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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第七章 すれ違い、遠ざかる
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不審者

 大きさは人の二倍程度。でも、重量はそれどころではない。そんな巨体が、上の階から飛び降りてくる。勘弁してくれ、とグラムは思う。壁から張り出した床の強度がどれほどかなんて知らないが、壊れてしまうのではないかという恐怖しか、その行動には感じない。

 守衛(ガーディアン)は、レンズのような目をグラムたちに向けていた。その色は赤。完全に敵として見做されている。

 愛剣を正眼に構える。相手は石を積み上げた人形。剣で挑むことへの馬鹿馬鹿しさを覚えるだろうが、生憎グラムの剣は特別性だ。相手が魔力で動くなら、魔力を斬れるこの剣で対抗できる。

 ――さて。あれがグラムたちを敵と認識して襲ってきたとして。

「やっぱり、壊さないほうが良いのかな?」

木の塔(トゥール・ダルブル)〉では、基本的には遺跡の中のものを壊してはいけないという規則になっている。

「そりゃあそうでしょう」

「でもさぁ……」

 守衛へ意識は向けつつ、可能な限り周囲の視線を走らせる。

「逃げらんなくね?」

 グラムたち四人は壁を背に貼り付けるように立っており、吹き抜け側に立つ守衛に相対していた。回廊の幅はそう広いわけでなく、横一列に並んだグラムたちと守衛の間には、巨人の足で二歩程度。十分に相手のパンチが届く距離。

「二手に分かれればいけるかも?」

「どっちかが囮になって、か?」

「どっちが囮になるのか賭けだなぁ」

 幸いにして、この間に守衛が仕掛けてくることはなかった。レンズの敵性色につい反応して剣を抜いてしまったが、ここでおとなしくしていたら、奴は襲ってこない、はず。

 ――だったと思ったんだけどっ!

 突き出された拳が、グラムたち四人を二つに分けた。硬い物を叩く音に、心臓が縮こまる中で、グラムたちは互いの顔を見合わせた。床に転がるように攻撃を躱したグラムとリグは、階下への階段側に。流れる動きで身を翻したウィルドと、その彼に肩を抱かれたリズは、階上への道に。

「えっと……じゃあ、仕掛けのほうはよろしくってことで!」

 なんで、などと思っている余裕はない。とにかくこの場を切り抜けるための判断をグラムは下した。敬礼の如く額に左手を置いて激励すると、リズが嫌そうな顔をする。

 すぐさま立ち上がったリグが、火の玉で守衛を攻撃する。グラムが挑発するように剣を振ると、まさか乗ったわけではあるまいが、守衛の注意がこちらに向いた。

 なんとなく不満そうにしながらも、リズはウィルドと先の道へと進んでいった。音を立てずに去っていく二人に安堵し、グラムはリグに目配せする。

「逃げますか」

「だな」

 床を蹴り、守衛に背を向ける。ここは大きな敵と戦うには狭い。逃げられれば、それで良し。できなくても〝井戸の底〟であれば、戦いやすくなる。

 守衛は重い足音を立てながら、グラムたちを追ってくる。動きは鈍重ではあるものの、床が心配になるほどの振動も伝わってきて、壊れる前にさっさと下りてしまいたい、とグラムは思う。

 階段を下り。張り出した床を走り。ぐるぐると螺旋状に、塔を下りていく。

 二階分下りて。

「うわっと!」

 背後の脅威とはまた違う方向からの脅威の出現に、グラムは思わず叫んだ。猿を思わせる様子で天井からぶら下がった、また違う守衛がグラムたちの前に現れた。基本的には背後の守衛と同じ。だが、前の守衛は少し細長い。

 守衛その二は、ぶら下がったままこちらに掌を翳した。その先に描かれる赤い魔法陣。

「やっべ!」

 グラムは速度を上げ、守衛その二に接敵した。抜いたままの剣で、魔法陣を真っ二つに斬る。皿のように割れた魔法陣は、やがて宙に溶けるように消えていった。

 少し大回りしたグラムの背後を、リグが走り抜ける。グラムは直ちにその後に続いた。足の遅い守衛その一との追いかけっこはまだ続いている。そこに魔術攻撃の守衛その二まで加わって――結構まずい。

 時折飛んでくる魔術攻撃を躱しつつ、まさに命からがらといった状況で、エントランスの広間まで辿り着く。

 二人して滑るように広間の中ほどまで行き、来た道を振り返る。飛んできた火の玉をグラムが剣で防ぎ、その間にリグが魔術で蔦を縒り合わせた太い腕を喚び出し、上の階にぶら下がった魔術攻撃の守衛を(はた)き落とす。

 リグがそのまま床に押さえつけた敵に、グラムは接近した。石の継ぎ目に剣を差し込み、魔力の接続を切断する。手脚、首、腹、胸と断つと、守衛その二は動かなくなった。

「あーあ、やっちゃった……」

 仕方のないこととはいえ、駄目と言われていることをしたことに対する後ろめたさはどうしても生じる。これは本当に不可避の事態だったのか、をこんこんと言い訳しなければならない面倒臭さも。……むしろそちらのほうが強い。

 とはいえ、そんなことを悠長に気にしている余裕もなく。グラムたちは息吐く間もなく、遅れてやってきた最初の鬼に相対することとなる。

「あーもうめんどくさいなー」

 無気力に両手を下ろして猫背になって。階段を下りたあとに首を巡らせた守衛が、赤いレンズでこちらを見るのにうんざりしていると。獣が唸るような音が部屋の中央から響いた。ぼう、と中央の柱が白く光っている。リズたちがすべての仕掛けを作動させた証拠。思ったよりも時間が掛かってるな、とグラムは思う。あちらも何か手こずるようなことがあったのだろうか。

 ――だとしても、良いタイミングで。

 グラムとリグは身を翻し、中央の柱へと向かう。仕掛けがすべて解けたということは、昇降機が作動したということ。つまり、それに乗れば逃げられる。

 あとから来るリズたちには、申し訳ないが、自分たちでどうにか切り抜けてもらうことを祈り。

 中への出入口など見当たらない、一見ただの光る柱でしかないそれに触れると、身体が透過する。中に転がり込むと、暗い紫色の文様がある黒い円盤の上に乗った。円周沿いに置かれた小さな白い箱に手を載せると、円盤が光る円筒の中を通って上に浮かんでいく。まるで何かに吸い込まれていくような感覚。無事逃げられたのだと知り、グラムは箱に手を載せたまま床に座り込んだ。

「なんだったんだ、もう……」

 ボヤけば、同じく床に座り込んだリグも疲れた様子で頷いた。

「なんだろうな。なんつーか……」

 何か気に掛かることがあるようで、しかし言葉にできないのか、眉を顰めて首を傾げたまま、リグは頭を掻いた。

 リグが言葉を探しはじめた頃に、昇降機は最上階に着いた。空洞だった円筒に蓋がされ、グラムたちを乗せていた円盤は最上階の灰色の床に一体化する。身体が外気に晒される。微風を感じて一息。

 マナウェル塔の最上階は、欄干の設けられていない、鏡のように平坦な灰色の床が広がる。昇降機が辿り着く中央。その東西南北四箇所に、二段で積み上げられた祭壇があった。土台となる大きな段は、人の背の高さ。上に載る小さな段も、高さは同じ。上面の面積は、土台よりも一回りほど小さいか。どちらの段も、昇降機側のほうを向いて、真ん中に階段が設けられている。

 今は、四つの祭壇のいずれも、鎮まっているようだが。

 リグは気怠そうな様子で立ち上がり、一番近い南の祭壇を登った。壇の上をふらふらと歩き回り、むっつりとした様子で下りてくる。

「どうだった?」

「たぶん誰か居たな」

「そっかぁ」

 ひんやりとした円盤に後ろ手をついて、空を見上げる。頭上には遮る物が何一つない、深い青が広がっている。空の上からであれば、さぞかし見えやすいことだったろう。その〝誰か〟がどんな悪さをしていたのかも分かったかもしれない。

 昔、神様は空の上に居るものだったらしい。こんな何もないところで、どうやって居たのか分からないが、あまり居心地は良くなさそうだな、とグラムは思う。一方で、あのエリウスなら空の上に居そうではある。そういう酔狂なところが、あの子どもにはあるから。

「……なんで、その巡回は、ここで誰かが何かをしていたことが分かったんだろうな?」

「んー?」

 グラムの斜め後ろまで戻ってきたリグを、仰け反った姿勢のまま仰いだ。杖を片手に、もう片方は顎に当てたリグは、床を見つめつつも何処か遠くを見ているかのようだった。

「塔の仕掛けを解いてここまで来ないと、誰かが来たのかははっきりと分からない。だけど、巡回は普段はちょっと塔の中を覗くだけで、毎度こんなところにまでは来ないだろ? じゃあ、何を以って侵入者がいたと判断したのか、だ」

「さあ……」

 魔術のことなどさっぱりなグラムには、そんなことは分からない。そもそも巡回が何をしているのかもよく知らないのだから、推測などできるはずもない。

「守衛についてもそうだ。あいつらは不審者を見つけたら排除するけど、執拗に追いかけては来ない」

 そもそもいきなり攻撃もしてこない。だが、今回は、剣を抜いていたとはいえ身動きしなかったグラムたちを積極的に排除しようとしてきた。あのときは驚くばかりだったが、こうして落ち着いて振り返ってみると、やはり異常だったのだ。

 では、何故そんなことになっているのか。

「罠だった?」

「かな。やっぱり」

 立ち疲れたのか、リグはしゃがみ込み、グラムと同じように空を見上げた。

「え、恨み買ってんの、お前ら」

 魔術がらみである以上、グラムに向けられたものではないだろう。

「そんな積極的には買ってねーよ。でも、研究()の世界は逆恨みを買うこともあるからなー……」

 禁術書を見ることができたという特別扱い。そして、双子が塔長の孫であるという事実。前者は双子ではなく、彼らの研究仲間に下りた許可であるためお角違いでもあるのだが、いろいろと誤解を招きやすい立場であるのは、そうかもしれない。

 が、それでこんなことを仕掛けたというのであれば、それはそれで面倒なことになる。この遺跡に入り込めるということからして、〈木の塔〉の人間の仕業であることは確実――

「そうとも限らない」

 リグはグラムの推測を否定した。

「関係者であることは確かだけどな。今も〈木の塔〉に所属しているとは限らないよ」

「心当たりがあんのかよ」

 リグはうんざりした様子で首肯した。それから、祭壇を示す。

「あそこには、二年前に俺たちが禁術を使ったときの痕跡が残ってる。たぶん奴はそれを観察していったんだ」

 おそらくリグたちが使った魔術と同じものを得るために。〈セルヴィスの手記〉など容易に見ることはできないが、魔術師であるのならば、魔術を使った痕跡から、ある程度拾えるものがあるだろう。

 そして、その後ついでにリグたちに()()()()を残していった。折よく死ねばラッキー、くらいの感覚で。

「〈召喚術〉なんて、この情勢下さぞ役に立つだろうからな。好奇心か悪巧みか知らないけど、さらに面倒なことになりやがった」

 魔術がらみってわりとろくなことがないな、とグラムは思う。それは、二年前のあのときからずっと、思っていることでもあった。

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