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騒音都市 ‐ ウィキパディア

ウィキパディア-フリー百科事典

ページ/ノート

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騒音都市

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騒音都市(ネリス語:□□□□□□□ シュムール語:□□□)は、モスタネリア共和国の北西部、シェべリン地方に位置する古典期シェべリンの大都市。1389天9季10陽にカタネリア帝国の探検家アルゴス・ヌルラによって発見された。1402天にモスタネリア共和国の国立史実保全公園に指定された。


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概要


騒音都市(ネリス語:□□□□□□□ シュムール語:□□□)は、古典期シェべリンが建設したと考えられている大都市。遺跡の面積は38.96ヘルホキュロメーティルを有する。遺跡は大半が居住区によって構成されていると考えられ、また、高度な建築と計画された都市区画が確認されている。


都市は少なくとも前7千天から前6千天頃の期間に建てられたと推測されているが、超耐久性コンクリートによって作られた建造物群は後述する自然現象により人間が周囲に寄り付かなかった事と、シュべリン地方の寒冷気候によって守られ、ほぼ完全な姿で現存している。


名称については、都市建設当初の本来の名称は不明であるが、後述する自然現象から一般的に騒音都市(ネリス語:□□□□□□□ シュムール語:□□□)と呼ばれている。公的にもこの名称が地名として登録されている。ただし、シュムール語読みの遺跡名は現代サジルス語に訳すと、厳密な意味では騒音都市の意味ではなく、うるさい街となる。


騒音都市以外の名称では、公的な名称ではないが、都市の外観が都市の建物を構成する素材の色が灰色をしている為に、灰色都市(ネリス語:□□□□□)と呼ばれる事もある。


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発見


1389天9季10陽にカタネリア帝国の探検家アルゴス・ヌルラによって発見された。ヌルラは当時はほぼ未開の地であったシェべリン地方を探検し、その際に現地の原住民族であるシュムール人から、シュムール人ならば誰もが不気味がり普段は決して近づこうとしない遺跡があるという話を聞きだした。そして、その話を元に、現地を良く知るシュムール人の案内人の案内を経て西方人としては史上初めて騒音都市の発見に成功した。


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古典期シェべリン


古典期シェべリンは前7千天から前6千天頃に現在のシェべリン地方にて存在していたと考えられる騒音都市を築いた文明である。騒音都市は現在発見されている遺跡の中では世界最古の時代に建設されたと考えられている遺跡である。その為、この遺跡を築いた文明はそれまで知られていた如何なる文明にも当てはまらなかった。その為、前7千天から前6千天頃にシェべリン地方で現代では知られていない未知の文明が存在したと考えられる様になった。それが古典期シュべリンである。


しかし、古典期シュべリンは謎が非常に多い。古典期シュべリンが存在した事は騒音都市を建設した文明が存在する事から明らかであるが、騒音都市は遺跡全体の保全状態が極めて良いにも関わらず、都市を建設した文明に関する出土品や文字や記録が一切発見できていない。さらに、古典期シュべリンは建物に装飾を施す文化が殆ど無かったと推測されており、都市内の建築物は無機質な箱の様な形状の建物ばかりである。その為、この大都市を建設した古典期シュべリンに関する事は多くが謎のままである。


都市遺跡から、古典期シュべリンは非常に高度な文明であったと考えられている。騒音都市は非常に高度な都市計画に基づいて建設されており、都市に様々な区画の概念があったと考えられている。また、上下水道の存在が確認されており、さらにはこれらを構成する建築物の建築素材は現代においても強固な耐久性を示すシュべリンコンクリートが使用されている(※シュべリンコンクリートとはこの遺跡で発見されたコンクリート素材)。このシュべリンコンクリートによって騒音都市の建築物の多くは非常に高い耐久性を有しており、多くが現在でも現存し、さらには5階建てから最大で8階建て相当の建物も多くが現存している。また、コンクリートによる建築の為、建築物の多くは継ぎ目が殆ど無い滑らかな建物が多い。


都市の幾つか地点においては、崩落や倒壊はしているものの、調査によって最大で15階建てから20階建て相当の建築物もあった可能性が指摘されている。


これらの建造物群はシュべリンコンクリートの超耐久性と、シュべリン地方の寒冷気候によって建物を破壊する恐れのある植物が育ちにくい環境であった為に倒壊を免れたと考えられている。


古代の時代において現代の建築技術にも劣らない高度な建築技術を持った古典期シュべリンの存在は現在でも様々な研究の対象となっている。しかし、それにも関わらず、古典期シュべリンに関する事は殆ど分かっていない。文明に関する出土品や文字や記録が一切発見できていない為である。この理由については、略奪の可能性が多くの研究機関から早くから指摘されている。


騒音都市は探検家アルゴス・ヌルラによる発見時点で、建築物以外では都市内に文明の様子を窺い知れる物品が残されていなかった事が分かっている。建物の窓や入り口にすら何も無く、建物内にも家具の一つも残されていなかったとされる。


騒音都市の周辺では前3千天から前1千天頃にかけて幾つかの遊牧民族が生活をしていた痕跡が発見されている。この痕跡の中には当時の遊牧民族が使用していた武器や狩猟の道具が幾つか発見されているが、これら発見されている道具の多くが金属製である。


この遊牧民族は現在もシュべリン地方で遊牧民として暮らしているシュムール人の祖先にあたるが、シュムール人は1200天代に西方人によって発見されるまで、鉄器文明を有していなかった。さらには非常に原始的な生活を営んでいた民族である。


そのシュムール人の祖先に当たる遊牧民族が鉄器を使用していた事は発掘調査から事実であるが、当時の予測される遊牧民族の持つ技術では鉄器の生産は不可能だったと考えられている。さらに発掘調査によってこれらの遊牧民族の生活の痕跡は至る所で発見されており、その生活スタイルは1200天代のシュムール人と宗教や習慣の違いこそ確認されたものの、有していた技術は1200天代のシュムール人と余り変わらなかったと結論付けられている。さらに鉄の生産を行っていた事を示す痕跡の発見も一切されていない。


この事からシュムール人の祖先の遊牧民族が鉄器を生産する術を持たないにも関わらず、鉄器を有していた事は、他の文明とは遠く離れ地理的に隔絶されていたシュべリン地方の当時の社会環境からして、騒音都市から金属等の物品を略奪しそれを加工などして使っていたのではないかと推測されている。


これを証明する様に、シュムール人やその祖先には鉄器の生産技術は無かったが、騒音都市には製鉄所跡と思われる大規模な遺跡の存在が確認されている。この為、古典期シュべリンは鉄器文明であったと推測されている。


つまり、1200天代に西方人がシュムール人と接触した段階ではすでに、遠い昔にシュムール人の祖先達によって騒音都市の物品はすべてが消費されてしまったと考えられている。その結果、その末裔であるシュムール人も鉄器文明を失ったと推測されている。


しかし、シュムール人の祖先であるが建造物の建築資材に対する略奪は行わなかった様である。シュムール人の祖先の遊牧民族やシュムール人は西方人に発見されるまで、シュべリン地方と隣接するトルネア地方のトルネア人の都市国家と戦争を繰り返していた。シュムール人とその祖先やトルネア人の都市国家が残した記録によれば、シュムール人やその祖先の遊牧民族は都市国家との戦争で勝利を得るとその都市から奴隷や食料や家畜の他、建築資材までもを略奪していった記録が残されている。しかし、騒音都市の建造物は殆どが現存しており、破損している建造物も自然倒壊によるものだという事が分かっている。


これに関して、何故、騒音都市の建築資材が略奪されなかったのかは明確な答えは無いが、後述する自然現象がシュムール人や他の民族を遠ざける効果があったのではないかと言われている。


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騒音現象


騒音都市ではそう呼ばれる名の由来にもなった様に、都市の中心部付近から周辺部にかけての都市全域で騒音現象と呼ばれる発生源不明の奇妙な騒音が発せられる現象が時間や気候に関係なく半永久的に続いている。この現象は何らかの自然現象によるものであると考えられているものの、現在でも確たる原因やメカニズムは一切不明であり、多くの研究者によって原因の解明に向けた調査が現在でも進められている。


騒音都市で発生しているこの現象による騒音量は人間が不快に感じる音域と音量に達しているが、これによってシュムール人やその祖先に当たる複数の遊牧民族による遺跡の略奪行為が軽減されたのではないかと一部の研究者は推測している。


実際に1389天の探検家アルゴス・ヌルラによる騒音都市の発見時でもヌルラを騒音都市へと案内したシュムール人はヌルラに対して騒音都市の事をシュムール人ならば誰もが不気味がり普段は決して近づこうとしない遺跡と表現した記録が残っている。


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マデシュ霊廟


マデシュ霊廟は1398天に発見された前2500天頃にシュムール人の祖先が建設した大霊廟である。騒音都市の南部に隣接するシェネト山の山中にて発見された。このマデシュ霊廟はシュムール人の祖先が騒音都市に大量に放置されていた無数の人骨を収集して納めたと伝えられている霊廟である。霊廟内には実に68万体にも及ぶ大量の人骨が納められており、霊廟は山中に人工のトンネルを掘る事で形成されている。


マデシュ霊廟内で発見された粘土板文書によると、この霊廟内に収められている遺体は全て、騒音都市の道や建物内などの至る所で野晒し状態で放置されていた人骨をシュムール人の祖先が神への供物として収集したものであるとされる。この粘土板文書の示す通り、実際にモスタネリア共和国考古会が行った人骨の魔力年代測定によってこの霊廟内の遺体は全てが死亡推定時期が古典期シェべリン期である事が証明されている。また、後述する遺体の判明した死因から、収容されている遺体の死亡推定時期は、古典期シュべリンの時代の内、ほぼ同時期に死亡したものと考えられている。


ここで発見された人骨は古典期シェべリンを知る上で非常に重要な歴史資料として扱われている。特筆すべきは、ここに収容されている遺体の死因である。調査によって大半の人骨に刃物による切断痕や鈍器による打撃痕が確認され、また、魔法による魔法外傷痕の痕跡も確認された。


この事から、古典期シェべリンが滅亡した原因として、戦争等による大量虐殺があった可能性が指摘されている。


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外部リンク


騒音都市において発生している騒音現象と類似した音を紹介したウィキパディアの外部の動画サイトのリンク一覧(※ただし、リンク先の動画は、あくまで騒音都市で発生している騒音現象と類似した音が動画中に登場するのみであって、動画の内容は動画中に登場する画像や音を含めて一切が騒音都市とは関係無い)。


・https://www.youtube.com/watch?v=rIos0ya-yss&t=40s

・https://www.youtube.com/watch?v=k2a30--j37Q

・https://www.youtube.com/watch?v=1jBYSwbaQvI


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― 新着の感想 ―
[気になる点] これは、シリーズ内にある大消滅とか世界終焉とかの転移事故の一部と見るべきか・・・ 何千年も経ってるのに警報が鳴り続けているなんて、例の世界時計と同じものを感じる・・・ [一言] 少なく…
[一言] 更新お疲れ様です。 またまた謎な遺跡、これシェルターか何かでしょうかね。音声も核戦争とかを暗示してるような音ですし。殺し合いをした形跡のある人骨は食料不足かカルト宗教の蔓延での内ゲバでしょ…
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