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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第六章 絡まる糸
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宣戦布告

「ねえ」

 その子どもを前にして、ラスティは言い知れぬ緊張感を覚えていた。まるで山のような巨人に見下ろされているかのような。だが、相手はレンよりも小さい、十歳ほどの少年だ。亜麻色の真っ直ぐな髪。華奢な身体には、神官を思わせる白の長衣。特徴のないほど整った顔に象嵌されているのは、緑と赤のオッドアイ。

 旅立ちの準備のためにレンとともに街に出ていたラスティは、買い物を終えて宿に戻ろうとした道すがらで、この少年に遭遇した。

 黄昏時を迎えたシャナイゼの街は、緑の天蓋のために暗くなるのが早い。辺りはセピア色の闇に包まれている。だからというわけではないだろうが、街灯が灯りはじめた路地に人影はまるでなかった。ラスティたちの周囲だけ世界が切り取られたかのような、心許ない気分を味わう。

 石畳の真ん中に立ちラスティを見据える少年は、この世界を支配するが如く堂々とした有り様で、知らずラスティは荷物を地面に落とし、身構えた。

「……なんだ?」

 隣のレンもまた、半身で構えて少年に相対している。毛を逆立てた猫のような険しい表情だ。こちらもまた赤い眼は、宝石のように硬質で剣呑な光を放っている。

 一方目の前の少年の赤は、暮れる前の太陽のようだった。柔らかいようで、すべてを射貫く強い光。絶対的な眼差しが、ラスティを落ち着かなくさせる。

 少年は笑んだ。子どもらしからぬ、超然とした笑みだった。

「少し話がしたいな」

 唐突な()()。ラスティの右手は腰の剣を掴んだ。鉾槍(ハルベルト)を宿に置いてきたレンは、買ったばかりの小刀を抜き放つ。敵意を高めた二人を前に、少年は不思議そうに眉を顰めた。

「お話しするだけだよ? 別に君たちをどうこうしようってわけじゃない」

「わざわざそう言うってことは、その気になれば僕たちをどうこうできるってことですよね?」

「まあ、そうだね」

 それでも納得がいかないとばかりに、少年は口を尖らせる。それを愛らしいと思えないのは、きっと見た目通りの年齢ではないからだろう。だからラスティもレンも、躊躇なく彼に刃を抜ける。

 少年の正体を、ラスティは察していた。

「何の用事だ……エリウス」

 ラスティたちは、既に四神のうち二人に会っている。明かされるまでは疑問にも思わなかったが、神の持つ独特の雰囲気を今は感じ取れるようになっていた。この少年は、誰よりもそれが強かった。四神の筆頭であるというのならば、()もありなん。

「そんなこと知れているでしょう? ラスティ・ユルグナー」

 エリウスは手首を糸で吊ったように腕を持ち上げ、人差し指をこちらに向ける。

「破壊の(つるぎ)――アスティードを、返しにもらいにきたよ」

 ラスティは剣を抜き放った。件の神剣ではなく、亡き友に渡された騎士の剣だ。ラスティは、自分でこの神剣を守っていくことを決意したばかりだった。それを取り上げるようなことを言われては、黙ってなどいられない。

 エリウスは二色の眼でそれを見、首を傾げた。

「どうして歯向かうの?」

 従うのが当然だとばかりに、エリウスは言ってのけた。――なるほど、『クソガキ』と呼びたくなるわけだ。

「お前がアリシエウスを攻めるように仕向けたんだろう」

「必要だったからね、その剣が。アリシアは素直に役目を果たさないからさ」

 ラスティは奥歯を噛み締めた。アリシエウスの民たちのことを、まるで意に介していない言葉。自分の思い通りにことを運ぶために、国に国を襲わせたのはエリウス当人だと――本人も今そう認めたのに、悪びれず、責任転嫁するような台詞が鼻につく。

「この世界は千年もの間、未完成のままだ。破壊神が機能しないからね。その結果がどうなのか、それは君たちもなんとなく分かってるんじゃない?」

 身動ぎしたのは、レンのほうだった。構えた小刀が少し下がる。それは、魔物を憎むレンが抱いた疑問への答えでもあった。

 もしアリシアが、合成獣(キメラ)に対処していれば、この世界に魔物はいなかったかもしれない。そして、レンの姉が犠牲になることも。

 レンの反応をどう見たのだろうか。少年神は勝ち誇ったような笑みをこちらに向けた。

「なんなら、君がその剣を握ってくれても良いんだよ、ラスティ・ユルグナー」

「は……?」

 話の風向きが変わり、ラスティは呆然と口を開ける。ラスティから剣を取り上げようとしていた彼が、一転ラスティに剣を使うように勧めてくるとは――

 思考は止まり、胸は騒つく。何かが絡みついてくる気配に、ラスティは身体を強張らせた。

 受け入れ難いその呪縛は、

「エリウス!」

 飛び込んできた鋭い声に、氷解した。

 ラスティたちの背後から、金色の長い髪が翻りながら飛び込んでくる。僅かばかりの残照に光るのは、剣の刃。容赦なく振り下ろされたそれを、エリウスはひらりと躱す。体重を感じさせない、羽のように軽い動き。

「久し振りだね、アリシア」

 ラスティたちの前で、少年神に剣を向けるフラウは、肩をいからせながら彼を睨みつけていた。

「貴方は……この期に及んで、性懲りもなく……っ!」

「珍しいね。何にも関心を持たなかった君が、そんなに激昂するなんて」

 こちらに横顔を向けるエリウスは、フラウに話しかけているようで、その視線をラスティに向けられていた。山野を思わせる澄んだ緑色の瞳は、何故かこの暗がりにおいても鮮烈に映る。彼自身の瞳が光を放っているかのようだ。

「貴方の身勝手に付き合いたくなかっただけよ」

「身勝手だなんて。僕は正しくこの世界を管理してきたつもりだ。でも君が――役目を放棄するから」

 フラウは鼻で笑い飛ばした。だが、

「大事な姫様の代わりに、なったのに」

 続けられたエリウスの言葉に表情はたちまち凍りついた。剣を構えた腕が下ろされる。

 フラウは胸を剣で刺されたような表情で、剣を握る拳を震わせていた。それが次第に、誰の目にも明らかなほどの憎悪を浮かべる。

「……だから見せしめってわけ?」

 怒気を押し殺した、地を這うような声。エリウスを睨む青色の瞳には、殺意さえ浮かんでいた。

「よくもヒューバートの子どもたちを!」

「見せしめなんてとんでもないよ。僕はただ剣が必要だっただけ。君が余計なことをしなければ、大事な部下の国は残っていた」

「お前っ!」

 吠えたフラウが剣を構え直す。エリウスはそれを冷ややかに眺めた。

「もう君のことは諦めたけれど、神の席は埋まっていないと困るからね。……新しい神を擁立するには、それなりの物語が要るんだ」

 この世界の神話はすでにアリシアの名前を広めており、おいそれと破壊神を挿げ替えるわけにはいかない。だから、それを人々に納得させるだけの筋書きが必要だ。例えば、アリシアを悪者に仕立て上げ、英雄に神を討たせる、といった。

 エリウスがどんな物語を構想していたのか、ラスティは知らない。誰を英雄に仕立て上げるつもりであったのかも。だが、故郷は、子どもの作った陳腐な物語のために、攻め入られたのか。そのために、ユーディアの国に、他国に戦を仕掛けさせたのか。

 焼けた石のような熱く重い激情が、ラスティの胸の内を焼く。

「もう候補は見つけてある。その子のために剣を返しにもらいに来た。でも……君でも良い」

 補色同士の目がこちらを向く。値踏みする視線に、ラスティは苛立った。

「いっそ、試してみようか。君と彼、どちらが破壊神にふさわしいか」

「冗談じゃない!」

 ラスティの意思など関係なく、あまりにも身勝手な算段に巻き込まれて、ラスティは声を張り上げた。

「俺は、貴方に従わない。彼女の味方をするわけじゃない。だが……あんたに振り回されるのは御免だ」

 何をさせられるか分かったものではない。ハイアンもディレイスも、ラスティをエリウスの傀儡にするために神剣をラスティに託したわけではないだろう。

「そう。なら、僕のすべきことは決まったね」

 エリウスはこちらに掌を向けた。途端、手を叩かれたような衝撃を受けて、ラスティは剣を落とした。金属音がもう一つ。レンもフラウまた同じように、得物を落とされていた。

「今はその剣を持っておきなよ。でもいつか、取りに行かせる」

 あからさまな譲歩。侮られている。いつまでも怒りの炎に油を足してくるエリウスに、いい加減うんざりしてきた。言葉も返すことなく、内心でさっさと帰れと思いながら、立ち去ろうとするエリウスを見送る。

「一つ教えてください」

 踵を返したエリウスを、レンは呼び止めた。

「合成獣の噂がありますよね。あれ、どうする気なんですか? 神様は」

 ラスティは意表を突かれ、レンを振り返る。レンは冷ややかに、いささか斜に構えた様子でエリウスを見ていた。

「どうにもできないね。その剣がないんだから」

 無責任な言葉を残して、エリウスは道の向こうに消えていった。


 フラウが石畳に屈み込む。落ちた剣を拾おうとして手を伸ばして、動きを止めてしまった。辺りはすっかり宵闇に呑まれ、白く丸い光を浮かべる街灯が浮かび上がらせた彼女の顔は、無表情。舞台の悲劇の演出のように、虚無を感じさせる。

 ラスティは彼女の傍まで近寄り、しかし声を掛けるのを止めた。なじるつもりも、慰めるつもりもなかった。ただ、あまりにも馬鹿馬鹿しい事態に虚しさを抱えずにはいられない。その心情が、ラスティのものと何となく似ているような気がした。

 胸の中を風が通り抜け、身体が急激に冷えていく。シャナイゼは沙漠ほどではないが、昼夜の寒暖差が激しい。

「なるほど、よーく分かりました」

 レンの声が暗闇を割る。黒ずくめの彼はその身を闇に溶け込ませながらも、赤い瞳は強く輝いていた。

「誰か一人が世界を統治しようとした時点で、より良い世界なんてものはなくなるんだ」

 誰かの独り善がりで維持される世界。それが、現在ラスティたちのいる世界。残酷なのは〝唯一の誰か〟の都合に過ぎず、理不尽だけが人々に降りかかる。

「何が〝剣がないから〟だ、馬鹿野郎。何もする気ないんじゃん」

 あまりに子ども染みた言い方に、ラスティは笑った。 

 ようやく気を緩められたところで、ラスティはフラウに手を差し伸べた。彼女はそれをぼんやりと見つめ、やがて手を取り立ち上がる。

「子どもの身勝手に、付き合う必要はない」

 ラスティは剣を拾い、放り投げた荷物を拾った。

「ですね。こっちはこっちで、好きにさせてもらいましょう」

 軽快な足取りでやってきたレンに、荷物の一部を押し付ける。彼は少々不満そうに受け取った。

「面倒事が降り掛かってくるんだったら、そのときに対処すれば良いだけです」

「……そうね」

 通りの向こうに人の往来の気配を感じた。エリウスの降臨という非常事態が終わり、日常が戻ってきたようだった。

 魔術による光が照らし出す石畳を行き、ラスティたちは宿へ戻る。別行動をしていたユーディアが、先に帰っていることだろう。


 数日後、ラスティたち四人は、シャナイゼを後にした。

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