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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第九章 哀れな生き物
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化け物

 通りの向こうから聞こえる悲鳴。そして現れる、二頭の狼。山羊のような角、獅子の鬣のように首回りから生える蔦のような形の灰色の触手。その(いびつ)さは、まさに魔物のもの。

 ――魔物、だよな?

「誰か、衛兵を呼んでくれ! 他の人は建物の中に!」

 通りにいた民間人は騒ぎながら、アーヴェントの指示に従う。大半が建物避難で、果たして衛兵を呼びに行ってくれた人がいるのかは分からないが……信じるしかないだろう。

 魔物に対峙するレンの背後には、腰を抜かして慄いているフォンがいた。こいつは判断力が著しく低下しているようで、悲鳴をあげるだけで動こうとしない。うるさくて鬱陶しく、足手まといなのは間違いなし。追い出したい一方で、逃がす可能性から目を離すのも躊躇われる。

 ……が、アーヴェントは〝人命優先〟の信条を持つ者らしい。酒場に入るよう、フォンを促した。慌てるあまり二足歩行を忘れて移動するフォンに、魔物たちが反応する。右側の狼が駆け出したところを、レンは鉾槍(ハルベルト)を振って妨害し、左から来ようとする狼を魔術で牽制した。

「こいつが狙いのようですね」

「あらら」

 残念ながら、フォンには通りに居てもらうことにする。

「右、お願いできる?」

「戦えるんですか?」

「何年生きてると思ってんの」

 気付けば、アーヴェントの両手には短剣がある。刃渡りが腕の長さほどの、狩猟用短剣(ハンティング・ダガー)。本当に戦いに慣れているかは怪しいところだが、今はケチを付けても仕方がないか。

 アーヴェントの提案を受け入れ、レンもまた鉾槍を地面に置き、小刀を抜く。柄だけでなく刀身までが毒々しい紫色。シャナイゼで新しく仕入れた武器は、実はまだ()()()()使ったことがない。

 ――お試し、っていうには、ちょっとキツいけど。

 右で小刀を逆手に持ち、拳を引くようにして構える。レンに割り当てられた右の狼はハルベルトの柄で殴打されたのが気に入らないようで、ギラギラした眼をレンに向けている。口の端から涎が滴る様は野性味を感じさせる一方で、森の王の気高さではなく狂犬じみた印象を抱かせる。……そういえば、目の焦点が合っていない、ような。

 伸びたり縮んだりしなったり。妙に活きのいい首回りの灰色の触手がまた、嫌悪感を際立たせる。

 ――近寄りたくないなぁ。

 なので、左手から魔法陣を繰り出した。本格的な魔術を習い始めた身だ、使えるのは初歩の初歩。だが、それだけに展開は早い。

 青い魔法陣から飛び出た氷の礫を、狼は前に駆け出すことで躱した。そのままレンに飛び掛かる。足を引いて牙を躱し、引いた足で顎を蹴り上げようとして。

 触手が黒いズボンに絡みついた。

「やばっ」

 上げた足を拘束され、身体のバランスを崩して後ろに倒れる。背中の痛みを堪えつつ、自由な足で狼の胴体を蹴り上げた。ぎゃん、と鳴き声を上げて灰色の躰が浮かび上がる。同時に触手の拘束からも解放された。地面を転がり、立ち上がる。

 血の流れが止まるほど締め上げられた脚は、痛かった。再び走り出した血流の激しさに、レンは奥歯を噛む。

 そうこうしている間に、地面に落ちた狼が再びレンに飛び掛かった。身を屈めて狼の突進を躱しつつ、激しくうねってレンを絡め取ろうと伸びる触手を小刀で打ち払う。

 切り離したあとも地面の上で跳ねる様子は、あまりに気色悪い。腰袋から〈魔札〉を取り出し、焼き払った。白い灰が風に流されていく中で、今度はレンが狼に向けて足を踏み出す。いい感じのところで回し蹴り。触手に絡め取られた左足が狼の胴を叩いたところを、そのまま押し込んで地面に叩きつける。一緒に倒れ込んだ上体を起こし、手を伸ばして紫の小刀を狼の喉元の押し込んだ。

 胸が痛む甲高い断末魔に顔を顰めながら、小刀を引き抜く。傷口から噴き出した血を右半身に浴びながら、今度はアーヴェントが相手している狼に投げつけた。

 悲鳴を上げる狼の左側面。突き刺さった小刀から、黒い糸が伸び、狼の躰に巻き付いた。四肢ごと拘束された狼は地面の上で足掻くも、次第に力を失って動かなくなる。

「魔具か」

「シャナイゼで買ったんです」

「だからってわざわざ黒魔術の奴買うかぁ? 趣味が悪――」

 小刀を回収しようと狼に近寄ったレンを見たアーヴェントは、その姿に表情を引き攣らせた。

「なんつーか……凄惨だな」

 狼の血をまともに浴びたレンの身体の半分は、真っ赤に染まっていた。他人からどう見えるか、などレンにも想像が着く。

「最悪ですよ。これ気に入ってたのに。汚れ落ちなかったらどうしよう」

 ついでに血は服の中まで入り込んでいるので、相当気持ち悪い。本当に最悪だ。

「返り血が目立たないように、全身黒にしてるのかと」

「何処の厨二病ですか。服の形とか好きなんです。しかもこれ、長袖でも涼しいんですよ」

「あ、前の長上着(コート)と違うのか」

 正確には取り外し式だ。サリスバーグの素晴らしい紡績技術により、春から秋まで使える上着である。

「でも、顔まで凄いから、街歩くにはいっそ着たまま頭巾(フード)被っていたほうが無難かな。とにかく顔が酷い。どっかに風呂でもあれば良いんだが」

「探すよりは、ラスティの家に帰ったほうが良いです」

 全身麻酔でも受けたように力なく倒れ込んでいる狼から小刀を抜き、そのままとどめを刺す。肉を刺す感触は不快だった。

 立ち上がると、アーヴェントが申し訳なさそうにしていた。一方で、酒場の入口でへたり込んで座っているフォンはこちらを指差してお化けでも見たかのように、ワーワーと叫んでいる。どちらも鬱陶しい。

 こいつらを連れて帰らなければいけないのか、と憂鬱になりながら、レンははじめに放った鉾槍を拾いに行く。酒場の前に置かれているので、これまた奴がうるさい。しまいには、化け物でも見たかのようにギャーギャー叫ぶものだから、堪忍袋の緒も千切れた。

「いい加減うるさい!」

 拾った愛槍の石突を地面に打ち付けつつ怒鳴りつけた。そして、フォンが見ているのが自分ではないことに気が付いた。怯えた男の視線を追う。

 狼たちがやってきた方面。そこに新しい影があった。今度は人の形をしている。見慣れた金髪に、裸の上半身。下半身は灰色の毛に覆われて、足は狼。肩から先は黒光りする何かに覆われて……あれは、羽だろうか。

 なんにせよ、血が沸騰するかのようだった。

「これは、まあ、なんと」

 アーヴェントがこの上なく苦々しい顔をしている。

「嫌になるね」

 それは、あれが鳥の翼を持っているからだろう。レンもまた目眩がするようだった。亡き姉も翼を付けられていた。合成獣(キメラ)界隈では流行なのか? だとしても笑えない。

 合成獣の顔は、カルのものだった。元から無口で目つきの悪かった男は、かつてと同じ表情でぼうっと道の真ん中に立っている。

 レンはハルベルトを両手で握る。フォンの様子や発言から、カルが正気だとは考えにくい。

「アーヴェント」

「…………うん」

「悪いですけど、助けられません」

 俯く魔族の長を尻目に、レンは駆けた。斧頭を右下へ。射程(リーチ)に入ったところで振り上げる。カルは無表情で上体を反らして躱した。

 左肩から背中の後ろへと落ちる斧頭の向きを変え、反動を利用して今度は振り下ろす。舞うように回転するカルの腕の翼が拡がった。何処か美しささえ覚える黒い円弧が、苦しい。

「……ぅあああっ!」

 雄叫びを上げて、今度はレンが身体を回転させる。鉾槍が振り回され、柄がとうとうカルの身体を殴打した。衝撃で止まったところで、柄を引く。鉤爪に身体を引っ掛けて、くの字に折れた身体に膝を入れる。肌が剥き出しになった腹は人間のものと同じく柔らかかった。

 喉を鳴らして涎と空気を吐き出した異形の身体が、石畳の上を滑る。レンはハルベルトの穂先を下にして逆手に持ち、カルの身体へと突き出しながら走る。

「カル!」

 叫んだのは、フォンか。

 カルは頭を上げ、素早い身のこなしで立ち上がった。レンの穂先が身体に差し込まれる寸前で、飛び退る。

「……赤眼(あかめ)?」

 持ち直そうとしたハルベルトが、手の中で滑った。槍の穂先が石畳を叩き、不安になる音を立てる。

 眼に光が入ったカルは、ゆっくりと首を巡らせる。景色に覚えがないのか眉根が寄り、フォンをみとめて安堵らしい表情を浮かべ、そして自分の身体を見下ろした。

 目を瞠り、息を呑み。身体を震わせる。口は動くが、声は出ない。

 何度も何度も自分の姿を確認し、それから頭を抱えた。

「夢……?」

 目を背けそうになったところを堪えた。

 だが、現実を突きつける勇気もなかった。

 長い事、彼らを保護する活動をしてきたはずのアーヴェントも、沈痛な表情をするばかりで何も言わない。言えないのか。こういうときにかけるのに適切な言葉など、きっと何年経っても見つからないのだ。

「いったい、何がどうなっている……?」

 カルは、混乱し自問自答を続けている。あちこちに首を巡らせて、答えを求めて、でも誰も答えてくれないのを悟って、自問自答に戻る。――あまりに見ていられなかった。

「カル」

 思い切って、レンは声をかけた。カルは、夢から醒めたような顔でレンのことを凝視した。

「あなたは、誰かに魔術の実験台にされて、化け物にされました」

「おい!」

〝化け物〟の言葉にアーヴェントが反応するが、しかし他に何と言えばいい? 合成獣では通じない。通じたところで、誰も安心したりはしない。化け物にされたという認識は容易に塗り替えることなんてできないし、そんな相手に取り繕うようなことを言っても聞き入れない。

「あなただけじゃない。他にも似たような人はいます。仲間はいる。……そのうえで、訊きます」

 レンはハルベルトを下ろしたまま、カルに歩み寄った。立ち止まったのは、五歩ほどの距離。その気になれば、彼はレンを襲うことができる。それでもレンは武器を構えない。

 ただ、相手を真っすぐに、正面から見据えて。

「死にたいですか? それとも、その姿でも生きていたいですか」 

 カルは一度俯き、瞼を伏せた。しばらく考え込んでから顔を上げ、落ち着いた目でゆっくりとレンを見下ろした。

「助けてくれ」

 彼の表情が歪む。

 付き合いはあれど、関係性は険悪で、敵対していたと言って良いほどで。憎しみ以外を感じたことはきっとなかったから、彼がこんな顔をするとは思っても見なかった。

 だからこそ、はじめてレンは彼を哀れんだ。

「こんなの耐えられない」

 哀れんだからこそ、覚悟を決めた。

「分かりました」

 鉾槍をゆっくりと持ち上げる。柄を地面と平行にして握り、穂先をカルの身体に定める。何かを叫ぶフォンの前で、両手を広げた男に槍を突き出して。

 なるべく苦しまないように、と祈った。

「……悪かった、な」

 口の端から血を溢しながら、最後の最後に詫びを入れるこの男の、なんと憎たらしいことか。

 両手にのしかかる愛槍の重みに、レンは瞼を閉じた。隣で人が地面に倒れる音を聞く。

「何するんだよ……何するんだよ! この、化け物おぉ!」

 相棒を殺された男の恨みを受け入れながら、レンはハルベルトを垂直に立てて。その柄に額を打ち付けた。

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