日本再統一 ‐ ウィキパディア
ウィキパディア-フリー百科事典
ページ/ノート
―――――――――――――――――――
日本再統一
―――――――――――――――――――――――――――
日本再統一(にほんさいとういつ、英語:Japan reunification)は1990年10月3日、日本国(東日本)に日本民主共和国(西日本)が編入された出来事である。東西日本統一、東西日本の統一、日本の東西統一などとも呼ばれる。
―――――――――――――――――――――――――――
目次
1.歴史的背景
1.1第二次世界大戦の終結と連合国による分割統治
1.2東西分裂と冷戦
2.呼称
2.1日本再統一という表現の法的問題
3.東京の壁崩壊から再統一までの過程
4.再統一後の問題点
5.心の壁
5.1心の壁が生じた原因
―――――――――――――――――――――――――――
歴史的背景
・第二次世界大戦の終結と連合国による分割統治
第二次世界大戦中、大日本帝国は枢軸国としてプロイセン国、サルデーニャ王国、エチオピアーナ=ソマリーナ帝国と共にソビエト資本主義合衆国、アメリカ社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国を主軸とした連合国と戦った。1945年4月30日に大日本帝国は連合国軍による大規模本土強襲作戦ダウンフォール作戦での結果を受けて無条件降伏し、アジアにおける第二次世界大戦は終結した。大日本帝国はその後、太平洋戦域において日本と交戦した主要な連合国であるソビエト合衆国、アメリカ連邦、イギリス、中華帝国によって分割統治され、帝国は事実上解体された。
・東西分裂と冷戦
第二次世界大戦の終結後、世界は資本主義陣営(東側陣営)と社会主義陣営(西側陣営)による冷戦の時代へと突入した。日本では分割統治の影響によって、ソビエト合衆国、イギリス、中華帝国の占領地には昭和天皇を国家元首とする日本国が成立。一方でアメリカ連邦の占領地には日本民主連邦共和国が建国された。これによって日本は名実共に分断国家の状態となった。
東西分裂後、東西日本には東日本の新潟県、福島県の県境を境に国境線が引かれた。両国は冷戦中、東西陣営の最前線となり、軍事的、経済的、思想的に対立。西日本政府によって東東京に築かれた東京の壁は東西冷戦の象徴となった。
―――――――――――――――――――――――――――
呼称
メディアによっては日本統一と呼ぶ事もあるが、日本史の歴史的文脈における歴史用語・政治用語としては、日本統一というのは、南北朝時代の終焉や、戦国時代の天下統一と区別する為に日本再統一と呼称する。
・日本再統一という表現の法的問題
東日本は建国以来、西日本を独立国家として認めてこなかった。東西分断の時代でも東日本が主張する領土には西日本の全域が含まれていた。その為、東日本の法的には西日本の領土は最初から東日本の物であり、西日本の政府は非合法な政府だった。つまり法的には再統一という表現には問題がある。しかし、再統一の表現はすでに一般に定着しており、また、旧西日本の人々への国民感情への配慮から政府や裁判所も黙認、半ば公然化している状態である。
―――――――――――――――――――――――――――
東京の壁崩壊から再統一までの過程
1989年
・11月9日‐東京の壁が崩壊する。
・12月1日‐西日本憲法第1条から日本社会主義統一党(JFD)による国家の指導を定めた条項が削除され、JFDの一党独裁制が終焉する。
1990年
・3月18日‐西日本において、初の自由選挙が実施され、日本統一を主張する保守連合、日本連合が勝利。
・5月5日‐東西日本とソ英中の6ヶ国外相会議が開催される。
・5月18日‐東日本と通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約を調印。
・7月1日‐通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約が発効し、西日本に東日本の通貨、円が導入される。西日本の独自通貨、西日本ドルが役目を終える。
・7月17日‐6ヶ国外相会議で、統一日本の日ソ安全保障条約への加入を確認する。
・7月13日‐西日本の州が廃止され県が復活される(廃州再県)。
・8月13日‐人民議会で西日本5州の東日本加盟が決議される。
・8月31日‐日本再統一条約が調印される。
・9月12日‐日本に関する最終規定条約が調印される。
・10月3日‐統一に関する全ての法的処置が完了し正式に西日本が統一される。
―――――――――――――――――――――――――――
再統一後の問題点
日本は第二次世界大戦の終結から40年間に渡って分断され、旧東西両国が資本主義と共産主義という全く違った経済体制を敷いていた為に、旧西日本と旧東日本の間では大きな経済格差が存在した。旧西日本は冷戦中、アメリカ以外の社会主義国の中では最も経済が発展していた所謂、社会主義国の優等生ではあったが、資本主義国の中でも世界屈指の経済大国であった旧東日本との経済格差は非常に大きかった。再統一後の日本は深刻な不況に襲われ、その影響は長く続いた。
中村首相は、整理解雇請負会社「日本信託公社」に依頼し、旧西日本国営企業の民営化や大規模な整理解雇を行った。
旧東日本では経済混乱に見舞われ、再統一の際に1:1での通貨交換をした為に、当時の日本円にして約3兆5000億円が吹き飛び、赤字転落した。また、旧西日本では、民営化された国営企業の相次ぐ倒産により失業者が急増した。その煽りにより極右政党が移民排斥を主張すると、失業者と競合する国民の共感を得る傾向になり、東西日本時代には封じられていた日本主義も、格差の残る旧西日本を中心に一部で蘇った。再統一後も旧西日本への援助コスト増大などによって、旧東日本の経済を圧迫した。2006年頃には景気回復の兆しを見せたが、世界金融危機により、再び不況に陥った。
その後、日本経済は安定したが、東西日本での経済格差は残った。2015年の統計では旧西日本地域の一人あたりGDPは、旧東日本の71%。旧西日本地域の一人あたり可処分所得は、旧東日本の82%である。しかし、これでも、大幅に改善がされた方で、統一時にはGDPと可処分所得は、旧西日本地域は東日本地域の40%以下であった。統一後、日本政府は旧西日本地域への経済支援、インフラ支援として旧西日本地域において連帯税を導入し、莫大な支援を行い経済格差の是正に努めた。しかし、経済格差や統一後に旧西日本地域の元国営企業の多くが倒産した事や旧東日本の企業が西日本地域に生産拠点等を置かなかった事によって、旧西日本地域では大規模な人口流出が発生し多くの人々が西日本から東日本へと移住した。これによって2018年には旧西日本地域の人口は百年前の水準にまで低下した。これは旧西日本の総人口の約14%が流出した事を意味している。
旧東日本地域では税という形で負担が発生し、旧西日本地域では経済格差による人口流出によって大きな負担となった。
また、女性の社会進出問題に関しても統一後に大きな争点となった。東西日本時代、西日本は社会主義国であった為、女性の社会進出が東日本に比べて格段に進んでいた。人民議会議員の3人に1人、校長は5人に1人、教師は4人に3人、市長は5人に1人は女性であり、さらに1989年までに実に約92%の女性が職業に就いており、東日本の女性よりも就職率は比べ物に成らない程までに高かった。一方で東日本における女性の社会進出は先進諸国の中で見ても遅れており、統一後、職を失い失業した多くの西日本の女性達は各地で大規模な抗議デモを行う事態にもなった。この旧西日本での女性の社会運動は、東日本での女性の社会進出議論を大きく前進させる結果にもなった。
2007年には日本の世論調査会社による調査によって「東西に分断されていた頃の方が良かった」と答えた人は全体の19%に上り、必ずしも全ての日本人が日本再統一を歓迎していない実態が明らかとなった。
2019年には、旧西日本地域と旧東日本地域でのギャップはさらに拡大した。世論調査によって民主主義が日本における最良の政治形態と思っている旧西日本の市民は31%。また、47%の西日本市民が自分は日本人ではなく、西日本人だと答え、日本人だと回答した44%を上回った。これは、旧西日本地域で行われた同様の質問では約7割近くが自分は日本人だと答えた事と大きく乖離した結果となった。さらに、統一から30年が経っても、西日本の住民の3分の1以上が、自分たちを二流市民だとした。
これらの世論調査の結果を受けて日本の国立経済産業研究所の岡田雄二所長は1990年代の移行期を経て西日本経済は安定的に回復し、2000年以来東西市民の日本人としてのアイデンティティは高まりつつあったが近年は急速にギャップが生じていると憂慮を示している。
―――――――――――――――――――――――――――
心の壁
心の壁とは2019年に行われた統一地方選挙での結果を受けて以後、日本のマスメディアの間で使われた政治用語である。日本の坂本梓首相は統一地方選挙後に「東京の壁は破壊されたが、新たな壁が築きあげられつつある」と称した。
2019年に行われた統一地方選挙で、旧西日本地域での開票の結果、登場以来、移民や難民の排除を主張し日本国内のメディアや政治家から反人道勢力と批難されていた政党、日本の為の選択肢(AFJ)が、県議会選挙で39の県の内14の県で第2党に躍進した。埼玉県での得票率は前回2014年の3倍近い27.5%、愛知県でも前回から11.3ポイント増の23.5%となった。その他の県でも全ての県議会で議席を獲得。旧西日本政府の与党でもあった左派党(旧JFD)や与党の自民党等の既存政党から議席を奪取した。また、与党自民党や公明党は議席を大きく失い幾つかの重要な県で第一党の座を失う事態にもなった。この選挙結果は日本政界に大きな衝撃を与え、JFDが旧西日本地域での既存政治への不満を吸収して支持を強固な物にしているという実態が目に見える形で明らかになった。対して、旧東日本地域における選挙結果は与党勢力が現状を維持した事から、結果がかつての国境線を境に東西で完全にわけ隔たれる結果となった。
AFJは2017年の国会議員選挙でも多くの議員を輩出し野党第1党にもなっており、その支持基盤は旧西日本地域であった。
これらの結果を受けて、旧西日本と旧東日本での市民間の認識に大きなズレが存在しているとの認識が一般に広く認識された。日本のマスメディアは移民や難民の排除を主張するAFJに対して、反人道的であるとして、反人道勢力や極右勢力と批難を展開していたが、この選挙結果を受けて多くの識者が現状を憂慮する発言を行っており、東西の市民間で新たな分断が始まっているとして、それを象徴する言葉として心の壁という用語が多くのメディアで使われた。
・心の壁が生じた原因
心の壁が生じた原因については、専門家らによって統一後の旧東日本基準による急速な統一事業の問題点が挙げられている。まずは、現代にも残る経済格差の原因である旧西日本内の企業不足である。統一後、日本政府は旧西日本の国営企業を民営化しその結果、多くの企業が倒産。これまでは社会主義国であるがゆえに居なかった失業者が急増した。国営企業の民営化は資本主義国である日本では必要な政策であったが、この時の統一経済政策による反動へのアフターケア面での政策は極端に不足していた。日本政府は旧西日本地域への旧東日本資本企業の進出を余り推進しなかった。これにより事実上、旧西日本の旧国営企業の多くは倒産するか、旧東日本企業によって買われ、人員削減として、それまでの従業員をリストラするかという状況になった。また、西日本で盛んに行われていた石炭の採掘事業も石油へのエネルギー転換政策でほぼ消滅し石炭採掘に依存していた地域の経済は破綻もしくは急激な衰退に陥った。就労可能な企業の減少と元々の経済格差が重なり、多くの旧西日本市民が旧東日本へと流出。この旧東日本資本による事実上の西日本の買収とエネルギー転換政策は、今日まで続く旧西日本地域における、人口流出をブーストした。これは現在でも問題となっており、東京以外の旧西日本地域に本社を置いている日本の大企業は現状一社も存在しない。また、2019年には日本政府が脱火力発電を掲げて国内の火力発電所を停止させる方針を示したが、これに対して、旧西日本地域では火力発電を主要なエネルギー産業として雇用を生み出している幾かの地域で軒並みJFDの得票率が上昇している。
また、文化面や歴史面での対立も挙げられる。政府が進めた性急な西日本の東日本化への反発である。2003年、日本政府は東京都内の旧皇居敷地内にある旧西日本の人民議会議場である共和国宮殿の取り壊しと、皇居の再建を果たすため資金が集まるまでの間は跡地を駐車場にすることを議決した。これに対する国民世論は皇居を再建すべきが7割の意見であったが、旧西日本市民に限った場合、共和国宮殿の解体には6割近い人々が反対していた。反対派は共和国宮殿は西日本の負の歴史と西日本独自の文化と歴史を物語り、西日本生活の記憶と密接に結びついた象徴的な建物であるとした。しかし、日本政府は旧西日本市民の反対意見を汲み取る事はせず、2004年、かつての西日本の象徴的な建造物である共和国宮殿を解体した。
さらに、西日本の東日本化政策は道路標識にも徹底された。旧西日本の道路標識が旧東日本規格に統一されるのは法律上止むを得ないことだが、色灯の種類が同じであり、ドライバーの心がけで併用できるはずの信号機まで、旧西日本規格の物はすべて旧東日本規格の物に交換するといった徹底振りだった。西日本の歩行者用信号機に採用されていた、信号君(信号君とは旧西日本の信号機で使われていた人型キャラクター)も撤去と交換の対象となり、多くの西日本市民に親しまれていたこの信号機の交換には多くの市民達が怒り、市民達は信号君を救う会を結成し各地で大規模な抗議運動を起こった為、信号君は全滅を逃れた。この信号君の作者であった加藤伊三郎は「誰も西日本の政治体制を恋しいなどとは思わないが、政治家の連中は、西日本のすべてを否定し敵視しているようだ。奴らはわれわれ西日本人の尊厳を踏みにじっている」と語っている。
2005年には札幌国際大学の社会学者、田村美佐教授が、旧西日本国民と旧東日本国民との間で見えない溝ができていると社会に警鈴をならした。田村美佐教授は政府による旧西日本地域での急速な東日本化政策を西日本国民のプライドを傷つけているとして批判し、また、国民の間で旧東日本国民が旧西日本国民を厄介者扱いする事案が僅かだが出ているとして寛容な社会を訴えた。さらにこうした社会情勢から、旧西日本地域では、低迷する地元経済と人口流出によって「西日本時代も悪いことばかりではなかった」という声が多く聞かれるようになったとした。日本における懐古主義に関しては、ヒガシーとニッシーの記事を参照。
また、心の壁という政治用語登場の原因であるそもそもの政治面での対立では、移民と難民の問題への認識の違いもあげられる。前述した通り、西日本の経済には厳しい現状がある。生活水準や経済は統一時に比べれば大幅に改善されたものの、それでも東西では経済格差がある。そうした状況において、2015年、世界に三箇所ある超空間通路の一つ、北海道のSAPPORO超空間通路を通じて、日本政府はエデンから110万人規模の異星人難民を受け入れた。日本政府は難民に対して手厚い保護政策を実施し、日本語訓練や職業訓練の他、住宅の無償提供、生活費負担等の手厚い生活保護を行った。これに対して、旧東日本地域では大きな反対論は噴出しなかったが、旧西日本地域では同地域を中心に難民の受け入れに反対する抗議デモや暴動が多発した。政府や日本メディアはこうした動きを極右勢力による運動や、反人道主義と批判し、旧東日本地域でも多くの市民から同様の批判がでた。しかし、その実態は極右勢力や反人道主義者による扇動があったかどうかはともかく、多くの反対派の旧西日本市民は差別や偏見ではなく極めて政治的、経済的な理由からだった。難民政策反対派の旧西日本市民の多くは、難民への多額の生活保護を批判し難民を受け入れて多額の国家予算を使うよりも、すでにある国内の各種社会問題に使うべきだと主張した。この様な意見が出てきた原因には、難民への生活保護が日本人の低所得者層への生活保護よりも潤沢である事や、旧西日本地域の経済が依然厳しい状態である事が原因であると考えられ、また、旧西日本地域へのこれまでの政府の対応に否定的見方を持つ人々も反対運動に加わった事も理由にあげられる。




