協力者
ラスティは狼狽えた。指摘されるまでもなく、逃げ出したのは悪手だったことには気づいていた。事情があるとはいえ、だ。
「そうそう。そもそもお前らが逃げ出さなきゃ、もっと早くに分かってたのに」
うんうん、と腕を組んでグラムが頷く。
「それはだって……狼が怖かったから」
「お前、真っ先におれを狙って魔術使ってきたよな?」
苦し紛れの言い訳をしたレンに、グラムは白い目を向ける。曖昧に笑ったレンは、グラムからそっと視線を逸らした。
あのとき逃げ出したのは、グラムたちが神剣を狙った追手だと勘違いしたからだ。だが、それを素直に言うわけにはいかなかった。仮に言ったとしても、信じてもらえるか怪しい。
「あんたたちが泥棒の仲間の線もまだ消えていないんだけど」
「それは冗談じゃないです」
む、と口を尖らせて、レンはリズを睨みつける。ラスティも自分は無関係だと主張したかったが、証明する手立てがなかった。
腕を組み、目を伏せる。この状況を打開する方法がないか模索してみたが、良案は浮かばない。切々と無実を 訴えるしかないか、と嘆いたとき。
「...... ま、いいよ。帰って」
思いもよらぬことをリズが言った。
「え...... いいんですか?」
「いいよ。さっきから様子を見るに、本当に巻き込まれ ただけみたいだし」
いいよね、とリズはグラムに確認を取る。グラムはあっさりと頷いた。
「いいんじゃねーの?」
さすがにあっさりとしすぎていて、ラスティもレンも 状況を手放しに喜ぶことができなかった。本当に良いの か、と念押しするように確認する。それこそ、リグが扉を開いてくれなかったら、不毛なやり取りを繰り返していたことだろう。
ラスティたちは取調室を出た。見送りに、とグラムたちが後ろに続く。階段へと辿り着いたところで、ラスティは歩を緩めた。――下が騒がしい。
振り返ってみると、グラムたちもそう感じていたようで、訝しんでいる。
五人で連れ立って、階段を下りてみる。
〈木の塔〉のエントランスホー ルは騒然としていた。戦士の出で立ちをした者たちがそこここで固まって立ち話をしていて、みな何処か落ち着きがない。
「なんかあったんスか〜?」
グラムが近くの一団へ飛び込んでいく。リグとリズはそれを見送って、お互いに眉を顰め合っていた。
ラスティたちもまた、不穏な様子に足を止める。ひそひそとあちこちから交わされる会話。慌ただしく出入りする戦士たち。――ただごとではない。
「リズ」
入口の方から、長身の男が一人やってきた。他と違い学者然とした装いの彼は、真っ直ぐにリズの傍に寄る。こちらもまた深刻そうな表情をしていた。
「ウィルド。何事?」
「ルクトールの西門が閉ざされました」
ぽかん、とリズは口を開く。
「西門が? どうして?」
「アリシエウスがクレールと交戦状態に入ったようです」
声を低めた男の言葉に、ラスティは息を飲んだ。ハイアンとディレイスの顔が脳裏に浮かぶ。焦燥に駆られる。故郷が、あの平和な城下町が襲われているところを想像し、ラスティの胸が締め付けられた。
「......戦争か」
苦々しいリグの呟きが、重く響く。
ラスティは奥歯を噛み締めた。クレールに対し、憎悪が湧き上がる。慎ましく平和だった国を、神剣を隠し持っているというだけで脅かすなんて。クレールに殴り込みたい衝動に駆られたし、元凶となる剣を叩きつけたい衝動にも駆られた。どちらもすることができず、ただ硬く拳を握り締める。
その手にそっと触れるものがあった。レンだ。彼はラスティの腕を掴むと、深刻そうに俯いたリグのほうを見る。
「あの、僕たち、もう行きます」
戦争の報せに気を取られていたリグは、レンの声に顔を上げた。
「ああ、分かった。……気をつけてな」
ばいばい、とリズが小さく手を振った。それにレンは会釈で応えて、ラスティの手を引っ張り入口へと向かう。
〈木の塔〉の建物を出ると、レンが心配そうに見上げてきた。すでにラスティの事情を知る彼だ。ラスティの胸中を慮ってくれているのだろう。
「大丈夫だ」
腹の底に力を入れて、ラスティは応える。こうなることは、神剣を引き受けたときから分かっていた。三日、四日は先だろう、と思っていたことが、今日やってきた。それだけのことだ。
だが。ラスティの右手が腰に伸び、朱い柄を握り締める。振り返りそうになるのを堪える。心は今にも故国へと駆け出していきそうだった。アリシエウスにいるのは、剣を捧げた王と王弟だけではない。家族も友人もいる。彼らのことが心配でないはずがない。
それでもラスティは、前を見た。東へと延びていく大通りの先を。
「……行こう。〈燕亭〉だ」
ルクトールを南北に分かつ大通りのちょうど中心辺りに位置する〈燕亭〉は、四階建ての洒落た宿だった。白い漆喰の壁に、黒い柱。黒い三角屋根。単色に統一された外観は、上品さを感じさせた。中は、磨かれた木目タイルの床に、板張りの壁。温かい雰囲気ながら、やはり洒落っ気を損なわせない造り。さぞ値段の良い宿なのだろう、とラスティは見当を付けた。
カウンターに立ち寄り、ディレイスから聞いた協力者の名前を出す。予め話は通っていたようで、思った以上にすんなりと四階の部屋に案内された。
「遅かったわね」
扉から出てきたのは、ラスティが予想していた通り、いつかディレイスを訪ねてきたあの女だった。長く下ろした金髪に青玉の瞳。貴族のような佇まいに反して、麻のシャツに革のズボンと簡素な出で立ち。
「貴女がフラウ?」
「そうよ。確かラスティ……だったかしら?」
そういえば、顔を合わせたときにディレイスに紹介されていたのを思い出す。もしかするとあの瞬間からディレイスは、ラスティに神剣を持ち出させることを考えていたのだろうか。
「とりあえず、話は中で」
通された部屋は、この宿の中でも一級ではないかと思われるほど、豪勢な部屋だった。入口を抜けると、広間が一つ。六人がけの四角い卓が置かれている。その向こうには、絨毯が敷かれた区画があって、寛げるようにソファーが向かい合わせに置いてある。ベッドは見当たらない。おそらく、他の部屋にあるのだろう。
それなりの値段がするだろう。そんな部屋に何日も滞在できる彼女の素性に、ラスティはますます疑問を持つ。
だが、彼女のほうも、こちらに対して気になることがあるようだ。
「ところで、そこの可愛い男の子は?」
レンを指し示す。
「はじめまして。レンといいます」
「部外者ですが、事情は知っています。同席させても、おそらく問題ありません」
そうなのね、とフラウは素っ気なく言った。自分で尋ねておきながら、さほど関心がないようだった。レンが少し不貞腐れる。
椅子を勧められ、座る。フラウは対面に座ると、じっとラスティのほうを見た。
「剣はあるのよね?」
ラスティは頷いた。腰から朱い柄の剣を抜く。それを卓の上に横たえると、確かに、と彼女は頷いた。
「……さて、何から話そうかしら」
ゆっくりと気怠げに桜色の唇から息を吐く。ぼんやりと思考を巡らせる彼女に、ラスティは問い掛けた。
「貴女はいったい何者ですか?」
彼女の存在を知った頃から、疑問に思っていたことだった。アリシアの剣のことを知っている人物。王族であるディレイスが敬意を払う相手。一見普通の女性のようだが、只者ではないだろう。
気楽に話していいわよ、と彼女は前置いて、口を開いた。
「まあ、そうね……その剣の監視者ってところかしら」
「監視者?」
興味を惹かれたのか、レンが身を乗り出す。
「その剣が悪用されないか、気にしていたの。なにせ、世界を滅ぼす剣だから」
――それは許されていないよ。
ハイアンの言葉を思い出す。敵を退けるのに剣を使うべきだ、とラスティが唆したときのことだ。
「アリシエウス王家を監視していたのですか?」
神剣を預かっていたのが王家なら、悪用せんとするのもまた王家だ。
ええ、とフラウは首肯する。
「ついでに世間から秘匿するのにも協力したわ。その剣が表に出るのは好ましくないもの。今のように戦争のきっかけになったり、ね」
〝戦争〟の言葉にラスティの気分は重たくなる。今こうしている間にも、アリシエウスはクレールの侵攻を受けているのだろう。クレールの兵は、アリシアの剣が何処にあるのかと探し回っているのかもしれない。そのためにハイアンたちが酷い目に遭わされていなければ良いのだが。
「これは、本当にアリシアの剣なのですね?」
「ええ、そうよ。紛れもなく本物。……地味で、少し驚いたでしょう」
ラスティは卓の上の剣に視線を落とす。飾り気のない剣は、確かに神秘性を感じられない。実用的ともいえる意匠だ。これが神の剣と言われても、周囲は信じないかもしれない。
「それで、俺たちはこれからどうすれば?」
ディレイスたちは、この協力者を頼れ、と言った。ならば彼女はラスティたちの道を示してくれるはずだ、とそう思ったが。
「その剣が誰の手にも渡らないようにすること。単純に言えば、逃げるのね」
「逃げるって、何処に?」
「さあ?」
知ったことではない、とばかりに肩を竦めるフラウに、ラスティもレンも呆然とした。
「あの……〝協力者〟なんですよね? 逃げるのを手引きしてくれたりとか……」
「しないわ。行きたいところがあれば、行きなさい」
自分はそれについていくだけだ、と彼女は言う。
「私はただその剣が使われないように見守るだけ。誰かが貴方から剣を奪おうとすれば阻止するけれど、それ以外は何もしない。仮に貴方がその剣を使おうとするなら、殺すだけ」
ひやり、と背中に冷たいものが落ちた。今の彼女に殺意はなく、脅しのようなものも感じられなかった。だが、その淡々とした物言いが、彼女の本気を物語る。
「貴方に剣を預けようとしたら?」
厄介なものは手放せるものなら手放したいというのが、ラスティの本音だが。
「受け取らないわ。貴方が担いなさい」
それでラスティが間違えば、命を奪うという。
「あくまでも〝監視者〟ってことですか……」
レンは嘆息した。ラスティもまた溜め息を吐きそうになった。協力者とは名ばかりだ。護衛の役目を果たしてくれるようだが、一方で、場合によってはラスティにも刃を突きつけると言っている。これでは自分を狙う暗殺者を連れて行くようなものではないか。
だが、この神剣はそれだけの代物なのだということを実感する。
――世界の存亡に関わる力が、今ラスティの手の中にある。
そしてラスティは、この剣を自分の意思で手放すことができず、ただ奪われないように守るしかない。
――ハイアンとディレイスの代わりに。
「そう肩肘張る必要はないわ。私は基本的に何もしないもの。……それとも、世界を滅ぼす予定があるの?」
冗談めかした問いに、ラスティは眉根を寄せて溜め息を吐いた。
「そんなはずないでしょう」
「なら、心配することは何もない。――ところで」
フラウは卓の上に肘を置くと、頬杖をついてラスティを見上げた。
「貴方たち、何を連れているの?」




