エネルギー革命 ‐ ウィキパディア
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エネルギー革命
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エネルギー革命( エネルギーかくめい )とは、主要に使用されていたエネルギー資源が別のエネルギー資源へと急激に移行される事を意味する。
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目次
1.第1次エネルギー革命
2.第2次エネルギー革命
3.第3次エネルギー革命
3.1欧米での石油エネルギーへの転換
3.2日本での石油エネルギーへの転換
4.第4次エネルギー革命
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第1次エネルギー革命
第一次エネルギー革命は人類が火を発見しそれを利用するようになった事を言う。
人類が最初に利用していたエネルギーは太陽、風力、人力などであった。考古学上少なくとも50万年前のホモ・エレクトス・ペキネンシスの頃には火を保存したり作ったりすることができるようになったとされる。
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第2次エネルギー革命
第二次エネルギー革命は人類が蒸気と化石エネルギーを利用するようになったことを言う。18世紀後半に石炭を利用する蒸気機関が発明され、それまで自然エネルギーしか使われなかったそれまでの手作業の長閑な社会が激変した。
産業革命を起こしたイギリスはヨーロッパの諸外国よりも森林が少なく、製鉄業は薪炭を求めたが、16世紀に燃料不足に陥り、木材価格が上昇した。このため他国よりも真っ先に他のエネルギー源を探す必要に迫られ、そこで注目されたのが石炭であった。この石炭エネルギーへの移行により、イギリスは他国に比べて50年早く第2次産業革命を起こす事になった。
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第3次エネルギー革命
第三次エネルギー革命とは人類が石油や電気を組み合わせて利用するようになった事を言う。
・欧米での石油エネルギーへの転換
1886年に、ゴットリープ・ダイムラーが内燃機関を自動車に搭載し石油が自動車の動力源として利用されるようになった。1896年にヘンリー・フォードがガソリン車を大量生産し始めると、一般大衆にガソリン自動車が普及した。
さらに、アメリカで灯油や軽油を使うトラクターが農業分野で登場すると、大量収穫が可能となり、それまでの人力と畜力を利用した伝統農業は石油を使う現代農業へと移行する事になった。
アメリカでは自動車登録台数が1929年には2310万台になり、世界の石油自動車の78%を占める様になり、公共鉄道は次第に衰退していった。
・日本での石油エネルギーへの転換
日本におけるエネルギー革命は、一般的には第二次世界大戦後の1960年代に、それまで燃料の主役であった石炭から石油や天然ガスへのエネルギー源の転換されたことを指す。
1950年代に中東やアフリカで相次いで大油田が発見されると、世界のエネルギー市場の主役が石炭から石油へと移行していった。日本は、1962年10月に始まった原油輸入の自由化をきっかけとして、それまでの石炭はエネルギーの王座を石油に譲る事になった。産油国より大量に安く市場に供給された石油は、交通機関、暖房用、火力発電などの様々な燃料として、また石油化学製品の原料として、その消費量は飛躍的に増加した。
また、これに伴い、それまで行っていた日本国内で採掘される国産石炭の生産を大幅に中止し、低価格の品質高い輸入石炭に移行した政策の事や、一般家庭での暖房器具が燃料から電気を主体とした器具に移行した現象などに対してもエネルギー革命の用語は使われる事がある。
日本におけるエネルギー革命は、他国と同様に、蒸気機関より熱効率の高い内燃機関の発達を促し、産業の高度化に繋がった。その反面、北海道空知地域、福島県東部、山口県西部、九州北部の石炭の採掘地では、それまで産業の基盤であった炭鉱が次々と閉山する事態に追い詰められ、多くの炭鉱労働者が失業し、関係する自治体の激しい衰退に繋がってしまった。
家庭用のエネルギー源に関しては、1950年代においても、多くの家庭は暖房や炊事に木炭、薪等の木製エネルギーが使用された。1950年の日本の木炭生産量は年間約200万トン。1956年の薪生産量は3,400万層積石。統計には反映されない自家生産分、製材所の鋸くずや端材等の二次利用を考慮すれば、膨大なエネルギー源が国内の森林から調達されていた。しかし、エネルギー革命によって、これら木製エネルギーは、その後、急速に石油、ガス、電気などに移行され、薪炭の生産量は、1970年代までにかつての10分の1の水準にまで下がるなど、著しい減少幅を見せた。家庭内のエネルギー革命は、家庭内の無煙化、家事労働の低減等、近代的な生活環境をもたらした。一方で、山間奥地の木製エネルギー生産場からは多くの収入と雇用の場が消失し、離農や過疎化が急速に進む事態を生んだ。
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第4次エネルギー革命
第4次エネルギー革命とはそれまでの石油や天然ガスを中心とした社会から、石炭、木炭、水素、電気を利用する様になった事を言う。
2022年4月5日に発生した日本周辺地理転移地球肥大化災害によって日本はそれまで頼っていた石油や天然ガスを主体とするエネルギー源の利用を転換する事態に陥った。
災害が発生した初期は、国内の備蓄石油を節約する体制が急遽構築され、民間への燃料供給を大幅に制限し、燃料の公共機関、運送業界への集約化を進め、これによって政府は凡そ1年分しかないとされた備蓄石油の寿命を2年半にまで延ばす事に成功した。この間、日本政府は日本国内の既存の油田やガス田の開発や生産量の増強。また、国外の油田調査を行い、油田を発見しだい開発を進め石油や天然ガスの供給を開始する計画だった。政府はこれら2つの目標を2年半以内に達成する事を目指した。
しかし、災害から8ヶ月が経過した時点で、この計画に対し、石油天然ガス金属鉱物資源機構の石坂俊範会長が、技術的にもタイムスケジュール的にも不可能だと指摘。万が一油田やガス田を発見したとしても、それを生産する施設の建設やパイプライン、輸送体制の構築等に5年以上の時間がかかると指摘し、さらに、現時点で有力な油田も見つかっておらず、作業すら進んでいない状況から、例え、今発見したとしても、石油が産油できる様になる頃には備蓄石油が枯渇し日本経済は完全に崩壊してしまうと警鐘を鳴らした。石坂俊範会長は、オーストラリア級の鉱物資源国であるアトランティス帝国と日本が既に接触に成功している事から、何処にあるのかも分からない石油や天然ガスを探すよりも大至急、アトランティス帝国との資源輸出入に関する条約を取りまとめ、日本のエネルギー体制をそれまでの石油や天然ガスを主体としたものから、石炭経済に移行するべきだと主張した。また、石坂俊範会長は備蓄石油が枯渇する前にこれらのエネルギー転換はされなければならないとし、日本経済を動かせる内に、エネルギーの転換はされなければならないとした。
政府は当初、2年間で石油油田の発見と開発は可能であるとの考えを示しており、石坂俊範会長の意見は聞き入れられなかったが、備蓄石油枯渇による日本経済の深刻な影響を考えた経済界からの批判が殺到し、さらに、後に総理大臣となった当時の外務省の担当大臣、盛岡孝衆議院議員も内閣の方針に対して異を唱えた。これらの批判の殺到により政府は方針を急遽転換。石坂俊範会長を座長とする日本エネルギー政策委員会が発足され、石坂俊範会長が主張した石炭経済の導入に向けた政策が本格的に進む事となった。
石坂俊範会長は通称、石坂プランと呼ばれる日本のエネルギー転換政策を政府に提出しこれを元に日本政府はエネルギー政策の転換を行った。第一に、鉱物資源の輸入能力強化の為に、石油・天然ガス資源を消費しない非石油エネルギー源を利用した船舶の建造と普及。第二に、石油・天然ガスを消費しない非石油エネルギー源を利用した自動車の普及。第三に、国内鉱山の採掘再開。この3本柱を主軸に計画は行われ、備蓄石油をフル活用しこれらの3本の柱は進められた。
また、政府は政策を進める為に国内の民間のガソリン自動車等の金属資源の大規模な回収事業を実施し、国民に今後、10年以上は家庭用のガソリン自動車が公道を走れる事は無いとして、使わない自動車の提供協力を呼びかけ、それらの日本中から提供され回収された資源をリサイクルしこのエネルギー転換政策に利用した。
2023年から始まったこのエネルギー転換政策により、日本のエネルギー体制は、それまでの石油・天然ガスを中心としたものから、石炭、木炭、水素、電気を中心としたエネルギー体制に次第に10年以上の時間をかけて切り替わっていった。これにより、石炭輸入量の増加や、日本国内でも石炭の採掘が再開された事で、かつての北海道空知地域、福島県東部、山口県西部、九州北部等の石炭の採掘地の地域経済が活性化した。また、2049年現在でも日本国外の油田の開発計画は遅延が見られ細々としか進んでいない事から、もしも、エネルギー転換政策がされずに石油と天然ガスに依存していた状況が続いていた場合、日本経済は現在よりも深刻な状況になっていたと推測される事から、それに比べこの第四次エネルギー革命は日本周辺地理転移地球肥大化災害によって瀕死に瀕した日本経済をギリギリのタイミングで救ったと評価されている。
しかし、エネルギー革命によって日本のエネルギー事情は鉱物資源とその採掘量が豊富なアトランティス帝国に過度に貿易が集中する結果を招いた。このアトランティス帝国との貿易の集中化は、アトランティス帝国と宗教上の対立をしていたシンシンシーファ・シリア教国との国家間闘争に日本が巻き込まれる結果を生み、後の日シ戦争の勃発を招いた。
石油燃料から石炭、木炭、水素、電気に自動車の燃料が転換された事によって、それまで主流であったガソリン自動車は燃料の提供が政府によって認められた公共機関や運送業界に集約された事で、一般の自動車はガソリンの提供を殆ど受けられなくなり、日本周辺地理転移地球肥大化災害前に走行していた一般ガソリン自動車はその殆どすべてが使用不可能な状態に陥った。さらに、ガソリン自動車から石炭、木炭、水素、電気をエネルギー源とした自動車に切り替える政策を政府は実施したが、国内の自動車普及率は、2049年現在、企業が運用する自動車では高い普及率に達したものの、家庭用自動車に関しては今だに、普及率が50%未満という低い状態が続いている。また、水素や電気をエネルギー源とした自動車と共に石炭や木炭を燃料とした自動車の導入や、価格が高騰した軽油を燃料とした暖房器具から石炭や木炭を燃料とした暖房器具の導入が社会で進んだ事で、全国的に大気汚染問題や一酸化炭素中毒による事故死の問題が浮上した。




