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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第十章 防衛戦
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攻勢

 傍に呼び戻したスコルが、時折耳をひくりと動かしている。理由を訊いてみれば、音が聴こえるとのこと。リグの耳には、その音は聴こえない。

「犬笛のようなものか」

 操るにも合図がいる。それがどんな指示(コマンド)であっても、聴こえればいずれ理解されてしまうから、人の可聴領域から外れた音で指示しているのだろう。

「さて、どうしたものか」

 カーターが剣の峰で肩を叩いている。〈グリフォン〉の出現を機に、周囲の敵は徐々に数を減らしていった。合成獣(キメラ)に戦場を譲り、撤退しているのだ。

 あの〈グリフォン〉、それほどまでに暴れる予定があるようだ。

「人がいないなら、都合が良いです」

「お、やる気か?」

「あれが街に入られたらヤバいでしょう」

 城壁に突撃されても恐ろしいし、何より飛行能力を有している。先に街に入った〝鳥〟どころの脅威ではない。

 よっしゃ、とカーターは二つの剣を打ち鳴らし、うち一方を高く掲げた。

「おい野郎ども! 気合い入れてけよ!」

 周囲で雄叫びが轟く。〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉の戦士たちは、やる気満々のようだ。特に、周辺にいた者たちは、意気揚々と〈グリフォン〉に突っ込んでいく。

 リグはいったんその輪から離れた。冷静に周囲を見やる。〈グリフォン〉周辺の敵は下がったとはいえ、全員が撤退したわけではない。離れたところで戦いは続いている。城壁からも、未だに弓や魔術による攻撃は続いている。

 リグは城壁に残ったサーシャから状況を確認し、そこにいる者たちに外に出てこないように伝えろ、と指示した。魔物は今平原に出ている者たちで押さえ込むべきだろう。無駄に戦力を出して、守りを減らすようなことはあってはならない。

 ――グラムたちを呼ぶのは無理か。

 街中も、未だ魔物に対処中であるらしい。

 ――一人、か。

 カーターにも指摘されていたことではあるが、ここに来て改めて実感する。リグは普段一人では戦わない。魔物の討伐は、いつも小隊で赴く。双子の妹とはいつも一緒にいるし、リズがウィルドと組むときはグラムの傍にいる。誰かを援護するのがリグの役割。守ることがリグの本領。

 でも、戦えないわけではない。闘わないわけでもない。

 リグは、手にした白いパルチザンの石突を地面に突き立てた。小さな緑の魔法陣が、槍を軸にして地面から上っていく。

 もう一度、地面を槍で叩く。今度は大きな緑の魔法陣。目の前の地面が迫り上がり、傾斜ができる。

 リグはスコルの背に飛び乗った。白狼は作り上げた坂を駆け上り、空中へ飛び出す。魔物の頭上に来たところで、使い魔の背から飛び降りる。パルチザンの穂先を下にして、地面の上で足をバタバタ踏み鳴らしている〈グリフォン〉に突き立てた。

 首元の傷口から、何本かの細い蔦が伸び、魔物の躯に絡みつく。

〈グリフォン〉は絞め上げられたような声を出して、後ろ足だけで立ち上がって仰け反った。魔物の背中を蹴ってパルチザンを抜いた。地面に飛び降りざま、穂先で右の翼を切りつける。先が表面を軽く引っ掻いただけの極浅い傷ではあったが、魔法付与(エンチャント)した武器には関係がない。傷口から蔦が伸び、包帯を巻くように翼に絡み付いていく。

 靴の裏を地面に擦り付けながら、着地。身体は〈グリフォン〉を正面に向ける。片手だけで槍を掲げて、宙に赤い魔法陣を描いた。火の玉が飛んでいく。先ほど敵兵を脅したような大きなものではない、人の顔の大きさほどの火の玉は、〈グリフォン〉の右の翼に命中した。絡んだ蔦に、火が燃え移る。瑞々しさを喪っていた植物は炎を導いて、右の翼全体に拡がった。

〈グリフォン〉は燃え上がる翼をばたつかせて、悲鳴をあげながら暴れ出した。意気揚々と魔物に立ち向かっていた戦士たちは、巻き込まれないよう距離を取る。

「エグいことするねぇ」

「飛ばれると困ります」

「違ぇねぇ。……だが」

 意味ありげな言葉に視線を上げると、カーターは苦笑いをこちらに向けた。

「つくづく兄妹だな」

 リグは赤い魔法陣を描きながら眉を顰めた。

「どういう意味ですか」

「やるときゃ徹底的」

 そうだろうか。リズには当てはまるだろうが、リグは自覚がない。頭を傾げながら、準備していた魔術を放った。人ほどの大きさもある魔法陣から繰り出された火柱が、〈グリフォン〉の横腹を襲う。

「はは……グラムじゃないと(ぎょ)せないわけだ」

 ――御された覚えはないんだけど。

 むしろあの馬鹿を制御しているのは、こちらのほうだ。

 躯の半分を焼かれた〈グリフォン〉は、見るも無残な有り様だった。灰鼠色の毛並みの右側も、大きな翼の片方も、炭のようになっていた。右目は焼けただれて潰れている。

 それでも、左の眼には火が宿り、脚を引きずりながら、なお暴れようとしている。それは、リグには聴こえぬ笛の命令の所為なのか。それとも、魔物自身の意思なのか。

 リグは静かにパルチザンを構えた。隣のカーターも、他の者たちも。一言も発せずに、各々の武器を構える。

〈グリフォン〉の甲高い威嚇の声を合図に、全員が一斉に襲い掛かった。巨体に刃を突き立てて、確実にとどめを刺す。

 勝利の歓声などない。代わりに、この場は静寂と怒りで満ちていた。ここにいる多くの者は、〈木の塔〉の人間だ。魔物を知り、合成獣を知っている。戦うことに興奮を覚えても、命を弄ぶことが好きなわけではない。

 リグは目を伏せた。一瞬の暗闇の後、凄まじい速さで流れていく平原の景色が、眼裏(まなうら)に映った。先ほどリグを背から下ろしたスコルは、狼の耳に届く笛の音を頼りに、操り手を探している。

 使い魔と共有した景色の中に、とうとう人の姿を見つけた。殺さず連れてこい、とリグは命じ、あとはスコルに任せて目蓋を開ける。

「……戻りましょうか」

 声を掛け、爪先をルクトールの城壁に向けた。協力し合った同志たちは、そんなリグに戸惑ったようだった。

「周りの奴らはどうすんだよ?」

 静まり返っているのは、この辺り一帯だけだ。離れたところでは、まだ戦いは続いている。眼鏡越しに影が見えるし、剣戟の音もわずかに届く。

 煩わしい。

 苛立たしさをぶつけるように、槍の石突きで地面を叩いた。

 緑の魔法陣の中から、人の二倍くらいの大きさの土人形が二体現れる。丸みのある素朴な形状の身体。円筒の手足を動かして、平原を横切っていく。

「あれらが薙ぎ払ってくれます」

 地面の土を材料とした所為で陥没してしまった穴から這い上がり、土人形の一方を指差す。

 同志たちは絶句して立ち尽くしていた。まあ、そのうち我に返るだろう。リグは彼らを置いて、先に行く。

 マグマのように煮え滾る怒りを抑えつけながら、リグは今回の襲撃について思考を巡らせた。鳥の魔物。翼を持った合成獣。

 昔から、空に対する憧れがあるのか、架空の生き物は翼を持つことが多い。合成獣についても、これに倣って何かと翼が付けられがちだ。レンの姉も翼を付けられたようであるし、〈グリフォン〉のような合成獣も格段珍しいということはない。

 それでも何か引っ掛かってしまうのは、過去シャナイゼに、翼にこだわった悪徳魔術師がいた所為だろうか。

 彼は、〈木の塔〉の人間でありながら合成獣の研究に手を出した異端者だった。彼の悪行を突き止めたのは、他ならぬリグたちだ。間の抜けたことに、彼を捕まえることも始末することもできずに逃がしてしまったのだが――。

 彼は禁術に詳しかった。〈セルヴィスの手記〉を渇望してもいた。クレールに渡った〈手記〉。クレールで造られた合成獣。一致するのは偶然か。

「……それにあいつなら、〈手記〉を盗むことだって」

 消息を追えていない。だから、確信することはできないが、完全に否定することもできない。

 死体を見て判かるほど、合成獣に詳しくもないし。

「捕虜に訊いてみるのが手っ取り早い、か」

 スコルが笛を持った兵士を捕まえた。今、連れて帰ってもらっている。合成獣を操る術を知るならば、造り手とも全くの無関係ということはないだろう。

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