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** 母と父に捧げるエピローグ(Needear)



 母が亡くなってから二十年が経った。気がつけば、僕は母と同い年になっている。


 死者の時は動かない。記憶のなかの母はいつまでも美しくて優しい女性だ。


 僕は母が大好きだった。

 いつもおっとりと微笑んでいた母が。いつでも僕を抱きしめてくれた母が。


 そんな母が愛していた父に嫉妬したこともあった。いや、いまでもすこし妬いている。


 だって僕には自分が産まれてからの記憶しかない。でも父はそれ以上の母にまつわる記憶をたくさん持っている。母に愛され、たくさんの時間を過ごした父のことが僕はうらやましかった。


『おにいさまもおとうさまも、おかあさまのことが好きすぎるわ』なんてセレナはからかうけれど。


『セレナだってそうだろう?』

『ええ、もちろんそうよ。でも私にはたった三年しかおかあさまの記憶がないの。そのことをよく考えてよね』

『……ああ。わかっているよ』


 僕は十九歳で他国の公爵令嬢と結婚した。

 目の色がおかあさまと同じだわ、とセレナは僕の妻を見てそう言っていた。それ以上のことを彼女は口にしなかったけれど、言いたいことはよくわかった。


 ──"おかあさまみたいなひとをえらんだのね"、だ。


 そんな妹は他国の王子と婚約中だ。こちらは父には似ていない。

 たまに城にある劇場でお芝居をさせてもらうの、と彼女は得意げに言っていた。いずれ僕たち家族で観にいくことになっている。


 そして、父は──。


 何度か話はでたようだが、母亡きあともけして側室を持とうとはしなかった。戴冠式のときのあの熱烈なスピーチはいまでも話題に上る。


 生涯でたったひとりだけ。

 僕もそんなふうに、自分の妻を愛せたらどれだけいいだろう。


「ニーディアさま、国王陛下をご存じありませんか。ドラー医師が探していたのですが」

「ああ、父上ならきっとサロンだろう。伝えておくよ」

「ありがとうございます」


 頭を下げる大臣と別れて僕は『白い小鳥の家』へ向かった。


 時間があると彼はすぐにここへ行く。母が亡くなった当時のまま保存されているサロンに。


 母の侍女だったアンニカ夫人がいまも毎日掃除しているので中はきれいだ。たとえ埃まみれでも──、父は通っただろうけれど。


 そこまで毎日父がなにをしているのか。僕は知っている。


 母と話をしているのだ。


 結婚式で初めて顔を合わせたときから、母が亡くなるまでの思い出話を。ずっと、ずっと、もういない母としているのだ。


 僕はちらっと広間を覗く。壁にはふたりの結婚式のパレードのときの写真が飾られている。


 写真はすこし色褪せてしまってきたけれど、そこに映っているふたりは永遠に年をとらない。

 緊張しているのか、険しい顔をしている父とその横で優しく微笑んでいる母。ふたりはこれから幸せな夫婦生活を送るのだ。


 ちくりと胸が痛む。

 ふたりの幸せな日々はもうもどらない。それでも。


 父は、いまでも母を深く愛しつづけている。


 僕はサロンの扉をノックした。返事はない。

 ここだと思ったけれどちがったのだろうか。


「父上? 入りますよ」


 僕は扉を開ける。父はベッドの横に置いた椅子に腰を下ろしていた。


 なんだ、やっぱりいるんじゃないか。そう思いながら近づいたがどうやら父は眠っているようだった。顔をあげようとしない。


 父上、と僕は彼に呼びかける。


「ドラー医師が呼んでいるそうです。行ってあげてください」


 父は応えない。


「父上?……」


 僕は彼の肩に手をかける。


 父は目を閉じたまま微笑んでいた。


 まるで母が隣にいるかのように。

 まるで、母と大切な思い出について語りあっているかのように──。





【完】

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