35話 スカイブルー・カタストロフィー
緊迫感のある空気の中、海斗君は呼吸を繰り返す音だけが聞こえた。
私はカルテス・リヒトと名乗った少年を見つめる。
黒く長い髪に、鋭い瞳。
だけど怖いという気持ちは無く、どこか暖かい印象の男の子だった。
「ここまでか……どうやら貴方達の勝ちのようですね」
海斗君はそう言い終わると突然、小さな瓶を取り出し中に入った青い液体を口に含めた。
「何をするつもりだ!」
カルテス・リヒト――リヒトはすぐに構える。
だけど、私達の予想とは、違い海人君は何もしなかった。海人君の身体から白い砂の様なものがさらさらと落ちていく。海人君は静かに口を開いた。
「僕達、エンゼルフィッシュが警察に捕まらない理由です。任務が失敗した時、証拠を残さず砂になる薬。痛みが無く死ねる薬……。ほんとう、さすが秘密結社ですよね」
「そんな……」
私は言葉を失った。
秘密結社。
秘密の為に一人の男の子が砂になっていく。
私にはその〝秘密〟が海斗君より価値があるのかが分からなかった。
「海斗君……お姉さんがいたの?」
私が尋ねると、海斗君は微笑んだ。
私のよく知っている。無邪気な表情だった。
「……ええ、貴方によく似た人でしたよ。姉さんと僕は、とある小国のストリートチルドレンでした。この街にはいませんよね。……まったく、この国は恵まれていて、この街は平和ボケしていて、イライラする」
海斗君の身体から白い砂の様な物が零れ落ちていく。
命が零れているんだ。私はその光景を見て、どうしようもなく泣きだしたくなる。
「姉さんは僕なんかよりも絵の才能がある人でした。姉さんが画家になれるなら、姉さんが幸せになれるなら。僕は喜んで人を殺します。なのに……。なんでよりによってターゲットが姉さんにそっくりなのかなぁ」
その一言は、全てを嘆いているようで、私の心がぎゅっと締め付けられる。
「君のお姉さんは、君が側にいた方が幸せだと思うぞ」
リヒトは目を伏せてそう言った。その横顔は今までと違い、すごく哀しそうだった。
「同じ過ちを犯した人物を知っている。その幸せは、金じゃ絶対に満たされない類のものだ。
犠牲からでは幸福は生まれない。君は選択を間違えてしまったんだ」
「そうかも、知れませんね」
海斗君は虚しい笑顔を浮かべた。
私は駆け寄る。抱きしめようと思った。
私はただの元猫だけど。
今だけは、海斗君のお姉さんになろうと思った。
「先生、貴方と絵を描いた日々は、任務を忘れるくらい、楽しかったですよ。この先、貴方が殺されないで事を願っています」
私は彼に腕を伸ばした。
「どうか、お達者で」
その言葉が聞こえたかと思うと、両腕は宙を掴んでいて、開いた手の平は白い砂が少しだけ付いているだけだった。
私の弟子、海斗君は、たった今この世界から消えたのだ。
その瞬間、心を上手に保てなくて、私は泣き崩れた。リヒトは座り込んでわんわんと泣きじゃくる私を静かに抱きしめた。
「貴方はよく頑張った。全部終わったんだ、この街の悲劇は。僕が受け止めるから、貴方は泣いていい。どうかいなくなった者達の為に泣いてあげてほしい」
私はろくに返事も出来ずに、彼の胸の中で泣き続けた。
その時の私の声は、猫が泣いている様にも、人間が泣いている様にも聞こえたのだ。




