神の国
ハイアン・ラウ・アリシエウス。
ディレイス・ロウ・アリシエウス。
歴代の王の墓に、新しく刻まれた二つの名前。墓石の前にはたくさんの花が並んでおり、彼らがどれだけ民に好かれていたのかを示している。
円形の町から、わずかに外に飛び出た場所に、霊園はあった。アリシエウスを取り囲む森に、ほんの少しだけ割って入る形で。苔生した土の上に四角い板のような墓石が立ち、木々と城壁に囲まれて日陰となった場所で、アリシエウスの民は眠る。王族もまた、同じ場所で。
二人がここに眠れたことが数少ない救いだ、とラスティは感じている。死体は辱めを受けることなく、民の手で丁重に葬られ。穏やかな眠りの中で地に還れるのだから。
墓の前にしゃがみこみ墓石を見つめていたラスティの手に、供えるべき花はない。持って行くようクロードにさんざ言われたが、人と話すのが億劫で手ぶらのまま墓参りに来てしまった。
きっと彼らは口を尖らせていることだろう。
ラスティは立ち上がり、腰に差した二本の剣うちの一本を抜いた。神剣のほうだ。刃が周囲の光を集め、銀色に仄かに光る。
「アリシアの剣は、まだ俺が預かっている」
墓に見せつけるように神剣を掲げる。
「他でもないエリウスが狙っている。新しい破壊神を擁立するために。俺たちの国は……そのための贄だった」
〝新しい神のための物語〟。仔細は知らないが、此度のアリシエウスの侵攻は、その一節であったに違いない。破壊神の振るった剣を隠し持つ国は、物語の悪役として如何様にでも料理できることだろう。そして新たな英雄を仕立て上げ、神剣を持たせ、新たな破壊神とする。それがエリウスの狙い。
アリシエウスは、エリウスが書いた脚本の舞台だ。
ラスティは、みすみす演者になるつもりはない。
「俺は、アリシエウスを守る」
それが、国を犠牲にしてまで神剣を守ろうとした、二人の意に反するものであっても。
墓場には静寂が落ちる。ラスティの誓いに応える声はない。
――文句があるなら、化けて出てくるんだな。
神剣を下ろし、腰にしまう。止めるものはないことを、ラスティ自身よく知っていた。寂しくはあるが、より一層決意が固まる。
「まるで騎士の誓いね」
突然割り込んだ声に振り向くと、いつの間にか花束を抱えた金髪の女がいた。フラウだ。ラスティの家からふらりと出掛けた彼女が、ここにいることに驚く。
「どうしてここに?」
「あら、当然じゃない。お墓参りよ」
確かに、他にこの場所に用事などないだろうが。
「花を手向けるような相手が?」
尋ねると、フラウは笑って呆れたように肩を竦めた。
「アリシエウスの子が言うとはね」
アリシエウスは、アリシアを信奉する国だ。そして、神剣を監視していたアリシアの動向と、ハイアンやディレイスの様子を振り返るに、アリシエウスの王族は彼女と接点もあったことだろう。
「歴代の王に、って柄じゃないだろう」
「まあね。でも、一人だけいるわ」
そういえば。フラウが何度か感情を剥き出しにしたことがあったのを、ラスティは思い出した。
「ヒューバートは私の部下だったの」
珍しく見せる、はにかむような表情。無関心な彼女が心を動かすほどの相手。
ヒューバート。アリシエウス開祖の名。アリシエウスの王族たちは、彼の直系の子孫にあたる。
「部下?」
「お姫様の親衛隊の副隊長。私が隊長でね。私がもっとも信頼していたのは彼ね」
だから、世界崩壊のあと神剣を託したのだ、と彼女は語る。
「でも、まさか私の名前にあやかった名前を国に付けるとは思わなかったわ。おまけに、歴代の王族たちまでその名前を名乗るんだもの。赤面ものよ。堅物の癖に、たまに子どものような発想するんだから」
どこか懐かしそうに遠くを見つめるアリシアを、ラスティは呆然と見つめた。彼女が自分のことをきちんと話すのは初めてだ。
そして、いつからかずっと気になっていたことが一つ。
「貴女は……人間だったのか?」
彼女の正体を知った頃からたまに溢れる言葉の端々で、なんとなく彼女の〝人生〟を感じていた。おそらく、破壊される前の世界――旧世界での日常を。
「言ってなかったかしら」
フラウは首を傾げる。眉根の寄った様子は、本当にうっかりしていたのだろう。
「四神のうちの三人は、もともとは人間。エリウスによって選ばれて、今は神様をしているの」
エリウスがどういった存在なのかは、アリシアも知らないそうだ。十歳の少年だった彼はふらりとアリシアたちの前に現れ、神に指名した。その瞬間から彼女たちは老いと死から解放され、代わりに役目を与えられた。
圧倒的な破壊の力で抑止となる破壊神。
導を与え希望で照らす光神。
安寧の夜を脅かす者を裁く闇神。
「まあ、私は世界を破壊してすぐに、役目を放棄したのだけれどね」
こんなはずではなかった、とそのときアリシアは思ったのだという。話を聞いたうえで神剣を取り、振るったというのに。浅はかだった、と彼女は自嘲する。
「でも、剣を取ったからには、何か志があったんじゃないのか?」
「そんな御大層なものなんてないわ。私はただ、大切な人が死んだ世界が許せなかっただけ」
――もともとは、彼女の役目だった。
祭壇に横たえられた、仕えるべき主。国を導く一人でアリシアの従妹であった姫君こそ、指名された本来の破壊神だった。
だが、彼女は戦のうちに死んだ。
神剣だけ遺されて、アリシアがそれを継いだ。
〝彼女のため〟と嘯いて、怒りのままに剣を振るい、世界を破壊し。その結果に慄いた。
ラスティは腰に佩いた朱の剣を見、それから親友たちの墓石に視線を向けた。彼女の語る過去は、頭の中でラスティに置き換えられた。それは、ラスティが辿りかねない道でもあった。
「まあ、それで、私みたいな愚か者を出さないためにどうしたら良いかという相談をヒューバートに持ちかけて、その結果この国が生まれたというわけ」
神剣はアリシエウス王族に託され、アリシアは千年に渡る生の中で、剣が悪用されないよう監視し続けてきた。破壊神の役目を放棄し無気力に過ごす中で、アリシエウスが国の姿を留めてきたのも、彼女の介入によるものだ。
「貴女は……間違いなく、この国の守護神だったんだな」
世界を守る四神としての役目を放棄していても。アリシエウスが在り続けていたのは、彼女のお陰。民は女神を敬い、女神は民を守った。この国は、絵に描いたような理想的な神の国だった。
アリシアは意表を突かれた表情で、ラスティを見つめた。彼女としては、そのつもりはなかったのだろう。
ラスティは小さく笑い、アリシアの足元で跪く。
「我らが女神に、御礼を申し上げる。我らは――アリシエウスの民は、貴女の加護によって長らく穏やかに暮らすことができた」
「……止してよ」
アリシアはラスティから顔を背ける。
「護れなかったのよ」
「多くの民は残った」
「それは貴方の主の功績よ」
だが、肝心の刃が残っているのは、間違いなくアリシアの行動によるものだ。
何を言っても彼女は居心地が悪そうに歪めた顔を逸らした。ほどほどにして、ラスティは立ち上がる。
「……貴方、私に似てるわ」
ぽつりと落とされた言葉に、ラスティは顔を上げた。アリシアは墓に視線を落としている。アリシエウス王家の墓。彼女が見ているのは、大事な部下だろうか。
ラスティは彼女の言葉の真意を測り損ねたが、アリシアは何も言わなかった。墓の前にしゃがみ込み、ずっと手に持っていた花束をようやく供えた。小さな淡桃の花びらが風に煽られている。
「悪いけど、先に帰ってくれない? ……一人になりたいの」
彼女はじっと墓石を見つめていた。墓に刻まれた王族の名の、一番はじめの文字列を指でなぞっている。
きっと、過去の部下に話でもあるのだろう。ラスティは静かに霊園を去った。




