(20)
◇ ◇ ◇
仕事から帰ってきたアレックスは、上着を脱ぐとそれをハンガーにかける。
クラバットを緩めながら、はあっとため息を吐いた。
ここ数日、ルイスの様子がおかしいのだ。サラやドールによると、ずっと塞ぎ込んでいるらしい。
さらに、それを聞いたアレックスが帰宅後に会いに行っても、『会いたくない』と言う。
ルイスが池に落ちた現場に遭遇したのは、全くの偶然だった。
あの日、珍しく早く仕事が終わったアレックスは町でルイスの好きなクッキーを手土産に買った。そしてそれを持って馬車で屋敷に戻ると、庭から若い女と子供の声がしたのだ。
(誰かいるのか?)
気になって様子を見に行こうとしたそのとき、まさに事件が起こった。
バシャーンという大きな水音が聞こえてそちらに駆けつけると、池に落ちて座ったまま泣くルイスと、池の淵に立つイザベルがいた。
その光景を見て、頭に血が上る。
(まさか、ルイスを池に突き落としたのか?)
気づいたときには「何をやっている!」と怒鳴っていた。突然現れたアレックスに驚いた様子のイザベルは、弁明の言葉も出ないようだった。
アレックスはすぐにルイスを助け上げた。冷たい水に触れたとき、こんな水に幼い子供を突き落とすなんて……と再び怒りがふつふつと沸き起こる。
「二度と息子に近づくな! 二度とだ!」
アレックスはイザベルにそう怒鳴りつけると、ルイスを風呂に入れるために屋敷へと戻った。そして、使用人達に対して改めて『決してイザベルをルイスに近づけないように』ときつく言い付けた。
これであの悪妻から息子を守れる。
そう思っていたのだが──。
アレックスは部屋を出て、ルイスの部屋に向かう。
ドアをノックするが返事がない。開けてみると、ルイスはひとりで窓の外を眺めていた。
「ルイス。あまり食事を摂っていないそうじゃないか。食べろ」
「いらない」
「このまえ買ってきたクッキー、好きだろう? 食べないのか?」
「いらない」
頑なな態度に、アレックスははあっと息を吐く。
先日池でルイスを助けて以降、ずっとこの調子なのだ。アレックスと目を合わせようとせず、食事もほとんど食べていないという。
もしや濡れたことにより風邪でも引いたのかと思い医師を呼んで診察させたが、健康そのものであると診断された。
「ルイス。一体何が気に入らない?」
「おとうさまがおかあさまをいじめた!」
「虐めてなどいない。あの女がお前を虐めたから、二度と近づかないように注意したんだ」
アレックスは眉根を寄せて訂正する。
「おとうさまの──」
「何?」
ルイスが呟いた言葉がよく聞き取れず、アレックスは聞き返す。
急激にルイスの周囲に魔力が収斂するのを察知し、アレックスは咄嗟に防御壁を張る。
(……っく。なんて魔力量だ)
ルイスが魔力を暴走させて頻繁に屋敷の一部を壊していることは知っていたが、久しぶりに目にしたその威力は、予想をはるかに上回る強さだった。
「おとーさまのわからずや!」
バーンと大きな音がして、屋敷がガタガタと揺れた。
アレックスはそれが静まってから防御壁を解く。
魔力暴走の威力にも驚いたが、それよりも驚いたのはルイスが発した言葉だ。
「……わからずや?」
アレックスは呆然として聞き返す。
「だってそうだもん。なにもしらないくせに! おかあさまはおとうさまよりよっぽどぼくのことをみてくれる」
ルイスは目にたくさんの涙を浮かべて、アレックスを睨み付ける。
そのことに、アレックスは強いショックを受けた。
ルイスがこのように反抗してくるのは初めてだったし、それがあの悪女に関することだったのでなおさらだ。
「ルイ──」
「もうでていってよ!」
「……わかった。また来る」
アレックスは深いため息を吐き、ルイスの部屋をあとにした。
◇ ◇ ◇
アレックスは自分の部屋に戻ったあとも、悶々としたままだった。
「一体何がいけなかったんだ?」
新しく来た嫁がとんでもない悪女だったので、ルイスを守るために接近させないよう使用人達に言付けた。それでも接触し、先日は池に突き落とすという暴挙をしていたため激しくイザベルを叱責し、使用人達には再度『イザベルとルイスを関わらせないように』と強く命じた。
全ては、息子であるルイスをあの悪女から守るためにしたことだ。
それなのに、当の本人であるルイスは逆にそのことに怒り、アレックスを『わからずや』と言った。
「わけがわからない」
アレックスは執務机の上に置かれた報告書をぱらりと捲る。
イザベルが何をしでかすかわからないと思い、サラに頼んで密かに付けてもらっている彼女の行動記録だ。
その内容は、目を疑うようなことばかりだった。
ある日は料理が気に入らなかったのか、厨房に突然やって来て長時間にわたりオーブンを占領したらしい。
またある日は庭の出来が気に入らなかったのか、突然庭師に命じて庭の草木を根こそぎ刈り取らせたらしい。
また、突然メイドの控室を訪れ、部屋に居座ったこともあるようだ。
極め付けに、アレックスに対し〝会わなければ命にかかわる〟という主旨の脅迫してきたこともあった。
よくもこんな短時間でいろいろと問題を起こせるものだと、驚きを禁じ得ない。
アレックスはローテーブルに無造作に置かれたままになっている、先日買ってきたクッキーの包みを見る。
「なぜルイスはあんなにも、あの女を庇おうとするんだ?」
何か重要なことを、見逃している気がした。




