37話 元猫王女の決意
事件は終わった。現在私は、ご主人の膝に座り、移りゆく景色を眺めていた。ここはパトカーの中で、自宅のマンションに向かっていた。ご主人は私を撫でながら、景色を静かな眼差しで見つめていた。
まず初めに、冬花が目覚めた。彼女はご主人から状況を聞くと、悔しそうに唇を噛み締めた。
「また私は何も出来なかった……」
「そんな事ないよ、お姉ちゃん。私とナハトは無事だったから」
ご主人は振り優しく微笑んだ。冬香は苦笑した。「そうね、貴方達が無事だったなら、今は喜ぶ所ね。――でも、その褐色の男の子は何者なの? 心当たりは?」
「それが分からないの……」
ご主人は人間の私の事を、まるで夢の出来事の様にしか覚えていないらしい。
「だけど、綺麗な男の子だったなぁ」
頭の中でアゲハの声が聞こえた。
――言い忘れてたけど、正体を言っちゃ駄目よ。世界の理をねじ曲げてしまうから。
「……分かってるつもりだ」 私は脳内で答える。
――お利口さん。貴方まるで、猫と言うよりワンちゃんね。可愛いわぁ! 今度お手とかして欲しいわね!
クスクスクスと愉快そうな笑い声が響いた。
綺麗という言葉、アゲハのからかいに少し顔が熱くなる……。
「そう。春香も隅に置けないわね。」冬香はようやくいつもの調子の笑みを浮かべたのだった。
冬香まで……どうして女性方は私が赤面する様な言葉を言うのだろう?
私はご主人に表情がばれないよう俯き黙り込んでいた。
その後、すぐに警察が到着した。アトリエの周りを黄色いテープで仕切り始める。
冬香はすぐに警官であろう男に状況を説明しに行ったが、しばらくすると彼女の強い口調が聞こえて来た。
「岩井警部、人が殺されたんですよ!?」
「冬香ちゃん、確かにそうだけど……」
岩井と呼ばれた中年の男は眉を潜めた。
「確かに仏がいて、ここは殺人現場だ。だけど犯人は秘密結社に所属する少年で、砂になる薬で自殺を図ったってのは……どうにもね」
「だけど本当の事なんです! 私の言う事が信じられないんですか!?」
「参ったなぁ……」岩井は冬香をなだめる様に苦笑いを浮かべるだけだった。まるで子供扱いだ。
しかし冬香には酷だが、それも仕方がないのかもしれない。
誰も起きたことを現実の物とは思えない。熱帯魚の姿をこの目で、この耳で、この肌で感じた者は、私達しかいないのだ。
冬香は岩井との会話を終えると、ご主人の方に近づき、安心させるように頬笑んだ。
「あとは私達が調べてみるわ。秘密結社エンジェルフィッシュ……。警察は腰が重いみたいだけど、私一人でも調査してみる。お父様、お母様の敵……。必ず暴いて見せるわ」
「うん、ありがとうお姉ちゃん。それとあの男の人の……」
「被害者の娘の事ね。任せなさい」
冬香はご主人の頭をそっと撫でた。
「春香、この街では辛い事が沢山起きたけど……貴方はよく、頑張ったわね。車で送らせるから、今日はゆっくり休んで」
自宅のマンションにご主人と私はたどり着き、部屋に入ると、ご主人は私服のままベッドに倒れ込み、深い眠りに落ちた。私も彼女の傍で眠る事にする。
翌日、飛び起きたご主人は絵を描き続けた。彼女の頭は寝癖がついたままだった。
その様子はまるで何かに取り憑かれた様で、声を掛けれる雰囲気では無かった。
朝から夜になり、窓から月を見ていた私にご主人は、「ナハト、こっちにおいで」と言って絵の具が付いた顔を綻ばせて手招きした。
従って作業部屋に入ると、「これは……」
私は完成した絵に釘付けになる。
そこには青空の下の人々が描かれていた。
私とご主人、冬香にアデールと柊。牧野、グラウやトラ、他の猫達も。
私が見た絵の中で、それは最も幸福な絵だったのだ。
「本当は海斗君と木下さんも入れたかったのだけど……」
「――素晴らしい絵だ。私は今日この絵を見たことをきっと忘れないだろう」
「うん、絵は残るから。この街は猫の街だって事を、ずっと覚えていたかったから」
ご主人は真面目な顔で私を見つめた。
「ナハト、私、決めた事があるの」
私は笑う。この絵を目の辺りにして、彼女の考えが予想出来たからだ。
伊達に共に過ごしてきたわけでは無い。
「私はどこまでも貴方に付いていこう」
――私は貴方だけの騎士なのだから。
「ありがとう。ナハトならきっとそう言ってくれると思ったよ。――私ね」
彼女は優しい顔でこう言った。
「この街を。スカイブルータウンを出て行こうと思うの」




