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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第八章 陰落ちる国
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領主

「何しにここに来たんだよ!」

 目の前に聳え立つ白亜の城。敷地を囲う堀に架かる木橋を渡り城門の前に立つと、若い門番がすぐさまラスティを怒鳴りつけた。二度目となると、衝撃は少ない。むしろ自分のことがそこまで知れ渡っていることに驚く。

 が、話に耳を傾けてくれる様子のないこの状況は、いささか困る。

「エトワール」

 アリシエウスでは珍しい響きの名を持つその門番を宥めようとラスティは声を掛けるが、かえって相手を怒らせるだけだった。鎧に埋もれているかのような小柄な身体で、怒りに任せて手にした槍の穂先をこちらに向けてくる。

「帰れ! ここはお前のような卑怯者が来るところじゃない!」

 ラスティは肩を竦め、隣を振り返った。アリシエウスに帰郷して一日経った今、一緒にいるのはユーディア一人だけだった。レンもフラウも思い思いの場所に出掛けて行った。ラスティとユーディアは王城に用があったために二人でここまで来たわけだが……こうも拒絶されては、出直すしかないだろう。

 ラスティの意を汲んだユーディアも、仕方なさそうに頷いて。踵を返そうとしたところに。

「馬鹿言ってんじゃないよ、お前」

 エトワールの頭からずり落ちそうな兜に、背後からガツンと一撃が入る。門の向こうから現れた、見慣れた騎士服の姿に、ラスティは目を瞠った。

「……クロード」

 前髪の長い同い年の騎士は、間違いなく親しくしていた同僚の姿だった。

「元気そうだな、ラスティ。無事で良かったよ」

「それはこちらの台詞だ」

 彼は国を守る騎士だ。だから、此度の襲撃で犠牲になっている可能性はあるだろうと覚悟していた。一つ嫌な可能性が潰れて、ラスティは安堵する。

 抗議するエトワールをとどめつつ、クロードはこちらに小さく笑みを見せた。彼は話を聞いてくれそうだ。

 ただ、騒ぐ門番が煩わしそうではある。

「落ち着いたところで話そうぜ。着いてこいよ」 

 クロードに連れられて来た場所は、城から少し離れた公園だった。緑を深くした木々が円状に煉瓦を置いて作られた広場を囲い、中心には花壇とベンチ。憩いの場であったそこは、今は誰もおらず、中心で夏の花が薄い青の空に向けて背比べをしている様子だけが見えた。

 ラスティたちはその花壇まで移動し、ユーディアをベンチに座らせる。自分たちは彼女を挟むように立つ。

 帰郷してから何度も感じたように、アリシエウスは静かだった。鳥の声さえ聞こえない。街路樹の隙間から見えるアリシエウスの城の屋根も、息を潜めているかのようだった。

「……デイビッドは?」

 ひとまず身の回りのことから尋ねる。例えば、同僚のことなど。ラスティの記憶にある限り、クロードの傍には彼の悪友がいた。幼馴染だ、とラスティは以前に聞いたことがある。その彼の姿がない――気配も、また。

 クロードの笑みが曇る。

「あいつは死んだ」

 ただ淡々と、クロードは告げる。

「西門から攻めてきたクレールにやられて。どうやら率先して敵に突っ込んだらしい」

「……らしい?」

「俺は城内にいたんだ。まったく信じられるか? ちいせぇころからずっと一緒だったって言うのに、あいつが死ぬ間際は傍にいられなかったんだぜ? いつも一緒だったのに、肝心なときには助けにいくこともできないで……」

 クロードは一瞬顔を歪ませたが、湧き上がった何かを払うように頭を振った。

「そういう話じゃなかったな。陛下と殿下のことだろ?」

 そんなことはない、という言葉を飲み込み、ラスティは頷いた。クロードの言う通り、ラスティが一番気にしているのは、ディレイスとハイアンのその後だ。同僚のことが気に懸からないわけではないが、彼も慰めて貰いたいわけではないだろう。

「処刑されたと聞いた」

「城の前で、見せしめ公開された。この国がクレールの支配下にあることを、この国の連中に見せつけたかったんだろう」

 その処刑について、クロードは詳しく語らなかった。聞くべきか。ラスティは逡巡する。知らないのは義理に反するのではと思う反面、その死を想像することが恐ろしい。

「一瞬だったよ。苦しまれなかったさ。顔も穏やかだった」

 ラスティの苦悶を悟ったクロードが教えてくれたが、それでも胸に鋭い痛みが走った。

「晒されることもなく、俺たちの手で丁寧に埋葬した。あとで寄ってみろよ。お二人とも喜ぶぜ」

「……どうかな。文句を言われるんじゃないか?」

 地面に視線を落としながらラスティは笑う。まさにその場面に直面しそうな気がするのだ。おめおめと神剣を携えて戻ってきたラスティに、呆れ顔をするハイアン。いつものようにラスティを酒場に誘うディレイス。目を瞑れば、直ちに彼らの顔が浮かぶというのに。

「どーせ何を言われても気にしないくせに」

 笑みを含んだ声に俯いた顔をあげると、クロードは顔を逸らした。横顔には呆れとも羨望ともつかぬ揺らぎが見える。

「いや、なんでもない。それより、お前、これからどうするんだ?」

「しばらくは家にいる」

「城には戻ってこない……よなぁ」

 首肯した。王と王弟二人を亡くし、アリシエウスを統治するのはクレールの人間だと聞いている。ラスティが戻ってきたのは、そのクレールから故郷を守るためだ。傘下に入るためではない。そういうやり方もあるかもしれないが、それはクロードたちに任せても良いだろう。

「訊きたいことがある」

 ようやく本題だ。ラスティがユーディアを伴っているのは、そのためでもあった。

 ユーディアは立ち上がり、クロードを見据えた。

「今、アリシエウスを管轄しているのは、クラウス・ディベルだと聞きました」

「そうだ。それが?」

 クロードは眉を顰めながら、彼女を観察する。諸々のこともあり、ラスティはまだユーディアのことを紹介していなかった。クロードの訊きたそうな様子も無視して。

「……まさかとは思ったけれど」

 表情を曇らせて俯くユーディアを、ラスティは複雑な心境で見つめる。事情を知らないクロードは、ますます怪訝そうな顔をしていた。

 きっかけは、母との会話だ。家族に甘えて一日休んだところで、ラスティたちはアリシエウスの現状を尋ねた。

 曰く、アリシエウスはクレールの一領に入ることとなったこと。

 そのためにも、王族が処刑されたこと。

 しかし、国政を担っていた官吏たちの多くは、そのまま新しい()()のもとで働くこと。

『一部は反発して辞める人もいたようですけど。多くは承諾したわ。陛下に民を託されていたからね』

 その中に、ラスティの父もいるとのことだ。

 クレールに吸収されたこと自体は忌々しかったが、現況はまだマシな部類だとラスティは判断した。アリシエウスの民が、ただちに手酷く虐げられることはないだろう。アリシエウスの官吏たちが、できる限り留めるはずだ。徐々に馴らされるにしても、猶予はある。

 だが、一つ気に懸かることがあった。他でもないユーディアが、そのことを気にしていた。クレールの中枢からアリシエウスの統治を任された、クラウス・ディベルという男について、だ。

 もともとラスティたちが城に行ったのも、そのクラウスについて知るためだった。

「クラウスは、アタラキア神殿の神殿騎士の一隊長です。司教の資格も得ていて、つまりそれなりの権限を持っています」

 やはり知り合いだったか、とラスティは憂鬱になる。彼女自身は、どう感じているのか。顔色を変えず淡々と話す。

「今回の侵攻は、アタラキア神殿が関与しています」

 ラスティの手前言えなかったが、とユーディアは自嘲する。その可能性自体は、ラスティも彼女と出逢ったときからずっと推測していた。国政と神殿の結び付きが強いクレールの国情と神の剣を欲するなどという神の信者らしい発想から、容易に想像できる話だ。

「そして、私に〈セルヴィスの手記〉を持ってくるように命じたのは、彼です。おそらく……エリウスに従ってもいると思います」

 神剣に、〈手記〉。神殿が禁術に関心があると知ったときの、フラウの示唆。そして、エリウスが黒幕と知ったとき、ユーディアが思い浮かべた相手が、クラウス・ディベルだった。エリウスの信者で高位の聖職者である彼は、エリウスに都合が良い。

 そこにアリシエウス管轄の話は、彼女にとってはもはや決定打だった。

 ユーディアは俯きながら小さく溜め息を吐き、それから引き締まった表情でクロードを見上げた。

「クロードさん。お願いがあります」

 彼女に真っ直ぐに見つめられたクロードは、戸惑いに視線が揺れる。

「私を彼に会わせてください。つまり、入城許可を」

 クロードの目が、ラスティに助けを求めた。

「なあ、彼女、もしかして……」

「クレールの神殿騎士だ」

 クロードの顔がわずかに顰められた。嫌悪感を隠しきれなかったらしい。出逢った当初は敵意をぶつけていただけあって、ラスティは彼を咎めることはできなかった。

 ただ、訴えるのみだ。

「大丈夫だ。信用できる。できるが……」

 ラスティの視線はユーディアに向かう。彼女に指示できる立場の人間に歯向かうようなことをして、ユーディア自身が無事でいられるかが心配だった。

 大丈夫です、とユーディアは苦笑する。

「彼とは、神殿騎士になる前から、付き合いのある仲です」

「いや……だが」

 敵地に一人で向かうのと、状況はさして変わりないのだ。街をぶらついているレンやフラウとは、わけが違う。アリシエウスの騎士を辞めたラスティは、クレールの統治下では入城資格が認められないので、付いてはいけない。

「大丈夫ですよ」

 念を押されても、不安だった。ここで彼女を見送れば、切り離された状態となってしまう。

 こういうときにあの〈精霊〉たちが居れば、と思う。護衛になっただろうし、連絡手段にも使えたことだろう。レンと一緒に魔術を学ばなかったことを、今になって悔いる。

 もどかしく思うラスティに何を思ったのか、クロードが溜め息を吐いた。

「分かった。俺が見てる。だから安心しろ」

 若干申し訳なく思いつつも、ラスティは安堵した。孤立するようなことがなければ、ひとまず安心だ。

「……頼む」

 クロードは呆れたように首を振り、ユーディアは苦笑いした。彼女の姿を見るとまた心配になるが、さすがにもう口にするようなことはしなかった。

「二人の墓は、きちんと霊園にある。ちゃんと花買っていけよ」

 ユーディアに伴って城に戻るクロードは、そう言い置いていった。

 墓参り。

 彼らの死に向き合うときだ。

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