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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第一章 千年小国
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使命

 ――三日後。

 壁に掛けられた角灯が、薄暗い室内を照らし出す。石壁に囲まれた殺風景な倉庫。埃っぽいその部屋の中には、剣、槍、弓――ありとあらゆる武器が並べられていた。

 五名の騎士が押し込まれたその武器庫で、ラスティは帳面を片手に、台の上に並べられた短剣の数を数えていた。短剣の一つを拾い上げると、僅かな光にその刃を翳す。反射光は鈍く刃も鋭さを欠いていた。

「……手入れが必要だな」

 呟いて、その短剣を台の隅に置いた。同じように他の短剣も観察し、手入れが必要なものとそうでないものを選別していく。

 あらかた整理がついた頃、帳面に記録していたラスティの肩が叩かれた。

「ラスティ、そっちはどうだ?」

 振り向けば、同僚の騎士が二人、ラスティの背後に立っていた。デイビッドとクロード。ラスティの同期でもある。

「ちょうど今終わったところだ」

 帳面を閉じて小脇に抱える。二人はにやりと笑った。

 ラスティと同じく武器の点検を行っていた二人と連れ立って、武器庫を出る。

 角灯が点在する狭い廊下を歩き、階段を登ると、騎士の訓練場に面する通路に出る。本日も晴天。眩しい外光が土を踏み固めただけの地面を反射する。ラスティは目を細め、左手を翳した。

「ここに来て、武器の点検とはね」

 背後でデイビッドが大きく息を吐いた。埃っぽい武器庫の中に居たものだから、清々しい外の空気が恋しかったのだろう。

 とはいえ、溜め息の理由はそれだけではないはずだ。深刻そうな雰囲気に、ラスティは足を止め、二人のほうを振り返った。

「……戦争、か」

 クロードがぽつりと溢す。彼の長い前髪が、青い瞳を覆う。その暗い表情に噛みつくように、デイビッドが声を張り上げた。

「本当にクレールが? こんなところを襲って、いったい何の利があるんだよ」

「さあな。が、殿下が言うんだ。クレールが兵力を集結させているのは本当なんだろう」

「殿下を疑っちゃいねぇよ。けど――」

 なおも信じられないと主張するデイビッドの声を聞きながら、ラスティは数日前のことを思い返していた。

 この国には不可侵になるだけの理由がある、とディレイスは言っていた。神話に登場する剣について話していたときだ。まるで破壊神の剣がこの国にあるかのような口振り。にわかに信じ難い話ではあるが、他国からの侵略を堰き止めていた抑止力が、まさに剣の存在にあるとしたら。

 それが今打ち破られようとしているということは、クレールの目的は――。

 ラスティは首を横に振った。それを知ったところで、どうなるだろう。どんな理由であれ、アリシエウスの国土が危機に晒されていることには変わりないのだから。

「いずれにせよ、俺たちは騎士の勤めを果たす。それだけだ」

 口に出せば、デイビッドとクロードの口論が止まった。

「まあ……そうなんだけどよ」

 デイビッドはばつが悪そうに、刈り込んだ黒髪を掻いた。

 ラスティは踵を返し、通路を進む。左手側の訓練場では、何人かの騎士たちが打ち合いをしていた。剣戟の音が辺りに響く。皆、戦を前にしているとあって緊張しているらしく、訓練場の空気は張り詰めていた。

 そしてそれは、訓練場の側にある騎士の詰め所も同じだった。ラスティが帳面を渡した上司も、険しい顔で書き物をしている。

 相手を煩わせてはいけない、と早々に立ち去ろうとしたとき。

「そういえば、ユルグナー。陛下からお前に伝言がある」 

 そうして渡されたのは、小さく折り畳まれた紙だった。開いて内容を確認すると、『夜に、執務室へ』と書いてあった。

 ラスティは顔を上げて上司を見る。だが、上司は何も知らないようで、眉を持ち上げただけだった。

 もう一度紙を見返す。細かい時間指定はない。代わりに、私服で来ることは指定されていた。私用だろうか。だとしたら、このように上司を介して伝言などらしくない。

 不審に思うも、無視することなどできるはずもなく、ラスティは夜を待つことにした。


 陽が落ち、星々が空を覆い尽くした頃、ラスティはハイアンの執務室に向かった。指定された通り、私服でだ。白のシャツに黒のズボン。加えて深緑のジャケットを羽織った。昼間は麗らかな陽気を見せる季節でも、夜となれば外気は冷え込む。ジャケットを着込むくらいがちょうど良かった。

 登城し、辿り着いたハイアンの執務室。白と黒の格子の床を、机の左側に置かれた燭台だけが照らし出している。あまりに暗い。ラスティは瞬きを繰り返して、夜闇に目を慣らした。

「来たな」

 案の定というか、ハイアンは部屋の中央に置かれた執務机に座っていた。その角には、ディレイス。官服姿の彼は、行儀悪くも机の天板に腰を載せている。

 ラスティはディレイスが居たことに少し驚いた。そして、どんなときも気軽に声を掛けてくる彼が深刻そうな表情で何も言わないことに更に驚く。いつもとあまりに違う様子に、ラスティも表情を強張らせる。

「わざわざ呼び出して、なんだ」

 硬い声のラスティに、ハイアンは小さく笑って見せる。

「まあ、まず話を聴け」

 そうしてハイアンは、机の上に肘を乗せて手を組み合わせながら、ラスティの目をじっと見上げた。

「アリシエウス王家には、不愉快にも、民よりも大切な使命がある」

「……使命?」

 その声を合図としたかのように、机の角に居たディレイスがなにやら取り出し、机の上に置いた。

 それは、暗色の古い布に包まれていた。途中、三分の二の辺りが膨らんでいる。概略菱形のその中身が何なのか、なんとなく察しがついた。

「……それは?」

 ハイアンは包みに封をしている赤色の紐に手をかけた。布の中にあったものが露わになる。やはり剣だった。抜き身の、何の変哲もない剣。装飾は少なく刃が鋭いために、展示用の品ではない。柄は朱で、柄に赤い石が填まっている十字剣。刃は銀色に光っている。簡素な意匠の剣だ。

 剣に見つめるラスティに、ハイアンが告げる。

「〝アリシアの剣〟だ」

 ラスティは瞠目した。しばし脳内でハイアンの言葉を反芻したあと、口を開く。

「……本当に、この国にあったのか」

 三日前にディレイスがその存在を示唆していたものの、本当に存在するとは信じていなかった。

「あまり驚かないんだな」

 意外そうに目を瞬かせながら、ハイアンはラスティを見上げた。ラスティはディレイスとの会話について話す。

「なるほどな」

 頷いたハイアンは、弟に目を向けた。ディレイスはというと、相変わらず机の角に腰掛けたまま、難しい顔をして黙り込んでいる。

「はるか昔に、初代アリシエウス王が女神からこの剣を預かった。何が起きてもこの剣を守れ、という命と共にな。そして、長い間私たち王族はこれを隠し続けてきた」

 しかし、遂にこの剣の存在がばれてしまった、とハイアンは言う。

「クレールの目的、これがそうだ」

 ラスティは顔を顰めた。

「こんな物のためにか」

「ただの神の遺物というだけじゃないんだ、これは。旧世界の崩壊は、女神アリシアの力によって行われたわけではない。この剣の持つ力によって行われたんだ。……これで、解るだろう」

 伝説の剣が存在し、それには神の力が宿っているという。つまり、その剣を手に入れられれば、神に等しい力を手に入れることができる。それを知ったら人間は、殊に力に執着する人間はどうするだろうか。

 どんな手を使っても手に入れたい、と望むのだろうか。

「……そんな物を手に入れて、どうするつもりだ」

「さすがに意図までは判らん。巨大な力を振り翳して、この辺り一帯をクレール帝国の領土に仕立て上げようとでも画策したか」

「馬鹿馬鹿しい」

 ラスティは吐き捨てた。そんなことでこの国が狙われるだなんて、あまりにくだらない動機だ。巻き込まれたほうはたまったものではない。

 呆れに呆れたラスティだが、このような話を聴かせるためだけにこの部屋に呼ばれたわけではないことに気付いた。まだ本題があるはずだ。

「それで、これを知った俺にどうしろというんだ」

 尋ねれば、ハイアンは机の上に置いてあった剣を、訝しむラスティのほうへ押しやった。

「今夜、お前にはこの剣を持ってこの国から出て行ってもらう。……今すぐにだ」

 流石のラスティも驚いた。目を見開いてハイアンをまじまじと見つめると、叩きつけるように机に手をついてハイアンに詰め寄った。

「こんなときに何を言っている」

 黒い眼で睨みつけられても、国王は動じることなく冷静な群青の瞳で見つめ返してきた。

「言っただろう。アリシエウスには民を守ることよりも大事な使命があると」

 それがこの剣だというのか。民の命より、この剣一本守るほうが重要だと。

 手を握りしめる。机に叩きつけたときの痛みがまだ掌に残っていた。

「本当にクレールが攻めてくるのだとしたら、俺のすべきことは国を守ること。違うか」

「違う。今、私が命を与えた。お前の役目はこの剣を守ることだ」

 ラスティは歯を食いしばった。クレールとの戦いが控えていると知ったときから、ラスティは騎士としての覚悟を固めてきた。それはこの国と、ハイアンとディレイスを守ることであって、決してこの剣を守ることではなかったはずなのに。

「これが神の剣だというのなら、俺たちこそこれを振り翳すべきではないのか」

「私が神の剣の担い手か? 悪くはないが、それは許されていないよ」

 誰に許されていないのか。何故なのか。ハイアンはそれを語らなかった。

「こうしてクレールが攻め込もうとしていることからも分かるように、この剣の存在は争いの種になるんだよ。もし本当にアリシアの剣の存在が表に出たら、世界はこの剣を巡って戦乱に包まれる」

「それを防ごうというのか。この国を犠牲にして」

 アリシエウスがアリシアの剣を所持していることをクレール側が確信しているのであれば、彼の国は間違いなくこの国に侵攻してくるだろう。仮にラスティが剣を持ち出したところで、その流れは変えられない。

 アリシエウスは戦火を避けられない。

 ハイアンは微笑んだ。覚悟を決めた者の笑みだった。

「そのためのアリシエウスだ」

 ラスティはディレイスのほうを見た。先程から物言わぬ彼も、表情に迷いや戸惑いは見られなかった。予め意見をすり合わせてから、この兄弟はラスティに話を持ちかけているのだ。

 既に決定事項なのだと悟った。おそらくラスティが何を言っても二人の意見は覆るまい。

「何故俺なんだ」

 やりきれず肩を落としたラスティは尋ねた。二人とも長い付き合いだ。自分が拒絶することくらい、分かっていただろうに。

「お前が誰よりも信頼できるからだよ」

 ディレイスは机から下りると、ラスティの前に立ち、真摯な瞳でこちらを見つめた。親友の群青の瞳を見てしまったラスティは身動きができなくなった。

 思考がぐるぐると回転している。必死に拒否の言葉を搾り出そうとするが、結論は既に決まっていた。この剣を受け取り、アリシエウスを出ていくしかないのだ。だが、それを素直に受け入れることができず、ラスティは答えを躊躇した。

 ハイアンとディレイスが、黙ったままこちらを見ていた。その申し訳なさそうな表情といったら。ラスティがどんな決断を下すのか、分かっているのだ。

 ――卑怯だ。

 断れないと分かっていて、話を持ち掛けた。これを卑怯と言わずに、なんと言う。

「……今すぐに、と言ったな」

 騎士の制服でなく、私服を指定された理由が今分かった。夜明けを待たず、家に立ち寄らせることもなく、本当にこのままラスティを国から出すつもりなのだ。

「旅支度まではしてないだろうと思って、それはこっちで用意しておいた」

 餞別だ、とディレイスは革袋を放り投げた。受け取った中身はずっしりと重い。その重みにラスティは溜め息を吐きそうになった。

「用意がいいな」

「これくらいはな」

 にやり、と笑ってディレイスはさらに剣を差し出した。アリシエウスの騎士に配給されている剣。旅立つにあたって、武器も用意してくれたようだ。

 本当に用意が良い。呆れ返りながら、ラスティは剣を受け取った。

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