27話 煙草の獣医
「ナハト、起きて」
僕を呼ぶ声が聞こえる。瞼を開けると、ご主人が頬笑んでいた。
「どうしたの? なんだかうなされていた様に見えたけれど……」
「僕は……大丈夫だ」
「僕?」
ご主人は不思議そうに首を傾げる。僕――私は慌てて首を振る。私は今、猫と人間の記憶があり、さらに言うと猫の私は大人だが、人間の時はまだ子供だったのだ。
どうにも混乱してしまう。
「い、いや、それよりご主人、似顔絵の方は完成したのか?」
「バッチリだよ!」ご主人は得意そうにスケッチブックを広げた。
「これは……すごいな」彼女が描いた絵は、あのホームレスと瓜二つだった。彼女はあの男を見たことが無いというのに、この完成度は圧巻だ。
「えっへん、私は今注目の画家だからね」ご主人は自信ありげに笑う。「これを持って、紗綾さんの所に行くよ」
「紗綾とは、あの煙草好きの獣医か?」
そう、確か彼女は牧野沙綾という名前だった。私はハッと思い出した。
「そうか、彼女はトラ達の供養を担当していて、事件当日現場にいた」
私の声に、ご主人は真剣な眼差しで頷く。
「うん、この近くの獣医さんは沙綾さんしかいないから。それにあの人はきっと、現場向かったと思うの」
「? どうして?」
「あの人は特に猫を大事にしている。前に、猫に返しきれない恩があるって言ってたから」ご主人は笑みを浮かべた。少しだけ悲しい笑い方だった。
「多分、私と凄く似ているの」
「それは……彼女が元猫だったりとか?」
考えて見れば、ご主人といい、私といい、前世が違う種族なのは、特別な事では無いのかも知れない。
例えばあの妖しい女神がそう仕向けているのかもしれない。
いくつもの予想が、私の頭の中を過ぎった。
「さ、ナハト行こ。私お金払ってくるね」
そう言ってご主人はレジカウンターの方へ駆けていく。先ほどの男性店員が少し戸惑う様に金額を告げた。「ありがとう、また来るね」ご主人は魅惑的な微笑みを送り外に出ても、彼はまだご主人を目で追っていた。
むぅ、まったく……。
「ご主人、さっきも言ったが異性を誘惑しないでくれ。付きまとわれたらどうするのだ」
私は彼女の隣で少し怒る。ご主人はまたもやキョトンとした表情で、「そうだった?」と言う。
「でも、大丈夫」彼女は屈託無く笑う。「もしそうなったら、君が守ってくれるんでしょう?」
私は虚を突かれた。……やれやれ。
「こうも不安ごとが増えると、私は休めないな」




