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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第五章 世界の姿
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かみさま

 朗らかな小鳥の囀りが晴天に響く。いつの間にか広場の植木に止まっていたようだ。(しき)りにお喋りをした後、翼をはためかせて飛んでいく。その羽ばたきの音は、意外に力強かった。

「あー……言っちゃうんだ、そのタイミングで」

 嘘だろぉ、などとぼやいているグラムの物言いに、衝撃的な真実に対しての驚きはまるでなく。ただ呆れているだけの様子であったことにラスティは目を瞠った。

「どうせ、説明するつもりだったのでしょう?」

 フラウは、その告白が何でもないことであったかのように、淡白な振る舞いで。

「そうなんだけどさ……なんか嘘っぽさが拭えないっていうか」

 リグが肩を落とすさまも、自分たちとの隔たりを思わせて。

「そもそも慣らすって話だったのに、むしろ追い討ちかけてるし」

 彼らは本当に総てを知っていて、自分たちは隠されていたのだという事実に悄然とする。

「どのタイミングで言っても変わらないわ。……でも、そうね」

 フラウ――否、破壊神(アリシア)か――の青い目が、ラスティを見据える。うっすらと笑んだのは、どうしてだろうか。

「アリシエウスの王家の子たちが私の言うことを聞いたのは、どうしてだと思う?」

 思い出すのは、王城の中庭でのこと。王族であるディレイスが敬意を払っていたことに、ラスティは疑問を抱いた。国の頂点である彼らが(こうべ)を垂れる存在は、確かに神くらいなものだろう。

 だが、神が自分たちの生ける世界に在るとは、思いもしなかった。

「神様が天上の存在だったのは、それこそ千年前の話よ。現在の四神が肉体を持たず、この地上にも存在しないとは、誰も言っていないわ」

 そうでしょう、と神殿騎士(ユーディア)に話を振る。

「確かに……そう、ですが」

 だが、この地上に在るとも語られてはいないだろう。想像が及ばなかったことを責められる謂れはない、とラスティは思う。

「そういうわけで。破壊神である私は、その剣が使われることを認めるわけにはいかないの」

 フラウは力なく腕を下ろしたレンの手の中から神剣を取り上げた。

「……自分は使ったくせに」

 不貞腐れた少年の声に力はなかった。

「だからこそ。その末路はよく知っているわ」

 諭すような物言いから、彼女はレンに怒ってはいないのだと知る。彼女は『神剣を使おうとすれば殺して止める』と宣言していたというのに。

 そして彼女は、正体を明かしたのにも関わらず、当然のようにラスティに朱い柄の剣を差し出してきた。

「だったらなおさら、他人に押し付けるのはどうなんだ?」

「嫌なものは嫌」

 澄ました顔が憎たらしかった。ラスティは肩を落とし、神剣を受け取る。抗議しても無駄だろうことは、たいして長くない付き合いの中で理解していた。

「私の望みは、その剣を誰にも使わせないこと。だけど、クレールがその剣を求めた。だから私は、その剣が不心得者の手に渡らないように、アリシエウスに忠告をしたの」

 その結果、ラスティが神剣を持って逃げることになった。王族であるハイアンやディレイスよりは、追手から隠しやすいだろうという判断のもとに。

「剣を持つ貴方が逃げ切れさえすれば良いと思っていた。でも、それでは済まないようね」

 話が合成獣(キメラ)の話題に戻った。否、クレールの、だろうか。唐突な神の出現の衝撃に吹き飛んでいた鬱屈とした表情が、ユーディアの顔に戻る。

「……今さらだけど、場所を変えよう。こんなところで突っ立って話すような話じゃなかったな」

 腕を組んだアーヴェントが、周囲に視線を向ける。まだ魔族たちが遠巻きにこちらの様子を窺っていた。レンの凶行の所為だろう。

「……アーヴェント。すまない」

「いいよ。慣れてるし。煽ったのは俺だ」

 レンはこちらに顔を背けて、地面を睨みつけていた。

 石畳の路の先にあった木の扉から、砦の中へ入る。左右に延びる石の回廊は、きっと昔は無骨で殺風景だっただろう。だが今は、住人たちによって落ち着いた色の長い絨毯が敷かれ、壁の明かりはすべて灯されていて、明るく温かな場所に感じられた。銃窓には可愛らしい花の鉢植えが並べられていたりするものだから、もうとても砦とは思えない。

 こちらの姿を認めて、女一人が近寄ってくる。

「あ、エルザ」

 知り合いらしく、グラムが声を掛けた。ある程度覚悟をしていたラスティだったが、また一風違った姿のその女に驚かずにはいられなかった。

 世にも珍しい緑色の髪。麗しい容貌。耳は尖り、虹彩は大きい。豊満な身体にぴたりとしたドレスを纏っている。現実感のないほどの美しさ。その理由は肌の色だろうか。一見色白なのかと思ったが、よくよく見てみればうっすらと緑掛かっており、およそ普通の人間の肌の色ではない。

「久し振りだな。元気か?」

 エルザと呼ばれた女は、なにも言わずにこくん、と頷いた。そして、喋れないのか、それとも喋らないのか、じっとアーヴェントのほうを見つめる。表情を動かさず、目だけでものを訴える様は何処か愛嬌がある。

「お客様だ。談話室に行くから、エルザ、お茶を持ってきてもらえるか?」

「あ、お菓子も欲しい!」

「図々しい!」

 無邪気にねだるグラムの後頭部を、リグの平手が襲った。

 グラムを貶しながら謝るリグに頷いたエルザは、少しだけ口角をあげた。それから通りすがりざまにラスティたちに丁寧に頭を下げていく。言葉は一つもない。

 ユーディアがその背をじっと追っていた。

「あいつは植物を組み込まれた合成獣(キメラ)の娘だ」

「喋れないんですか?」

「大半が植物だからな。草花は喋らないだろ?」

 因みに食事も摂ることはなく、光合成で生きているのだという。それは、もはや人の形をした植物といえるのではないか。そんな存在を魔族として扱うアーヴェントの思想がなんとも重く感じた。

 通された部屋の中は、思ったよりも広かった。詰所だったのではないかとラスティは推測する。だが、部屋の角には観葉植物、壁には草原の風景画が飾ってあり、砦の中だとは感じさせない部屋だった。

 長机の周りのソファーを勧められて間もなく、エルザが台車を転がして入ってきた。一人一人の前に茶器を置き、お茶を注ぐ。仕上げに菓子の乗った大皿を真ん中に置いて、頭を下げて部屋を後にした。

 湯気の立つカップの中を覗き込む。見た目は普通の褐色の液体だ。

「俺が街に遊びに行ったときに買ってきた茶だ。変なもんは入ってねーぞ」

 むしろ良いものを選んでいるんだ、と向かい側でアーヴェントが戯けつつ茶を勧める。この集落で人間の街に遊びに行けるような者は、アーヴェント一人なのだという。嗜好品などの仕入れは、すべて彼がしているとのこと。

「あとはウチで自活できるようにしてる。畑もあるし、機織りとか、家具も作ったり。家畜はさすがに難しいから狩りを覚えて。他にも手工芸とかもやって、少ないけど収入源もな」

「健気なものね」

「……ばかばかしい」

 ソファーの端で感心するのはフラウ。その反対側で小さく吐き捨てるのはレンだ。間に挟まれたラスティとユーディアは、呆然と相槌しかなかった。正直にいうと、耳に入る情報にまだ感情が追いつかない。グラムがごきげんで焼菓子に手を伸ばすのさえ、非現実的に見える。

「さて、と。俺は席を外す?」

 アーヴェントが隣のリグに目配せをする。アーヴェントの用事は、〈手記〉に関する質問だけで終わりのようだ。

「いや。いいよ」

 首を振ったリグは、深刻そうな表情で考え込む。

「とはいえ、何から話せば良いか……」

 これでもかと眉根を寄せている。話の切り口に悩むのなら、とラスティのほうから質問してみることにした。

「知っていたんだな。その……彼女のこと」

 どこ吹く風とばかりにカップに口を付ける金髪の〝彼女〟を、視線で示す。

「まあ……うちの神様が教えてくれたからな」

「……ウィルドのことか」

 単純に消去法というわけでもなかった。妙に浮いている彼の正体を、ラスティは常々気にしていた。

 ダガーの前で疑いを口にしていたこともあり、リグは特に驚くこともなく、答えを披露する。

闇神(あんしん)オルフェ。それがあいつの正体。昔――つって二年前か。俺とリズが〈手記〉の禁術に手を出したもんだから、殺されかけた」

 ……閉口した。次の質問が出てこない。

「闇神オルフェは裁きの神。罪を裁き、禁忌を葬り、夜に安寧を齎す。それなのに……よく生きているわね」

 殺されていないどころか、じゃれ合っている。

「いろいろあったんだよ」

 リグの反応は苦々しい。今は気の置けない仲の良さでも、忌々しい思い出があるということか。

「禁術に手を出せば、裁かれる……」

 傍らから幽かな声が空気を震わせた。その場にいた者はユーディアの声を聞きつけて、彼女に視線を向ける。

「オルフェ様は、クレールを裁こうとされる……?」

木の塔(トゥール・ダルブル)〉での取り調べの際、ウィルドはクレールを敵視する様子を見せた。あれは標的を定めたからなのだ、と正体を知った今、そう思えるが。

 さあ、とフラウは肩を竦めた。

「〈手記〉をどうにかしようとしているのは確かでしょうね。一応真面目ではあるから」

 フラウの皮肉げな口振りに、菓子を飲み込んだグラムが顔を上げる。

「そんなさー、邪険にしなくても」

「仲良くする気はないもの」

 互いに妙に辛辣だった二人は、やはり仲良くはないらしい。思えば神話は神々の関係性に言及していなかった。ただ、創世のことや教え、神罰の逸話(エピソード)くらいしか伝えられていない。

「それはともかく、彼が国そのものをどうにかしようとすることはないでしょう。一振りで滅ぼすなんてことができるのは、神剣(それ)くらいなものだし」

 神の力など人間と大差ないのだ、とフラウは言う。千年前の世界の破壊も、神の力ではなく剣の力である、と。

「そもそも、問題なのは国ではなく、黒幕を気取っているエリウスのほうでしょう」

 愚痴を溢すようなフラウの言葉に、ユーディアの横顔は、いよいよ心の臓が止まるのではないかと思わせるほどの驚愕を貼り付けていた。

創造神(エリウス)……が」

 騎士にしては華奢な身体が力なくソファーに凭れかかった。顔からは一切の表情が抜け、血の気を失い白くなっている。治療術の使えるリグがいつでも駆けつけて介抱できるように腰を浮かせ、心配そうに様子を窺っている。

 ユーディアの所属するアタラキア神殿は、主に少年神エリウスを掲げている。そして、その神殿の騎士であるということは、彼女もまた信心深い者である。

 彼女の様子が気に懸かる一方で、ラスティもまたおそらく同等の衝撃を受けていた。

 昨日の宿でのフラウの口振りから、禁書を求めた者は、神剣を奪おうとも目論んでいて。

 まだ詳細は確認していないが、昨日の酒場での話から、アリシエウスは陥落したという。

 ラスティはテーブルからカップを拾い上げ、温くなった茶で喉を湿す。持ち手を摘む指先が震えるのを、なんとか抑え込む。

「つまり……アリシエウスは、創造神の所為で……?」

 溢すものの、まるで何処か遠くの地のことを話題にしたときのように、実感が伴わない。胸の内が錆びついたかのように、感情が動かない。

 崩れ落ちるユーディアの向こうで、フラウは憂鬱そうに溜め息を吐いた。

「千年前に、他人に押し付けておいて。今になって必要だ、なんて。気まぐれが過ぎるわよね」

 ラスティの手から、カップが床に落ちていった。

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