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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第六章 絡まる糸
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身の振り方

「もうこの話はするな」

 ラスティが隣に目をやると、顔を歪めたユーディアが心許なさそうに立っていた。涙を堪えているように見えた。

 ラスティの中には、ユーディアを哀れに思う気持ちが大きくなっている。ただクレールの出身というだけで、肩身の狭い思いをしている彼女。ユーディア自身はアリシエウスを滅ぼす気などなく、禁術を使う気もなく。右に左にと、川に流れ行く落ち葉のように状況に翻弄されているだけだった。

 もちろん、ラスティ自身に暗い気持ちがないわけではない。行き場のない怒りと悲しみを、ユーディアにぶつけたいと思う気持ちはある。だが、それに何の意味がある? 一時ラスティの鬱憤が晴れるだけで、時間が巻き戻るわけでもなく、ハイアンやディレイスが生き返るわけでもなく。彼女に悲しみを押し付けるだけで、何も変わらない。

 ――なら、何をすれば変えられる?

 ラスティがするべきことはなんだろう。

 組んだ腕を欄干に乗せて、眼下の街並みを見下ろす。街の様相は違えど、穏やかな人の営みがある様子は、かつてのアリシエウスを思い出させた。あの景色を取り戻せたなら――。

「おーい!」

 飛び込んできた闊達とした声に振り返ると、大きく手を振るグラムがこちらに来ているのが見えた。後ろには双子もいる。

「なーにしてーんの、こんなところで」

「別に何も」

 特別に言うようなことは何もなかった。ユーディアと会ったのも偶然だ。

 彼らは〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉の本棟のほうではなく、ツリーハウスから来た様子。何かの用事の帰りだろうか。

 にこにこしたグラムの後ろで、少しばかり焦った様子で背後を気にする双子が目についた。

「中に入ろう」

 何事かを言おうとしたグラムを遮って、リズが前に進み出る。そわそわとして落ち着きがない。訝しく思いながらも、ラスティたちは従った。

 昇降機で四階に下りる。〈木の塔〉は一般人も一部区画は自由に出入り可能で、ラスティたちの居た展望台や図書室はその例だ。だが、四階以上の研究区画は別。ラスティはここに来るのは初めてだった。

 エントランスホールのある一階や、書棚の立ち並んだ三階に比べると、閉塞感のある階だった。真っ直ぐに延びる廊下は、大樹の幹の直径とほぼ同じ長さがあるという。それが螺旋階段を中心に、東西南北と十字に走っているとか。各方角の端部に、昇降機は設けられている。

 廊下の左右には、一定間隔で扉が設けられている。研究室だ、とリグが教えてくれた。研究者が事務作業を行う居室。実験室はまた別にあるとのことだ。

 ラスティたちが案内されたのは、双子の所属する研究室だ。

「おっつ〜」

 先陣を切って馴れ馴れしくグラムが入室する。リグとリズは咎めないが、中には誰か居るとのことで、ラスティは少し気を引き締めて入室した。出迎えたのは、大きめの円卓。その向こうに、部屋を割る衝立のように並ぶ本棚。奥に迎えるよう、右手側だけ開けられている。左右の壁にも棚があり、本をはじめとして何に使うか分からない機材や小物が置かれている。物が多く、棚が迫り、狭苦しさを覚える部屋だった。

「あれ? ラスティとユディまで。どうしたんですか?」

 唯一身の置所と思える六人がけの円卓の一席には、レンが座っていた。魔族の集落で沈んでいた彼は、翌日には元来の好奇心を発揮して、双子に魔術の教えを請いに行っていた。

「魔術の練習はどう?」

 ユーディアの質問に、レンは得意げに笑ってみせた。

「初歩的な水の魔術だったら、もう使えるようになりましたよ」

 レンの隣には、眼鏡を掛けた垂れ目の男がいた。くすんだ金色の前髪の下からじろりとラスティたちを見つめる。彼はリグたちと同い年の幼馴染で、同じ研究室の仲間なのだという。偏屈そうな印象を受けたが、教師としては優秀らしく、レンは興奮気味に自身の上達をひけらかした。

「これで札の枚数を気にしなくて済みます」

 レンが持つ〈魔札〉は使い切り。紙一枚にしては値段も張るのも難点だった。しかもサリスバーグの一部地域にしか出回ってないので、異国では補充の当てもない。旅の間に枚数も減って心許なかったそうだ。

 だが、彼の場合はそれだけが動機というわけでもないだろう。

「ラスティも覚えればいいのに。面白いですよ?」

 実は初日に少しだけ、ラスティもレンと一緒に双子から魔術を教わろうとした。二人曰く、ラスティは人並み以上に魔力を持っているらしいのだが――

「性に合わないんだ」

 魔力を扱うことはそれなりにできたのだが、その次の魔術にする段階で挫折した。

「賭博ではあんなに器用なのに……」

 やれやれ、とレンが頭を振る。呆れ、というよりは侮られているようで、ラスティは少し腹が立った。

 その間にリズが研究仲間に席を譲るように頼んでいた。ラスティたち、そしてグラムたちの六人が円卓に着く。

 リグとリズは深刻そうな顔をしていた。いつもは能天気なグラムも神妙な様子で、ラスティはようやく只事ではないと知る。

「クレールが、リヴィアデールとサリスバーグに宣戦布告したらしい」

 隣から息を呑む声が聞こえた。ユーディアが口を掌で覆っている。

「……嘘」

「嘘じゃないんだ、残念ながら。今〈木の塔〉にリヴィアデールの宮廷魔術師が来てる。おれたちを戦力に持っていくんだとさ」

「てことは、それじゃあ……」

 ユーディアはグラム、リグと視線を移す。最後に視線を向けられたリズは肩を竦めた。

「私たちはユディの敵になる。残念ながらね」

「いいんですか」

「よかないよ。だけど、逆らうこともできない。……まがりなりにも、組織の人間だからね」

 徴兵に反発して〈木の塔〉を辞めるという選択肢をグラムたちは持っていないようだった。戦争に行くのは一時。だが、〈木の塔〉を辞めるということは、彼らにとっては今の生活を失うということだ。戦争に出向くことのほうが彼らにとってはまだ些末ごと。

「まあでも、あんたは他人の心配をしてる場合じゃないぞ」

 リズがラスティを指差す。眉を顰めたラスティに、重々しい溜め息を吐きながらリグが一言。

「アリシアの(つるぎ)、リヴィアデールも探しているみたいだ」

 ラスティはますます眉間に皺を寄せた。左手が朱い剣の柄を掴む。

「俺らに声を掛けてきた宮廷魔術師が、アリシアの剣を知らないかと尋ねてきた」

 だからこの部屋に連れて来られたのか、と納得する。ここは密室で、奥に行った眼鏡の魔術師も含め信用できる者しかいない。内緒話をするには、むしろこういう場所しかない。

 ――アリシアの剣の存在が表に出たら、世界はこの剣を巡って戦乱に包まれる。

 いつかハイアンの言っていた懸念は、現実味を帯びてきたというわけだ。

「今まで追手がなかったのが不思議なくらいだったけど、これからはたぶんそうはいかない。今まで以上に警戒したほうがいい」

 今やクレールだけではない。リヴィアデールも神剣を求めている。そしておそらく、サリスバーグも。世界中がラスティの持つ剣に手を伸ばしているも同然だ。

「とはいえ、ここにいればそう心配することもないよ。なんたって、ここはリヴィアデールの東の果てだから」

 戦火が及ぶに遠く、追手が来ようにもシャナイゼの西側には、沙漠という隔たりがある。東は未開の地。北には険しい山脈。南への道には砂礫に埋もれていない箇所はあることにはあるが、こちらに来る人はかなり制限される。

 まさに安全地帯というわけだ。

「お前たちが滞在できるよう手配するから、その間に身の振り方を――」

「いや、俺は一度アリシエウスに帰ろうと思う」

「え?」

 全員が――ユーディアまでもが――目を点にした。

「考えていた。このまま何もせずにいて良いのかと」

 神剣を託され、東の果てまで逃げてきて。だが、世界は止まらなかった。故郷は奪われ、大国同士での争いがはじまろうとしている。

 火をつけたのは、この剣かもしれない。だが、炎はもはやひとりでにあちらこちらに広がっている。

 ならば、ラスティのすることは。

「このまま何もせずにいて、火が収まる保証があるか? 世界は何事もなく戦を終え、これまでと同じ日常に戻る可能性があるのか?」

 まして、何処にいようと神剣が狙われる可能性があるというのなら。絶対の安心がないのであればなおさら、ここで隠れて怯えている必要はないはずだ。

「だから、俺はアリシエウスに戻る」

 ラスティが大切なのは、故郷だ。それは友人を喪っても変わらない。

「だけど、あんたが動いたらエリウスの思う壺だろうね。あいつはその剣を火の中に放り込みたいと考えているはずだから。大事な故郷がかえって危険にさらされる可能性もある」

 そうかもしれない。創造神に会ったことのないラスティには、彼が何を考えているかなど推測することはできない。

 ――だが、もしリズの言う通りだというのなら。

「この先、俺がエリウスの掌で踊らされることになったとして。俺はこの剣を自分の手で握っていたいと思う」

 どういうことだ、と全員の眉が顰められる。

「このまま逃げていれば、俺はいつかこの剣を手放すことになるだろう。そうしたら、次は誰の手に渡る? エリウスの手先か? 力を振るいたいだけの大馬鹿者か? そこに、安寧の保証はあるか?」

 黙り込んでしまったのは、〝ない〟からだろう。誰一人エリウスの思惑を把握しきれていない。彼の望みが自分たちのものと一致するとは限らない。

「ならば俺は、そこに俺の意思が少しでも介在できるようにしたい。俺の手から離れたところで、この剣が振るわれないように」

 そして同じように、自分の知らないところで故郷が踏み荒らされることのないように。自らの手で故郷を守れるようにしたい、とラスティは思っている。

 賭けに等しいのは分かっている。卓の上とは違い、ラスティの誤魔化しが通用しないだろうことも。

 ――それでも。

「両方取るのか」

 恐いくらいに難しい表情をしたリグ。反対されるか、とラスティが半ば諦念を抱きつつ落ち込んだところで、リグがふと笑った。

「……欲張りだな」

「おれ、そういうの好き」

「まあ、あのクソガキに歯向かうんだったら、そんくらいの意気込みは必要かもねー」

 レンとユーディアが目を丸くする中で、〈木の塔〉の者たちは肯定的だった。神に振り回された立場から来る親近感の所為だろうか、などと考える。

 彼らは彼らで、これまでの年月をどう過ごしてきたのだろうか。だが、見ている限り彼らは悔いが少ないように生きているようで、ラスティもそう在りたいと思う。

「……手伝ってやれないのが残念だけどな」

 少しだけ、グラムたちの気分が沈み込んだ。シャナイゼを出ていくことで、彼らとの道は完全に分たれる。それどころか、敵になる恐れもある。いまやアリシエウスはクレールの傘下だ。リヴィアデールがアリシエウスを襲うなら、ラスティは立ち向かわざるを得ない。

 それでも、グラムたちはラスティに向けて笑顔を贈る。

「頑張れよ」

 ラスティの決意がより一層固まった瞬間だった。

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