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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第七章 すれ違い、遠ざかる
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神様なんかじゃない

 禁術を記した〈セルヴィスの手記〉。リズたちは幸運にもその中身を閲覧し、研究する許可を得た。

 話し合いの末、研究対象としたのは〈召喚術〉――異なる世界の力ある獣を呼び出すという術。

 リグとリズは、魔術に関して生まれ持っての天才だった。少なくとも周囲からずっとそう言われ続けてきた。他の魔術師と比べてずっと多くの魔力を操ることができ、加えて魔術を使う勘にも長けていた。遺跡の仕組みをわざわざ用いなければならないほどの魔力を必要とする術を、仲間の助けを受けつつも自分たちで扱えるように改良し、行使した。

 そうして二人が呼び出したのが、〝陽追う狼〟と〝月追う狼〟――スコルとハティだ。

 彼らを従わせ使い魔とするのは、命懸けだった。それでもどうにか契約できた。双子たちは禁術とされていたものを、自らの手で扱えるものとし――めでたしめでたし、となるはずだった。

 神が二人の前に現れるまでは。


 守衛(ガーディアン)をグラムたちに任せ、一つ階を上がったところで、リズは一息吐いた。階段を上り続け体力を減らしていたところに、敵と遭遇。逃げるために走ることになり、さらにまた階段を上ることで体力を削って、いい加減疲れてしまった。ちょっと休ませて、とウィルドに許可を取り、黒い(スタッフ)で身体を支えながらずるずると座り込む。

「あーもう。驚かせやがって」

 いないと思ったら、上から逆さになって覗き込んでいて。あの瞬間は恐怖でしかなかったが、逃げ切ったあとになってみると、あまりのタイミングの良さに笑いがこみ上げてくる。

 ひとしきり笑ったあと、胸の中の空気を一気に吐き出す。気分はすっきりした。

「さて、行きますか。あと……二個?」

 立ち上がり、先を行く。なんだか急にしんと静かになったような気がする。きっとグラムがいない所為だ。

 過去が降り積もっているかのような、古く冷たい石の床と壁。昔の人の想いなどが泡のように浮かび上がってきそうな空気が漂っている。耳を澄ませば、誰かの声が聞こえてきそうでもあり。

 聞いてみたい、とリズは思った。たとえ怨嗟の声でも構わない。昔の人は何を思いここに居たのか、それを知りたい。

〈手記〉の研究に関わったのも、それが理由だった。何故こんな魔術を作ったのか、何故一見非道とは思えない術が禁止されたのか、読み解いてみたかった。

 その軽率さの結果、身を以てその理由を知ることになったけれど――

「……そういえば」

 ふとリズは後ろの気配を探った。そこにはウィルドがいる。居ると感じさせないほどの気配の希薄さで、だが確かにリズの背後を守ってくれている。

 リズは片足の踵を軸に、身体を反転させた。突然の行動に、ウィルドが少し表情を動かした――驚いている。それがまた、リズには感慨深い。出会ったばかりの頃は、彼は本当に感情を見せることがなかったから。

「なんだか、あのときみたいだな」

「……あのとき?」

「あんたが私を殺そうとしたとき。ここでさ、こんな風にさ、グラムたちと離れてさ」

 ウィルドが悲しげに瞼を伏せた。リズは苦笑する。まだ気にしているだなんて、闇神らしくない。

 ――それが、リズには好ましい。

 リズたちがハティたちと契約した後。ウィルドは、リズたちに、このマナウェル塔に連れていって欲しい、と頼んできた。正式な小隊への依頼だったし、歴史を専門としている彼が『遺跡調査をしたい』と言ってくるのもなんら不思議に思わなかったので、リズたちは承諾したのだが。

 それは、ただ人知れず、禁術を習得したリズたちを裁くための、闇神の(はかりごと)だった。彼は、手始

めにグラムたちからリズを分断し、二人きりになったところを殺そうとした。

「リズ、私は――」

「気にしてないよ」

 縋るように踏み出した、自分よりも頭一つ分背の高い男の目を、リズは静かに見据えた。遠慮でも気遣いでもなく、本当に気にしていないことを、証明するために。

 あのときの恐怖を、リズは覚えている。死を前にした生物的な本能が生み出す恐怖。そして何より他人に殺意を向けられることの恐怖。ハティに助けられ、さらにエリウスの介入を受けたことにより生き延びたが、あの冷たい感情はまだ胸の奥に残っている。

 でも。

「理不尽だと思ってない。あんたの役目を思うと、あんなのは当然だよ」

 自分たちが軽率だったのだ、と今は知っている。他の世界の住民を呼び寄せることが、この世界にどんな影響を齎すか。呼び出された彼らが何を思うか。リズたちはそこのところを甘く見ていた。

 たまたまうまくいったのだ。ハティたちと友好関係を結べたのも。彼らがこの世界を乱さなかったことも。目を閉じたまま縫い針に糸を通すような、無茶苦茶をしたのだということを、今では良く知っている。

 それでもウィルドは、浮かない顔をしている。不用意だったか、とリズは反省した。過去を責めたいわけではなかったのだ。

「ただ、変わったなって。それだけ」

 二年前と同じ状況であっても、今二人の関係がまるで違うことが、どれだけ嬉しいか。こうも変わったことに感慨を抱いた。ただそれだけだった。

 死の恐怖は残っているが、この男が背後にいることには、何の恐怖も感じていない。むしろ今は頼もしく思っている。

 先へ進む。先ほどみたいに守衛に遭遇することはなく、順調に仕掛けを解いていった。

「よし。まあ、こんなところで」

 最上階。壁に刻まれた金の幾何学模様が緑色に光って、天井にまで広がっているのを見上げて、リズは肩を撫で下ろした。一段落ついた。後は昇降機を利用して祭壇のある屋上へ行くだけだ。まあ、そのまえに下に降りなければいけないのだが。またあの守衛に遭遇する可能性を考えると、うんざりする。

 グラムたちが、うまくやっていてくれると良いのだが。欄干のない廊下の縁に寄り、恐る恐る下を窺おうとすると。

「リズ」

 ウィルドに呼び止められて、リズは振り返った。彼の顔を見て、驚く。普段ほとんど表情の変わらない顔が、思いつめているように見えて。

「お別れを言わなければいけません」

「…………はい?」

 内容が呑みこめず、目と口を丸くしたまま、まじまじとウィルドを見つめた。慌てて脳内を整理して、ウィルドの言葉を反芻する。あまりに予想外な言葉に、頭が混乱してしまっているらしい。

「え、何の冗談」

 しかし、ウィルドは無表情のままだ。理由を尋ねても、黙りこくったまま突っ立っている。

「……エリウスに、何か言われた?」

 エリウスがラスティに会いに来たことは、リズたちも聞いている。そのときに、あの少年がウィルドに会った可能性に思い至った。

「私は神です。エリウスの手先であり道具。彼の命には、従わなければ――」

 たまらなくなって最後まで聞かずにウィルドの胸倉を乱暴につかみ、ぐいっと引き寄せる。リズは決して背が低いわけではないのに、それでも僅かに背伸びをしなければならない。それが口惜しくてたまらない。

「本気で言ってんの……?」

 憤っている自分に向けられるのは、冷やかな視線だった。何の感情も読み取れない、硝子のような目だ。自分は道具だ、とかつて彼は言っていた、そのときと同じ目だ。

「自分から道具に成り下がろうっての……? 馬鹿かてめぇはっ!」

 けれど、リズは知っている。彼は神である前に人間で、表に出すのが苦手なだけで、感情を持ち合わせている。それなのに、自らを道具と呼称するなんて。許せない、というよりも悲しくなってくる。

「では私にどうしろと? 千年生きた者が、今さら普通の人間のように過ごしていけるはずがない」

「それは……」

 リズは言葉を詰まらせた。昔は人間だったらしいが、神となった彼は、今は不老不死。長い間一処に留まることはできないし、友人を得てもすぐに喪う。……リズも、いずれ年老いて死ぬ。

「私は、闇神として生きる他ない。永久にも等しい命では、選択肢は役目を全うするか、責任を放棄するかしかない」

「エリウスの都合良く生きること? 馬鹿げてる!」

 フラウのことが、頭に浮かぶ。破壊神の役目を棄て、多くのことに無関心なまま千年の時を過ごしてきた彼女は、とても無気力に見えた。ウィルドは役目こそ全うしてきたが、きっと似たような状態で生きてきたのだろう。出会ったばかりの頃の彼を思い出し――二度と、あのように戻って欲しくない、とリズは思った。

 だけど、リズは無力だ。何を言っても、保証してあげられない。何を言っても、全て無責任な言葉となる。

「……責任って、なんだよ」

 零れ落ちた言葉は、あまりにも虚しかった。

「彼の言うことは、あながち間違ってはいない。これまで私が排除してきたものは……みな、世界を歪めるおそれがあった」

 合成獣(キメラ)の研究が、魔物を生んだように。子どもの理想を叶えるためであるとはいえ、これまでのオルフェの行いが世界の秩序を守ってきたことは確かだった。

「じゃあ、私たちは? その責任とやらで、私たちも殺すわけ」

「……そうなりますね」

 肯定されて、リズは自嘲した。何故訊いたのだろうか。否定してくれるとでも思ったのか。自分の思い上がりに呆れた。

「なら殺せよ。今、ここで」

 身を晒すように、両腕を広げた。右手に杖を持つとはいえ、無防備な格好。それでも、ウィルドは動く様子がなかったので、更に挑発した。

「どうした? 私は世界を歪ませるかもしれないぞ? 裁きの対象じゃないか」

 エリウスが気まぐれで見逃したとはいえ、リズが禁術を使えるという事実は変わらない。仮にリズがここで死んだとしても、エリウスは意にも介さないに違いない。

 だけど、ウィルドは動かなかった。リズは腕を下ろす。

「あんたはもう、神様なんかじゃない」

 自分の感情を優先してリズを殺せないようなら、彼はもう裁きの神ではないだろう。

「……そうですね」

 ウィルドはとうとう顔を上げた。若干引き締められた表情に、リズは口元を綻ばせる。

「貴女を手に掛けられない私は、闇神(オルフェ)ではない」

 彼はリズに歩み寄り。

「なら、貴女を殺めるだけだ」

 リズの肩を押し、階下へと突き飛ばした。

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