イベリア半島時空災害 ‐ ウィキパディア
ウィキパディア-フリー百科事典
ページ/ノート
―――――――――――――――――――
イベリア半島時空災害
―――――――――――――――――――――――――――
イベリア半島時空災害(英:Iberian Peninsula Space-Time Disaster 仏:Catastrophe spatio-temporelle ibérique 独:Iberische Raum-Zeit-Katastrophe 伊:Disastro spazio-temporale iberico 西:Desastre espacio-temporal ibérico 葡:Catástrofes do espaço-tempo na Península Ibérica)は、イベリア半島及びフランス南部の一部にて2003年9月14日に発生した人類史上、その観測としては史上初めてとなる時空災害である。
―――――――――――――――――――――――――――
目次
1.概要
2.被害
3.セルトリウスかポンペイウスか
―――――――――――――――――――――――――――
概要
イベリア半島時空災害(英:Iberian Peninsula Space-Time Disaster 仏:Catastrophe spatio-temporelle ibérique 独:Iberische Raum-Zeit-Katastrophe 伊:Disastro spazio-temporale iberico 西:Desastre espacio-temporal ibérico 葡:Catástrofes do espaço-tempo na Península Ibérica)は、イベリア半島及びフランス南部の一部地域にて2003年9月14日に発生した人類史上、その観測としては史上初めてとなる時空災害である。
午後14時19分以降、イベリア半島及びフランス南部の一部地域からの全通信や送電が途絶し、事態を不審に思った隣国のフランスの偵察や調査によってイベリア半島の全域とフランス南部の一部地域で時空災害が発生している事が判明した。
この時空災害によって2003年9月14日14時19分までのイベリア半島とフランス南部の一部地域は消滅し、代わりに入れ替わるように、それまでのイベリア半島やフランス南部の一部地域に代わって、紀元前74年のセルトリウス戦争下のイベリア半島とフランス南部の一部地域が出現した。以降、時空災害は継続しており、2003年9月14日14時19分までのイベリア半島とフランス南部の一部地域は2037年の現在に至るまで元に戻っていない。そもそも、元の状態に戻るのかさえも不透明な状況である。
国際社会はこの前代未聞の災害に対して、当初は歴史への危険な介入になる恐れがあるとして、紀元前のイベリア半島に対しては不介入の方針であった。しかし、現地の時間が紀元前70年になったにも関らず、セルトリウス戦争が終わらなかった事と、現代への影響が見られなかった事から、国際社会はイベリア半島の情勢に徐々に介入する様になった。
―――――――――――――――――――――――――――
被害
時空災害による被害範囲はイベリア半島の全域とフランス南部の一部地域で発生し、スペイン、ポルトガルは本土の地域全域が被害範囲となった。
推計で5,766万人ものスペイン、ポルトガル、フランスの人々が被災し、現代の地球上から姿を消した。インフラ等、現代のイベリア半島上にあったあらゆる物が消滅しその被害総額は天文学的な数値に達した。
一方で紀元前74年のセルトリウス戦争下のイベリア半島ではイベリア人、ケルト人、フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人などが推計で200万人から300万人以上が被災した。これらの過去の人々は紀元前74年までにあったイベリア半島のあらゆる物と共に古代世界から現代の地球上に出現してしまった。
この災害が与えた世界経済への影響は甚大であり、第二次世界大戦以降では最悪の規模となる経済不況を誘発し世界恐慌となった。
スペイン、ポルトガル両国の消滅に伴う経済不況の他、地球上に存在した地域がある日、何の前触れもなく消滅したという事実から世界的に蔓延した恐怖感情による経済的影響が世界経済に深刻な悪影響を与えた。
多くの国々では、次に地球上から消滅するのは自分達ではないか。という懸念が湧き上がり、これに備えようという動きが活発化した事から、自国第一主義が加速しグローバル経済に深刻なダメージを与えた。
この経済不況が回復したのはイベリア半島時空災害から時間が経過し、二度目の時空災害が起きるという国際世論の声が小さくなった後の事だった。
―――――――――――――――――――――――――――
セルトリウスかポンペイウスか
セルトリウスかポンペイウスか(ラテン語:Sertorius aut Pompeius)は、イベリア半島時空災害における物理学的、量子物理学的、哲学的、人道的、外交的問題である。
時空災害によって紀元前74年のセルトリウス戦争下のイベリア半島が現代地球上に出現した事は多くの問題や混乱や議論を巻き起こした。
紀元前74年のセルトリウス戦争中において、イベリア半島ではクィントゥス・セルトリウス(ラテン語:Quintus Sertorius、紀元前122年 - 紀元前72年)率いるスッラの独裁から逃れてきた民衆派のローマ人による対抗元老院勢力と、これを討伐する為にスッラにより派遣されたグナエウス・ポンペイウス・マグヌス(ラテン語:Gnaeus Pompeius Magnus,、紀元前106年9月29日 - 紀元前48年9月28日)とクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス(ラテン語:Quintus Caecilius Metellus Pius、紀元前130年頃 - 紀元前63年)率いるローマ軍が現地の複数の民族を巻き込んで戦争状態にあった。
この戦争について、時空災害が発生した当初、歴史への危険な介入に繋がる恐れがあるとして、国際社会は不干渉の方針を確定した。しかし、国際社会の思惑とは違い、時空災害が発生しているイベリア半島でも異変が発生している事は察知される事となり、2003年11月18日にはローマからの補給が途絶えたポンペイウスの軍団が時空災害が発生していた地域と隣接するフランスのモンペリエの市内に入る事案が発生し、これを追い出そうとしたフランス警察と交戦。フランス側は歴史への影響を最小限にする様にとの指示が全警察官に出ていた事から催涙ガスや放水銃で応戦した。ポンペイウスの軍団は退却した。
2003年11月23日にはセルトリウス軍がフランスのサン=ジャン=ピエ=ド=ポールに到来し、フランス軍と交戦する事案が発生。続けて11月25日にはルシタニアの船団がフランス軍の封鎖線に到達しフランス海軍の哨戒艦と交戦する事案が発生した。これらの交戦事案はモンペリエの戦いの様に犠牲者がでない様に細心の注意が払われ行われた。
これ以降、実際の歴史との乖離が本格的に始まったと考えられ、セルトリウス戦争の戦況は史実とはまったく違う様相となってしまった。国際社会は静観を続けたが、現地の時間が紀元前70年になってもセルトリウス戦争は終らなかった。さらには実際の歴史では紀元前72年にマルクス・ペルペルナに暗殺されたセルトリウスも死ななかった。
それどころか、イベリア半島内において、民衆派とローマ軍側が和睦を締結しその結果、イベリア半島内には、二つのローマ(通称:セルトリウス共和国とポンペイウス共和国)がモザイク状に共存するという奇妙な状況にもなってしまった。
セルトリウス率いる民衆派はディアニウムを事実上の暫定首都と定め、それまでのイベリア半島における民衆派による政治体制を完全に引き継いだローマ共和国(セルトリウス共和国)を形成し、ポンペイウスが実権を握ったローマ軍はポンパエロを事実上の暫定首都としたローマ共和国(ポンペイウス共和国)を形成した。
両者は戦争を中止し一時的な協力関係を構築した。政治的な有力者としてセルトリウス、ポンペイウス、メテッルスが台頭した事から、このイベリア半島での体制は紀元前60年‐紀元前53年のカエサル、クラスッス、ポンペイウスの3者による第一回三頭政治に倣って第一回三頭政治体制と呼ばれた。
こうした史実とは全く違う様相が起きる中、2006年3月1日には、決定的な事件も起きた。フランス人社会行動学者のジャン・マルクス・ピエールがフランス軍による封鎖線をモーターゴムボードで突破してイベリア半島に違法に侵入し、セルトリウス共和国と接触。その後、セルトリウス、ポンペイウス、メテッルスの三者と相次いで面会し外部の状況の詳細と、古代ローマ史の全てを暴露するという重大事件が発生してしまった(ピエール事件)。
この事件は世界中から身勝手極まる危険な犯罪行為と非難が集まったものの、この事件がきっかけとなって、国際社会はイベリア半島情勢への不干渉政策を改める事となった。
それまでは、イベリア半島の情勢が史実とは全く違う様相になっていても国際社会は不干渉政策を継続していたが、もともと、ピエール事件の前の段階から既に世界各国の科学者からはイベリア半島の情勢が史実とは全く違う情勢に変化してしまっている事などを理由に不干渉政策の有効性を疑問視する声が噴出していた。
こうした中、発生したピエール事件によって古代ローマ史の詳細がイベリア半島側に伝わってしまった事は不干渉政策が転換される決定打となった。
そもそも、不干渉政策とは歴史への介入をする事によって現代社会に深刻な影響が発生してしまう事を憂慮した為に進められた政策であったが、ピエール事件の前の段階でも、既に相当、歴史に影響を与えているにも関わらず、現代社会に一切の影響や変化が見られなかった事や、ピエール事件によって古代ローマ史が伝わっても、これも影響や変化が見られなかった事が不干渉政策が転換される大きな理由となった。
不干渉政策の転換後、主に欧州諸国を中心として、イベリア半島情勢への介入が徐々に行われる様になった。まず、全ての当事者に対する外交的接触が図られ、食糧支援や医療支援が行われる様になった。ただし、歴史への介入の懸念が払拭された訳ではなかった事から、イベリア半島との接触は最小限に抑えられた。
しかし、この支援を巡って、国際的な議論が巻き起こった。それが、セルトリウスかポンペイウスか(ラテン語:Sertorius aut Pompeius)問題である。
人道支援を訴える立場からは、セルトリウス共和国について、人道的にも支援をするべきだと訴えた。セルトリウス共和国はスッラの独裁から逃れてきた民主主義者達であり、現代文明がこれを支援しない事は許されないという声が多かった。一方で、ポンペイウス共和国については、独裁者スッラによって民衆を弾圧する為に送り込まれた弾圧者側であるとして、セルトリウス共和国こそが正統な共和制ローマであり、ポンペイウス共和国への支援は民主主義的、人道的観点からみてもするべきではないという声があった。
また、単純に食料や医療などで困っているならば、勢力がどこで誰であっても支援をするべきだという声も多かった。
しかし、歴史への影響を懸念する立場からは、セルトリウス共和国への支援は歴史への影響の懸念からするべきではないとし、そもそもイベリア半島への介入はするべきではないが、仮にするのであれば、ポンペイウス共和国への支援をし、なるべく歴史通り結末にイベリア半島の情勢を進めなければならないという声が多かった。
この様に、セルトリウスかポンペイウスか問題は、物理学的、量子物理学的、哲学的、人道的、外交的な問題となり国際的に議論が紛糾する事となった。この議論や影響は2037年現在においても続いている。
しかし、この問題は近年、徐々に形骸化しつつあるとの指摘が多い。当初こそ、イベリア半島情勢への介入を巡っては、この様な議論が紛糾したが、人道物資などの支援が始まった事を皮切りに、徐々に国際社会はイベリア半島情勢への介入に傾いていった。そして現在では、セルトリウス共和国やポンペイウス共和国など勢力に関係なく支援がされている為である。
これは2037年現在のイベリア半島の政治、技術、物流の分野を見ても明らかである。
2037年現在のイベリア半島の情勢は、2015年に第一回三頭政治体制の下、セルトリウス共和国とポンペイウス共和国を中心に結成されたラテン体制と呼ばれる体制に組み込まれており、この体制は、イベリア人勢力、ケルト人勢力、フェニキア人勢力、ギリシャ人勢力、ローマ人勢力による一種の連合である。この体制ではそれぞれの勢力を一種の国家として扱うものの、イベリア半島外の現代社会に対する外交交渉は個々の国家同士ではなく、全勢力の外交権を一元化して行うものとしている。
ただし、イベリア半島において最大の勢力を有するセルトリウス共和国とポンペイウス共和国の双方はラテン体制に参加し、ラテン体制のルール通りに個々での外国との交渉などはしていないものの、双方が国連への加盟を例外的に行っており、それぞれが個々の国連加盟国として扱われている(※それ以外のイベリア半島勢力は国連に個々の勢力としては加盟はしておらず、国連への参加はあくまでラテン体制として参加している)。2017年には史上初めて国連総会の場にて古代人であるセルトリウスとポンペイウスの双方が古代の鎧(ローマ風のマッスルキュイラス)姿で両者の勢力(セルトリウス共和国とポンペイウス共和国(※両者の勢力の名称は一般的な通称としてはセルトリウス共和国やポンペイウス共和国と呼ばれているが、どちらも正式な名称はローマ))を代表して演説もした。
当然の事ではあるが、この様な政治体制や情勢は本来の史実では無かった事だった。
なお、これは余談だが、日本においては、2028年にメテッルスが現代にやってきた古代人としては初めて日本に初来日しており、ラテン体制の外交代表として来日し、トーガ姿で日本の天皇や首相と会談を行った他、伊勢神宮と靖国神社を古代の鎧姿で表敬参拝し、伊勢神宮の神主とはローマ(ポンペイウス共和国)の最高神祇官として非公式な会談を行い、国会においては賓客としてトーガ姿で日本の医療支援に感謝を述べた演説を行った事は非常に有名である。
技術に関しては、その変化が非常に顕著である。2037年現在、イベリア半島内では現代農業知識が既に普及しており、これによって農業革命が起きたことで、現地の人口は近年、急激に増加の傾向にある。また、ディアニウムやポンパエロなどの一部の比較的大きい街には限られるものの、太陽光発電所や送電設備が整備されており、電話の他、ローカルではあるがケーブルテレビ局も存在しており、国際赤十字が運営する病院の他、自動車も数は少ないが存在している。また、現代の製鉄知識に基づいた近代製鉄所や、現代における小さな町工場レベルではあるものの、電気工作機械を扱う小規模な工場も存在している。近代製鉄所や工場の存在によって、セルトリウス共和国やポンペイウス共和国のローマ軍の装備の様相は、時空災害前よりも大幅に様変わりしており、それまでが、ロリカ・ハマタの様な鎖鎧、革鎧、胸部鎧が一般兵の間では主流であったが、製鉄技術の発展によってロリカ・セグメンタタの様なプレートアーマーがほぼ全ての兵士に配備される様にもなった。兵士の武装も現代国家への対抗からか、弓やクロスボウやバリスタが多く導入される様にもなった(※なお、現代国家側は銃火器やその知識のイベリア半島への流入には細心の注意を払っておりイベリア半島内には銃火器は一切存在しない)。さらには、南米やオセアニアにおける投擲武器であるアトラトルと非常に良く似た原理の半金属製の投擲武器が2026年以降にローマ軍で急速に使われる様になった事も確認されている。こちらは、2025年に、ポンペイウスがメキシコを訪問した際に親善式典の中で、先住民族による演舞中に、アトラトルが実演され、ポンペイウス自身も先住民による手解きを受けながらアトラトルによる投擲を体験した事が分かっている事から、ポンペイウスがイベリア半島に帰還した後に、この知識を広め、ローマが独自に模倣し改良を加えて導入された物だと考えられている。
物流に関しては、国際連合を通じて食料品などが多くが輸入されている。その為、それなりに大きな街であれば、商店などでは一般的に現代国家から輸入された食品などを普通に購入可能である。なお、これら輸入品の購入代金には工芸品の現代国家への輸出で得られた資金や、ラス・メドゥラス金鉱山から産出される金が当てられている。時空災害によってラス・メドゥラス金鉱山は当然の事ながら、手付かずの状態であり、現代においてもローマ帝国の財政を支えた莫大な金埋蔵量を有しており、この存在によってラテン体制は世界でも有数の金準備国の状態となっている(※しかし、ラス・メドゥラス金鉱山で産出される金を巡ってはその取引を巡って、イベリア半島外へと持ち出すべきではないという意見も根強くある為、国連は金の取引を厳格に管理している)。
この様に技術や物流をみても既にイベリア半島の情勢は、本来の史実とはかけ離れたものである。
すでに時空災害が始まってから30年以上もの月日がたっている事から、本来の現代のイベリア半島が元の状態に戻る可能性は低く、このままイベリア半島の状況は古代が現代に固定化されるとの見方が強まっている事から、各国からはイベリア半島の人々について、このまま現代にやって来た古代として中途半端な支援を続けるよりも、現代国家の一員として支援を行う方がイベリア半島の人々にとって最も人道的に繋がる支援となると指摘する声も多く上がっている。
▼▼▼
▼作者SNSのURL▼
ウィキパディアの裏話や創作活動に関する情報を掲載。月2~3回を目安に更新予定。
https://youtu.be/fTUJFvq7J5o




