(17)
「アレックスが再婚したと聞いて、是非お会いしてみたかったんだ。こんなに美しい夫人がいるなんて、彼も夢中なんじゃないか? 早く家に帰りたくなってしまうだろうから、彼の仕事中毒も少しは解消されるかもしれないね」
男性は朗らかに笑う。
「まあ、お上手ですこと」
イザベルは口元に手を当て微笑む。
残念ながら夢中とは程遠いですけど、という言葉は喉元で飲み込む。
(上司から見てもワーカホリックだったのね)
ちらりとアレックス に視線を向ける。彼はなんの感情も見えない表情で、話を聞いていた。
「そういえば、以前お話ししていた薬草は、無事に育ったんですか?」
サラが話題を変え、男性に尋ねる。
「よく覚えているね。無事に育ったよ。屋敷の温室に生えているから、今度見においで」
「はい、是非!」
サラは男性と気安い様子で喋っている。
(元々知り合いなのね)
なぜ妻でもないサラがここにいるのか不思議だったのだが、元々顔見知りなのだとすればアレックスから同席するように言われたのかもしれない。彼らは一時間ほど滞在し、他愛もない世間話を楽しんだ。
「今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ楽しい時間をありがとう」
笑顔で馬車に乗り込む来客を見送ったイザベルは、ホッと息を吐く。
ようやく気が抜けたそのとき、アレックスが自分を見つめていることに気付いた。
(そうだわ。せっかくの機会だから、アレックス様に屋敷やルイスのことを──)
そこまで考えたときに、アレックスが口を開く。
「いい加減にしろ」
「え?」
突然何を言われたのかわからず、イザベルは呆気にとられる。アレックスは険しい表情でイザベルを睨み付けていた。
「毎日好き勝手に過ごし、妻としての役目を果たしていないことについてはまだいい。だが、こんな最低限の時間すら守れないなんて。しかもその穴埋めをサラにさせるなんて、きみはどうしようもない女だな」
「なんですって?」
イザベルはカチンときて言い返す。
サラからは『二時半にお客様がいらっしゃる』と聞いた。だが実際に来客があったのは一時半で、今はまだ二時半過ぎだ。だから、イザベルは遅刻などしていないはずだ。
それに、聞き捨てならない言葉も聞こえた。
イザベルはサラに自分の穴埋めを頼んだことなど、ただの一度もない。
「アレックス。そんなに怒らないで」
サラが険悪な二人に割って入ると、宥めるようにアレックスの胸の辺りに手を当てる。
「誰にだって勘違いはあるわ」
「え?」
サラの言葉を聞いて、イザベルは驚いて目を開いた。
「ちょっと待って! 二時半ってわたくしに言ったのはあなたじゃない」
「二時半? 私は一時半と言ったわ」
サラは困惑したような顔でイザベルを見つめる。
「嘘。絶対に二時半だったわ」
「そんなこと言われても──」
サラはますます困ったように眉尻を下げた。そのとき、サラを背中に隠すようにアレックスが二人の間に入る。
「いい加減にしろ。自分の非を認めないばかりか、連絡してさらに尻拭いまでしてくれたサラを悪者扱いか。呆れて物も言えないな」
言われた瞬間に、羞恥からカッと顔が赤くなるのを感じた。
(何よそれ。最初から私の言うことなんて、信じるつもりなんてないくせに)
悔しさから、じわっと目に涙が浮かぶ。けれど、この男に泣き顔を見られるのだけは絶対に嫌だった。
「事実確認もしないでわかったようなこと言わないで!」
「なんだと?」
「だって、そうじゃない!」
残虐さはなくなっても、気の強さは記憶が戻る前と変わらない。
吐き捨てるように言うと、イザベルはくるりと踵を返して自室へと足早に向かう。
「奥様! 待って」
「サラ、放っておけ」
追いかけようとするサラをアレックスが止める声が聞こえる。
(どっちが妻かわからないわね。バカみたい)
乾いた笑いが漏れる。
ただ一秒でも、ここから早く立ち去りたかった。
◇ ◇ ◇
「あったまくるわね、あの男!」
私室に戻ったイザベルは、イライラから枕をベッドに投げる。勢いよくベッドの柱にぶつかった枕はバウンドして跳ね返り、イザベルの手元の辺りで止まった。
せっかく会えたのだから、屋敷のことやルイスのことについて話し合いたかった。けれど、あの様子ではイザベルが何を言おうと聞き入れる気はないだろう。
「とはいえ、困ったわ」
このままいくと、近い将来彼が死んでしまう。
そうさせないためにもなんとかしなければならないのに。
(それにサラさんも。一体さっきのはどういうつもりだったのかしら?)
二時半と言ったのは彼女自身のはずなのに、イザベルが聞き間違えたのだろうか。録音していたわけでもないので、絶対にイザベルが正しいという証拠はない。
「はあ……」
時間がないのになかなかうまくことが進まないことに、焦りを感じる。
このままでは、ルイスが強烈ヤンデレのヤバい男になり、イザベルは彼に殺されるかもしれないのだ。
「奥様? お疲れならハーブティーでもいかがですか?」
ソファーで項垂れていると、イザベルの様子がおかしいことに気付いたエマが声を掛けてくれた。
「ありがとう」
お礼を言うと、エマは笑みを浮かべて温かいハーブティーを淹れる。
(そうよ。初日よりは明らかによい関係になっている人もいるんだから、頑張らないと)
淹れたてのハーブティーを一口飲む。体に温かな優しさが染み渡った。




