追跡者
東の大国リヴィアデールとの国境に、ルクトールという町がある。まずはそこへ向かえ、とハイアンは指示した。協力者がそこに居るのだという。協力者の存在を訝ったラスティだが、ハイアンもディレイスも、詳しいことは彼女に聞け、と言うばかり。
〝彼女〟と聞いて思い浮かぶのは、三日前にディレイスを訪ねた客人だ。金髪に青い瞳の女だったと記憶している。アリシエウスの秘匿していた剣の存在を知るというのであれば、いったいその女はどのような人物なのか。
考えても分からぬことはいったん脇に置いて、ラスティは古布に包んだアリシアの剣を背負い、城を出た。このまま夜の街を抜け、森の中を歩いてルクトールを目指すことになる。城下の門番には既に話を付けてあるとのことで、ラスティはすんなりと東門から出ていくことができた。
角灯の灯りを点けると、森を横切る道が浮かび上がった。アリシエウス城下町とルクトールとは街道で繋がっているので、まず迷うことはないだろう。天を見上げれば、梢の合間から夜空が川のように広がっている。
街道へ一歩踏み出しかけて、ラスティは背後を振り返った。高々とした石壁に囲われた門の向こう、アリシエウス城下の街並みを目に焼き付ける。
「……どうか、無事で」
祈りを呟いて、今度こそラスティはルクトールへの道を踏み出した。
森の中の国で育ったラスティは、当然のごとく森の中で遊んだ経験がある。歳を重ねてからは、狩りの経験もまたあった。
だから、異変にはすぐに気がついた。
ルクトールまでの街道を三分の一ほど進んだだろうか。とうに城下町の城壁は遠く、前も後ろも木々ばかり。夜道にはラスティただ一人で、腰に吊るした角灯の温かな光ばかりが、腐葉土踏みしめられた道を照らしている。
ここは人の往来があるために、獣が姿を見せることは珍しい。それでも、森の中にはたくさんの生き物が居るものだ。
周囲から漂う虫の気配。小動物の気配。魔物の気配。
風が草木を揺らす音。
昼夜を問わずささやかな音に満ちた森の中は――ぽっかりと穴が空いたかのように静まり返っていた。
「――誰だ」
道半ばで足を止めたラスティは、腰の剣に利き手を添えて、背後を振り返った。角灯が照らすのは、真っ直ぐに延びる道と、傍らに伸びる草木ばかり。ラスティは角灯が照らしたその向こうの暗闇に視線を走らせた。息を詰め、耳を澄ます。
しばらく音沙汰がなかった。気の所為だったか、と己の勘を疑うほどに。
左手の暗闇が動いたのは、潜めた呼吸を十ほど数えた頃だった。
「気付かれていたなんて」
木々の合間から、闇が膨らみ出た。そうと錯覚するほどに、その人物の全身は黒で覆われていた。
予想に反し、小柄である。まだ少年少女の域か。ラスティよりも頭ひとつ小さいその人物は、黒の長上着を纏い、同色の頭巾を被っていた。口元だけが覗き、白い肌と細い首が晒されている。
背中には、長物を背負っていた。右の肩越しに見えるのは、柄。左の足元付近に見えるのは、槍の穂先と、その下に小さな斧頭。反対側には鉤爪。鉾槍と呼ばれる重い武器の存在の釣り合わなさにラスティは密かに目を瞠った。
が、それも一瞬。直ぐに相手を見透さんと目を眇め、誰何する。
「頭巾を取ってもらおう」
剣を抜き切っ先を向けるが、相手は特に慌てた様子もなく、冷静に指示に従った。
見えた頭は、やはり少年のものだった。見た目は十三、四といったところか。角灯の火の色をそのまま返す色素の薄い髪。爛々と輝く大きな赤い瞳。まだあどけなさを残した顔立ちが、ラスティの記憶に引っ掛った。
「お前は……確か、酒場でディルと一緒に居た……」
ディレイス曰くアリシアの剣を探していた、旅の少年だった。
「覚えていたんですね」
この見た目も損だよなぁ、と少年は肩を落とす。忍んでいるのが発覚し、剣を向けられてもなお落ち着いた様子から、相手の胆力が窺えた。
「何の用だ」
少年とはいえ侮ってはいけない、とラスティは気を引き締め、剣を握り直した。
少年はまだ声変わりしていない高い声で答える。
「ちょっとお兄さんの荷物を確かめたくて」
「追い剥ぎ……ではないな?」
「その背中の剣を見せてもらいたいんです」
ラスティは背中へと意識を向けた。背負われている神の剣。ディレイスから話を聴いていただけに、彼の目的に察しはついていた。
どうして嗅ぎつけられたのかは、皆目見当がつかないが。
面倒な、とラスティは舌打ちをした。おそらく誤魔化しは効かないだろう。しかし、諾々と従うわけにもまたいかない。
「悪いが、断る」
「ですよねぇ」
少年は笑みを浮かべつつ肩を竦めた。
「お兄さん、見るからに怪しいんですよ。剣を腰に佩いているのに、その上背負っているだなんて」
少年の指摘に、ラスティは鼻白んだ。夜の街を抜けたのだ、さほど人目には付いていないだろうと思っていたが、思い違いだったか。
「隠すなら、もっとうまくやらなきゃ。じゃないと、僕みたいなのに付け狙われる」
ね、と少年は不意にラスティの右手側へと視線を飛ばし、森の中へと声を掛けた。ラスティは眉を顰め、少年の視線を追う。
途端、静かに蟠っていた闇を割って、何かが飛来した。反射的に身を躱したラスティの鼻先を掠めていく。見えなかったが、おそらく小刀の類。ラスティはそちらに剣を向けた。
茂みの中から、またも暗色の衣に身を包んだ何者かが飛び出してくる。その手には、剣。切りかかってきたのを、ラスティは剣を構えて防いだ。
金属と金属がぶつかり合う音が響く。
相手は地を蹴り飛び退いた。剣を逆手に構え、ゆっくりと横に足をさばく。まるで獲物を狙う肉食獣のような足取り。攻撃の隙を窺っている。
離れたところでは、少年もまた襲撃者と相対していた。ラスティの相手と同じような暗色の衣。
少年は背中から鉾槍を抜き、重い穂先を下に向けて構えていた。その姿は堂々として板についている。その重たい武器を扱い慣れている証左だろう。
少年は一歩前に踏み出した。足払いをするように鉾槍を振り上げる。
同時にラスティと相対していた襲撃者も動き出した。ラスティは右脚を軸に身体を反転させて、襲い来る刃を躱す。それから左から右へと剣を横に薙ぎ、暗色の衣を切り払った。
その布の隙間から、またしても小刀が飛来する。ラスティは冷静に剣を翳して打ち払い、追撃に剣を袈裟懸けに振り下ろした。
硬い手応え。切っ先から鮮血が迸る。相手はそのまま地面にひっくり返った。
ラスティは、息を吐く。
「ぐあ」
傍らの悲鳴に振り返ってみれば、少年が倒れた襲撃者の胸に穂先を突き立てていた。まだ年若い少年の殺生に、ラスティは顔を顰める。
少年は穂先を死体から引き抜くと、身を屈めて襲撃者の衣を剥ぎ取った。
露わになる、金茶の髪。
「やっぱり、クレールだ」
ラスティもまた自身が倒した相手に視線を落とした。隙間から覗く褐色の髪。クレールの人民に多い特徴だ。
「剣を狙ってきたんでしょうね。戦を前に密偵を潜ませていたんでしょう」
「密偵……」
ラスティは呆然と襲撃者を見つめた。クレールの魔の手は、もうそこまで来ていた。出てきたばかりの城下町が脳裏によぎる。胸中には暗雲が立ち込めた。
知らせるべきか。アリシエウス側へと一歩踏み出しかけた足を必死で戻す。ここで戻っては、何のためにハイアンたちがラスティを送り出したのか分かりやしない。今はとにかく剣をアリシエウスから引き離すべきだ。ラスティは唇を噛み締めた。
「早いとこ逃げたほうがいいです」
鉾槍を背に戻しながら言う少年に、ラスティは眉を顰めた。
「まだお前の件が終わっていない」
「気付きましたか」
ちぇ、と舌打ちする少年だが、その顔はどことなく楽しそうだった。そんな少年が理解できず、ラスティはますます眉を顰める。
「安心してくださいよ。僕はこいつらのように、無理矢理奪う気はありません」
と言われても、安心できるはずもない。ラスティはまだ収めていなかった剣を少年に突きつけた。
少年は戯けた様子で両手をあげる。
「まずは名乗れ」
「レンって言います」
「さっきも訊いたが、何の用だ」
「今さらなことを訊かないでくださいよ。僕は、アリシアの剣を探しているんです」
お兄さんが持っているんでしょう? と少年レンは尋ね返した。ラスティは、これには答えず相手を睨めつける。
「探してどうする」
レンは、うーん、と頭を悩ませて、
「学術的興味?」
さも嘘くさいことを言うので、ラスティは肩を落とした。この少年、あまり真面目に答える気がないらしい。
「はじめに言っておくと、僕はクレールの人間じゃないですよ。サリスバーグの出身です」
サリスバーグは、南に位置する大国だ。ものづくりに優れた国であり、クレールは彼の国から武器を仕入れているという。だからといって軍事同盟を結んでいるわけでもなく、此度の戦には関わらないだろう、というのが城の見解だったが――。
「出身地ってだけで、政治的関わりはありませんってば」
ラスティの胡乱な瞳を前に、レンは両手を顔の前で振ってみせる。
「僕は歴史的遺物に興味があるだけです。だから、アリシアの剣を見たいだけ」
「信じると思うか?」
「この純粋な目を前に、それを言いますか?」
純粋な、と言われても、やはり爛々としている赤い瞳は、剣を狙っているようにしか見えなかった。
だがまあ、政治的な絡みはないというのは本当だろうとラスティは推測を付けた。国の使い走りにしてはこの少年は幼いし、ぎらつき過ぎている。従順さとは程遠い人物に見えた。
少年に突きつけていた剣を収める。これ以上は尋問も無意味だろう。
「とにかく、この場所から離れるべきです。僕については、もう少し落ち着いた場所で話しましょう?」
「話しましょうって……ついてくる気か」
「だって、僕の用事はまだ終わってませんし」
ラスティは頭を横に振った。すっかりレンのペースに巻き込まれている。
が、この場に留まって問答していても仕方のないことも事実。
「……好きにしろ」
そうとだけ言って、ラスティはレンに背を向ける。そして、厄介そうな同行者に、ひそかに溜め息を吐いた。




