甘え
あまりに凄惨なレンの姿に、邸の入口で出迎えたラスティは背を向けた。
「今すぐ湯を頼む。それから洗濯と着替え。俺の服でいいから、適当なものを使え」
近くにいた使用人たちが直ちに動く。身体の半分が真っ赤に染まったレンの姿を見ても悲鳴を上げず、表情も変えることもなく、淡々とラスティの指示に従ってくれる。我が家のことながら、よくできた使用人たちだ。
さて。ラスティはもう一度、玄関の外のほうを向く。レンは無言で幽鬼のように立っていて、その隣にはアーヴェントの姿があった。予想外の登場人物に驚いたが、その存在が有り難かった。レンが身を清めている間、彼から話を聞くことができそうだ。
気を利かせてくれた使用人の一人が、濡れた手拭いを渡してくれた。ラスティはそれをレンに持たせ、彼にあてがった部屋に行かせた。少年は、まさに心ここにあらずといった様子で、ふらふらと邸の中に入っていく。
レンが部屋に行ったのを見送った後、ラスティはアーヴェントを客室に案内した。集落で会ったときとはまるで違い沈みきった様子の彼に経緯を聴き、ラスティは深く息を吐いた。
「まさか合成獣とはな」
前にアーヴェントの話を聴いたときは、まさかと思ったが。あのレンの様子を見た以上、疑う余地など欠片もない。
あれほど強かな少年が、あそこまで沈み込んでいる。合成獣の存在がどれほど彼を傷つけたかが分かる。
「……俺が、やっていれば」
ソファーの上で、膝に肘を載せて項垂れたアーヴェントを、ラスティは睨みつけた。
「取り合ったり、押しつけ合ったりするようなことじゃないだろう」
誰が手に掛けようとレンは安堵することはないし、つらい思いをしたことには変わりがない。むしろアーヴェントが介錯を引き受けていたのなら、レンは一層傷ついていたことだろう。
顔を上げたアーヴェントは、まじまじとラスティの顔を見つめ、それから肩を落とした。
「よく分かっているんだな、あいつのこと」
「この国を出てから一番付き合いが長いのは、あいつなんだ」
フラウやグラムたちとの違いなど、半日から一日程度しかないが。はじめてできた仲間で、ラスティの旅を一番助けてくれたのは、レンだ。たとえそれが、ラスティの隙をついて神剣を奪うためだったとしても、彼の存在が心強かったことには変わりない。
「それはともかく、だ」
話の軌道を戻す。アリシエウスに合成獣が出たという事件を、フォンとカルの話のところで終わらせることはできない。
「話や状況から察するに、フォンは何処かから逃げ出したばかりだというんだな?」
「あの精神状態で長距離を移動してきたとは、考えにくいな」
「ならば、この城下街内の何処かに囚われていたとみて間違いなさそうだ」
そして、城壁に囲まれた街中で狼が出たこと、フォンを追いかけてきたカルが合成獣だったことからして、合成獣が造られたのもこの中だと考えて良さそうだ。
「合成獣の実験に使えそうな場所というのは、具体的にどのような場所だ?」
「まず、広い場所。合成獣を造るには、何体もの動物が要る。その動物たちを飼育する場所があると思ったほうが良い」
飼育する上で、建物は頑丈である必要がある。脱走防止や防音効果のためだ。
「あるいは、地下でも良いな」
「と言われてもな……」
そう付け加えたアーヴェントの言葉に、ラスティは溜息をついた。
「アリシエウスは国としてだけでなく、都市としても規模が小さいほうだから、城と聖堂くらいしか大きさを自慢できる建物がない。他になんとか疑えるのは、貴族たちの屋敷くらいだ」
「貴族、か……」
アーヴェントは何も言わなかった。が、有り得ない話ではない、くらいとは思っていそうだ。ラスティは魔術の研究のことなど知らないが、きっと財源が必要なことだろう。貴族ならその問題を解決できる。
それに。アーヴェントとレンの話からして、合成獣たちが来たのは、国の中心側からだ。アリシエウスの城下街の構造上、その条件に貴族街が当てはまる。
しかし、アリシエウスで暮らしてきたラスティは、貴族の誰かが合成獣研究に協力しているとは思えなかった。直感的なものであり、根拠があるわけではないけれども。
思い浮かぶ場所は、一つ。
「……城か」
広くて、壁が厚くて、地下もある。地下は牢獄として使われていた歴史があり、一部格子が残されていた場所もある。
そしてその城は、今はクレールが支配している。
王たちを殺されたうえ、城で合成獣の実験をしているなんて、国を汚されているようでラスティは憤りを覚える。本当は、すぐにでも乗り込んでいきたいところだが、レンは疲れているだろうし、フラウもまだ帰ってきていない。ユーディアも……彼女は戻ってくるか分からないが。
ラスティはソファーにもたれ、天井を仰いだ。怒りが爆発しないよう、ゆっくりと息を吐き出す。
「お前はどうする、アーヴェント」
「厄介になるのも悪いからな」
街で宿を取るという。
「もう少し周辺情報を当たってみる。だから――」
――先走って無茶するんじゃないぞ。
アーヴェントは真剣な表情で、ラスティに言い含めていった。そんなに自分は苛立ちをあらわにしていただろうか。ラスティは首を傾げる。
湯に入って、身体は温まったような気がする。大きなシャツとズボンをかろうじて着たレンは、湯を浴びた後始末もしないまま、書き物机から引っ張り出してきた椅子に座っていた。髪から水滴が滴るのに気がついてはいたが、左手に握った手拭いを使う気にはなれなかった。身体がずっしりと重い。背中は丸まり、上体は傾いで、頭の中は霞がかっていた。――ひどく、疲れた。
寝るならば、ベッドに行かなければならない。だが、そのためには髪が濡れているのをどうにかしないと。分かっていても、行動に移すことができない。
そのままどれほど時間を数えただろうか。
レンの借りている部屋に、控えめなノック音が響く。
レンは視線を上げたものの声を出すのは億劫で、そのまま固まっていると、ドアが勝手に開いた。
入ってきたのは、名前の如く椿ようなの華やかさを持つ娘。
「あら。起きていたのね」
「まだ濡れたままじゃないの。暑くなってきたからって、風邪引くわよ」
カメリアはレンから手拭いを取り上げ、レンの頭の位置まで持ち上げたところで、ふと手を止めた。ラスティとは違う、生き生きとした顔が曇る。
「……まだ、汚れが残ってるわ」
きっと、血の汚れのことだろう。頭も洗うには洗ったが、表面的な汚れしか落とせていなかったかもしれない。念入りにやるだけの気力はなかったので。
色素の薄い髪だから、汚れが目立っていたことだろう。嫌なものを見せてしまった、と申し訳なく思う。
カメリアはゆっくりと手を下ろし、持っていた手拭いをレンの首にかけた。
「座っていて」
カメリアは、レンが使っていた湯の傍まで行き、新しい手拭いを持って戻っていた。湯で濡らし、固く絞ってあるそれを、俯かせたレンの頭に被せる。それから、指先を載せて頭皮を強く擦りはじめた。
「……あの、いたいっ」
「我慢しなさい。塊が根元にこびりついているの。手強いわよ」
有り難くはあるが、押し付けられた指先はやはり痛い。毛も何本か抜けそうな力だ。珠のように大事に育てられていたという感じの娘だったが、それほどか弱くはないらしい。
白に囲われた視界の中で、毛と布が擦れる音だけを聞く。レンが慣れたのか、カメリアが加減したのか、頭を拭う手付きも柔らかくなり、心地良さを感じるようになった。穏やかな時間が胸に沁みる。
「はい。取れました」
視界が開ける。顔を上げると、汚れた手拭いを持ったカメリアが満足そうにレンの頭頂部あたりを見下ろしていた。
「なんかすみません」
「気にしないで。私、いつも面倒みられる側だから。弟ができたみたいで楽しいの」
彼女はラスティの妹で、その縁でディレイスにも妹の如く扱われて。ちやほやされてはいたけれども、子ども扱いされているようで、そこが不満だったという。
「僕も……何かと面倒見てもらえる側、だと思っていたんですけどね……」
レンも弟なので、カメリアの気持ちが分かるような気がした。
「……でも、嫌なことに限って、みんな僕にばかり押し付ける」
姉も。カルも。みんな、レンに殺してくれとせがんだ。レンがどう思うかなんて、考えもしない。自分が楽になることばかり。レンはこんなに苦しいというのに。
「あなた、結構甘え下手なのね」
カメリアの評価がしっくりこなくて、レンは首を傾げた。歳上相手には、けっこうすり寄っているつもりなのだが。
「それでいてしっかりしているから、周りがあなたに甘えてくるのね」
しっかりしているという自覚もあまりないが……温いことを言っていられる環境になかったのは、そうかもしれない。姉を殺して故郷を追われ、宝探し屋をやっている中では、周りは敵ばかりだった。
そう言われると、甘えられる状況にはなかったかもしれない。
周りが甘えてくる、というのは、やはり分からない。誰かにお節介を焼いた覚えはあまりないから。
首を傾げてばかりのレンに、カメリアは笑う。それこそ、姉のような表情で。
「我儘を言って振り回すくらいでちょうどいいのよ。嫌だったら相手のほうから離れていくし。あまりいい顔をしていると、周りのほうが調子に乗ってこちらを使い潰そうとするから、その前に逆にこちらが振り回してやるのが重要だって、ディル様が言ってた」
「あの人、そういう人だったんですね」
ディレイスとは、このアリシエウスの酒場でほんの一瞬会っただけだった。なんとなく面白い人、それでいて侮れない人。もっと探ってみたいと思っていたら、ラスティに連れていかれてしまって、それきりだった。アリシアの件について聞き出すことができず、不満に思っていたのだが、今にして思えばラスティとの縁を繋ぐための出逢いだったのだろう。
――なら、感謝くらいしても良いのかも。
ふと思い、それから自分が、彼らといることに居心地の良さを覚えていることに気が付いた。
扉がノックされて、レンは思考から覚める。
「レンいるか?」
返事もしないままに開かれた扉から、ラスティが入る。彼は妹の姿を認め、眉を顰めた。
「メリー……なんでここにいる」
「お客様が大変なことになって戻ってきたっていうから。心配になって」
当然、とばかりに胸を張るカメリアに、ラスティは頭を抱えた。
「年頃の娘が、一人で男の部屋を訪問するんじゃない」
「年下の男の子よ? そんなに気にしなくても」
「一つしか変わらないだろう!」
「大丈夫よ。同じ歳のおぼっちゃまたちより、ずっと紳士的だわ」
「そうだろうし、信じてもいるが! 風紀を乱すようなことをするんじゃない!」
「ふ」
仲の良い兄妹の会話がおかしくて思わ噴き出す。訝しげにこちらを見る二人は、同じ顔をしていた。ほぼ表情の変わらないラスティと、生き生きとしたカメリア。似ていないようで、やはりそっくりだ。
「いやあ、大変ですね」
「お前な」
善き哉、なんて言ってみると、ラスティの目が据わった。振り回されていることに不服、といった顔だが、果たしてどれほど迷惑に思っているか。なにせ、神剣を奪いに来たレンを、懐に入れてくれる人だ。
確かにこの人なら、少しくらい振り回してもよさそうだ。
「まあいい。場所の目星がついた」
表情を呆れから真剣なものに切り替えて、ラスティ言う。カメリアの手前、何のことかは言わなかったが、合成獣のことだと察しがついた。
「城だ。準備をするぞ」
「ラスティも行くんですね」
「当たり前だ。ここで好き勝手させてたまるか。だが」
ふと言葉を切り、レンのことをじっと見下ろす。
「俺は、お前の復讐は手伝わない」
念を押すように、ゆっくりと言い含める。つまり、合成獣たちの虐殺には手を貸さない、と。復讐なんて言い得て妙。レンには魔族の集落での前科があるからか。
しかし、止めはしないのだな、とレンは気付く。
「……はい」
たぶんラスティは、レンがそんなことをしないと信じているのだろう。本人がきちんと自覚しているかは分からないけれども。
――そうしたらもう、〝復讐〟するわけにはいかないではないか。




