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民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像 ‐ ウィキパディア

ウィキパディア-フリー百科事典

ページ/ノート

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民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像

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民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像( みんしゅうぎかいでえんぜつをするフラミニウスぞう )はGHQのダグラス・マッカーサーの指示により製作され1947年に国会議事堂敷地内の正面に設置された銅像。


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概要


民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像はGHQのダグラス・マッカーサーの指示により製作され1947年に国会議事堂敷地内の正面中央に設置された。銅像本体の高さは4.2m、台座中段は1.54m、台座下段は2.46m。銅像本体の材料は銅、台座の材料は塩山御影石。総重量は6,000kg。像の台座には、古代ローマの政治家キケロの言葉「武器がものを言うとき、法律は沈黙する。」が日本語とラテン語で彫られている。


製作者は彫刻家の竹内猛雄( たけうちたけお )。製作の協力にはパーソンズ美術大学を卒業した経歴のあったアメリカ軍のアーべ・モーレンカンプ陸軍中尉が協力した。


銅像は古代東北における共和制蝦夷の民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲の様子を模して作られた。容姿は伝承を元に、短甲風の鎧と蝦夷兜を着てその上から頭から熊の毛皮を被った姿が採用された。


演説をする様子を表したポーズはオペラのポージングや、イタリア人画家チェーザレ・マッカリの作品カティリナを追及するキケロを含めた中世から近世の絵画、ローマのパラッツォ・ディ・ジュスティツィアにあるキケロ像、プリマポルタのアウグストゥス像などのデザインが参考にされた。


富螺御爾烏洲の姿は文献上には記載が確認されていたが、その詳細や絵などは残されていない為に銅像のデザインの大半は彫刻家竹内猛雄とアーべ・モーレンカンプ陸軍中尉による史料や伝説の調査と試行錯誤によって現在の姿に完成した。


1946年に発行された100円札紙幣には、まだ完成前の予想図ではあったが、民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像の富螺御爾烏洲の姿が紙幣に印刷される人物にも選ばれている。


学校教育においても、GHQの方針により古代東北の共和制蝦夷や富螺御爾烏洲が教えられる様になると、富螺御爾烏洲として像の写真が教科書に掲載される様になった。現在でも多くの教科書で民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像の写真は掲載されている。


台座の言葉は当初はキケロの言葉ではなかったとされる。当初の案では、富螺御爾烏洲が東北の豪族に対して蜂起する民衆を扇動する際に言ったとされる言葉「すべての権力を民衆へ(※現代日本語訳)」が記録されている原文の蝦夷文字とその日本語訳の文で彫られる予定だったが、像の完成案を見たダグラス・マッカーサーが、この言葉の英訳を見て共産主義者のスローガンの様だとして却下した(富螺御爾烏洲の言葉を現代の日本語と英語で訳すと「日本語訳:すべての権力を民衆へ」「英訳:All power to the People」となり、これがロシア革命時のレーニンのスローガン「全ての権力をソビエトへ!(英訳:All power to the Soviet!)」と似ていると思われた為だと言われる)。結果、彫られる言葉は変更される事になり現在のキケロの言葉となった。


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撤去論争


1980年代頃から現在にかけて、民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像は、日本国内の一部で根強く撤去すべきだという声がある。これは政治的、歴史的、人権的に様々な観点から声があがっている。


1998年、当時、自民自由党の衆議院議員だった正岡司郎は民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像について、日本の政治の中枢たる国会議事堂の前に日本国民統合の象徴である天皇を滅ぼそうとした男の像を奈良時代の人物だとしても設置する事はいかがなものかと主張した。正岡司郎は国会議事堂前でなく別の場所に移設すべきだと主張した。


2001年には兵庫大学の歴史学者、加藤良夫教授は民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像に関して学術的な観点から撤去すべきだと主張した。加藤良夫教授は民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像の姿について、顔の容姿が古代東北人の顔立ちよりもヨーロッパ人に近い顔立ちをしており、これは考古学的にすでに否定されている蝦夷・ローマ人渡来説の影響を受けたと思われると指摘し、歴史的に正確ではないと指摘した。


加藤良夫教授は確かに共和制蝦夷の痕跡として発掘される物品の多くには蝦夷・ローマ文化渡来影響説がある様に古代ローマのコールス型のガレアを彷彿とさせる形状の兜(蝦夷兜)やロリカ・ハマタを彷彿とさせる防具や、ラテン文字との共通点が指摘されている蝦夷文字などが多数発掘されていると認めつつも、情報や物品の蝦夷への伝来はあった可能性はあるが、古代東北にヨーロッパ人が渡来していたという事実は存在していないと指摘した。これに加えて加藤良夫教授は2003年に富螺御爾烏洲の埋葬伝説が残る愛知県豊根村で富螺御爾烏洲の可能性がある人物の遺体が収められた石室を発見し、この人物のDNA鑑定を行った結果、この人物のDNA情報は縄文人系統であった事が判明した。この遺体が富螺御爾烏洲であるかどうかの議論は現在でも続いているが、加藤良夫教授はこの遺体を富螺御爾烏洲であると主張し、ヨーロッパ人風の顔立ちだと自身が指摘した民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像に関しては改めて顔を新たに作り直すべきだと主張している。


1999年、日本の人権活動家、田島幸子は民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像に関して、テレビ台場の討論番組内でその顔立ちがヨーロッパ人風である事を指摘して、白人による日本人を下に見る人種差別的な意図が垣間見える像だと批判した。


その他、政治家、歴史学者、人権活動家以外からは、右翼団体などからも撤去を求める声がある。2010年には極右団体が国会議事堂前で撤去を求めたデモを行いその際に、同団体の幹部がスリングショットを使って像に向かってカラーボールを発射した事件も起きた。


また、2013年には撤去を主張する右翼団体と撤去に反対する共和主義者の市民グループが渋谷区で行われたデモで衝突し逮捕者6名を出す乱闘事件も起きている。


2015年に日本の世論調査会社、帝国図書データーバンクは、全国1万人の20代から70代以上を対象に民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像に関する世論調査を実施した。質問では、設置を継続すべき、設置をやめて撤去するべき、作り直して再設置するべき、分からないの4択で行われ結果は、設置継続が45.6%、撤去が12.3%、作り直して再設置が21.1%、分からないが21%だった。年齢別の傾向としては若年層ほど、撤去反対の意見が多く中高年層と高齢者層ほど、撤去賛成の意見が多いという結果になった。


2016年、アメリカのタイム誌は創刊以来始めてその表紙に銅像の写真となる民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像を掲載した。タイム誌は日本における民衆議会で演説をする富螺御爾烏洲像を巡る撤去論争を紹介した他、戦後日本における象徴天皇制派と、同じく戦後日本で登場した共和主義派の政治対立を紹介し、戦後日本では富螺御爾烏洲は民主化の象徴として扱われたが、君主の居る日本では君主制と相反する共和主義の象徴としても絶大な影響力を有していると評した。タイム誌は戦後日本にとって富螺御爾烏洲と共和制蝦夷の存在は民主化の象徴であるのと同時に、自らの歴史と伝統の象徴でもある天皇制への頭痛の種だと紹介した。


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― 新着の感想 ―
[一言] 日本国内において本格的に物品の設置、像をめぐる争いが起きる 外国並みになったなあ
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