日本決戦司令部 ‐ ウィキパディア
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日本決戦司令部
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日本決戦司令部(にほんけっせんしれいぶ 共同語:ஜப்பான் தீர்க்கமான போர் தலைமையகம்)はテルース2の旧日本国の地域にて主に活動している解放軍(விடுதலை இராணுவம்)に参加している部隊である。旧日本国の地域で活動する部隊としては唯一の部隊であり、また、それと同時に旧日本国の地域で活動する部隊としては最大規模を有する。
活動期間:2500年‐現在
活動目的:ドームの打倒
指導者 :アモネ 副指導者:ネレネ
活動地域:日本列島本州地域
前身 :関東連合
:タミルイーラム関西の虎
:全国連絡協議会
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目次
1.概要
2.歴史
2.1設立
2.2解放軍への参加
3.共同体
4.共同体の活動環境
5.指導者
6.編成
6.1ランドタイガー
6.2シータイガー
6.3エアタイガー
7.活動
7.1サンバール作戦
7.2パチャディ作戦
7.3パヤサム作戦
7.4クート作戦
8.装備
9.シンボル
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概要
日本決戦司令部はテルース2の旧日本国の地域で主に活動している。旧日本国の地域で活動する部隊としては唯一の部隊であり、それと同時に旧日本国の地域で活動する部隊としては最大規模の部隊。解放軍に参加しており、解放軍の部隊としても活動している。
解放軍に属する部隊の中でも僅かしか居ないサイバー部隊を有する事や、戦力の内、女性部隊員の比率が非常に多い事でも知られる。
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歴史
・設立
2490年(※テルース2における暦)にテルース2の地球上の全ての既存国家は突如として地球上に現れた異星人の構造体、ドームによって破壊された。日本国も例外ではなく、日本国も壊滅し政府機能は崩壊。国家としての日本国はこの時に滅亡した。滅亡後、日本の首都があった東京には東京23区に当たる地域にドームが着陸した。
ドームの攻撃から生き延びた人々は、日本各地でドームからの襲撃に怯えながらも、生き延びる為の共同体を結成した。関東地方の郊外地域において活動した関東連合。関西地方においてドームに対する武装闘争を行っていた旧日本軍系の武装共同体、タミルイーラム関西の虎。全国各地の小規模な共同体による連合体、全国連絡協議会である。
これら3つの共同体は設立当初は独自の方針で行動を行い活動を行っていた。だが、ドームによる人間狩りや動物狩りが本格化すると、これに対応する為に協力体制が組まれる事になった。3つの組織は協力しドームからの攻撃に備えた。
ドームによる人間狩りや動物狩りの状況は非常に熾烈であった。圧倒的な軍事力を有するドームによる攻撃を前に3つの共同体は急激に力を衰えさせていった。3つの大きな共同体に属する多くの小規模な共同体が各地で壊滅した。日本列島における人口は急激に減少した。
しかし、こうしたドームの攻撃に伴う人口減少は3つの組織が統合される大きな要因となった。それまでは多くの人口を有していた為に個別で独自の行動を取れていたそれぞれの共同体は人口の激減に伴い、独自の行動は困難となりそれぞれの共同体の維持にも大きな支障を出す事になった。これを受けて3つの共同体は組織を統合させる方向に協議を進めた。
そして、2500年。関東連合、タミルイーラム関西の虎、全国連絡協議会の3共同体は旧富山県射水市で行われた会合にて組織の統合を決定。これによって日本決戦司令部は設立された。
・解放軍への参加
2535年から2539年までの間に地球上のほぼ全ての共同体はレーザー通信施設とレーザー通信衛星網によって世界を俯瞰する連絡体制の構築に成功した。それまでは地理的な要因によって外界とは隔絶された各共同体はこれによってグローバルな情報共有が可能となった。
日本決戦司令部もこの情報網に参加したが、日本決戦司令部がこれに参加したのは2539年の事であり、比較的後発組となった。これは、地理的な要因が非常に大きい。レーザー通信施設とレーザー通信衛星網の存在は大陸においては各共同体同士の口伝えによってその存在が周知され利用される様になったが、日本決戦司令部が活動する日本列島は、周囲を海によって囲まれており、外界とは完全に隔絶されていた。
これによって、海外の共同体との接触はできず、言わば日本の生存者コミュニティは孤立していた。しかし、偶然にも2538年に日本決戦司令部は九州地方において、日本国が存在した時代に作られたと思われるレーザー通信施設の発見に成功した。これを日本決戦司令部が利用した事により、日本決戦司令部は海外の情報ネットワークに接続する事ができた。この接触は日本の生存者にとって約半世紀ぶりの外部との接触であった。
2541年、日本決戦司令部は世界人類共同会議(உலகம் மனித இனம் கூட்டு சந்தித்தல்)へと参加。海外との協力体制の強化を図った。そして、2599年、日本決戦司令部は解放軍へと参加し解放軍に属する部隊の一つとなった。
日本決戦司令部は海外の生存者組織と協力してドームの打倒を目指した。
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共同体
2691年現在、日本列島の本州において東北地方に4つ、関東地方に1つ、中部地方に3つ、近畿地方に1つの計9つの共同体を有している。共同体に属する人口は凡そ30,655人。
9つの共同体はそれぞれの地域で農業や牧畜等を営んでいる。工業製品などは2491年前に使われていた工業製品を流用したり補修したりして使用するか、一部は三次元プリンティング技術を用いた積層造形装置を利用して生産している。積層造形装置による工業製品の出力の際に使われる金属素材の生産には生物金属培養技術を用いた金属培養炉が利用されている。
また、2678年からは新国際連合からの支援も受けており、生活物資の提供も受けている。
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共同体の活動環境
日本決戦司令部が活動している日本列島の形状は広いところで300km程度の幅があり、その長さは3500km程という形状をしている。陸地面積の75%は山地や山麓であり平地は乏しい。その周囲は日本海、オホーツク海、太平洋、フィリピン海に囲まれており、日本の共同体は外部の共同体とは地理的に孤立している。
気候は大部分が温暖湿潤気候に属し、梅雨や台風、季節風などの影響による豪雪もある。また、地質学的に地震が多い地域としても知られる。
自然環境は豊かであり、列島の大半を落葉広葉樹林、針葉樹林、照葉樹林に属す森林地帯が占め、多くの野生動物も生息している。こうした環境もあって、日本の共同体の食糧生産能力は解放軍に属する全共同体の中でも比較的、中の上の能力を有している。
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指導者
現在の指導者はアモネ氏。日本決戦司令部の歴代指導者の中では史上最年少の指導者であり、指導者に就任した2690年時点では15歳だった。女性指導者であり、日本決戦司令部における女性の指導者としては前指導者のシエン氏に次いで2人目である。アモネ氏はシエン氏の推薦によって指導者に就任した。
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編成
日本決戦司令部はランドタイガーと呼ばれる陸上部隊、シータイガーと呼ばれる海上部隊、エアタイガーと呼ばれる航空部隊を有している。主体は陸上部隊であるが、活動している日本列島は島である為、周囲を海洋に囲まれている事から海上での作戦能力も有している。ただし、日本決戦司令部は人員不足の問題を抱えている事から、陸上部隊の要員と海上部隊の要員は互いの要員を兼任している場合がある。
総兵力は785名。
・ランドタイガー
日本決戦司令部の陸上における作戦行動を行う部隊。各共同体の防衛任務やドームに対する攻撃任務を行っている。日本決戦司令部の戦力の大半を占める。また、ランドタイガーは解放軍内でも珍しいサイバー部隊を有しており、サイバー戦の能力を有している他、自転車を移動手段とした自転車歩兵部隊も有する。
・シータイガー
日本決戦司令部の海上における作戦行動を行う部隊。高速ミサイル艇や潜水艦を運用している。日本決戦司令部に属する共同体同士の物資運搬やドームに対する作戦などを行う際に海上からの作戦行動がある場合などに担当する。運用船舶は以下の通り。
〔スーパー・ブラック・シータイガー〕×4
概要:新国際連合から供与された、はやぶさ型ミサイル艇。
〔スーパー・グリーン・シータイガー〕×1
概要:新国際連合から供与された、そうりゅう型潜水艦。
・エアタイガー
日本決戦司令部の航空における作戦行動を行う部隊。少数の戦闘ヘリや輸送ヘリを運用している。日本決戦司令部に属する共同体同士の緊急を要する場合の物資運搬やドームに対する作戦などを行う際に空からの作戦行動がある場合などに担当する。
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活動
以下は、日本決戦司令部が過去2世紀内から現在までに行っているドームに対する作戦行動一覧(※防衛任務は除く)。
・サンバール作戦
日本の伝統料理サンバールから名づけられた作戦。全世界の解放軍が定期的に行っているドームに対する報復攻撃作戦の一環。その日本版の作戦である。日本における作戦の対象ドームは東京のドームである。
ドームに対する報復作戦は、解放軍が主導している作戦であり、解放軍に参加する共同体の内、ドームに隣接する共同体が定期的に作戦を実行している。東京においては、1年に1度のペースで作戦は実施された。
サンバール作戦は2609年に始まり、解放軍が設計したロケット弾を日本決戦司令部が製造しそれを日本各地に分散配備。それらをドームに向けて一斉発射するという方式で行われた。一度の作戦では数百から数千発のロケット弾が運用された。
しかし、サンバール作戦は2681年に当時の指導者シエンによって無期限の中断が決定された。解放軍は日本決戦司令部の決定に不服を示したが、シエンはサンバール作戦の有効性と実効性に疑問を示した。
まず、作戦のたびに数百から数千発のロケット弾が用意されるが、その製造コストは大陸のその他の解放軍に属する共同体とは違い、海によって地理的に他の共同体からの支援を受けられない日本の共同体にとってはかなりの負担であるという事。次に、莫大な製造コストをかけて作戦は行われるが、そのコストに対して、ドームに対するダメージ効果がほぼ得られない事。次に、作戦を実行する際にロケット弾を各地に設置する作業が行われるが、設置作業時や運搬作業時にドームの戦力によって発見され阻止の為に攻撃されるリスクが高くなる事。次に、ロケット弾の発射後にドームの戦力で最も恐れられる高速戦闘機が出現しロケット弾の発射地点を攻撃し始める為、ロケット弾の発射作業に関わる人員の生命を極度に危険に曝す事。
これらの理由から日本におけるドームに対する報復作戦、サンバール作戦は停止されている。
・パチャディ作戦
日本の伝統料理パチャディから名づけられた作戦。2680年に行われた。日本決戦司令部と新国際連合が主導し実施した総攻撃作戦であり、ドームに対する直接侵攻作戦である。日本決戦司令部は保有するほぼ全ての戦力を投入した。侵攻部隊の一部部隊はドームの外周沿いにある外堀にまで達する事はできだが、軍事的には作戦は失敗であり、ドーム本体に対する有効的なダメージは一切与える事もできなかった。さらに、この総攻撃に参加した戦闘員も大半が死亡し、この作戦に参加した人員の大半は帰ってくる事もなかった。
また、作戦後、ドームは軍事行動を数週間に渡って活発化させ、日本列島各地において、ドームの戦力による被害が相次いだ。幾つかの日本決戦司令部に属する共同体は攻撃が激しくなった為に場所を移転せざるを得ない状況にもなった。
この作戦がその後の日本決戦司令部に与えた影響は非常に大きく、この作戦が行われるまでは日本決戦司令部の戦闘員や人員は大半が男性隊員によって構成されたが、この作戦によって多くの男性隊員が失われた結果、日本における共同体人口の内、男性を占める割合は極端に低くなった。作戦後に生き残った男性は大半が子供や老人や怪我人のみとなってしまった。
これによって、以降、日本決戦司令部では、女性部隊員が多く採用される事になり、大半の人員が女性に占められる様になった。また、多くの戦闘員が死亡した事と、人口構成の変化によって作戦前は戦闘員の数が1000名を超えていたが、この動員体制を維持できなくなり、動員可能な戦闘員の数は800名以下にまで減少してしまった。
また、新国際連合から提供されていた装備の多くも喪失した。
・パヤサム作戦
日本の伝統料理パヤサムから名づけられた作戦。2688年に日本決戦司令部が新たに実行した作戦。これまでにない新たなアプローチからドームを攻撃するという発想の下、行われている。
これまでのドームへの攻撃は直接攻撃が主であったが、軍事力や軍事技術の差から直接攻撃によるドームへのダメージを与える事は困難である事から、直接攻撃によるダメージではなく、ドームに対する潜入工作やサイバー攻撃、破壊工作を行う事でダメージを与える事を目的としている。
ドーム内部への潜入は数度成功を収めており、合計では6度、成功している。ドーム内部ではドームの防衛兵器による攻撃や追撃が起きるものの、現状、潜入部隊が帰還に失敗した事例は2例のみで収まっている。
潜入部隊は日本決戦司令部の戦力の中でも高い戦闘能力を持っていると判断された隊員とサイバー戦に特化した隊員によって構成される。
このパヤサム作戦はドームに対する本格的な情報収集作戦の側面としては解放軍が設立されて以降では初めての試みの作戦でもある。この作戦によって明らかになった事は数多くあり、解放軍設立前の2508年に有志によって行われた決死の調査では、ドーム内部には無数の異星人が居住しているという情報が発信されたが、パヤサム作戦による潜入作戦では、ドーム内部は大半が暗く異星人の姿は現状ではまだ確認できないという情報と、異星人は居ないが都市は住民が居るかの様に機能しているとの情報が齎された。
破壊工作としては、ハッキングが容易なドームの都市における民間システムと思われるシステムへの工作や、時限爆弾による爆破工作を実施している。
解放軍の評価機関はこの作戦について、当初は作戦の有効性について懐疑的な見方を示していたが、この作戦によって齎された情報などによって、この作戦によるドームへの効果は通常の戦闘によって得られるドーム戦力へのダメージよりも大きいと評価した。
日本決戦司令部はパヤサム作戦を継続している。
・クート作戦
日本の伝統料理クートから名づけられた作戦。日本決戦司令部と新国際連合が2690年に共同で計画した作戦。パヤサム作戦の発展版として計画された。ドーム内部に潜入し新国際連合から提供された時限式小型核爆弾を設置しドームを核攻撃をしようと試みた作戦である。2回検討された。
作戦で使用する時限式小型核爆弾には、かつてのアメリカ合衆国が運用していた特殊核爆破資材(SADM)を参考に開発された時限式小型核爆弾が採用され、重量は67kg、核出力は1ktであり、兵士が1人で背負って運ぶ事ができた。この小型核爆弾によってドームに対する破壊工作を試みた。
しかし、この作戦はすぐに多くの問題点が露呈する結果となった。
まず、ドームへの潜入時には時限式小型核爆弾の重量とほぼ同じ総重量に達する個人用の潜入用の装備の存在も絶対的に必要であった。これを補助する為のウエットスーツの様な外見のパワードスーツもあったが、時限式小型核爆弾も持ち運びをしようとすると、その人物の持つ荷物の総重量は120kgを優に超えてしまう事になった。これでは幾らパワードスーツがあるとはいえ、移動や体力面で作戦に大きな支障をきたす恐れが非常に高くなった事から、重量を分散させる為に数人での分散した物資の運搬も検討された。
しかし、ドームへの潜入時には、単独行動や素早い行動が必要とされる状況も多々あるという事から、作戦実施前のシュミレーション段階で小型核爆弾の持ち運びは不可能だと判断された。これによってクート作戦は最終的に実施される事なく終了した。
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装備
保有武器は小銃や機関銃、ロケットやミサイルが主体である。その他、民間自動車、バイク、ガントラック、装甲車、偵察装甲車、戦車、機動戦闘車、自走対空機関砲、多連装ロケット砲、野砲、戦闘ヘリ、輸送ヘリ、高速ミサイル艇、潜水艦も少数を保有している。その他、サイバー戦に特化した部隊も有している事からサイバー戦装備も保有している。
保有武器の内、小銃や機関銃、ロケットやミサイルなどは共同体によって製造されているが、その他の装備は2490年以前に製造され放棄された物などを流用や補修して運用している。また、新国際連合から提供された装備も多数保有している。
なお、日本決戦司令部は2680年に行われたパチャディ作戦までは、76mm連装砲を1基搭載した独自建造の小型コルベット艦3隻の他、新国際連合から提供されたF‐35Bを20機、はやぶさ型ミサイル艇を6隻などの装備も保有していた。しかし、2691年現在は全て失われている。
現在、日本決戦司令部が保有している、はやぶさ型ミサイル艇などは、パチャディ作戦後に提供された装備である。
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シンボル
日本決戦司令部のシンボルは数度変更されている。過去のシンボルについては「過去の日本決戦司令部のシンボル一覧」の記事を参照。
2691年現在の日本決戦司令部のシンボルは先代の指導者シエンによって決められた旗が採用されている。鳴神山が描かれた旗で、”桐生市立豊受小学校”と中央に旧言語で書かれた恐らくは2491年まで群馬県桐生市に存在したと思われる小学校の校旗が使用されている。
この他、解放軍のシンボル旗も使用される。
解放軍のシンボル旗は、人類の全ての人種(虎人、猫人、犬人、馬人、牛人、栗鼠人、地鳥人)を表す7色の横じま模様を下地に、旗の左上に白い四角形状の枠があり、その中に人類の団結を表す黄色い星が一つ描かれた模様の旗である。




