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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第八章 陰落ちる国
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帰郷

 シャナイゼを旅立ち、二週間をかけて通った道を遡り。久しぶりの故郷は、かつての面影を残しながら、ラスティの記憶の中とは全く違う姿で現れた。それは、所々から立ち昇る夏の気によるものだけではない。クレールの襲撃の陰が、広く深く城下街に落ちているからだ。

 襲撃され負けたにしては、街の被害は少ないように見えた。あちこちに傷跡はあるが、建物が崩れている様子はない。人々の生活も、通りから眺めた限りでは大きく変わっている様子もない。何も知らない者からすれば、普段通りに生活しているように見えるだろう。

 だが、それでもラスティの目からすると、まるで別の様相だった。空気は淀み、活気がなく、みな俯いている。アリシエウスの民は、基本的に朗らかで活動的だというのに、今は信じられないほどに陰気な街となってしまっている。

 物悲しく寂しい面持ちで、城門を潜ったラスティは街を見つめる。

「ラスティ」

 レンの声に、ラスティは物思いから覚めた。

「……すまない」

 仲間がいるというのに、呆然と立ち竦んでいてはいけない。

「こっちだ」

 仲間たちを促し、ラスティは目の前の通りへと踏み出した。通行許可を出してくれた門番の恨めしそうな視線が背中に突き刺さるのが、(こた)える。

 石畳の道を行くのに、足元は覚束ない。気持ちがはやるのを必死に抑える。ハイアンとディレイスは死んだ。では、家族は、仲間は、どうなったのだろう。今、ラスティは実家へと向かっているのだが、まるで見知らぬ道を歩いているかのようだ。

 ふと、視界に見知った姿が飛び込んで、ラスティは足を止めた。後頭部でくくった黒い髪に、褐色の肌。筋肉質な身体に工具箱を下げているのは、他ならぬラスティの友人だった。

「アレックス……!」

 胸の奥から何かがこみ上げる。自分でも表情が緩むのを感じた。

「アレックス、無事だったんだな!」

 驚愕に満ちた友の顔は、怪我をした様子もなく元気そうだった。工具箱持っているということは、仕事の途中なのかもしれない。彼は大工だから、侵攻で被害を受けた建物の修復をしているのか。であれば、さぞかし大変な思いをしているだろう。だが、今は何より彼が生きていることが嬉しかった。

「ラスティ……?」

 こちらに気付いたアレックスは譫言(うわごと)のようにラスティの名前を呼んだ。

「お前……」

 アレックスは工具箱を落とすと、肩を怒らせてラスティの元に歩み寄った。そして、胸倉を乱暴に掴み引き寄せられる。

「どの面下げて、戻ってきやがった!!」

 ギラギラと輝く目に憎悪が宿っているのを見て、ラスティは己の立場を悟った。敵前逃亡、という言葉が頭に浮かぶ。

「お前の所為で、ディルは……」

 悔しそうな表情を浮かべたかと思うと、突き飛ばされた。勢いを殺すことができず二、三歩下がると、後ろにいたユーディアにぶつかったが、謝る余裕などない。アレックスに拒絶されたのがただ悲しくて、ラスティは唇を噛む。

「何しに戻ってきたんだ」

 答えに窮した。何かを言うべきだと分かってはいるが、本当のことなど信じてはもらえないだろうし、口当たりの良い薄っぺらい言葉など吐きたくなかった。

 言い淀み俯くラスティを取り囲む三人を目にし、アレックスは鼻を鳴らす。

「見損なったぜ」

 その言葉は、深くラスティの胸に刺さった。痛みで呻きそうになるのを、歯を食いしばって耐える。歓迎されることを期待していたわけではない。だが、敵意を向けられることなど想像していなかった。故郷は問答無用で自分を受け入れてくれると思っている節があった。

 自分の甘さを痛感する。

「待ってください。ラスティさんは――」

 何を感じたのか、踏み出して言い募ろうとしたユーディアを、ラスティは止めた。

「良い」

「でも――っ!」

 引き下がろうとしない彼女の腕を、レンが引いてくれた。頼りになる。ラスティは少しだけ気を取り直した。友人に責められても、ラスティには仲間がいる。

 そして、アリシアがラスティのことを見ていた。最高神に立ち向かうと知っている神が。

 突如向けられた憎悪に動揺していた胸の内も落ち着いてくる。ラスティはしっかりとアレックスを見据えた。

「俺は俺で、すべきことがある。だから帰ってきた」

 ディレイスがいないからこそ、ラスティはアリシエウスを守りたいと思う。自らの命と国を犠牲にして神剣を悪意から守ろうとした彼らの想いを知っているのは、ラスティだけとなってしまったのだから。

 アレックスは、面食らった様子でラスティを見つめていたが、次第にその顔を歪ませた。

「何があったにせよ、俺はディルを捨てたお前を赦さない」

 吐き棄てて、背を向ける。道具箱を拾い、二度と振り返ることはなかった。

 いっそ清々しい気分で見送るラスティを、ユーディアが窺う。

「大丈夫ですか?」

「ああ。……かえって吹っ切れたな」

 嫌われているのだとはじめから分かっていれば、腹も据わる。狼狽えこそしたが、ただ友人に誤解されたくらいで崩れるような覚悟をしたつもりはない。

「ただ……」

「ただ?」

「実家に置いてもらえるかは、怪しくなってきたな」

 ここに居るからには、住まいは必要で。家族が残っているラスティは、当然実家に居座る気でいた。あわよくば、仲間たちも客人扱いで置いておけないかと考えていたのだが、果たして世間的にラスティはどのように扱われているか。アレックスのように誤解されている可能性もあるし、そうでなくとも世間体のために追い出される可能性もある。なにせ、父もアリシエウスの臣だ。

「あー……」

 その問題があったか、とレンとフラウが空を仰ぐ。それから、憐憫の眼差しをラスティに向けた。

 目の前に立ったレンが、ラスティの肩を叩く。

「……どんまい」

「まだ追い出されていない」

 真っ白い手を払い除けた。

 まあ、そうなったとしても。あまり憂う必要はなさそうだ。


「……誰が追い出すですって?」

 紫のドレスに身を包んだ婦人が目端を釣り上げたのを見て、ラスティは目を逸らす。視界にレンの愉快そうな顔が入り、ついでとばかりに睨みつけた。

「兄さま酷い。わたしたちのこと、ずっと薄情な人間だと思っていたのね」

 青みの強い黒髪の娘が、口元に両の拳を当てて目を潤ませる。赤いドレスに、左側頭部にある椿の髪飾り。花咲くような娘時代を謳歌する妹の演技に、ラスティは頭を抱えた。

「そういうわけじゃ……」

 慌てて取り繕おうとするが、仲良く揃ってさめざめと泣き出す母娘が手に負えるはずもなく、ラスティは肩を落とした。

 ラスティの生家、ユルグナーの邸の客室。淡いオレンジの壁紙と、落ち着いた赤の絨毯と。雰囲気からして暖かい室内で、ラスティたち一行はその母娘と対面していた。ラスティが貴族の生まれであったことに驚いたレンを宥めながら、家人に帰宅を告げ。この部屋に通され、在宅していた家族を呼び出され。卓を六人で囲い、仲間の紹介とこれまでの経緯を説明して。そこにレンが余計なことを言い出したことで、このような面倒な事態になってしまった。

 悪だくみがうまくいったレンはご機嫌で、ノリについていけないユーディアは困っていて。静観しているだけのフラウは、いつものように無感動な顔のまま、小首を傾げていた。

「なかなか愉快な家族ね」

 遺憾ではあったが否定の言葉は出てこず、唸る。四十半ばの母エステアと十五になる妹カメリアは、アリシエウスの民らしく感情豊か。そしてそれを利用し、他人を振り回すことがままある。

「ラスティがむっつりなのが意外ですね」

「からかうな」

 家族がこうだから、自分が冷静にならざるを得ないだけだというのが、ラスティの主張だ。そうでなければ、暴走する家族を、いったい誰が止められる?

 昔からラスティは、誰かの面倒を見てばかりだ。脱走王弟しかり、この面白がりの妹しかり。どちらも他人を侮り蔑ろにしないのが救いではあるが。

 ……失われつつあるアリシエウスの朗らかさは、ラスティの生家にはまだ残っていた。母も妹も、使用人たちも、変わらずラスティを迎え入れてくれた。アリシエウスはまだ踏みとどまっているのだ、とラスティは感じる。なおのこと気が引き締まった。

「ともかく。貴方が家に居るのを厭う理由はありません。もしお父様があなたの言う通りに反対したとしても、私たちがあの人を追い出すから安心なさい」

 きっぱりと告げる母に、ラスティはかえって気まずくなる。

「追い出すって……家長でしょう」

「国を守れなかった役人に、振りかざす権威があると思って?」

 それはあんまりだ、とラスティのほうが傷ついた。逃げて何もしなかったわけではなかろうに。あとで父と酒でも飲み交わそう、と決める。

「まあ、そもそもわたしたちは、殿下からお話を伺っているのですけれども」

 テーブルに頬杖をついて、カップの中の紅茶をスプーンで掻き回すカメリアの言葉に、ラスティは驚く。密か1に呼ばれ、密かに国を出されたのだ。家族にさえその理由を知られることはないと思っていたのに。

「貴方がディレイス殿下の友人となったのも、もともとお父さまがきっかけであったことをお忘れ?」

 役人である父が、自分の息子を当時の第二王子の友人にと紹介したことは、無論覚えている。それでラスティがディレイスの友人と認められるほど、このユルグナー家は王家の信用があったということで。

 ハイアンが王となってからも、その信頼は変わらなかった。信じられていたのは、ラスティだけではない。父をはじめとした家族全員だった。

 それが嬉しく思えるからこそ、なおのことアリシエウス王家が潰えたことが悔しくてならない。その想いに応えて、忠を捧げていたかった。

 今さら言っても、詮ないことだが。

 今は、そんな彼らから託された剣を守るだけだ。

「……ずっと、心配していたのよ。独りで抱え込んではいないかと」

 ふと母が声色を変えたので、ラスティは顔を上げた。若者をからかって遊ぶ婦人の影は潜み、親らしい表情が見慣れた顔に浮かぶ。二十を越えた男に向ける顔ではないだろう、とラスティは居心地が悪くなった。

「でも、不要な心配だったわね」

「兄さま、お友だちを作るのは何故か得意だもの。面倒見が良くて、お人好しだから」

 ――なんだか話が変な方向に行っている気がする。訝しんだ先で、周りの人たちが次々に妹に同調し始めた。

「自由気ままな殿下もそうだし」

「神剣狙いのクソガキの同行を許したりしてますし」

「無責任な元凶もね」

「仇国の人間を、気にかけてもくれますものね」

 まるでラスティが間抜けであるかのような口ぶりだ。遺憾だ、と訴えても、擁護してくれる者は誰一人いないので、ラスティは不貞腐れた。

「とまあ、そういうことだから。こんな息子を構えてくれたお友だちの部屋も用意しなくてはならないわね」

 どうぞゆっくりなさって、と言って母は背後に控える家令(スチュワード)を振り返る。ラスティとたいして歳の変わらない男は、一礼して早足で客室を出ていった。

「まずは旅の疲れを癒やすと良いわ。……これからの話は、その後にしましょう」

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