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36話 ダブル・キャット

 目の前の全てが真っ暗だ。

 花の蜜の様な甘い匂いが漂っている。

「プレゼントは気に入ってくれたかしら?」

突然後ろから抱きしめられた。僕が背後を取られた!?

「お返しはしばらくこうして貴方を愛でる事でいいわ!」

 そう言って着物の女性――アゲハは僕の至る所に触れる。

 猫の時ならまだしも、人間の時に触られるのは困る……。

 僕はこれでも健全な男なのだから。

「そ、そこには触れるな! 人間に戻れたのはありがたいが、どうしてもっと早くに戻してくれなかったのだ」

「ずっと人間でいられるほど、この世界は良く出来てないの。条件は満月の夜の時だけで、朝になったら戻ってしまうわ。さらに貴方が心の底まで人間に戻りたいと思う、強い意志が必要ね」

アゲハはクスクスと笑う。その捉えどころが無い笑い方が、やっぱり苦手だと思った。

「もう1つ、聞きたい事がある」僕は落ち着かせるように一呼吸して、アゲハの目を見つめる。


「何かしら?」

「どうして女神である貴方が僕とご主人の肩を持つんだ?」

「それは前にも言ったじゃない。物語がもっと面白くなるように――」

「いや、」僕は彼女の言葉を遮る。

「まだ他に理由があるのではないか? 特にご主人に関して」

「――すごい。貴方名探偵ね、リヒト」

アゲハは驚いた表情を見せ、すぐに頬笑んだ。それは邪悪な物では無く、いたずらがばれた子供の様な、純粋な笑顔だった。


「そう、私にとっては、貴方と春香、二人が大事なのよ。春香は昔、私の飼い猫で、使い魔だった」

「使い魔?」

「ええ。例えるなら、動物じゃなく天使に近い猫だったのかもね。可愛くてよく働く、良い子だったわ。あんまり良い子だったから1つ、願いを叶えてあげるって言ったら人間になりたい、人間になって世界中を笑顔にしたいって言ったの。人間は残酷な面も沢山あるから苦しむわよって言ったのだけど聞かなくて」

 アゲハは昔を懐かしむ様に目を細めた。

 やはり彼女は本当に猫だったのだ。僕は嬉しくなる。僕と春香は、二人とも猫で、人間だ。


 目の前が眩しく輝き、アゲハの姿が霞んでいく。手をかざそうとしたら、バランスを崩しそうになる。黒い毛並みが見えた。"私"は黒猫に戻っていた。

「ナハト、貴方達の世界はどうしようも無く残酷だけど、どうしようも無く美しいの。二人で世界を彩ってみせないな。私は、貴方達の世界を愛しているの」

「――期待に応えてご覧入れよう」

 彼女に敬意を払うように私は答えた。

 真っ白な視界の中でアゲハの笑い声が、ピンと立てた耳に、木霊(こだま)していた。

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