五話 買い物戦争③
土下座ァァ……
それからというもの、絵里子は由奈に言われれば二日前のチラシを見せるようになった。
各方面の了承を得ていない後ろめたさが、表れている証拠である。
それまで安い買い物で優越感に浸っていた絵里子にとって、由奈の行為は侵略に等しく思えた。
歯痒い。そんな日々が絵里子を染めていく。
ある日、絵里子が鼻歌交じりに帰宅した。
時刻は夜の九時。これから夕食を作るのではとても間に合わない。極めて遅い時間だ。
「ただいま」
予めレトルトの料理を出されていた憲三と貞夫、トメは既に夕食を終えていた。
絵里子の買い物袋を見た由奈は、不思議そうに聞いた。
「何か今日は安売りしてましたっけ?」
すると絵里子はレシートを嬉しそうに由奈に見せた。
インクが減り薄くなった石英商店のレシートだ。
「えっ!? 何ですかこの値段!」
それは驚愕たる光景だった。
「豚こまグラム50円。玉ねぎ5円って……!!」
由奈が驚き絵里子を見た。
絵里子が勝ち誇った顔で由奈を見る。
もう一度レシートを見ると、そのからくりがすぐに知れた。
レシートの発行時刻は八時二十分。
一方、石英商店の閉店時間は八時である。
──時間外取引だ!!
由奈はくわっと顔をしかめた。
ふふんと鼻息を漏らす絵里子。
苦悶の表情を浮かべ、由奈は自室へと辞去した。
「お義母さんったら反則染みた手を使ってきたわ!」
「あー、はいはい。ご苦労様です」
「あ?」
「何でも無いです。はい」
夫へキツい眼差しを向け、由奈はどうしたものかと考えた。
しかしいい手が思い浮かばず、手を組んで首を傾げた。
「だったら母さんが遅いときに、由奈も後から行けば良いんじゃないかな?」
「あ」
それは単純かつ明快な解決法だった。
ここから石英商店までは三十分。夕方に絵里子が居なければ行けばいい。作戦は簡素を極めた。
二日後、作戦決行の日は訪れた。
「なにこれ……」
石英商店の入口で、由奈はあんぐりと口を開けた。
なんと閉店時間を過ぎているにもかかわらず、駐車場には車が沢山停めてあったのだ。
田舎の小さな商店に長時間停める理由は無い。買い物を除いてだ。
「あーダメダメ! ウチはもう終わりだよ! ったく一度許したら見境無しに来ちゃったよ……」
店からは主婦が追い出されるように出て来た。その中には絵里子も含まれていた。
由奈と目が合い、気まずそうに絵里子は顔を背けた。
「悪いことは出来ないものね」
バツが悪そうに絵里子はいった。
その日、由奈は寂しそうな絵里子の背中にかける言葉が見付からなかった。
それからというもの、絵里子は度々ため息を漏らすようになった。
買い物に張り合いが無くなり、安かろうが何だろうが、別にどうでも良くなっていったのである。
一円でも安く。
絵里子の独占たる動力源は既に無く、主婦としての生き様を失いつつあった。
「あら、電話……」
ガラケーを開き、電話先に声をかける。
相手は近所のお喋り友達だ。
「激安のお店があるんだけど」
魅惑的な話だった。絵里子の目に活力が宿る。
返事二つで絵里子は直ぐさま家を飛び出した。
「ただいま帰りましたー」
由奈が帰宅すると、絵里子の靴が無いことに気が付いた。
用事だろうか?
由奈は特に気にせず自分の支度を済ませることにした。
最近は滅法大人しい絵里子に対し、由奈は特に不満も無く日々を送っていた。
この家の暮らしにも馴れてきた。そんな頃だった。
「ただいま~♪」
やけに上機嫌な絵里子が、買い物袋を引っ下げて帰宅した。
両手いっぱいの買い物袋には、聞いたことの無い店のロゴが入っていた。
「輝石ストア……?」
「そう! 輝石村まで行っちゃったわ! 安かったのよ~!」
「ただいま」
後から続いて憲三が帰宅した。
絵里子の買い物袋を一瞥し、鼻で笑う。
「なによ」と絵里子。
「輝石村ってここから一時間もかかるとこだぞ? 燃料代いくら掛かるか計算したか?」
由奈は一瞬で理解した。
車で一時間。時速60kmで、リッター辺り25kmだとしても往復で4Lは消費している。
「えっ?」
絵里子の目から光が消えた。
力なく買い物袋がするりと落ちた。
野菜がこぼれ、玄関を転がった。
由奈が慌てて拾い上げるも、絵里子はまるで魂を失った人形のように動かない。
「大損したの……わたし?」
「600円安くてトントンかな。主婦ってのはよく分からない生き物だねぇ」
憲三が笑いながら風呂へ向かった。
絵里子は動けない。
ただ暗い顔で俯くしかなかった。
絵里子には安売りを糧に生きるだけの活力は、もう残されていなかった。




