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アンティクオラム帝国 ‐ ウィキパディア

ウィキパディア-フリー百科事典

ページ/ノート

―――――――――――――――――――


アンティクオラム帝国

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アンティクオラム帝国(アンティクオラムていこく、英語:Ancient Empire、ハストゥル語:ハストゥル・スウユ(Hastur Susyu))は南太平洋と南極海を跨ぐ諸島国。地球上最後の巨石文明国である。


公用語:ハストゥル語

首都 :ワイラ

総人口:317万人(推計)

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目次


1.概要

2.歴史

3.文明

4.言語

5.政治体制

 5.1中央政府

 5.2地方政府

6.外交

7.気候

8.領土

9.資源

10.軍事

 10.1陸軍

 10.2海軍

11.国民

12.経済

13.資料

14.題材にされた作品


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概要


アンティクオラム帝国(アンティクオラムていこく、英語:Ancient Empire、ハストゥル語:ハストゥル・スウユ(Hastur Susyu))は南太平洋と南極海を跨ぐ諸島国。アンティクオラムとは、日本語で“古の”という意味のラテン語が語源で、この国を最初に発見したポルトガルの探検家アウグスト・ヴィエイラ・ダ・シウヴァが名づけた。国際的な通称はアンティクオラム帝国だが、これは正式な名称ではなく、正式名称は現地のハストゥル語でハストゥル・スウユである。ハストゥル語でハストゥルは“神の”を意味し、スウユは“帝国”を意味する。日本においては、2006年頃までメディアにおける呼称はアンティクオラム帝国やアンティクオラム国が主流であったが、現在はハストゥル帝国、ハストゥル・スウユが主流となっている。


アンティクオラム帝国は南太平洋と南極海を跨ぐ諸島であるムィム諸島を領土としている。南太平洋と南極海を跨ぐ諸島国で、地球の最南端に位置する国家である。また、地球上最後の巨石文明国であり現存する国家の中では地球上最古の国家でもある。アンティクオラム帝国はその極地に近い位置から長年に渡って外部の文明との積極的な接触がされてこなかった。その為、現在に至るまで、アンティクオラム帝国は古代から続く文明を害されずに継続しており、21世紀に入った現在においても、巨石文明を維持している。また、現在においても、アンティクオラム帝国は文字を持たない文明である事も有名である。


アンティクオラム帝国は世界的に見ても余りにも希有な文明である為に近代から現代にかけてイギリス、国連などから積極的な保護政策を受けた。


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歴史


挿絵(By みてみん)

※ムィム諸島の各勢力の版図の変遷( ムービー )。


・BC5,000年前後 ‐ ムィム諸島に人類が到来。竪穴式住居を建築し定住する。後のハストゥル人。

・BC3,000年前後 ‐ 黒曜石で作られた矢尻が登場する。

・BC2,800年前後 ‐ 海草を乾燥させて編んだ袋が登場し、これに土を詰めた土嚢で住居の壁を作り始める。土嚢式住居の起こり。また、海草を乾燥させた物が冬場の燃料として利用され始める。

・BC2,000年頃 ‐ 南極海の荒波に対応して船の大型化が進み海草を乾燥させて編んだ船体を持つ15m前後の帆船が登場し始める。

・BC1,700年後 ‐ ハストゥル人がムィム諸島を南下。ムィム諸島の9割に定住化する。

・BC1,600年前後 ‐ ルイエ島の氏族が3段ピラミッドを建設しこれを中心に最初の都市が形成され始める。

・BC1,700年頃 ‐ 各島の氏族との争いが激しくなり、統廃合が進む。

・BC1,500年頃 ‐ 統廃合が進んだ結果、ハストゥル、イタクンナ、クスク、ウルムの4つの国がムィム諸島を分割支配。

・BC1,200年頃 ‐ クスクからハストゥル人がさらに南下。ムィム諸島全域にハストゥル人が定住。クスクは領土を拡大する。また、この探索の際に氷で覆われた海を発見する。

・BC1.200年頃 ‐ ハストゥルがニュージーランド島を発見。現在のモモナ付近に定住化する。

・BC1,100年頃 ‐ 4つの国の争いが激しくなる。

・BC1,000年頃 ‐ イタクンナがハストゥルによって併合される。ハストゥルに対抗して残りの国が同盟を結ぶ。

・BC880年頃 ‐ 4つの氏族の間で和平が結ばれハストゥル・スウユが成立する。首都はルイエ島に置かれる。

・BC850年頃 ‐ ハストゥル・スウユはニュージーランドを侵略しマオリ族と対立する。

・BC820年頃 ‐ ニュージーランドの東側沿岸部を支配下に置き、マオリ族の奴隷化を進めるが、内陸部に逃れたマオリ族の抵抗により、ニュージーランドにおける領土拡大が停止する。

・BC800年頃 ‐ ハストゥル・スウユはニュージーランドの現在のリーストンに3段ピラミッドや神殿から構成される都市( ヴァル )を建設する。その後、ハストゥル・スウユによるニュージーランド植民地の中心地となる。

・BC790年頃 ‐ ハストゥル・スウユがオーストラリアを発見。オーストラリア沿岸部への進出を開始。アボリジニと対立しアボリジニの奴隷化を進める。

・BC600年頃 ‐ ハストゥル・スウユによる植民地帝国が最盛期を迎える。

・BC493年 ‐ ニュージーランドにおいてマオリ族が本格的な反抗を開始。植民地支配の中心であったヴァルが陥落する。

・BC487年 ‐ マオリ族がハストゥル・スウユ軍を撃破し南部の都市を攻略する。ニュージーランドはオーストラリアとの中継地である為にハストゥル・スウユは奪還を試みるが、冬の到来と重なった為に失敗する。その後、夏に奪還を再開するも失敗。ヴァルや南部にあった2つの都市はマオリ族によって徹底的に破壊された。また、オーストラリアは中継地を失った影響で孤立。その後、オーストラリアに残こされたムィム諸島人は内乱やアボリジニからの攻撃を受けて支配地を喪失していき、最終的にはアボリジニと同化する結末を辿った。

・BC470年頃 ‐ ハストゥル・スウユの皇帝ケメトス・イキナスは植民地の奪還を断念。これによって植民地帝国が消滅する。

・BC470年後 ‐ ハストゥル・スウユの求心力低下に伴い4つの氏族が分裂。ハストゥル、イタクンナ、クスク、ウルムが分離独立。ハストゥル・スウユが事実上崩壊。

・BC200年前後 ‐ 鉄とマグネシウムが発見される。マグネシウムが灯りや冬場の燃料として利用され始める。

・BC100年前 ‐ 鉄器とガラスが作られ始める。

・BC50年前後 ‐ クスクからツットンカグアが分離独立。

・BC50年前後 ‐ ハストゥルと南米との貿易が始まる。

・BC20年前後 ‐ 南米の建築文化が伝わり大型の段々ピラミッドがハストゥルのルイエ島に建設され始める。

・AD20年前後 ‐ 南米から黄金がもたらされる。

・AD150年頃 ‐ ハストゥルにネロンと名乗る異邦人が現れハストゥルの族長を説き伏せ族長となる。

・AD150年頃 ‐ ハストゥルでスクトゥム型の盾が使われ始め、鎧や剣も発明される。

・AD155年頃 ‐ ハストゥルがイタクンナを攻め滅ぼす。ツットンカグアがクスク、ウルムと同盟を結ぶ。

・AD160年頃 ‐ ウルム軍の艦隊がハストゥルに攻め込むが、ハストゥル軍が沿岸防御兵器としてバリスタを投入。ウルム軍の侵攻を退ける。バリスタがムィム諸島の歴史において初めて登場。

・AD165年頃 ‐ ハストゥルがガレー船を発明。ガレー船の船上にバリスタを乗せてウルムへの侵攻。

・AD168年頃 ‐ ハストゥルはウルムを併合。

・AD170年頃 ‐ ハストゥルとクスクの戦争が本格化するが、数年の戦いの後に併合される。ツットンカグアがハストゥルに従属する。これによって全土が統一される。ハストゥル・スウユ体制が復活。

・AD200年頃 ‐ 各地に神殿が建設され、後の地方都市の基礎となる。

・AD250年頃 ‐ 南極大陸への移住の試みがされ始める。

・AD300年頃 ‐ 南極大陸最初の砦が建設される。

・AD360年頃 ‐ 金属製のレールが発明され南極大陸の開発で利用される。また、南極の砦間を結ぶトンネルの建設が開始される。

・AD450年頃 ‐ 南極で氷を使った大型の段々ピラミッドと神殿の建設が始まる。

・AD500年頃 ‐ 十四賢帝時代の始まり。ハストゥル・スウユ体制の安定した治世を迎える。皇帝メデン・ダリダニスを始まりに十四代に渡って目立った争いが起きず以後平和な時代が3世紀続く。

・AD872年頃 ‐ 十四賢帝最後の皇帝ダダン・ダダダン・バングが死去。

・AD872年頃 ‐ 次期皇帝の座を巡って各氏族が対立。各氏族が皇帝を擁立。これにハストゥル・スウユ軍の軍司令官イストゥ・ルンルーが混乱を治める為に武力で各氏族を鎮圧。軍人皇帝時代の始まり。一世紀の間に擁立された皇帝の数は112人に及んだ。ハストゥル・スウユ体制が脆弱化。

・AD990年頃 ‐ 二大帝戦争。ハストゥルとクスクの両氏族が同時に2人の皇帝を擁立し対立。ハストゥル・スウユが二つに分裂。

・AD990年頃 ‐ クロスボウが初めて記録上に登場。

・AD992年頃 ‐ 劣勢になったクスクがそれまで、ハストゥルとクスクが戦時協定で継続していた南極植民地への物資の供給を協定を反故にして寸断。クスクは南極植民地に対して自陣営に付く様に要求し南極植民地の勢力がハストゥルとクスクの両陣営に分裂。南極の戦いが始まる。

・AD993年頃 ‐ 二大帝戦争がハストゥルの勝利で終結。

・AD1000年頃 ‐ 賢人エミルトの法が試行。皇帝選出の法と士族の決まりが定められる。

・AD1500年前後 ‐ 貿易関係のあったインカ帝国を経由して、天然痘が流行。皇帝ワルパ・ワンパがムィム諸島外との全ての交流を災厄を招くとして禁止。

・AD1583年 ‐ ポルトガルの探検家アウグスト・ヴィエイラ・ダ・シウヴァがムィム諸島を発見。ヨーロッパ人による初の到達。アウグスト・ヴィエイラ・ダ・シウヴァは、巨石文明がまだ残っている事や奇妙な文明に感銘を受け、南米の文明を侵略している本国には伝えず、この情報をイギリス女王に伝え、文明の保護を求めた。イギリスはこれを認める。

・AD1609年 ‐ イギリスの宣教師ジェームズ・ホキンスがムィム諸島に宣教の為に向かうが、南極海の荒い波によって到達に失敗する。ジェームズ・ホキンスはその後10年間の間に3回挑戦し3回失敗する。

・AD1621年 ‐ スペイン帝国がイギリスの保護を受けたムィム諸島の情報を入手し占領する為に軍艦を送り込むが途中、嵐にあい失敗。

・AD1632年 ‐ イギリス海軍の艦隊がムィム諸島を測量。大砲で、ルイエ島の島民を脅し食料や水を供出させる。また、一部の水兵が略奪を働く。ハストゥル・スウユの工芸品が歴史上初めて欧州にもたらされる。

・AD1639年 ‐ 1621年のイギリス海軍の攻撃を受けて、西洋の帆船に対抗しケツァール船を発明する。

・AD1741年 ‐ イギリスの探検家、アーノルド・ベイカーがムィム諸島を訪れるが、討ち払われる。

・AD1760年 ‐ 7年戦争中、フランスはムィム諸島をイギリスから奪おうと軍艦を派遣するが、航海士が方角を間違え、たどり着けなかった。

・AD1851年 ‐ アメリカがムィム諸島に捕鯨港を築く為に蒸気船の軍艦を送るが、ハストゥル・スウユは交渉を拒絶。

・AD1853年 ‐ アメリカが再度、蒸気船ポーハタンを派遣。ハストゥル・スウユが交渉を拒絶し使者を処刑すると、ポーハタンはルイエ島に対して砲撃。これにハストゥル・スウユ側も反撃し、ポーハタンは島に近づき過ぎていた為にバリスタの攻撃を受け炎上。戦闘を中止する。

・AD1900年代 ‐ 南極海において、欧米諸国の捕鯨が頻繁に活動を開始。活動頻度が多くなり一部がハストゥル・スウユの捕鯨船と衝突するようになる。

・AD1982年 ‐ イギリスが行っていたムィム諸島の保護政策を国連が引き継ぐ。

・AD2001年 ‐ 環境保護団体シーシェパードがハストゥル・スウユの捕鯨船を攻撃。十数隻が沈められる。捕鯨船の護衛船として参加していたハストゥル・スウユ軍の軍船とシーシェパードが交戦。

・AD2002年 ‐ 次期皇帝候補イベメヌがニュージーランド征伐を決定。皇帝ネフベマの承認を得る。

・AD2003年11月5日 ‐ ハストゥル・スウユ軍の軍船300船がニュージーランドへと向かい途中、ニュージーランド軍と交戦。軍船54船が沈められ、ハストゥル・スウユ軍の死者数が689名に達する。その後、ハストゥル・ユウユ艦隊はニュージーランド海軍によって包囲拘束される。

・AD2003年11月7日 ‐ 事態を重く見たニュージーランド政府はイギリス、オーストラリアや国連と協議し、ハストゥル・スウユ側と協議する為にムィム諸島への艦隊の派遣を決定する。

・AD2003年11月12日 ‐ ニュージーランド軍、オーストラリア軍、イギリス軍は合同でニュージーランド海軍、オーストラリア海軍の艦艇からなる艦隊をムィム諸島へと派遣。

・AD2003年11月14日 ‐ 首都ワイラで史上初めて公式の国同士の会談がケチュア語により行われる。ハストゥル・スウユによる軍事行動の理由や連絡体制が話し合われる。この会談でシーシェパードによる捕鯨船への攻撃が判明。また、軍事行動を起こした理由が、シーシェパードの行動を国家としての軍事行動と捉え、反撃として決定された事が判明する。

・AD2003年11月19日 ‐ ニュージーランド、オーストラリア、イギリスの3カ国はシーシェパードを国際テロ組織に認定。ハストゥル・スウユの捕鯨船攻撃に関係した関係者の逮捕と捜査に踏み切る。

・AD2003年11月20日 ‐ ニュージーランド、オーストラリア、イギリスの3カ国と国交樹立。ワイラ郊外に大使館が置かれる。大使館の設置に伴い、大使館に太陽光パネルと通信アンテナが設置され、ムィム諸島の歴史上初めて電力と通信の設備が諸島内に設置され利用される。

・AD2003年12月11日 ‐ ニュージーランドの首都ウェリントンで協議を行う為、ハストゥル・スウユの使者が訪問。

・AD2004年 - ペルー、メキシコ、チリ、日本、アメリカ、中国の6カ国がハストゥル・スウユとの間で連絡事務所の設置で合意。

・AD2004年9月 ‐ 次期皇帝候補だったイベメヌの失脚の報が諸外国に伝わる。

・AD2009年5月5日 ‐ 日本の連絡事務所が開催した交流パーティーに参加していた次期皇帝候補イベデラエデムが心不全を起こし一時意識不明の重体となるが、連絡事務所に滞在していた医師の救護によって一命を取り留める。

・AD2009年5月9日 ‐ 日本の連絡事務所所長が外国人として史上初めて生者の宮殿に招かれ外国人として史上初めて皇帝と謁見。次期皇帝候補を救った事への感謝が直接伝えられる。また、日本との国交樹立が決定。

・AD2010年7月3日 - 次期皇帝候補イベデラエデムが日本に対して来日を希望する。日本政府は許可し、日本の客船を迎えに向かわせる事を提案するがハストゥル・スウユはこれを拒否し自分たちの船で向かうと伝えた。これに対して日本政府は危険である為、考え直す様に伝えるが、ハストゥル・スウユは認めなかった為、日本は代わりにチャーター船の同伴を求め、説得時に水先案内人が必要だと説得しこれは認められる。また、ハストゥル・スウユは日本へ向かう際に補給が必要だとして補給方法を求める。

・AD2011年11月8日 ‐ 日本へ向けて次期皇帝候補イベデラエデムを乗せたハストゥル・スウユ軍の軍船10隻と補給船20隻が出港。途中、太平洋上のミクロネシア連邦等8カ国の国で補給と交流をする。

・AD2012年10月5日 ‐ ハストゥル・スウユの外交船団が東京湾に到着。一連の航海で船団は軍船8隻、補給船7隻にまで減少。

・AD2012年10月6日 ‐ 次期皇帝候補イベデラエデムが日本の首相、天皇と相次いで面会し会談。

・AD2012年11月20日 ‐ ハストゥル・スウユの外交船団が日本から帰国。

・AD2014年 ‐ イギリス外務省が環境テロリストによるハストゥル・スウユ南極植民地の攻撃を批判。ハストゥル・スウユ南極植民地において環境テロリストによる攻撃がありハストゥル・ユウユ側に被害があった事が判明する。

・AD2016年 - ニュージーランドから船舶建造用の木材を輸入する。代わりにニュージーランドに対してマグネシウム鉱石を輸出。

・AD2019年 ‐ 皇帝ネフベマが死去。イベデラエデムが皇帝に選任。

・AD2019年 ‐ 皇帝イベデラエデムは現状の鎖国体制維持の方針を決定。


挿絵(By みてみん)

※ムィム諸島の各勢力の版図の変遷( ムービー )。


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文明


ハストゥル・スウユは巨石文明を現在まで維持する地球上で最後の巨石文明国である。メラネシアやポリネシアで繁栄したラピタ人やポリネシア人、南米大陸のメソアメリカ文明やアンデス文明の影響を強く受けた文明を築いている。ただし、メラネシアや南北アメリカ大陸の文明とは違い鉄器文明を有している。南極大陸に進出し殖民を行った最初の文明であり、鉱物資源を最初に燃料として利用した最初の文明でもある。


また、特筆すべき点として、船舶の技術や鎧や武器等の軍事技術に、古代ローマのローマ軍に非常に酷似した技術や形状が用いられており、この事から考古学者の間では長年、古代ローマ太平洋到達説が議論されており否定的な意見も多いものの肯定的な意見も多く、仮に事実であった場合、ローマ人がハストゥル・スウユの文明に影響を与えた可能性が指摘されている。詳しくは「古代ローマ太平洋到達説」「ネロン」の記事を参照。


古代の文明を現代に色濃く残すハストゥル・ユウユは考古学的に古代の人々の生活や技術を研究する上で非常に注目されている。ハストゥル・ユウユの文明研究によって学術的に証明された事は非常に多く、例えば南米の段々ピラミッドの建設方法、古代人の日常生活、古代の道具や武器の能力や技術、古代人の体力や腕力、スターナヴィゲーションなどが研究され、現代人が一般的に考えるよりも、古代人には優れた技術や身体能力がある事を証明した。


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言語


ハストゥル語と呼ばれる独自言語がムィム諸島では広く利用されている他、ハストゥル語の派生言語である他3つの地方言語も有する。実質の公用語である現在のハストゥル語はケチュア語族の強い影響を受けていると考えられ、ケチュア語族で使われる単語等が多く見られる。外国との交流には16世紀に滅亡したインカ帝国で公的に用いられていたケチュア語族言語が利用されており、唯一の対外交流言語となっている。その他の外国語言語については2018年時点で普及率はほぼ0%であるとさあれており、事実上の世界共通語である英語の話者も存在しないとされる。


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政治体制


ハストゥル・スウユの政治体制はインカ帝国の政体をより発展させたものだと評される。インカ帝国と同じくハストゥル・スウユの各構成要素は、均一であった訳ではなく、地方の各文化は、完全に統合されていたのではない。政治体制は神権政治の側面と君主制、もしくは立憲君主制に近い政治体制をとっている。皇帝は非常に強い権限を有するが、賢人エミルトの法の下、次代皇帝の決定にはハストゥル、イタクンナ、クスク、ウルム、ツットンカグアの5大氏族の中で話し合いと投票による採決の決り事が明文化されており、さらに賢人エミルトの法には皇帝でさえも逆らう事ができない複数の決り事が存在する。皇帝はハストゥール・ジュース(神々の軍)の代理人として考えられ、政府の官僚も官僚であるのと同時に神官である。


ムィム諸島には他の文明に見られる様な血筋による身分制度が存在しない。すべての人間は神の下に従属し神の前では人間は皆、平等に神の下僕であるとされる。これは政治的に強い権限を有した皇帝や神官でさえも同じであり、ムィム諸島の人間は宗教上も政治上も有する権利は皆同じであると考えられている。それ故に様々な文明に見られる様な貴族制度の様な身分制度も存在しない。制度上は一般家庭に生まれた人物が皇帝になる事も可能である。ただし、家の財力等の要因によって事実上の世襲に当たる行為は多く見られる。


・中央政府

中央政府は皇帝を頂点にそれを補佐する官僚(神官)達によって組織化され成立している。皇帝の周囲には軍、筆頭神官(秘書)、会計、出納等の様々な役職があり、国家の財政等を管理し各地方にも会計係と出納係が置かれている。数値の行政記録にはセーと呼ばれる石版に溝を掘って記録する方式が取られ、数値の記録や行政管理をしている。また、文字を持たないムィム諸島人は行政文書の代わりにティーと呼ばれる外科手術によって人工的に作り出したサヴァン症候群患者の記憶能力を活用して、行政に関わる事柄や歴史等を記憶させ行政文書的な役割として利用している。軍は神殿の守護、国防、治安維持の他にも公共事業や農業、漁業にも従事している。


 ・セーとティー

ハストゥル・ユウユの行政において、セーとティーは非常に重視される。文字を持たないムィム諸島人はこの二つの存在によって行政的な記録の保存を可能とした。セーはただの石版であるが、特筆すべきはティーである。ティーは人工的になサヴァン症候群患者である。神殿に仕えるいたって健康な健常者の巫女に対しロボトミー手術に似た外科手術を対象者に行う事で、膨大な行政記録を記憶させる。これがティーである。このティーを作りだす外科手術の存在は2003年の後にその存在が世界に知られ、人工的にサヴァン症候群患者を作り出す技術が存在する事や、発症させるサヴァン症候群を人為的に限定して発症させられる技術の存在は、サヴァン症候群や脳科学を研究する医学界や科学界において大きな衝撃を与えた。


ただし、ハストゥル・ユウユはティーを作り出す技術を公開しておらず、その詳細な手術方法等は不明である。しかし、2007年に偶然の成り行きでティーを作り出す手術に立ち会う事ができたオーストラリア大使館の職員の証言によって、ロボトミー手術に似た手術方法が行われている事が明らかになった。だが、現在でもその手術方法の詳細は不明であり、現代医学界ではティーの存在がきっかけとなり人工的にサヴァン症候群を作り出す技術に関する議論が行われる様になったが、現在に至るまで現代医学界はその方法を解き明かせていない。健常者に対してこの様な手術を施しサヴァン症候群患者を人工的に作り出す事には大きな批判の声もあるが、言語を持たない文明である以上、ハストゥル・ユウユは批判を受け入れておらず、現在でも続けられている。


ティーがどれ程の数存在するのかは正確な数字は不明である。ティーは幅広い行政組織で利用されていると考えられており、各地の神殿にティーが在籍している。ティーは一般的に神殿に仕える巫女の中から選ばれ、手術が施される。手術後、ティーとなった巫女の社会的地位は非常に高くなり、在籍する神殿において最上位の神官に次ぐ地位を得る事ができるとされる。また、身の回りの世話も全てが周囲の人間によってされるようになるという。しかし、ティーとなった人物は著しく人間性を喪失しその殆どが廃人に近い状態となる為、実際には自身の権力を振るう事はできない。言わば、ティーは記録を記憶しそれを引き出す際には記憶した記録の内容をただ喋るだけの、人間テープレコーダーであり、この為、ティーの手術は現代医学界においてヒト家畜化手術とも称される。ティーがいつ頃から利用されているのかは不明だが、紀元前の古い時代には既に行われていた可能性が指摘されている。


・地方政府

ハストゥル・スウユの地方行政はハストゥル、イタクンナ、クスク、ウルム、ツットンカグアの5つの氏族の居住地に大きく区分される。各居住地では各氏族の長と中央政府により任命された神官が派遣され地方組織を統括している。また、南極大陸には軍の統治下にあるハストゥル語で神の清浄なる地を意味する言葉で呼ばれる殖民地が存在しており、南極大陸の植民地には1つの殖民都市と1つの神殿都市、29の砦が存在しており、こちらは、中央政府の直轄地となっている。


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外交


ハストゥル・スウユは16世紀の前後まで、インカ帝国等の南米の文明と交流を持っていた。また、メラネシア地域の島々とも交流があった可能性がある。しかし、インカ帝国よりもたらされた天然痘の流行によってハストゥル・スウユは外国との一切の交流を断った。この鎖国体制の確立によってハストゥル・スウユは結果的にヨーロッパ人による南米大陸の植民地化の動きから逃れる事ができた。


以後、ハストゥル・スウユは強固な鎖国体制を維持したが、鎖国によって諸外国からの情報が一切入らず、その結果、諸外国との国力や技術力の大きな差が発生している事を認識できなかった。強固な鎖国政策の弊害により2003年には環境テロリストが原因の発端とはいえ、剣や槍や弓で武装した軍で、ハストゥル・スウユと比較すれば圧倒的な国力と技術力を持ったニュージーランドに対して征伐を決行するに至っている。


現在でも強固な鎖国体制は維持されているものの、限定的に外交活動は再開されており、ニュージーランド、オーストラリア、イギリス、日本とは国交を樹立し、ムィム諸島内に4カ国の大使館や領事館が設置されている。またペルー、メキシコ、チリ、アメリカ、中国の5カ国もムィム諸島内に連絡事務所を開設している。


ハストゥル・ユウユへの入国には、国交関係のある国の内、ニュージーランドを通じて行われる。長い間、ムィム諸島外との交流が無かった為にムィム諸島人は免疫力が低いと考えられている為、ハストゥル・ユウユへの入国には検疫の為、1ヶ月の隔離期間と感染症の有無が検査で調べられられた上で行われる。しかし、検疫を抜けたとしても誰でもハストゥル・ユウユに入国ができる訳ではない。入国が許可されているのは外交関係者と研究者にのみに限られている。


・国連による保護

ムィム諸島はそのもつ文明の希少性から最初にイギリスによって保護され、1982年にイギリスの保護政策を引き継ぐ形で国連による保護下におかれている。国連はムィム諸島の文明を保護されるべき全人類共通の歴史的文明的遺産と位置づけている。1983年の決議で当時の国連のグレーテス事務総長はムィム諸島の文明について、「これまで世界は帝国主義や植民地主義といった領土拡張主義によって多くの文明を滅ぼしてしまった。このムィム諸島の文明を守る事は単にムィム諸島の人々の文化と文明を守る事だけでなく、私たち現代人が過去の過ちを見つめなおす為にも必要な重要な転換点なのです」と述べた。なお、この決議の際、スペインの国連大使が議場を途中退席する一幕があったがこの際にスペインは世界各国から猛批判を受けた。


・環境テロリスト問題

ハストゥル・スウユは近年に入り環境テロリストの攻撃に悩まされている。攻撃は1996年頃から続いており、ハストゥル・スウユの捕鯨船が攻撃を受けた。2001年にはシーシェパードの抗議船がハストゥル・ユウユの捕鯨船十数隻が沈められた。この被害は、過去最大の規模だった。これに対してハストゥル・スウユは軍を動員しガレー船を出撃させシーシェパードの抗議船と交戦した。


ハストゥル・ユウユはこれらの攻撃をニュージーランドによる攻撃と考えるようになった。2002年には度重なる攻撃を受けて、ハストゥル・スウユは攻撃の拠点と考えていたニュージーランドに対して討伐を決定し、艦隊を派遣するという前代未聞の事態となった。なお、このニュージーランドへの侵攻後、ニュージーランド、オーストラリア、イギリスの捜査によりシーシェパードによるハストゥル・スウユに対する攻撃が明らかとなり、3カ国はシーシェパードを国際テロ組織に認定。自国での一切の活動を禁止にした他、ハストゥル・スウユの捕鯨船への攻撃に関与した関係者の逮捕に踏み切った。ニュージーランドの首相は声明でシーシェパードによる捕鯨船への攻撃を先住民族の虐殺と批判した。


また、シーシェパードによる攻撃は2003年以降、収まりを見せたものの、2014年には、南極大陸の植民地において、地球環境戦線による攻撃があり、ハストゥル・ユウユの砦に対してロケット弾数発が撃ち込まれた他、機関銃による銃撃があった。


・日本来日

2009年5月5日にハストゥル・ユウユにある日本の連絡事務所が開催した交流パーティー中で、参加していた次期皇帝候補イベデラエデムが心不全を起こし一時意識不明の重体となる出来事があったか、連絡事務所に滞在していた医師の救護によって一命を取り留めた。その後、日本の連絡事務所所長が外国人としては史上初めてワイラにある皇帝の住まう宮殿、生者の宮殿に招かれ、外国人として史上初めて皇帝と謁見した。皇帝からは次期皇帝候補を救った事への感謝の言葉が直接伝述べられ、また、皇帝から日本との国交樹立が決定された。


2010年7月3日には、次期皇帝候補イベデラエデムが日本に対して来日を希望。これに対して日本政府は許可を出し、日本の客船を迎えに向かわせる事を提案した。しかし、ハストゥル・スウユはこれを拒否し自分たちの船で向かうと日本政府に対して伝えた。これに対して日本政府は危険である為、考え直す様に伝えるが、ハストゥル・スウユは認めなかった為、このハストゥル・ユウユの自分の船で向かうという主張が発端で、日本においても、世界においても現代において前代未聞の外交プロジェクトが始まる事となった。


ハストゥル・ユウユの船は帆船が主体である。日本への船旅は非常に過酷なものになると予想された為に日本政府は万が一に備えてチャーター船の同伴を求めた。このチャーター船の同伴が認められたのには、日本側が説得時に水先案内人が必要だと説得しこれが理解された為である。


また、ハストゥル・スウユは日本へと向かう為には、補給が必要だとして補給方法を日本政府に対して求めた。日本政府はこれを受けて、予定航路の途中にある太平洋上の島国と調整し、補給の手はずを整えた。


2011年11月9日、ついに日本へ向けて次期皇帝候補イベデラエデムを乗せたハストゥル・スウユ軍の軍船10隻と補給船20隻が出港。途中、日本が補給の手筈を整えた太平洋上のミクロネシア連邦等6カ国で補給を行いそれぞれの国々とハストゥル・ユウユが交流した。


そして、2012年10月5日、ハストゥル・スウユの外交船団が長い航海の末、ついに東京湾へと到着。一連の航海で船団は軍船8隻、補給船7隻にまで減少した。なお、沈んだ船の乗組員の救助には日本のチャーター船も関わっている。到着した一行は、10月5日から11月20日まで日本に滞在した。この一連の出来事は日本を含めて全世界的に報道され大きな注目を浴びた。特に、日本の天皇や首相と、古代ローマを彷彿とさせる様なデザインの所々に金色や銀色の装飾が施された鎧兜とマントを着た次期皇帝候補イベデラエデムとの面会は日本では古代と現代の遭遇として伝えられた。


なお、この様に世間を沸かせた次期皇帝候補イベデラエデムの訪問であったが、前代未聞の訪問プロジェクトであった為に多くの問題も生じた。航路途中の補給もそうであるが、日本に着いた後も問題は多かった。例えば、到着した一行の扱いである。ムィム諸島の人々は外界から隔絶された環境で生活している為に現代人よりも免疫が低いと考えられている。その為、現代人との接触には細心の注意が必要だった。結局、これは話し合いの末、一向は東京湾の埋立地である中央防波堤埋立地で日本政府が用意した天幕で宿泊する事になった。また、移動には細心の注意が敷かれ日本政府がチャーターした観光バスの他、日本赤十字の職員が同行した。


要人との面会の際には文化的衝突も起きた。日本の天皇との面会の際に次期皇帝候補イベデラエデムに対して腰にさしている剣を預ける様に日本政府の担当者が言った。すると次期皇帝候補イベデラエデム側は激怒した。次期皇帝候補側は戦士に対して剣を差し出せとはどういう事かと担当者に詰め寄り、さらに信用できないならば何故、面会を受け入れたのかと詰め寄った。当時の担当者はあまりの激怒の様子に切り殺されるかと思ったと後に語っている。結局、この剣の持ち込みについては、剣に紐を巻いて抜けない様にするという日本側の妥協案によって解決した。


また、日本の法政界からは、この訪問団一向について、槍や剣で武装しており、武器が古代のものであっても、武装した軍隊を一時的にでも入国させるには法的根拠が不十分ではないかという議論も起きた。なお、これについて日本の内閣府は日本の脅威とはなり得ず問題ないと見解を示している。


一方で検疫上や法律上や保安上の問題ではないものの、訪問団一向から天皇に対して贈られた贈り物の扱いも議論になった。次期皇帝候補イベデラエデムは天皇に対して、装飾が施された調度品や、自身の着ているものと同じ鎧兜やマントと共に、かつて、ハストゥル・ユウユとインカ帝国の交易関係があった際にムィム諸島にインカ帝国から輸入され齎されたインカの黄金の壺が渡された。この黄金の壷は単に黄金としての価格ならば、7億から8億円相当であるが、インカ帝国が作成した歴史的、考古学的価値も換算するとその価値は価格が付けられない程の品物だった。この壷を巡って、ペルーやボリビアに寄贈するべきたとする意見や、余りにも価値が高すぎるとして、皇室での管理ではなく国が管理するべきとの意見も出た。また極端な意見では返却するべきという意見も出た。しかし国会での議論の末、外交儀礼上、皇室に送られた贈り物であるとして、これらの贈り物は皇室の所有物として決着した。なお、皇室はこれらの贈り物について、定期的に一般公開を行っており、展示会が開催される時なら誰でも観覧する事は可能である。ハストゥル・ユウユから皇室に送られたインカの黄金の壷に関しては、「インカの黄金の壷」の記事を参照。


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気候


本土であるムィム諸島は西岸海洋性気候、亜寒帯気候、ツンドラ、氷雪気候の4つの気候に属し北から順に西岸海洋性気候、亜寒帯気候、ツンドラ、氷雪気候となっている。ムィム諸島の北部はニュージーランドと似た気候であるが、南部に向かうに従って南極大陸に近づく為に寒い気候帯となっている。


ムィム諸島はガラパゴス諸島と同じく大陸と陸続きになった歴史を持たない。その為、在来生物は飛来か、海を渡って漂着したものの子孫に限られる。また、多くの固有種が存在し、西岸海洋性気候や亜寒帯気候に適応した先祖が熱帯気候の植物が多く群生している。しかし、ツンドラ気候に当たる地域では生息する植物は殆ど存在しておらず、石や岩肌が露出した大地が広がっている。


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領土


大小50を超える島々から成り立つムィム諸島と、南極大陸の植民地により構成される。


南極大陸は南極条約によって各国の領有権が停止されているが、ハストゥル・スウユは条約を批准していない。ハストゥル・スウユが支配する南極大陸の植民地については国際社会でも意見が2分されており、国家である以上、南極条約を批准して領有権の主張を停止すべきであるという主張と、南極大陸に最初に移住した先住民であるハストゥル・スウユの南極大陸での領土主張は認められるべきであるという主張である。なお、これについて日本は後者の立場を支持している。


・南極大陸の植民地

ハストゥル・スウユは250年頃から南極大陸への植民を行っている。最初にウリンウマリャタと呼ばれる殖民都市がムィム諸島に一番近い場所に築かれ、この殖民都市を中心に南極大陸の植民地化が進められた。ハストゥル・スウユは試行錯誤の末、人が活動するには過酷な環境である南極において最も安定的に植民地化を進める方法を考案した。


それが、カラアラニャタと呼ばれる殖民方法である。カラアラニャタはハストゥル語で“潜る者”を意味する。カラアラニャタの仕組みは、まず初めに、ウリンウマリャタを物資供給の供給口として位置づけ、次にウリンウマリャタから殖民対象の地域に向けて、石材や木材やクルチャを利用して長大なトンネルを建設する。このトンネルはブリザードや冬場の厳しい環境でも人や家畜が安全に移動できる事を目的としており、トンネルの内部には鉄製の線路が引かれ、ケチャケチャと呼ばれる手漕ぎトロッコが設置される。そして殖民対象の地域にトンネルが到達すると、トンネルの直ぐ近くで石材を使って砦を建設する。建設は殆どの場合、夏の間に進められ、建設資材はウリンウマリャタから、ムィム諸島から運ばれた物資の他、ウリンウマリャタ近郊にある採石場で採取された石材が輸送された。1つの砦の規模は4つの城壁塔を備えた一辺が約100m、約50m四方の長方形型の砦である。そして、砦の建設が完了すると、そこからさらにトンネルを延伸させ再び砦を建設する。これを繰り返す。これがカラアラニャタと呼ばれる殖民方法である。各砦は1年を通した定住の目的の他、トンネルの補修点検作業の基地や物資の備蓄拠点としての役割を果たしている。


カラアラニャタが確立されるより前は、南極に豊富にある氷塊を利用する方法が考えられた。ウリンウマリャタから僅かに離れた地域で氷塊を削りだし、それを積み上げて段々ピラミッド等の神殿や住居から成り立つチュリュクウマと呼ばれる都市を建設した。チュリュクウマはハストゥル語で凍える都市を意味する。しかし、チュリュクウマは居住には適さず、人間が定住できる都市ではなかった。


カラアラニャタにより、ハストゥル・スウユは南極大陸に居住可能な1つの殖民都市と29の砦を有するまでに植民地を拡大した。さらにカラアラニャタ以前に作られたチュリュクウマも含めれば、合計で1つの殖民都市と1つの神殿都市、29の砦を建設した。これらにより、ハストゥル・スウユの南極大陸における人口は夏のムィム諸島から多くの労働者が訪れる期間中には1万人以上、労働者が引き上げる冬でも6千人から7千人を超える人口の規模にまで達する。この人口は南極大陸における各国の観測基地の人口を遥かに超える人口規模である。


なお、カラアラニャタより以前に建設されたチュリュクウマは建設後、定住に向かないと分かった後も放棄はされずに、あくまで宗教上の重要都市として位置づけられている。現在でも定期的に除雪や補修が続けられており、チュリュクウマはムィム諸島の人々の間でも最も美しい都市として知られており、人生で一度は訪れるべき都市であると呼ばれる。南極大陸の植民地に労働に向かう殆どの者はチュリュクウマを一目見ようという者が大半であるとされる。


経済的に見た場合、ハストゥル・スウユが行っている南極大陸への殖民はマイナス的側面しかない。ウリンウマリャタではムィム諸島向けの捕鯨や漁等の経済活動もされているが、植民地全体で冬に消費される食料や燃料、カラアラニャタという長大な植民地システムの維持管理を考えれば、その経済的損失は膨大である。しかし、ムィム諸島人は南極大陸を神々の住まう大地と古くから考えており、宗教上、神聖に捉えられている。その広大で過酷な土地に神聖な魅力を感じているとさる。この為、ハストゥル・スウユの歴代皇帝は神々に近づく為に国民の支持を受けて南極大陸の植民地化政策を推し進めた。


しかし現在、植民地拡大は停滞しており、29番目の砦の建設が完了して少なくとも200年から300年以上の年月が経過しているにも関わらず、新たな砦の建設はされていない。これはハストゥル・スウユによるカラアラニャタの維持が経済的に限界に達した為と考えられている。


なお、これらの南極大陸の植民地の拡大スピードは正確には不明である。これは1632年に、イギリス艦隊の一部の水兵が略奪を行った際に当時、南極大陸の植民地開発に関する行政記録を保管していた施設が襲撃され、施設が放火により倒壊しセーが失われた上、建物内に居たティーも略奪を働いた水兵によって強姦の被害にあい、その後に死亡した為である。この略奪によって行政記録が失われた為、南極大陸の1632年より以前の南極大陸の開発の記録は現存していない。ハストゥル・スウユによる南極大陸の植民地の拡大スピードに関しては、ハストゥル・ユウユ内でも議論の対象となっており、二大帝戦争の頃にはすでに28の数の砦が存在していたという説や、28番目の砦が完成したのは300年から400年前だという説もあり、提唱されている説は様々である。


南極大陸の植民地に定住する人間は、犯罪歴のある犯罪者か、何らかの理由でムィム諸島を追われた者、南極大陸での定住に自ら志願した者の3者いずれかで構成されるとさる。南極大陸の植民地はある意味、流刑地、もしくは巨大な監獄としての役割も持っていると考えられており、カラアラニャタという全てが1本のトンネル繋がった殖民方法が採られている以上、南極大陸ではその過酷な環境から、誰かが仕事をしなければ、その影響が他方面に現れる。よって誰かが仕事をしないという事は、それは他者の命を左右する事態にも繋がる為に、周囲の人間による仕事をしているか、していないかのチェック機能が働く。さらに、南極大陸の植民地は多くの物資をムィム諸島に依存している為に反乱が発生しにくい状況下にある。また、例え反乱が発生したとしても反乱が発生した地域の物流を停止すれば、反乱の継続は不可能である。


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資源


巨石文明を現在に残すムィム諸島では木材や岩石が建築資材として非常に重要な資源として利用される。この内、木材はムィム諸島において最も貴重な資源に位置づけられる。ムィム諸島の西岸海洋性気候、亜寒帯気候の島々には森林等が多く存在するが、木は岩石や鉱石とは違い切り過ぎれば再び利用できるまでに長い時間を要するからである。また、ムィム諸島地域は黒曜石、鉄、マグネシウム鉱石等の鉱物資源を有する世界有数の鉱物資源地帯である。マグネシウムに至ってはその埋蔵量は世界最大規模。


特に産出されるマグネシウムはムィム諸島人の生活とって最も重要な資源に位置づけられる。マグネシウムは古代より照明や暖をとる為の燃料、戦の道具として幅広く利用されており、生活に溶け込んだマグネシウムの利用の様子はほぼ全ての地域でその様子を見る事ができる。首都ワイラや地方都市ではマグネシウムが二酸化炭素中でも燃え続ける性質を利用した街灯も存在し一般でもランプ等、照明器具として幅広く利用される。


しかし、こうしたマグネシウムの燃焼を利用した燃料としての利用は各国の環境保護団体から批判されており、気候行動ネットワークは2018年にハストゥル・スウユに対して、現代文明を受け入れ時代遅れの資源の浪費と自然破壊をやめるべきだと名指しで批判した。だが、こうした環境団体の批判に対して国際的な考古学団体やユネスコは、現代的価値観をムィム諸島の人々に押し付ける行為だと反対している。


また、紀元前2,800年前後頃よりクルチャと呼ばれる海草が非常に幅広い分野で利用されている。クルチャはムィム諸島付近の海域にのみに広く豊富に群生する固有海藻で、天日干し等で乾燥させる事で強度、耐水性、燃えやすくなる性質を持つ。クルチャで編んで作った船舶や家の屋根や様々な用途の袋、冬用の燃料等その利用は生活に幅広く密着している。また、クルチャは乾燥させずに煮れば食用として食べる事もできる。


ムィム諸島ではこうしたクルチャの幅広い利用用途と生活に深く密着している事からクルチャは神格化されており、クルチャ神と呼ばれる神も信仰されている。クルチャはムィム諸島外において、その幅広い使用用途から次世代の資源候補としてしばしば名前が挙げられる。近年、各国の研究機関では万能素材としての利用方法が研究されている。


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軍事


ハストゥル・スウユにはハストゥル語でハストゥーラ・ジュース。ハストゥル語でハストゥーラは“神々の軍の代理人の執行者”を意味しジュースは“軍”を意味する軍隊が存在する。その初まりは紀元前にまで遡りハストゥル・スウユの成立にまで遡れる。ハストゥル・スウユが成立するとそれを構成する各有力氏族から選ばれた戦士によってハストゥーラ・ジュースは組織された。


ハストゥーラ・ジュースはその誕生からムィム諸島の歴史に深く関わっており、最初のハストゥル・スウユ体制下ではニュージーランド、オーストラリア大陸のマオリ族やアボリジニと戦いハストゥル・スウユの尖兵として植民地帝国の拡大に貢献した。最初のハストゥル・スウユが事実上崩壊しその後、再びハストゥル・スウユ体制が復活すると、今度は南極大陸の植民地化の尖兵として南極大陸に進出し過酷な開発事業に従事し、ハストゥル・スウユ影響下の地域をさらに拡大させるのに貢献した。


設立当初のハストゥーラ・ジュースは明確な組織化はされていなかった。設立当初のハストゥーラ・ジュースは皇帝の呼びかけに集まった各氏族軍の連合体に過ぎず、組織化が進んだのは150年頃、ハストゥルの族長ネロンが進めた様々な軍事改革の一環によるものである。ネロンはハストゥルの軍の組織化を当時のムィム諸島の勢力の中では最も最初に行った。その後、ネロンに率いられたハストゥルが170年にハストゥル・スウユ体制を復活させると、皇帝に就任したネロンは現在まで続くハストゥーラ・ジュースの組織の基礎を築き上げた。


ネロンはムィム諸島における軍事史に非常に大きな影響を与え、その影響は今日まで続いている。組織面以外でもネロンは150年頃にハストゥルに現れてから、170年のハストゥル・スウユ体制の復活までの間に、それまで布の腰巻、兜、ブーツ、冬に使う防寒用マントや手袋以外の衣服を着る戦士文化が無かったムィム諸島で、着る事で身を守る事ができる鎧を発明した。さらに、それまでムィム諸島では武器と言えば槍と弓しか種類がなかったが新たな武器として剣を発明。また、それまでムィム諸島で長らく使われていた小さな四角の盾に代わりスクトゥム型の新たな盾も導入した。これらの歩兵の新装備は白兵戦において、敵の氏族の軍よりも組織化されたハストゥル軍がこれを運用する事で敵を圧倒した。さらにネロンは170年までにバリスタやガレー船をムィム諸島において初めて発明し導入しており、これらのネロンによってもたらされた新兵器も敵を圧倒した。


21世紀現在、ハストゥーラ・ジュースはハストゥル・ユウユが現代においても強固な鎖国体制を維持している為に、そこで利用される装備には、銃や自動車等の近現代装備は一切存在せず、現在でも古代の軍隊の様相を呈している。ハストゥーラ・ジュースが現在使用している装備は、概ねが槍、剣、クロスボウ、木製防具、木製盾、バリスタ(弩砲)、クルチャで編んだ船、木造船である。


なお、これらの装備の内、クロスボウに関しては、ムィム諸島におけるクロスボウは、欧州におけるプレートアーマーの貫通を目的に弦を引く機構にハンドルやレバーを採用し矢の威力を上げたクロスボウのそれではない事に留意する必要がある。ムィム諸島のクロスボウは欧州におけるクロスボウの初期の形態に近く、ハンドルやレバーで弦を引き威力をあげる機構はなく、単純に人間が手で弦を引き、止め金に引いた弦を固定し、台座に弓を固定、引き金を引いて放つ仕組みである。これはムィム諸島で利用されている防具が鉄製ではなく木製である事に起因する。


鉄器の武器や装備は作られ実際に多く使用されているが、ムィム諸島では木製の物は力や富や権威の象徴として捉えられている為、戦士が身に纏う防具では金属製の防具は作られない。これらの木製の防具には光沢のある銀色、黒色、金色等の塗料とニスが塗られ使用されている。また、ハストゥーラ・ジュースで金属が防具に使われないのには、単に木製の物が力や富や権威の象徴になっているという精神的な文化面の理由もあるが、中央政府からハストゥーラ・ジュースに割り当てられる金属の使用量を少しでも節約する為でもあるともされる。ハストゥーラ・ジュースは南極大陸の植民地の開発と統治を任されており、南極大陸では非常に多くの金属資源が利用される。その為、武器に加えて防具までも金属製のものを使用する場合、高いコストがかかる為である。


・陸軍

ハストゥーラ・ジュース陸軍の編成はコルスと呼ばれる歩兵大隊が10個コルスで集まった集団を1つの軍団(もしくは軍とも呼ぶ)として構成しており、この軍団をレーと呼ぶ。1個コルスは槍や剣やクロスボウを扱う戦士で構成され、定員は450人。従って1個レー当たりの兵力は4,500人である。ハストゥーラ・ジュース陸軍はこのレーと呼ばれる軍団を11個軍団編成している。各軍団の名称は第1軍団や第2軍団の様に数字で呼ばれるが、皇帝と首都を守護する役目の軍団の名称には近衛軍団を意味するラギュオ・レーという言葉が宛がわれている。以下は軍団一覧。


 ・近衛軍団( ラギュオ・レー ):ワイラ配備

 ・第1軍団         :ムィム諸島配備

 ・第2軍団         :ムィム諸島配備

 ・第3軍団         :ムィム諸島配備

 ・第4軍団         :ムィム諸島配備

 ・第5軍団         :ムィム諸島配備

 ・第6軍団         :ムィム諸島配備

 ・第7軍団         :ムィム諸島配備

 ・第8軍団         :ムィム諸島配備

 ・第9軍団         :ムィム諸島配備

 ・第10軍団        :南極大陸植民地配備


・海軍

ハストゥーラ・ジュース海軍は艦隊を意味するセセムという言葉と合わせてハストゥーラ・ジュース・セセムと呼ばれる。海軍には4人の長官( クラカ )が常任しているが、常設の兵力は存在しておらず、必要に応じて陸軍の兵力が宛がわれる。ハストゥーラ・ジュースに属する戦士は槍、剣、クロスボウ、弩砲、船等、戦いに関する装備の全てを扱う技術が求められる。ハストゥーラ・ジュースにおいて、海軍の装備は、あくまで陸軍の戦士が扱う装備として扱われる。


海軍の所有する船舶は、トトラと呼ばれるムィム諸島で一般的に運用される外洋船である乾燥したクルチャを編んで作られた船や、アクーテと呼ばれる三段櫂船、17世紀に西洋帆船に対抗して発明されたケツァールと呼ばれる帆船を運用している。これらの船は軍用用途で利用される他、積荷の運搬や捕鯨等にも使われる。


諸島国家であるハストゥル・スウユにおいて船の存在は非常に重要な立場に位置しているが、二大帝戦争以後、長期間に渡って平和な時代が続いた為に海軍のアクーテ等の木造軍船は削減されていた。木材資源はムィム諸島では最も希少な資源だからである。しかし、17世紀頃から、ムィム諸島周辺で外国の船舶が活発に活動を始めると、戦力が少しずつ増強され、近年ではシーシェパード等による捕鯨を妨害しようとする環境テロリストの活動もあり、戦力が強化されていた。2003年のニュージーランド侵攻の際には海軍が所有する船のほぼ全ての戦力が投入されている。この時投入された海軍の戦力は69隻のアクーテ、1隻のケツァール、230隻のトトラ、戦士の数は26,700人にも昇った。


2016年、ハストゥル・スウユはニュージーランドとバーター貿易を行い、マグネシウム鉱石を輸出し代わりに大量の木材をニュージーランドから輸入したが、これはニュージーランド侵攻時に失われた船舶の補充や、戦力の増強を目的にしている。ニュージーランド侵攻時、海軍は多くのアクーテを喪失しており、アクーテは南極大陸の植民地への積荷の運搬船としても利用されていた為、ニュージーランド侵攻後、南極大陸の植民地への積荷の運搬計画が一時滞った。それでもケツァールやトトラを使って積荷の運搬を継続していたが、毎年の様に事故や天候等による犠牲者が続出し大きな問題となっていた。事態を知ったニュージーランド政府は2013年に支援を表明しニュージーランド海軍の輸送船でアクーテの補充が完了するまでの間、積荷の運搬事業の支援を行っている。


木材の輸入は当初は貿易ではなく、あくまでニュージーランド政府からの無償支援案の一つだったが、海外からの物の流入にハストゥル・スウユ側が受け入れに難色を示し、実現には至らず、結果的に3年の月日が流れたがニュージーランド政府の説得により、ハストゥル・スウユ側が無償ではなく輸入という形なら受け入れ可能と方針を転換した為、ニュージーランド政府もこれに同意して実現した。アクーテの補充は2022年に完了予定である。


また、この時、輸入された木材の量はニュージーランド侵攻時に喪失したアクーテの船数を倍以上に超える船数が建造可能な量の木材であるが、これはハストゥル・スウユ側が、捕鯨に対する環境テロリストへの対策として、海軍で最多数を誇る船である従来のトトラでは対抗できないとして、海上警備能力を向上させる為に新たに造船し戦力を増強する為に輸入したものである。


以下は海軍が所有する船舶の種類一覧。


・トトラ

ムィム諸島で紀元前2,000年頃より利用されている乾燥させたクルチャを編んで作られる船。用途によって民間や軍で様々な船が作られており、1人乗りのカヌーの様な小船から大きな物では外洋船やパージ船として全長が15mから50m相当にもなる船も作られる。また、船ではないが、ムィム諸島の歴史上には二大帝戦争の時代にクスクが全長280mを超える大きさの浮島に砦を建設し水上要塞として使用していた記録が残る。ただし、この水上要塞はハストゥル艦隊の弩砲の火矢による攻撃ですぐに島全体に火が周り全焼したとされる。


現在の海軍で利用される船は15mから50m相当の船である。一般的に外洋航海を目的としたトトラには帆を付けるマストを備える為に限定的に木材も利用されるが、海軍のトトラは戦いに耐えられる様に船体の強度を上げる為に通常のトトラよりも多くの木材が使われ、主に舟の骨格や甲板等に使われる。


海軍はトトラをアクーテやケツァールの戦闘を補佐する戦船と位置づけており、弩砲を備えたりして戦闘が可能な船もあるが、あくまで二線級の戦船として扱われる。その他では補給用途や輸送用途が主な目的となっている。


・アクーテ

165年にネロンによる発明後、現在でもムィム諸島で利用されている三段櫂船。海軍における主力戦闘船である。三段櫂船は地中海においては主に敵船への体当たり攻撃や白兵戦闘を目的に使用された。しかし、ムィム諸島では、敵船への体当たり攻撃の概念自体はあるものの、白兵戦闘は目的とされない。外洋で利用されるアークテには弩砲であるバリスタが10基程搭載されており、遠距離での戦闘を想定している。同じ三段櫂船を利用しているにも関わらず、戦闘方法がここまで違った理由は、バリスタやクロスボウで使用される弓の素材が関係している。


ハストゥーラ・ジュースでは陸軍海軍問わず、バリスタやクロスボウで使用される弓の種類の中には、通常の木材と金属で出来た矢以外にも、矢尻にマグネシウムを採用した矢や、矢全体がマグネシウムでコーティングされた矢、マグネシウムでコーティングされた矢に油の入った壷を備えた矢等が存在する。マグネシウムは火を着けて燃焼させると水をかけても火が消えず、むしろ水をかけた場合、化学反応によって高温に燃焼する為、海戦や対建造物や対人への攻撃において、非常に威力が高く、ムィム諸島において利用される木造船やトトラにとっては非常に脅威である。木造船はまだ土をかけて消火する等の消火作業の余地があるが、トトラに至っては1発でも命中すれば消火は不可能とさえ言われる。その為、海戦においては敵の船にはなるべく近づかない遠距離戦闘が一般化した。ハストゥーラ・ジュースにおける遠距離戦闘は、長距離からどれだけ正確に敵船に攻撃を与えられるかが重要視される。それゆえ、射弾観測や距離観測の技術も発展した。射弾観測や距離観測はアクーテのマストの上で行われ、伝声管を使って甲板上にいる兵士達に向けて攻撃目標が指示される。なお、このマストの上で観測を行う要員はアクーテの指揮官である。指揮官は射弾観測や距離観測を行いさらにその場の状況を判断して船全体の指揮をとる。


ハストゥーラ・ジュースで使われるバリスタは陸上で利用される物を含めれば石球やマグネシウム球を投石する様なタイプの大型のバリスタや、槍を1km先まで飛ばせる様な大型のバリスタも存在するが、アクーテに搭載されているバリスタは2人から3人程度で運用が可能な小型から中型に分類されるタイプのバリスタである。射程距離は400mから450mであるとされる。その命中精度について、1900年以降に南極海での欧米各国による捕鯨船の活動が活発になるとハストゥル・ユウユの捕鯨船との対立事案が発生したが、その際にアクーテと思われる船に遭遇し攻撃され火災もしくは炎上した欧米各国の捕鯨船の数は22件にも上り捕鯨船の猟師達からは恐れられた。欧米各国の捕鯨船との対立はその後、捕鯨活動の下火によって終息するが、近年に入り環境テロリストの活動が活発化すると、バリスタの照準は捕鯨活動を妨害する環境テロリストに向けられた。1998年にはシーシェパードの抗議船ファーリー・モワット号を炎上させた。ファーリー・モワット号は1隻のアクーテと対決し、計16発ものバリスタの矢による命中弾を受けた。


余談だが、陸で利用されるバリスタは小型、中型、大型のサイズに関わらず、その役割は沿岸砲や攻城兵器や火力支援兵器として利用されており、1853年にアメリカの蒸気船ポーハタンはこれらのバリスタによる攻撃を受けて火災が発生したとされる。ボハータンの記録によれば、バリスタによる投擲により火災が発生した事で島から離れる決断をし沖に向け進路を取ったが、バリスタによる攻撃はその後も続き、石球や燃える球は島から500mも離れると殆ど飛んでこなくなったが、燃える槍だけは周到に投擲され続け、船の位置が島から1km程離れた距離まで投擲され船の近くに複数回落ちたという。ボハータンはこれらのバリスタによる投擲について恐ろしく狙いが正確であったと記録している。


バリスタはムィム諸島の海戦の歴史上、数多く登場しており、二大帝戦争時にはアクーテのマストを取り外し、バリスタを普通よりも多く搭載する試みを行ったアクーテや、大型のトトラに大型のバリスタを搭載した船なども登場した。


ムィム諸島においてバリスタは、戦いの様々な局面で利用される汎用的な装備である。二大帝戦争時には南極大陸の植民地においてカラアラニャタのトンネル内でトロッコにバリスタを搭載し、金属板のシールドを装備したタイプのバリスタも登場して運用された。


ハストゥル・ユウユのバリスタについては「ムィム諸島のバリスタ」の記事を参照。


・ケツァール

ケツァールの語源は南米との貿易が行われていた時代にムィム諸島に輸入され持ち込まれ、その美しさからムィム諸島において絶世を風靡した鳥類キヌバネドリ科の鳥ケツァールに由来する。ケツァールは17世紀に西洋の帆船に対抗して開発されたムィム諸島独自の船種。3本のマストを備えムィム諸島の木造船舶としては初めてオールに依存しない風力による外洋航海能力を実現した(※あくまで木造船舶でありトトラは含まない。トトラは紀元前の時代には既に帆による外洋航海を実現している)。ケツァールは欧州における戦列艦に近い役割と機能的意味合いを持つ船であり、ケツァールには100基のバリスタが搭載される。しかし、ケツァールの建造には多くの木材が必要であり、ムィム諸島における建造コストは膨大である。その為、ケツァールは歴史に登場して以降、記録に残るだけでも多くても4隻以上は建造されておらず、2003年の時点でも2隻だけしか無かった。それゆえ、ケツァールは皇帝の権威を示す船として扱われており、近衛軍団によって運用される。


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国民


総人口は317万人と推計される。人口は概ね300万人台を紀元前100年頃から推移しているとされる。


平均寿命は短く乳幼児死亡率が非常に高い。同様に結婚年齢も若く出生率が高い状況である。誕生した時点での平均余命は20から25年で推移し、15%から35%は乳幼児の段階で死亡している。その一方、5歳以上に成長できた子供は40代から50代程度の平均寿命となっている。女性の出産は平均すると一生の間に6から10人前後の子供を生んでいる。これは、前近代国家に見られる人口学的特徴とほぼ同じであり、ハストゥル・ユウユが現代に残る最後の前近代国家である事を証明している。


主要民族はハストゥル民族であり、紀元前5000年前後にムィム諸島に定住を始めた人々の子孫である。また、遺伝子学的には人口の実に8%にニュージーランドの先住民族マオリ族の遺伝子的特長が見られる。これは、現在はハストゥル人と文化的にも民族的にも完全に同化してしまっているが、ニュージーランドやオーストラリアを植民地としていた紀元前の時代に奴隷としてムィム諸島に連れて来られた人々の子孫であると考えられる。


ハストゥル民族は大きく分けて5つの5大有力氏族に分かれており、ハストゥル、イタクンナ、クスク、ウルム、ツットンカグアの5つの氏族がある。この内、最も多い人口を有しているのがハストゥルである。これらの5大有力氏族は古代ハストゥル語からの派生言語を使っており、国内では4つの言語が話される。これらの派生言語は全て言語学的にハストゥル語族に分類される。なお、現在共通語となっているのは5大有力氏族の中でも政治的影響力が大きいハストゥル族が喋るハストゥル語で、こちらは共通語となっている。


宗教は多神教国であり、多くの神々が信仰されている。しかし、多神教ではあるものの、それぞれの人々が己の主神を定める風習があり、信仰は主神がもっとも重視される。また、生贄の習慣が現在まで続いている。全ての神々に対して生贄が捧げられる訳ではないが、年に数回にも渡る頻度で人を含めた動物が生贄として殺害されている。


ニューランドのスカイニュースが2010年に6歳から14歳までの子供、20名近くが生贄として残虐な殺害方法により殺害されたと報道した事で明るみとなった。こうした生贄の文化は多くの国々と人々から批難されているが、2011年にニュージーランド政府は懸念の言葉をハストゥル・スウユ側に外交当局者を通じて伝えているが、現在も生贄は継続されている。これについて、ニュージーランド政府は2013年に公式声明で「今だに古代の世界観が生きているハストゥル・スウユの人々に対して現代的道徳観を普及させるには時間がかかる。生贄は人道的に見ても到底許容できる事ではないが、現代的な道徳観の急激な押し付けは、かえって反発を招き、ハストゥル・スウユが再び国の門を閉じてしまう可能性がある。我々は辛抱強く彼らの変化を少しずつ促さなければならない」と発表した。ムィム諸島の宗教については「アンティクオラム帝国の神々」の記事を参照。


ハストゥル・スウユでの主要な食事は魚や肉である。よくハストゥル・スウユは南米の文明と比較されるが、南米の文明がトウモロコシを主食としていたのに対して、ムィム諸島ではトウモロコシの様な穀物は農地確保の問題から普及しなかった。トウモロコシの代わりに海に行けば簡単に獲る事ができるクルチャが主食として普及した。よく水で洗ったクルチャを細切れにした物にリャマかアルパカのミルクと糖質(カボチャ糖、パームシュガー、メープルシロップ、ココナッツミルクのいずれか)を加えて煮たお粥が広く食べられる。島国である為、海産物である魚介類が多く食されておりクルチャの様な海藻類の他、魚類、貝類、甲殻類も食べられる。また、ムィム諸島の人々は古くから捕鯨を行っており、鯨肉も広く食べられている。


肉類はリャマやアルパカや鳥類の他、オットセイやアザラシといった海獣も食べられており、こうした肉類や魚介類は鳥の卵や野菜類や果実類などと一緒に塩や海水を加えて蒸料理、焼き料理、煮込み料理などにして食べられる。調理法は中でも蒸料理はレパートリーが多い傾向にある。南極大陸の植民地ではムィム諸島では食べられないユキドリの肉やペンギンの卵も食用として食べられる。


食後のデザートとして、果実や野菜を単体で食べたり、塩や動物性の油につけて食べている。また、酒やカボチャ糖、パームシュガー、メープルシロップ、ココナッツミルクで、果実や野菜や魚を甘く煮たデザート料理もある。有名なデザートとしてはネネラというプリンの様な蒸デザートがあり、こちらは卵を使用する。一般的に溶いた卵にミルクやココナッツミルクを加えて、それに糖質と好みで果実の果汁や酒や花を加えて蒸し器で蒸す事で完成する。ネネラは南米との交易関係があった時に、インカの王に献上され、インカの王が大層気に入り黄金とレシピを交換した記録が残っている。


また、酒としてカボチャを発酵させたカボチャ酒や、パームシュガー、メープルシロップ、ココナッツミルクで作った酒や、南米のプルケと似た酒が広く作られ親しまれており、これに好みで果実や花を入れるなどして飲まれている。


なお、ムィム諸島にはリャマやアルパカ、カボチャやプルケの存在を見ても分かる様に南米との貿易が行われていた時代に南米からムィム諸島に齎された家畜や野菜類が多くある。トマトやジャガイモも育てられ食されている。ただし、南米ではポピュラーな食べ物であるトウガラシは記録上はムィム諸島に齎されたものの、普及はしなかった。その理由は単に辛すぎてムィム諸島の人々の口に合わなかった為だとされる。一方ですっぱい食べ物は好まれる様で近年、アメリカの連絡事務所が開催したパーティーの席でバッファローウィングが提供されたが、これが非常に好評であり、この評判は瞬く間に広がり、ついにはバッファローウィングが皇帝に献上されるにまでに至っている。日本もこの出来事を受けて日本から取り寄せた、しそ漬梅を大使館のパーティーで提供した所、こちらも大反響だったという。


ムィム諸島人は1日の中で食事の時間を最もに大切にしている。ムィム諸島の人々にとって食事は至福の時であり、1日辺りの食事回数は3食から多い時でも5食の食事が摂られる。1食辺りに要する時間は1時間から3時間もの時間がかけられる。食事は一般的に床の上で座って摂られるのが一般的だが、上流家庭では床や長椅子に寝そべって食べるのがマナーである。食器はスプーンの様な物もあるが、殆どの料理は素手で食べられる。


なお、ムィム諸島の生贄の風習を世界で最初に報じたスカイニュースは2014年にもスクープとして有力氏族のクスクの文化圏の島々において、女性が人生で最初に生んだ赤子を生まれた直後に生きたまま火にかけ蒸焼きにして食べるカニバリズムの習慣が存在すると報道している。このカニバリズムの習慣は、現地の宗教的かつ家族的な行事として行われているとされるが、現代においてもカニバリズムが行われているという事実は生贄の問題とも合わせて世界的な非難を呼んだ。


衣服の文化は主に布で作った腰巻とクルチャで作ったサンダルのみを着用し、冬場はケチャケチャと呼ばれる動物の毛皮で作ったフード付きのマントや手袋と、クルチャと動物の毛皮で作られたブーツを履く。また、木、草花、動物の骨等を加工した飾り等も着用される。しかし、常に衣服を着るという文化はなく、夏は裸で生活している人も非常に多い。一方で戦士や皇帝を含めた神官、巫女等の公職者は例えば戦士であるならば、袖の付いたシャツの様な上半身の体幹部に着用する衣服や夏用マント、神官や巫女であるならば夏用マントや巫女服なども着られている。


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経済


農業や畜産の中心地はムィム諸島の西岸海洋性気候、亜寒帯気候に属する島々である。これらの島々では家畜の畜産や農業や果実の採取が行われ、パームシュガー、メープルシロップといった糖質の採取等も行われる。漁業はムィム諸島周辺海域の全域からムィム諸島に一番近い南極大陸の植民地の海にかけて広い海域で行われている。


ムィム諸島には鉄、マグネシウム、黒曜石等の鉱物資源が豊富で存在する為、鉱業も盛んである。鉱業が最も盛んなのはムィム諸島の北部から中部にかけての地域であるが、南部の地域でも行われており、ほぼ諸島の全域で鉱業が行われている。紀元前200年前後から採掘が行われている為、最も深い坑道は海抜よりも遥かに下にまで広がっており、さらに、その長さは数百kmから数千kmに達するものと考えられている。ムィム諸島では少なくとも千年以上に渡って採掘が続けられているが、採掘された量はその全体量からすれば僅かな量でしかなく、現在でも世界最大の埋蔵量を誇るマグネシウム鉱山である。


ハストゥル・スウユは通貨経済を有している。ただし、金や銀に対して価値を見出した通貨経済ではない。クルチャ等の食物を倉庫に預けた預り証が通貨として使われている。これは古代エジプトで見られた経済システムとよく似た経済システムであり、食物は古くなると価値が落ちるため、このシステムにおける通貨は時間の経過とともに貨幣価値が落ちていく。結果として、通貨を何かと交換して手にいれたら、出来るだけ早く他の物と交換するという行為が行われ流通が早まるという経済の仕組みである。

 

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資料


・短槍を持った第2軍団の一般兵士の絵。

挿絵(By みてみん)

典型的なハストゥル・ユウユ軍の一般兵士の服装を描いた絵であるが、実際には、各軍団ごとに鎧の形状やデザインには若干の差異がある。また、この絵では肩当てを付けているが、肩当ては付けている場合と付けていない場合がある。また、細部にも個人ごとに違いもあるとされ、武功や階級に従って、鎧の装飾が増える傾向にある。例えば鎧や兜に模様等が彫られたり、一般兵の鎧が銀色を基調にしているのに対して、指揮官クラスの戦士の鎧は、銀色以外にも黒色、金色、青色、赤色といった色を基調にされている場合が多い。また、マントを付けている場合もある。ただし、皇帝を守護する近衛軍団の鎧兜は全てが金色で規格統一されており、統一された豪華な彫り模様等の装飾が施されている。


・第6軍団の一般兵士の兜。

挿絵(By みてみん)

上記の兵士が付けている兜とは違う物だという事が分かる。


・中央防波堤埋立地の宿泊用天幕で撮影されたコルスの指揮官。

挿絵(By みてみん)


・ムィム諸島で利用される船の図。

挿絵(By みてみん)

左がアクーテ、右がケツァール、下がトトラ。


・ワイラにある皇帝の住む宮殿である生者の宮殿の正面図。

挿絵(By みてみん)

生者の宮殿はムィム諸島における最大級の大きさを誇るピラミッドである。マヤ文明のカスティーヨに似ているが、カスティーヨがピラミッドの4面全てに外階段が設置されているのに対して生者の宮殿には外階段は1つしかない。また、宮殿の内部には100を超える部屋があり、外側にはピラミッドを全周する様に外廊下があり、アーチ状の手すりや柱があるのも特徴である。生者の宮殿は別名、白い宮殿とも呼ばれ、一般のピラミッドや神殿がムィム諸島では基本的に岩石そのものの色であるのに対して、全面が美しい白色で塗装されている。さらに、宮殿前のメインストリートと広場の平板にも白い石が使われ、平板の間なども利用して所々に年間を通して緑色の野草等も植えられている。これらの事から、生者の宮殿はムィム諸島で最も美しい神殿と称される。また、ムィム諸島において最大級の大きさを有する建築物である。


・一般的な邸宅の正面図。

挿絵(By みてみん)

アーチ状の柱を備えた外廊下があるのが特徴。冬になると、これらの外廊下は寒さを防ぐ為に内側から板やクルチャで塞がれる。なお、建物に窓ガラスを付ける文化は無い。ガラスは装飾品やランプの製作に利用される。この図は邸宅のものであるが、邸宅ではない一般住宅も含めて一般的に住居の屋根の材料にはクルチャもしくは雑草の類が利用される。日本で言う茅葺き屋根に近い屋根である。それ以外の家の各部分は基礎には木材が利用される場合があるものの、基本的にそれ以外の壁等の材料は石や砂利が利用されている。


・一般的な住宅の正面図

挿絵(By みてみん)


・ハストゥル・ユウユの都市部にある一般的な神殿の図(1)。

挿絵(By みてみん)

ムィム諸島で5段以上の大きさのピラミッドに多く見られる形状のピラミッド。ワイラだけでも9棟のこの形状のピラミッドがある。ムィム諸島の各地や南極大陸で建設されている。


・ハストゥル・ユウユの都市部にある一般的な神殿の図(2)。

挿絵(By みてみん)

3段以上、5段以内で作られるピラミッド。この形状のピラミッドは南米との交流が始まる前には既にムィム諸島で作られる様になっていた。ムィム諸島において数としては最も多く作られているピラミッド。このタイプのピラミッドは凡そ2つの種類に分類する事ができ、人が昇り降りする昇降用の箇所があるが、この部分が階段になっているか、もしくはスロープ状かで分類できる。前者は南米の建設文化の流入後の時代に作られたピラミッドで、後者は南米の建設文化の流入前の時代に作られたピラミッドである。この図は昇降箇所が階段のタイプ。スロープタイプはムィム諸島の他、植民地帝国時代にハストゥル・ユウユの植民地を形成したニュージーランドやオーストラリアのムィム諸島人居住地でも作られた。ムィム諸島においてはスロープタイプのピラミッドは現在でも完全な状態で各地に現存するが、諸島外においてはそうではなく、完全な状態で現存している物は殆ど無い。ニュージーランドのピラミッドは植民地解放を巡る戦いによって破壊された。オーストラリアも長い歴史の中で似た様な状況である。ただしオーストラリアにはほぼ完全な状態のスロープタイプのピラミッドが1基だけであるが現存している。


・皇帝が居住する生者の宮殿がある神官区の地図(1)。

挿絵(By みてみん)


・皇帝が居住する生者の宮殿がある神官区の地図(2)。

挿絵(By みてみん)

生者の宮殿の海側に宮殿からメインストリートの対角線上に広場があるが、この広場の真直ぐ正面方向に向かって1km程進んだ沖合いの海底にワイラの海底遺跡群が存在する。ワイラの海底遺跡群に関しては「ワイラの海底遺跡群」の記事を参照。


・1993年にニュージーランドのオタゴ大学がマオリ族とアボリジニに伝わる壁画や伝承を基に作成した植民地帝国時代のハストゥル・ユウユ軍の想像図。

挿絵(By みてみん)

実際に紀元前の植民地帝国時代に当時のハストゥル・ユウユ軍がこの様な格好をしていたかどうかは考古学的にこの想像図が証明されていない為に不明であるが、ネロン登場前のムィム諸島の戦士文化には防具としての兜や盾の概念は存在していたものの鎧は存在していなかった。なお、この想像図は2001年の映画「Pakanga Tapu Nui(日本語訳:大いなる聖戦)」の劇中でのハストゥル・ユウユ軍兵士の装備のイメージとして採用され、映画が大ヒットしたオーストラリアやニュージーランド、太平洋の島嶼国では「古代におけるアンティクオラム帝国のオセアニア植民地帝国の兵士の姿」として一般的なイメージとして定着した。しかし、想像図に描かれている様な形状の兜は少なくとも150年頃にムィム諸島で利用されていた兜の形状としてはスタンダードな物では無く、そもそも利用されていたかどうかも定かではない。最初のハストゥル・ユウユ体制の崩壊後に作られなくなったとされる主張もあるが、少なくともネロン登場前のムィム諸島では技術的にもっと単純な形状の兜が主流だった。また、想像図に描かれている様な肩当の存在の有無を巡る議論も存在する。


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題材にされた作品


映画

・『アウグストの奇妙な発見』(Augusto's strange discovery 1928年 イギリス映画)アウグスト・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ原作。ジョン・ホイットニー監督が映画化。16世紀のポルトガルの探検家アウグスト・ヴィエイラ・ダ・シウヴァの伝記を基にアウグスト・ヴィエイラ・ダ・シウヴァとアンティクオラム帝国との遭遇を描いた冒険サイレント映画。

・『生きていたローマ』(La Rome vivante 1931 フランス映画)ミシェル・アンリコ監督原作。ゲルマン人によって滅びたローマ帝国から逃れたローマ人がムィム諸島に辿りつき第二のローマ帝国を築く空想歴史映画。全3部作。

・『ポーハタン』(USS Pawhatan 1953年 アメリカ映画)監督不明。1853年にアメリカ海軍の蒸気船ポーハタン号がハストゥル・ユウユを攻撃しその後、討払われた様子を描いたサイレント映画。

・『帝国の秘宝』(Hidden treasure of Empire 1973 イギリス映画)ジョン・リーネス監督原作。古代ローマの失われし秘宝を求める冒険家アンダーソンが、古代ローマ人の末裔が住まうとされる太平洋の秘境に赴くファンタジースペクタル冒険作品。劇中、アンティクオラム帝国が古代ローマ人の末裔が住まうとされる太平洋の秘境の国として登場した。

・『大いなる聖戦』(Pakanga Tapu Nui 2001 アメリカ映画)ジェームズ・アーモンド・ピューア監督原作。ハストゥル・ユウユによる植民地支配を受けるマオリ族の決死の抵抗と植民地からの解放を描いた作品。カンヌ国際映画祭第54回監督賞を受賞した。しかし、本作は公開当初、完全な歴史再現をキャッチコピーにしていたが、映画の公開後、劇中の描写について、多くの歴史学者や考古学者から考古学的事実に基づかない描写が散見されていると批判が出た。例えば植民地支配の中心都市であったヴァルの登場するシーンで、ニュージーランドには存在しない「ハストゥル・ユウユの都市部にある一般的な神殿の図(1)」の様なピラミッドが存在する描写や建設をしている描写等がある。

・『ハリー・マリーとアバンギャルドの囚人』(Harry Marie and the Prisoner of the Avant-Garde 2004年 イギリス映画)S・Jローリング原作。デビット・クロービス監督が映画化。世界的大ヒットのファンタジー長編作品ハリー・マリーシリーズの映画化作品の第2作目。劇中でハリー・マリーがアンティクオラム帝国から伝来したとされる魔法具を使用するシーンがある。

・『エコテロリズム』(Eco terrorism 2007年 アメリカ映画)ジェームズ・カーター監督原作。ハストゥル・ユウユに対する環境テロリストの攻撃の実態を取材しエコテロリズムを批判したドキュメンタリー映画。第80回アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。

・『コンキスタドール』(Conquistador 2010年 イギリス映画)シェリー・エドワード監督エミリー・ジョーンズ監督による共同原作映画。ハストゥル・ユウユに対する環境テロリストの攻撃と過激な環境活動家による先住民族の文化と歴史を尊重しない環境保護の主張の実態を取材し、かつての欧州列強による他文明への侵略と比較し批判したドキュメンタリー映画。第83回アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。


ゲーム

『グレートウォーリアーオブパシフィック』(Great Warrior of Pacific 2019 PS6)アメリカのユートピアソフトウェア開発。グレートウォーリアーシリーズの10作目。二大帝戦争の時代を舞台にムィム諸島や南極大陸の植民地をゲーム製作当時の時点で判明している情報を元に再現しオープンワールド化したアクションアドベンチャーゲーム。

Atogaki































































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HAPPY NEW YEAR!!!!!!!

YAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAY!!!!!!!

YEEEEEEEEEEEEES!!!!!!!


KOTOSI MO SYOUMETU KOKKA NO ULIKIPADELIA WO YOROSIKU ONEGAISIMASU !!!!!!!


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yokumiru sinnnenn no gaikokuzinn no nori huu sinnnenn no aisatu de atogaki ha kakimasita.

hudann no sakusya ha konnnannzya naikara annsinnsite kudasai.


nao, kono kizi ha kousou 1nenn sippitu ni 1nenn mo kakattamoyou...

demo mannzoku iku kizi ga dekita kara koreha korede yosi !

mata, kousou to sippitu sagyou igai nikaketa rouryoku (sasie) deha kako 1bann no rouryoku ga kakarimasita. yougannbattayo watasi...

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― 新着の感想 ―
[一言] 独自の巨石文明、ローマ風の衣装。インカ帝国との繋がり、考古学上のミステリーと言えますね。航海術も優れてるのでイースター島やハワイまで行ってそうですが。 南極の植民地、以前出た南極人類のアイ…
[良い点] この世界でもシーシェパードはやらかしたか、その上環境団体による先住民族文化弾圧デモなんて、シーシェパードと手を組んでるとしか言いようがない。 だけどそのおかげで環境や反捕鯨を免罪符とした…
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