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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第五章 世界の姿
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魔のもの

 背には白く大きな四枚の羽根。頭には牛の角が付けられ、足は猛禽類の如き鈎爪、尻には獅子の尾が在った。

 その絶望的に哀れな生き物は、おぞましい姿で暴れまわり、泣きじゃくり、殺してくれと懇願した。

 それに斧頭を叩きつけたときの感触を、今もまだ忘れていない。


 アーヴェントの案内でさらに奥に向かう。森に埋もれた文明は、徐々にかつての姿を見せるようになっていた。規模の小さな村だったのか、と想像していると、森が拓ける。木の密集の空隙を埋めるように、石造りの砦が蹲っていた。積み上げた石はところどころ風化し、隙間には植物が這っていて、周囲と同じく朽ちかけているように見えた。

 中に続く門の鉄格子は降ろされている。錆の浮きかたから、とても動きそうにはなかった。奥に見えるのは、光を浴びて明るく揺らめく緑色。

「フェヴィエル砦だ」

 足を止めて砦を観察するラスティの隣に立ち、リグが説明する。

「五百年ほど前、シャナイゼには二つの国があった。そのときの国境沿いに置かれたのが、これ」

「で、今は俺たちの集落の囲いとなっているわけ」

 ラスティたち一行の間を抜けて、アーヴェントは門の前に立つ。砦の上方を見上げて手を振ると、音もなくするりと鉄格子が上がった。同時に門の向こうの景色も変わる。草木に埋もれたと思われた砦の中は、プランターの置かれた庭園に様変わり。

「ちょっとした隠蔽工作をしてある。滅多にここまで人間は来ないが、全くないわけじゃないからな」

「おれたちみたいな〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉とか」

 魔物を狩る人間が来るため、隠蔽(カモフラージュ)が必要なのだという。

 門を通り抜けた先は、入口から覗き見たとおり、中庭でもいうような景色が広がっていた。正方形の広場。中央を十字に割る石畳。ところどころ規則正しく植えられた広葉樹の足元には、ベンチが置かれている。

 憩いの場としか思えないその場所には、人影が散見された。長閑な光景だが、のびのびと過ごしているのは異形の者たちばかりで、ラスティは思わず身体を強張らせた。ユーディアも表情を硬くしている。

 そんなラスティたちを振り返り、不快そうな様子も残念そうな様子もおくびにも出さず、アーヴェントは恭しく一礼した。

「ようこそ、人間のお客様。我らが魔族の集落アズィル・フォーレへ」

 これが、とラスティは辺りを見回す。もとは兵士たちが集う場所だったであろう広場。囲うのは砦そのものとしか思えぬ武骨な建物。思い浮かべていた集落とまるで違った。

「いやまあ、実のところ、砦一つを改装した集合住宅みたいなもんなんだけどな」

 ラスティの疑問を汲み取ったアーヴェントの解説に、納得した。その一方で、身体が強張っていく。砦の中に作られたとあって、この広場、逃げ場がない。

「そんな緊張しなくても、誰も襲ったりはしねーよ」

 なるべく隠そうとしていた警戒心を看破され、気まずい思いを抱く。だが、そうはいっても簡単に頭を切り換えることはできなかった。腰の剣に手を掛けそうになるのを堪えるので精一杯。

 アーヴェントもなかなか受け入れられないことが分かっているのか、特にラスティたちに何も言わなかった。こっちだ、と石畳の先を促す。

 広場を抜けている間、ラスティは視線を感じた。寛いでいるように見える魔族たちだが、余所者はやはり気になるらしい。ラスティが彼らを警戒しているように、彼らもまた人間を警戒しているのだろうか。

 ――こいつがいるのであれば、無理もないか。

 ラスティの背後には、鎖に繋がれた狼のようなレンがいる。蔦の拘束こそ解かれたものの、鉾槍(ハルベルト)をグラムに取り上げられ、リグにはしっかりと監視されている。いつ暴れ出すか、と思うと、ラスティも気が気ではない。

 もしかすると、必要以上に緊張しているのも、レンの気が立っているからかもしれない。

 十字路を折れて進むと、木も花も植わっていない芝生が右手に見えた。そこは子どもたちの遊び場のようで、ボールが飛んでいるのが見える。無邪気に、楽しそうに、殺される恐怖や虐げられる不安も全く抱いた様子もない様子から、この集落で如何に平和が保たれていたかが見て取れた。

(おさ)〜、おかえり〜!」

 ボールを追いかけていた子どもたちが、こちらに気付く。遠くに転がっていくボールを放って、三人ほどこちらに駆けてきた。人間であればまだ七、八歳の大きさの子どもたちだ。

「その人たち、新しいにんげん?」

 大きな目に好奇心だけを浮かべている、ふわふわとした女の子は、額に一本角が生えていた。やはり純粋な人間でないのだと知ると、その姿がなんだか痛ましく思えた。

「大事なお客様だからな。失礼のないように」

「わたし、じゃまなんかしないもん」

 女の子がぷっくりと頬を膨らませる。そうだそうだ、と他の子どもたちが騒ぐ。それで気が済んだのか、子どもたちはこちらに手を振って、また芝生の中へと走っていった。

 グラムたちは微笑ましそうに、レンは苦々しげに、その後ろ姿を見送っている。

「……長?」

「最年長だからね、俺がここ仕切ってんだよ」

 ラスティはアーヴェントをじっと見つめる。改めて見ても、ラスティとさして歳の変わらないようにしか見えないのだが。広場には、壮年や老年の人もいた。

「まだまだこんなに瑞々しいイケメンだけどな、これでも二百は越えてるんだぜ」

 ユーディアが驚きの声を上げ、アーヴェントは満足そうに笑った。

「父親が、寿命や老化に関わるところを弄られたらしい。俺もその遺伝子を受け継いで、この若さで長生きしてんのよ」

 弄られた、というところに疑問を抱き、ラスティは眉を顰める。

「その父親が、合成獣(キメラ)?」

「そう」

「合成獣とはなんだ?」

 尋ねると、何故かアーヴェントはこちらを見透かそうとでもいうような目で、じっとラスティを見てきた。

「知らない、か。そちらのクレールのお嬢さんは?」

 ユーディアも首を振る。

 アーヴェントは鋭い眼差しでじっとラスティとユーディアを見比べ、やがて肩を落とした。

「そうか。……当てが外れたな」

「ん? 当て?」

 アーヴェントは、グラムの疑問に答えなかった。

「合成獣は、既存の生物を素体とし、魔術によって造られた生物のことだ。基本的には、他の動物との組み合わせ。犬に鳥の翼を付けるとか。植物の細胞を植え付けるとか」

 伝説の生き物の憧れから始まった実験は、今から三百年前に密かに流行った、とアーヴェントは言う。

「こんな倫理に触れること、公にはできねーからねぇ。でもまあ、いつかはバレてしまうもんで、禁術認定された」

 禁術、と聞いてラスティはリグを見た。彼は苦い表情で頷く。

「盗まれた〈セルヴィスの手記〉。そこに合成獣の製法についての記載がある」

 ラスティは今度はユーディアを振り返った。〈手記〉を取りに来た彼女は、その中身を知って顔色を青くしている。視線があちこちに漂い定まらないのは、混乱の所為だろうか。

「禁術と認められる前の話だ。造られた合成獣は、ある日管理の不徹底によって野に放たれた。すぐに狩りが決行されたんだが、広い土地で獣全部を捕まえることは難しい」

 その結果、取りこぼした合成獣の中で、特に生殖系を弄られていなかった生き物が、野生の生き物と交わって繁殖してしまったという。

「そうして生まれた新たなる異形が、ご存じ魔物だ」

 驚く一方で、何処か腑に落ちるものもあった。国の騎士として過ごしていたとき、獣と魔物の両方の対処に追われたことがある。アーヴェントの言うような〝異形〟とされるほうを魔物と認識してきたが、定義としては何処か漠然としているとは思っていた。

 一方で、沙漠に現れたあの魔物。

「ヒューマノイドは、人間を素体とした合成獣から生まれた魔物だ」

 フラウの発言から予想はついていたが、頭を抱えたくなる事実だった。不快感を顔に出さないだけで精一杯。

「俺たち魔族も、ヒューマノイドと成り立ちは同じ――いや、ほぼ同一だな。ただ、俺たちは理性を持って、人間的意識を持っている」

 呼び名を区別することで、人間性を主張しているのだ、とアーヴェントは言う。まだシャナイゼにおいても魔族は魔物扱いされ、なかなか人と認められないそうだが。それでも〝いつか〟のために、こうして森の隠れ家(アズィル・フォーレ)を造って、人間的な営みを細々と続けている。

 それは、魔族を魔物にさせないための試みでもある、と。

 レンが何言かを吐き捨てる。

「そうしないと生きていけないんだ、俺たちは」

 ラスティはただ聴いていた。自分の想像の外にある彼らの苦労を前にすると、どんな言葉も軽いような気がしてならなかった。

「だから、俺も〈手記〉の行方を気にしているってわけだ。もし合成獣が造られて世に出たら、三百年前の繰り返し――いや、より悪い」

 シャナイゼで騒ぎとなった三百年前は、沙漠があったお陰で、西に行った魔物の数は少なかった。シャナイゼが他地域と比べて魔物が多いのは、そのためだ。

 しかし、今回合成獣造りが行われる可能性があるのは、沙漠の向こう。非人道的な魔術が行使されるのに加え、生態系に変化が訪れる可能性がある。

「魔族としちゃあ、見逃せない。まして、今回の戦で合成獣の噂があったと聞いたら、な」

 それで、アーヴェントは昨日あの酒場に居たという。

「だけど、さっきも言った通り、当てが外れた。酒場の奴は何も知らないし、アリシエウスとクレールから来たお客人方も何も知らなかった。にいちゃんなんて魔術書について探ってたから、怪しいと思ってたんだけどな」

「アリシエウスは……関係ない」

 ハイアンとディレイスが、そんな所業を見逃すはずがない。隠れて行われていたとしても、炙り出されているはずだ。だが――

「クレールは?」

 アーヴェントの問いかけに、ユーディアは目を伏せて黙り込んだ。代わりにか、フラウが口を開く。

「合成獣の話が真実だとして。十中八九、クレールでしょうね」

 ユーディアは反論どころか声を上げることさえしなかった。彼女の白い顔には、諦めが浮かんでいる。

「つまり」

 横入りした声に、ラスティは冷水を被ったような気分に陥った。

「クレールをぶっ潰せば良いんですね……?」

「レン――」

 ゆらり、と少年の影が揺れる。レンの身体から黒い何かが立ち昇っているように見えるのは、目の錯覚だろうか。赤い瞳は剣呑な光を放ち、アーヴェントを見据えていた。

 そのアーヴェントは、至って平静。顎に手を当て、レンを観察するように見ている。

「少年、もしかしてさぁ。身内とか誰かを合成獣にさせられてたり、する?」

 問い返す声が出る前に、周囲の空気が凍りついた。これでもか、とばかりにレンは目を見開き、時が止まったかと錯覚するほどに身を硬直させている。

 やがて、その小さな身体が震え出す。

「ムカつくんだよ、この化け物がさぁ!」

 アーヴェントに飛びかかろうとしたレンを、ラスティは慌てて押さえ込んだ。腕の中に捕らえた少年の小柄な身体が、拘束から逃れようと乱暴に動く。

「何が魔族だ! さも『人間です』みたいな顔しやがって! お前らみたいなのが、存在して良いはずないだろ!」

 憎悪の叫びが、周囲の建物に反響するので、ラスティは焦った。案の定、聞きつけた魔族たちが色めき立つ。抗議でもしようというのか何人かがこちらへと進み出るが、アーヴェントが手を挙げて抑え込んだ。

 その間も、レンは暴れる。

 さすがに押さえ込むのが難しくなり思わず腕を緩めた隙に、レンはラスティを突き飛ばした。衝撃で後ろに下がるラスティの腰に手を伸ばし――朱い柄の剣が抜き取られる。

「魔物だろうが、魔族だろうが、合成獣だろうが! 受け入れられていようが、望んで生まれたのかそうじゃなかろうが――」

 踵を返し背を向けたレンは剣を両手で握り、振りかぶる。レンとアーヴェントの間には、剣の刀身以上の距離があった。だが、それは破壊神の剣だ。何が起こるか見当もつかない。

 グラムたちも顔色を変える一方で、レンの正面に立つアーヴェントだけは、冷静にレンを見ていた。その目には、同情。

「――お前らみたいなの、全部消してやる!」

 ラスティが手を伸ばした先で、力いっぱい叫んだレンが剣を振り下ろされる――

 ――その前に。

 影が一つ割り込んだ。金の髪を翻したその人は、右手一つでレンの手首を掴み、止めた。

「貴方の憎悪は貴方の自由。でも、それを使うのだけは認められない」

 この騒ぎの中にいてなお、何処か涼しげなフラウの冷めた青い瞳が、淡々とレンを見下ろしている。

「なん……なんですか、あんたは! 何もしてくれないくせに、余計な口出しばかり!」

 剣を掲げた格好のままで抗議するレンの声は、苛立ちよりも動揺の強さが窺えた。

 だからというわけではないだろうが、フラウはまったく動じた様子がない。

「その剣の監視者……では、もう納得しないでしょうね」

 腕一本でレンの凶行を抑え込んだまま、彼女は虚ろに笑った。

「アリシア」

 皮肉げな表情で胸に手を置く彼女は、別段声を張り上げていたわけではない。なのに、何故かその声はよく通り、ラスティの身体を縛り上げた。

「私が、その忌まわしい剣を振るった破壊神」

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