いていない事等から戦争への直接介入をする意図は無いのだろうと判断され、このイージス艦の存在は無視して戦争を進める事にした。しかしながら、万が一という事態を想定して日本政府はパルニア属州へは攻撃をしない事とした。当初、日本政府内にはこのイージス艦の撃沈も意見に上がっていたが、パルニア属州が主戦場や日本政府が策定していた最優先攻撃目標地域から遥かに遠く離れていた事や、攻撃した場合に後に外交問題に発展する事を恐れて撃沈の意見は却下された。この日本政府や自衛隊がイージス艦だと考えていた艦が実はイージス艦ではないと分かったのはエンテルスレニアが降伏してすぐの頃の事である。
つまり、ヘレニクスの鉄船が日本エンテルスレニア戦争において示した大きな影響とは、この日本側の誤認騒動である。ヘレニクスの鉄船は実戦では活躍する事は無かったが、日本側に対して意図しない形で混乱を与える事に成功した。その結果として、国土の殆どの地域が大小様々な空爆を受けたエンテルスレニアにおいて、ヘレニクスの鉄船が居たパルニア属州のみは唯一、一度も空爆を受ける事が無かった。
今日ではヘレニクスの鉄船の存在がもたらした結果はある種、ヘレニクスによる日本研究やエンテルスレニアの学問の意見を重視する姿勢などの集大成によるものと評価されている。ヘレニクスの鉄船、「日本の軍事力について」、「日本の軍事力について」の発表を受けて改革された軍隊、そのどれか一つでも欠けていれば、この様な結果にはならなかっただろうと考えられている。日本エンテルスレニア戦争において、総司令官を務めた工藤治( くどうおさむ )統合幕僚長は2042年にJHKのドキュメンタリー番組に出演した際に、当時の事を振り返り「政府も自衛隊もまんまと騙された」と苦笑しながら答えた。
また、工藤治統合幕僚長はヘレニクスの鉄船の軍事的な分析としてコソボ紛争におけるユーゴスラビア軍がダミー戦車を使用しこれを当時のNATO軍が本物の戦車だと誤認して大量の弾薬をダミー戦車に対して消費した例を紹介して、ヘレニクスの鉄船もイージス艦のダミーとして軍事的に機能したと分析した。
・死没
ヘレニクスは晩年、下痢に悩まされていた。最初のヘレニクスの鉄船が完成すると体調不良からすぐに軍への協力を辞退した。エンテルスレニアの皇帝政権はヘレニクスに協力を続けてほしいと要請したが、この頃のヘレニクスは1日に10回以上も便意から便所に駆け込んでいたという。この為、エンテルスレニアの皇帝政権はヘレニクスの事情をくみ取り辞退を承認した。ヘレニクスはパルニア属州から離れると、皇帝が帝都の一角にこれまでの功績を与えて与えた屋敷に移り住み静養した。
その後、戦争が始まり戦況が悪化していき、帝都に対しても軍事施設への空爆が始まると、ヘレニクスはそれまでは体調不良から殆どを寝室で過ごしていたが、空爆の様子に大きな興味を示すと、これを観察しようと屋敷のテラスに出てスケッチに励んだ。しかし、2039年9月11日に自衛隊機が行った軍事施設への空爆の際に標的を誤って住宅街にロケット弾が複数発発射され、これが、空爆の様子をスケッチしていたヘレニクスの住宅にも命中してしまった。ロケット弾はヘレニクスがスケッチをしていたテラスのすぐ近くの部屋に命中。ヘレニクスはこの誤爆に巻き込まれ死亡した。享年86歳だった。
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私生活
・ヘレニクスは若い時に結婚していた。プトルという妻との間にアエリュアという一人娘が居たという。しかし、ヘレニクスがアルカデミアの学会に出かけている時に、竜車(地球で言う馬車の事)の事故があり、学会が終わり自身が自宅に帰宅した時に妻と娘が事故で死亡した事を知った。
・ヘレニクスはハーブで味付けや香り付けをしたカッパの丸焼き料理が大好物だった。晩年にも下痢の症状が酷いにも関わらず、奴隷や使用人に隠れて、こっそりと近所の店の店主に頼んで自宅に届けてもらっていた。なお、受け取りを止めさせたい奴隷や使用人との鼬ごっこだったらしく、ヘレニクスは様々な方法で奴隷や使用人の目を掻い潜って受け取りを行い、時には真夜中に屋敷の窓から紐を垂らして路上からカッパの丸焼き料理を小分けを受け取っていたという。
・ヘレニクスはバフハルジ帝から貰った短剣を大切にしていた。常に身から離さなかったと言われており、常に腰に差していたという。
・ヘレニクスは大酒飲みだった。日常的にかなりの量のワインを飲んでいた様である。しかし、晩年は飲酒は控えた。
・ヘレニクスは妻と娘の死後、独り身で暮らしていたが、70代になってから、奴隷の少女を買っている。奴隷の少女は当時6歳の牛人族の娘で、この娘にヘレニクスはメルティアという名前を付けて自分の側に置いた。ヘレニクスはメルティアを自分の娘の様に接し教育を施した。なお、ヘレニクスはメルティアを自分の娘の様に接する一方で、二人は早々に所謂、男女の関係となっている(※当時のエンテルスレニアでは奴隷と性的関係になる事は良くある話だったが、70代の高齢で性的関係になるのはかなり珍しかった)。
・ヘレニクスはサソリとクモをペットとして飼っていた。この内、クモは友人のアプルニユスから送られたプラネティオン帝国産の大型のクモ、プラネティオン・エリユス・ヘーラーエーレス(科名)だった。プラネティオン・エリユス・ヘーラーエーレスは大型犬程のサイズがある事でも知られている。ヘレニクスはプラネティオン・エリユス・ヘーラーエーレスにプラチネッタと名付けて可愛がり、プラチネッタはヘラクレスが寝るといつもベットの布団の中に入り込みヘレニクスと一緒に寝ていたという。なお、プラチネッタは誤爆があった際にもヘレニクスの側に居た様で、一緒に誤爆巻き込まれて死亡している。
・ヘレニクスはドングリを使ったケーキ、クッキー、ラプティンテア(日本における縄文パンの様な物)を好んでいた。よく考え事をしていた時に食べていたという。
・ヘレニクスは晩年に健康法として地竜の糞尿とハーブを混ぜ合わせた混合物を全身に塗り日光浴を行う民間療法をよく行っていた。
・ヘレニクスは晩年にヘレニクスの体調が悪いと聞き心配したアルカデミアの教え子達から当時、上流階級の貴族達の間で流行っていた不老長寿の薬だとされた水銀が送られ、これを1日小匙1杯をハチミツと一緒にワインやミルクに入れて夕食後に薬として飲んでいた。
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死没後
ヘレニクスの死はすぐにエンテルスレニアの全てのアルカデミアに伝わったとされる。ヘレニクスが属していたポクル学派は各地で追悼式典を開いた。また、皇帝政権もヘレニクスの死を悼みヘレニクスの簡易的な国葬を皇帝宮にて行った。ヘレニクスの資産はその後、法律に則ってヘレニクスの所有していた奴隷のメルティアとヘレニクスが雇っていた使用人3人に分配された。
戦後もヘレニクスは各界からの評価を受け続けた。一時は「日本の軍事力について」の内容が間違いが多くあった事から、ヘレニクスの評価を著しく下げる声も大きく聞かれる時期もあったが、戦後にヘレニクスの存在を知った日本人の知識人の多くがヘレニクスを高く評価した事や、ヘレニクスの鉄船によってパルニア属州が日本からの攻撃を一切受けなかった事から、ヘレニクスの評価は今日では不動の物として高い評価を集めている。
日本においてはヘレニクスは数学者として高く評価され有名であり、立方体倍積問題の証明、円積問題の証明、天体の回転について等の発表を地球人の知識に一切を頼る事なくタルアル=ナスク世界の知り得る知識のみで導き出し発表した事は非常に高く評価され、ヘレニクスはエンテルスレニアのピタゴラスと呼ばれ賞賛された。一方で、日本以外の地域においては優れた発明家や設計家として評価されている。
世界的に見るとヘレニクスを最も高く評価しているのはエンテルスレニアや旧エンテルスレニアの構成地域であるが、その中でも最も高い評価を受けているのが、帝政エンテルスレニア時代にパルニア属州であった現パルニア共和国である。戦後、帝政エンテルスレニアの崩壊後に旧パルニア属州からパルニア共和国となったパルニア地域では、ヘレニクスが建造を指揮したヘレニクスの鉄船の存在によって戦時中、一切の日本側からの空爆を免れており、これによってパルニア属州には戦時中には空爆が無い地域としてエンテルスレニア全土から噂を聞きつけた避難民が訪れるなど、多くの住民がその所謂ヘレニクスが齎したとも言える安全の恩恵を受けた事から、現在でもヘレニクスは高い評価を集めている。パルニア共和国ではヘレニクスは神格化までされており、国内にはヘレニクスを神として祭った神殿が複数ある他、ヘレニクスの葬祭神殿まで存在している。現在、パルニア共和国ではヘレニクスは海の神オケアリュスの化身や、知恵の神メーテスの化身であるとされている。
この為、パルニア共和国にはヘレニクスを模った彫像などが数多く存在している。中でも最も有名な像は首都にあるオケアリュス民衆広場の中央に設置されている像で、この像の姿はヘレニクスが左腕で幾つかの巻物を脇で抱えた状態で右手にヘレニクスの鉄船を持って高く掲げている姿となっている。
ヘレニクスはパルニア共和国の成立後、パルニア共和国で初めて開かれたパルニア共和国の元老院において称号が送られており、全パルニアの擁護者、パルニアの守護者、エンテルスレニアの父、オケアリュスの化身の4つの称号が送られている。全ての称号は議会に参加した全ての元老院議員による満場一致によって送られた。
なお、ヘレニクスが生前、作った有名な発明品の多くは死後、何らかの保存や修復を受けている物が多い。ヘレニクスの水時計は現在、クルディス共和国の国立アルカデミア博物館に展示されている他、水力式全自動天文盤はタルトス共和国にて現存。ヘレニクスの鉄船は日本による占領時にエンテルスレニアの軍備解体を進める中で自衛隊による解体が決定され3隻中1隻が解体されたが、この解体が日本国内で報道されると日本の各大学がタルアル=ナスク世界の技術の集大成であり非常に重要な学術資料だとして解体に反対する保存運動が巻き起こった事から防衛省が解体の方針を撤回した為、現在でも2隻が現存している。この2隻のヘレニクスの鉄船はパルニア共和国において国宝級の扱いを受けており、1隻は乾ドックにて保存。もう1隻は洋上で係留保存されている。
水力式大型オートマタ時計は現存していない。戦時中、水力式大型オートマタ時計が設置されていた神殿がエンテルスレニア帝国軍のマグナトエテル(日本語訳:地方総局)の施設として使われていた事から空爆の対象となった。在日米軍の爆撃機だと思われる爆撃機による空爆を受けており、施設ごとほぼ完全に破壊された。現在、現地には神殿の基礎部分しか残されていない。
ヘレニクスの跳ね橋に関しても戦時中に補給路として使われていた事から、自衛隊による空爆を受けて、ほぼ全ての跳ね橋が破壊されている。ただし、ヘレニクスの跳ね橋は、跳ね橋と一部の装置のみが攻撃を受けた為、ヘレニクスの跳ね橋を構成する多くの装置は現在でも現存している。国連はユネスコを通じて日本の大学等が協力してヘレニクスの跳ね橋の修復作業を進めている。しかし、修復作業は本記事の執筆時点では余り進んでいない。原因はその構造が非常に複雑である為で、破壊された箇所がどの様な構造となっていたのか今となっては不明となっている箇所が多い為であるとされる。ユネスコの修復事業に関わっている広島大学の建築学部教授、伊藤竜司氏はヘレニクスの跳ね橋について、「地球人である私達から見ても非常に高度な地熱と水力の利用方法です。私達から見ても驚く点が非常に多いです。ですが、それ故に破壊された箇所の中には今となってはどの様に動いていたのかも分からない箇所も非常に多いのです。これは完全にロストテクノロジーの領域です」と修復作業の難しさを語っている。
なお、ヘレニクスの死を巡っては2043年に日本国内において民事訴訟を起こされる問題に発展している。ヘレニクスの死を巡る問題に関しては「メルティア」「自衛隊住宅街誤爆事件」「日本エンテルスレニア戦争中における戦争当事国による戦争犯罪一覧」の記事を参照。
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著作
・魔導流体仮説
・霊魂の探求
・恋愛不変論
・経済流動仮説
・神々について
・富と快楽
・立方体倍積問題の証明
・円積問題の証明
・天体の回転について
他、記録上は少なくとも上記以外にも26の発表内容があるとみられている。
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学派
ヘレニクスはポクル学派とオロクス学派の2つの学派に属していた。ポクル学派、オロクス学派については「ポクル学派」「オロクス学派」「エンテルスレニアの学問」「エンテルスレニア哲学」の記事を参照。
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