32話 家族
「殺す……? あんたを?」
男はご主人の言葉に顔をしかめた
「お姉ちゃん、この人に銃を」
「春香!? 何を言ってるの? 」
冬香は酷く取り乱した声を上げる。私も彼女と同じ気持ちだ。
「お姉ちゃん、私は大丈夫だから。ーーお願い」
冬香しばらく悩み、やがて男を睨みながら、「春香に何かあったら貴方の事を殺すから」そう言って拳銃を手渡した。
ご主人は沈黙する一同に静かに語り始める。
「まず、萌音秋斗、お兄ちゃんについては本当にごめんなさい。私の父と母が亡くなった後、お兄ちゃんは少し変わってしまいました。妹の私には、謝る事しか出来ません。だからごめんなさい」
ご主人はそう言って頭を深く下げた。
「ご主人、何故頭を下げるんだ……?」
気がつくと、私は口を出していた。
「そいつはトラ達を殺したんだぞ。貴方の兄がたとえそいつを解雇したとしても、それは決してご主人が謝る事じゃない!」
ご主人は私の言葉に小さく笑みを浮かべるだけだった。彼女が見せた表情は悲しすぎて、私も、冬香も、犯人の男でさえも、それ以上何も言えなかった。
ご主人は続ける。その瞳には闘志が宿っていた。
「それでも、殺した猫の命が軽いと言うのは、間違いです。信じられないかもしれませんが、私は猫の言葉が分かります。頭がおかしいと笑ってくれても結構です」
「何を、言っているんだ……?」
男は困惑の表情を浮かべた。ご主人は気に留めず話し続ける。
「猫の言葉が分かる私だから分かります。あの子達は、人の世界で、毎日一生懸命生きていました。笑ったり怒ったり泣いたり……それは私達人間と何も変わりません。私達は共存してたんです。貴方の娘さんと、猫達の命に差なんか、絶対に差なんて無いはずです! それでも貴方が違うと言うならば、私を殺せる筈です! さぁ! 娘さんが大事なら私を撃ってください!」
「……そんなに死にたい様だな、財閥の娘!」
男はをご主人を睨みながら銃口向けた。ご主人は銃を向けられても、瞬き1つしなかった。
ただじっと彼を見つめるだけだ。男の指が、引き金に触れた。
「ご主人!」
その瞬間、私の足は咄嗟に動き、叫んでいた。
しかし、男は銃口を下ろした。銃を持つ手は、震えていた。男は泣き出すように語り出す。
「……出来ない。俺にはそんな事は出来っこ無い……娘の顔が脳裏にちらつくんだ。あんたも萌音四季の娘だからなのか? ……あぁそうか、あんな小さな猫達も、誰かの家族だったのか……」
男は銃を冬香に返した。
「刑事さん。俺を逮捕してくれ。そして実刑にしてくれ。罪を償いたい。……本当に、すまなかった」
冬香は目を閉じ、静かに頷いた。
「娘さんの手術台は私が出します。」
ご主人は言った。
「……あんた、俺を恨んで無いのか?」
「恨んでいないと言えば嘘になります。けど、娘さんには罪はありませんから」
彼女はゆっくりと微笑んだ。それはとても優しい笑みだった。
「貴方は間違えてしまいしたが、お父さんとしては、きっと正しい人だから」
男はポケットから前に見かけた、写真を取り出しその場にうずくまった。
「……すまない、ありがとう……」
写真を見ると、そこには男と幼い少女が写っていた。
アトリエの中は、男の嗚咽だけが響いていた。
「……さぁ立ちなさい。詳しい話は署で聞かせて貰うわ。」
冬香は男を立たせようと近くに寄っていく。
ーー終わったんだ。この青空の街で起きた事件は。多くの悲しみを引き起こしたこの惨劇はやっと終わる。
私の頭の奥には、平穏な街の海の向こうに沈みゆく夕焼けの光景が浮かんだ。
また、あの景色がご主人と一緒に見られるのだな。
「駄目だなぁ木下さん。情に流されちゃ。虐げられた男による復讐という、せっかくの素晴らしいテーマが台無しだ」
割れるような音が鳴り響いた。人間の頃に良く聞いた音、銃声だ。木下と呼ばれた男は倒れていく。やけにスローモーションに見えた。溢れ出た血が、赤い雫となり床に落ちていく。手に持っていた写真には、鮮血が飛び散った。
私は声の方を振り返った。
そこにはよく見知った中性的な顔立ちの少年が嗤っていた。
「海人、君……?」
ご主人は呆然とした声を上げる。
声の主は、ご主人の唯一の弟子。北見海人だった。




